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姫路などから竹取翁博物館に訪問者あり邪馬台国や徐福に関心を示された 2014.4.14
【YouTube】
  http://youtu.be/Cfa6PnJAwP4
 イスラエルと日本の関係や物部氏に詳しい方が前回見えられ竹取翁博物館を訪問された方が、今度は姫路からの友人を連れて訪問されました。
前回に一応の話しをしたので、今回は全体を通しての話しの後、三つ鳥居や徐福それに奄美の徳之島を展示している「邪馬台国の徳之島説」について関心を示されたので詳細な説明をさせて頂きました。
 これについては、すでにホームページや京都大学の古地図学会でも発表済みなので、その時の古地図を示しながら判りやすく小泉館長(学芸員)がお話しされました。
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]この邪馬台国については、『竹取物語』を深く研究し現地の徳之島に詳しい方に聞き色々な資料や今までに大和や九州へ行って調べた中から「奄美の徳之島一帯だと」判ったものです。つまり、月から持ってきた不老不死薬から、徐福が秦の始皇帝の命令を受けて蓬莱山にやって着た場所が「徳之島」であり、その400年後に「邪馬台国」が出来たという事が判明したのです。
 訪問者は、かぐや姫の『竹取物語』が、このような事にも「繋がっていた」という事に大変関心を持たれました。その後、別館の「かぐや姫サロン」で『竹取物語』絵巻の襖絵を見られた後、季節の花が咲く庭を眺めながらお茶を飲みゆったりした一時を過ごされました。
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 帰りがけには、「邪馬台国の徳之島説」に大変興味を示され「徳之島へ行ってみたいね」と語られ「行く方法」等を聞いておられました。
 そして、これから月命が宿る「甘南備山へ登ってきます」と話され、「又友人と来ます」と話されお帰りになられました。
   http://youtu.be/4V1tkhDVkxU
竹取翁博物館「国際かぐや姫学会」http://taketori.koiyk.com/
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    姫路などから竹取翁博物館に訪問者あり邪馬台国や徐福に関心を示された。月から持ってきた不老不死薬から、徐福が秦の始皇帝の命令を受けて蓬莱山にやって着た場所が「徳之島」であり、その400年後に「邪馬台国」が出来たという事が判明した

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    2014/4/14(月) 午後 9:00

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