火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

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「万葉集」をライフワークにしたい火山。昔買った「万葉集・時代と作品」(木俣修・NHKブックス)を眺め我が目を疑った。聖徳太子の歌がでていたのだ。ウッソー!だって「聖徳太子は実在しない」というのが火山の持論。

家にあらば 妹が手まかむ 草枕 旅に臥(こや)せる この旅人あはれ(巻3・415)

大意は「家にいれば妹の手を枕にしていたであろうのに、草を枕に旅先で伏し倒れているこの旅人が哀れ」。妹とは恋人のこと。なんとも聖徳太子の歌らしくない。「日本書紀」の推古天皇11年12月庚午朔に「内容の類似した太子作と言われる長歌が出ている」という。

木俣氏は第一章「歌謡の時代」で雄略天皇の御製をまず紹介する。巻1の始めにある。「ある日、岡に菜を摘む一人の少女に天皇が呼びかける。『美しい籠を持ち、美しい掘串(ふくし)を持って菜を摘んでいる娘さん。あなたの家はどこですか。この大和の国は私が領有しているのです』」―――。

雄略天皇は5世紀の後半の英雄的な君主。中国の史書「宋書」に倭王武として登場する。性勇猛の記事。雄略の2、3代前の天皇は甲冑を身に付け、蝦夷、熊襲、朝鮮などを征服した。雄略は国内をほぼ統一、新しい支配者として大和平野で主権をほしいままにする。その帝王の朗らかな歌だ。
だがこれは「伝承歌」。口から口へ伝えられるうちに御製と<仮託>されたと木俣氏。御製とされるこの歌が「万葉集」では最も古い。この歌によって「万葉集」はあけぼのをつげる。
次に古いのが上記の聖徳太子の「慈悲の歌」という。凄い。

「皇太子すなわち聖徳太子が、片岡山へ遊行する話がある。片岡山は法隆寺のある斑鳩の南方のあまり高くない山である。その山のほとりで倒れている飢者(うえたるもの)と出あい、哀れんで飲食と衣を与える。その時『しなてる片岡山に飯(いい)に飢(え)て臥(こや)せるその旅人あはれ(以下略)』という歌を詠んだことになっている。翌日、飢者が死んだので土中に葬らせたが、その数日後、太子が『あの飢者は凡人(ただびと)ではなく真人(ひじり)であろう』と述べ、使を派遣すると、墓には変化がなかったが、中に屍骨はなく、衣服が棺の上に畳まれていた。時の人は『聖(ひじり)の聖を知ること、実(まこと)である』と言った」(大山誠一「聖徳太子の誕生」吉川弘文館・156頁)。

この大山誠一氏は「聖徳太子は実在しない」と検証した古代史学者。<真人>は「荘子」に出てくる。無為自然で絶対自由を得た至上の人物。別の「黄帝素問」では不死を達成した最高位の仙人。片岡山説話では飢者が真人とされ、聖徳太子も同じ<聖>とされている。「日本書紀」は太子を道教の仙人にしたのだ。

さらに<飢者>の死にも意味がある。道教の「蝉が抜け殻を残して飛び立つのに似せ、不死を実践する道士の魂は昇天する」―――。この飢者の身体が残らず衣服だけ残ったとはそういう説話。明らかに中国の道教を意識している。

「日本書紀」は古代国家最高の政治家・藤原不比等が「日本にも中国の皇帝に比較できる偉大な人物がいた」と大和朝廷の権威付けのために編纂させた。太子は仏教と儒教に通暁した聖人として描かれていた。それに道教を追加した。不比等のライバル長屋王の取り入った人物がいたと大山氏は考えている。

天武天皇の孫・長屋王は「神仙思想」「道教」が大好きだった。長屋王の詩宴に大勢の文人が集まっていた。その一人、恐らくは道慈なる人物が、この説話を追加した。この追加で「日本書記」の太子像は歪み、不比等の意図とは違ってしまった。
だが老いた不比等はこれを阻止する力を失っていた。暗澹たる気分で死を迎えたらしい。
無念を知っていた不比等の娘・光明皇后は長屋王を滅ぼした後、新しい太子伝説を創作する。法隆寺に現存する法隆寺系史料だ。有名な天寿国繍帳の銘文は代表例と大山氏。

聖徳太子は実在しない。だから「万葉集」の歌も太子が作ったものではない。さすがに「万葉集・時代と作品」(NHKブックス)で著者の木俣修氏も疑っている。「日本書紀」の長歌歌格は「万葉集」の短歌と比べると<古風>という。原型は「書紀」の方と指摘する。
「万葉集」の短歌は余りに整然。太子作とは「にわかに決めることができない」(42頁)。
「書紀」の記事も太子への尊敬が生み出した「伝承」だろうと

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お久しぶりです。冒頭の歌、学生時代大好きな歌でした。。
とりあえずウマヤドはいたとして、聖徳太子像が大きく変わったのは鎌倉時代の親鸞の太子信仰によると言う説が、私には一番馴染みが深いです。。

2008/3/30(日) 午後 11:43 だいぷう 返信する

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本当にお久しぶり。嬉しいです。でも現実は厳しい。
「歴史ミステリー」第2号(2008/2/12)にも「実在を否定する」記事がある。
ただの雑誌といえばそれまで。でも専門書をいろいろ読み漁ってきた火山。史実を見極める見識は持っているつもりです。

2008/3/30(日) 午後 11:52 [ kom*_19*7 ] 返信する

はじめまして、参考になりました。

2008/3/31(月) 午後 7:30 man**e877* 返信する

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<マナセ>さん、ようこそ。火山も古代史は好きです。聖徳太子は実在しない。このことは、様々な考古学的、歴史的考証からもはや疑いようがない。
しかし、火山が一番こだわっているのは現在の世相です。未だに「和をもって尊し」とする国民の意識。多少、カドが立ってもシロクロハッキリさせる論理性や勇気がないとグローバル時代に生き残れない。その自覚が足りないことに地団太踏んでいるのです。
その点、すっかり後手とはいえ、福田首相が特定財源廃止を明言、自民党内の反発にも毅然としているらしい姿勢は評価します。ただいつものペテン、霞ヶ関文学では困る。ここでもシロクロ、キッパリして欲しい。

2008/3/31(月) 午後 11:08 [ kom*_19*7 ] 返信する

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