タイムマシンに乗れるビデオ
|
新聞のテレビ欄の深夜帯に
「小田和正」 の名前を見つけた。 あ、なつかしいな… という軽い気持ちでタイマー予約して休んだ。 翌朝テレビの前で 夫と息子のカッターシャツにアイロンを当てながら 片手間に観るつもりでビデオを再生した。 ♪愛を止めないで…そこから動かないで…♪ 歌っているのは素敵に歳を重ねた小田さんだけど あの頃と変わらない透明感のある声を聞くと、 私はいきなりタイムマシンに閉じ込められてあの頃へとジャンプした。 「もとちゃんの影響かな?このごろオフコースばかり聞くようになったよ。」 海岸通を走るセリカのカーステレオからは いつものように私が持ち込んだカセットテープから オフコースが流れていた。 その3ヶ月前まで私は同い年の元彼との付き合いに疲れていた。 やさしいし悪い人じゃなかった。 世間では女性をクリスマスケーキに例えて 24歳を過ぎると値が下がると言われていた時代だ。 まさにその誕生日を目前にして 「結婚」 を親が期待していることを感じていた。 最終学歴は国立大学。 勤める会社は大企業。 おまけに男兄弟ふたりの次男ときている。 親の喜びそうな条件はそろっている。 そして何より元彼は結婚願望の強い人だった。 なのに踏み出せない。 なんだか愛されている実感がない。 心のどこかがおどおどしてる。 食事の時は大きな口をあけて食べなきゃならないハンバーガーなんてとてもダメ。 結婚してもまさかこの人の前で「おなら」なんてできないぞ。 デートから帰るとどっと疲れを感じて寝てしまう。 そんな時、私は親友の新婚家庭に遊びに行った。 マンションのドアを開けたとき 目線の先に真っ白なVネックのセーターを素肌に着た彼が座っていた。 色黒な顔に真っ白な歯と白いセーターが印象的だった。 今ならあの瞬間のことを 「ビビビッと来た」 と言うのだろう。 「あ、私この人と結婚するんだわ…」 私の気持ちを知った親友がふたりのデートを設定してくれた。 親友のご主人の同僚だからお互いの気持ちを橋渡しもしてくれた。 真面目一方で生きてきた私なのに、 前なら絶対に許せなかったいわゆる 「ふたまた」状態でも不思議と罪悪感もなかった。 私の職場は休日でも何かと付き合いがあったけど 怖い先輩にでも 「祖母の具合が悪くてお見舞い」 なんてウソまで付いてはすっぽかした。 彼と会っていると時間があっという間に過ぎた。 楽しいときはお腹から笑い、心の中にある感情をそのまま吐き出せた。 好き、大好き。 大きなおでこがコンプレックスな私が 助手席に吹き込んでくる風の思うままにまかせて髪をなびかせた。 口を半開きにして居眠りもした。 「気持ち良さそうだね」 と笑ってくれる横顔を見つめた。 24歳で初めて味わう 「無防備」 だった。 私は元彼に手紙を書いた。 実は好きな人に出会ってしまったこと。 もうあなたとは会えないと。 それ以降、2度と会わなかった。 そんな時、 彼の元彼女が東京まで追いかけた好きな人に振られて地元に帰ってきたことを知った。 私の親友はその元彼女の友達でもあった。 好きな人に振られて初めて元彼、 つまり現在の私の彼のやさしさに気付いたと言う。 元彼を返して欲しい、 「あの子には彼氏がいるんだしいいじゃない」 と泣いていると親友から聞いた。 そしてあの夏の日。 「もとちゃんの影響かな。このごろオフコースばかり聞くようになったよ。」 … 海ノ中道海浜公園。 潮風のさわやかな7月だった。 「ね、あの人が帰ってきてるんだって。 あなたのこと返して欲しいって。 帰ってあげれば?!」 …凍りついた空気。途切れた会話。 あのあとどうやって車を降りたのか。 どうやってJRに乗ったのか。 ぱったり記憶が抜け落ちている。 ただあの人の住む街から遠ざかっていく列車の中で 心細さと寂しさで胸が締め付けられそうだった気持ちだけは覚えている。 そして翌年25歳の誕生日当日に 私はふたりが結婚したことを知った。 心の底からすべてをさらけ出せた初めての恋だったと思う。 私のことをすっぽり私のままで愛してくれた人だったと思う。 かけひきなんてできなかった。 うそをつきたくなかった。 隠し事をかかえるのは嫌だった。 そして元彼女のことを聞いても絶対に私を選んでくれるという自信があった。 ビデオの中では小田和正がギターを弾きながら次々となつかしい曲を歌っている。 それをぐるりと囲んだ髪の薄くなったおじさんや 贅肉がついてふくよかなおばさんたちが合唱している。 その群集の中に私は思わずあの人の姿を捜した。 私の口からもすらすらと1字1句間違わずに歌詞とメロディが出てくる。 あの人も新聞のテレビ欄で小田和正の名前に目が止まっただろうか。 この番組を見ただろうか? 見たら絶対に私のことを思い出しているはず。 あの夏の日。 「だけどね、だけどね、行かないで。」 って付け加えたかったのに言えなかった。 豹変した私の態度にあの人も傷ついたに違いない。 素直に帰ってきてと泣けた元彼女に私はかなわなかったんだ。 ♪イエス、イエス、イエス、ウーウーウー♪ 声を合わせて歌う同世代の観客のひとりずつの胸の中にも様々な思いがあるのだろう。 みんなあの時代からどんな人生を経てきたのだろう…。 終了したビデオに 「永久保存」 のシールを貼って本棚の隅に収めた。 アイロン台の上のカッターシャツは中途半端な湿り気を帯びてしわを残し、 アイロンは熱いままだった。 我を忘れて手を止めてしまうなんてこと今までなかったのに。 ビデオを再生すればタイムマシンに乗れる… そして今の生活では味わえなくなった 「恋しさ」や「切なさ」そして「苦さ」に どっぷりと心を浸してうっとりする。 これが、結婚21年目、良妻賢母(?)な 私に生まれた初めての、 わたしのヒミツ。 (もとこ 46歳)
|








