火山の独り言

時ならめ 風に挑みて 鯉のぼり

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<天香具山>は<太陽>が登る山。そして<天岩屋戸>神話の山(万葉の世界・80)

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春過ぎて 夏来るらし 白栲(しろたへ)の 衣乾したり 天の香具山(巻1−28)

明日香村の北には694年、持統女帝が都を開いた<藤原宮>の平地が広がっている。中国の<天子南面>の思想に基づいて初めてしかれた<都城制>という。大極殿は宮の北側に設けられ、天皇の玉座は南を向いていた。
この宮跡を囲むように、畝傍山、耳成山、天香具山(あまのかぐやま)という<大和三山>が個性的な姿を見せる。藤原宮の<東門>は<太陽>を迎え入れる門として<天香具山>に向いていた。

<カグ>とはもともと<輝く>という意味から来ているという。かぐや姫の<カグ>も語源は同じ。天香具山とは<太陽>が昇るべき<聖山>という意味という。面白い。
「その後ろから太陽がのぼると、大和平野が明るくなることから、古くから、大和を統べる天皇家にとってのシンボルのような山であったといってもよい」(中西進「中西進と歩く万葉の大和路」ウェッジ・94頁)。――凄い。単純な火山、見に飛んで行きたくなる。

もう一つ、びっくりした話が紹介されている。「天香具山の南麓に天岩戸(あまのいわと)神社という小さな社がある。一般の観光客にはあまり知られていないだろう。お参りしている人の姿はなかった。拝殿の裏に回るとうっそうとした竹林。その竹林の中に、横穴式古墳の入口がある。昔はすぐ見つかったのだが…」(中西・96頁)――。えっ、もしや、これ、あの有名な<神話>の舞台…。

神話に登場するのは天照大神(あまてらすおおみかみ)。彼女の孫のニニギノミコトは日本の国土に降り、その子孫が大和で日本を治めた。今も伊勢神宮に祭られているのが<天照大神>。日本の神がみの中でも代表的な存在だ。

「天照大神は、弟のスサノオがあまりに暴れるので、<天の岩屋戸>に隠れてしまった。すると辺りは暗くなり、悪いものどもが満ち溢れた。困った神がみは、何とか天照大神を連れ出そうと相談し、天の岩屋の前でアマノウズメに踊りを舞わせた。それを見た神がみの笑い声につられて、天照大神が岩戸からのぞいたところを、外に引き出した。すると辺りはまた明るくなった」(中西・98頁)――。

冬至にはお日さまが弱くなる。古代人は太陽が穴に隠れるからと考えた。何とか引っ張り出したい。それが冬至の火祭りになった。夏至にも火祭りがあった。これは太陽が夏至をピークに衰えるので、何とかそのままにと祈ったものという。この火祭りが天照大神の神話に結びついた。<天の岩屋戸>は隠れた太陽が出てくる場所と考えられたのだ。

日本の古代人は「太陽は東方の洞穴から出てくる」と考えた。「エジプト人は西に没した太陽が、夕の門と朝の門を通って東の天にのぼると考え、シュメール人も沈んだ太陽は山脈の裏をまわって朝、東の山から現れると考えた。日本でも、沖縄では太陽を『てだが穴の大主』という。テダとはお天道さま、つまり太陽のことである。伊勢の二見浦の夫婦岩は、太陽がのぼる洞穴の見立てだろう」(中西・99頁)。

中西進によれば<天岩戸神社>の<ご神体>である<岩屋戸>は古墳時代のものという。つまり神話時代からあったものではない。しかし、天香具山が大和の東に位置し、太陽がのぼる山であるなら、太陽が出る穴がなければならない。そこでさっきの入口が<太陽の穴>という信仰が生まれた。神話には不思議な力がある――。

さて<春過ぎて…>という<天香具山>。あれは持統女帝の有名な歌。百人一首にもなっている。<衣乾したり>と歌っているが、<聖山>に果たして<洗濯物>を干すだろうか。おまけに現地に足を運んで眺めると、藤原宮から天香具山の洗濯物までは見えないという。
「そこでこの歌は、実は雪の降る冬に詠んだものではないか」というのが中西進の解釈。

天香具山がうっすらと雪化粧している。その雪を持統女帝は「干した衣に見立てた」のではないか。「冬どころか、春も過ぎて夏が来たらしい。香具山の神さまはもう衣を干しておいでだ」――。
「万葉集」の東歌にも筑波山の雪を見て――。<筑波嶺(つくばね)に 雪かも降らむ 否をかも かなしき児ろが 布乾さるかも>(巻14−3351)とある。「あれは雪かな、それとも私の可愛い子が洗濯物を干しているのかな」というのがある。さらに―――。

京都の北西に<衣笠山>という山がある。ある時、天皇が真夏に「雪が見たい」と言いだした。お仕えする大臣が機転を利かせた。「陛下、雪が降りました」――。天皇がご覧になると山に真っ白な衣がかかっていた。衣を雪に見立てた。だから衣笠山というのだと…。

持統女帝は梅原猛に言わせると相当な<歌才>があったらしい。だから柿本人麿を見出し、宮廷歌人に引き立てた。女帝の寵愛を受けて権勢を誇ったことが、女帝の死後、報復を受ける運命を招く。人麿流罪=水死説だ。
だが持統女帝の<春過ぎて…>も実は決して<のどかな歌>ではないという説がある。藤原宮を建設、<我が世の春>を<謳歌>した女帝が自分の<新都>からの<眺め>を誇ったというのだ。天香具山は、やはり<太陽>がのぼる<聖山>――。特別な山なのだ。
(平成18年8月14日)

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女は皆、こうしたもの!

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台風の中、芸大の奏楽堂へ行ってきた。帰りはウソのような穏やかな夜。でも一時はご自慢の奏楽堂が浸水、トイレも使用禁止になった。チケットは「完売」というのに客席は空席が目立つ。6部の入り。台風のせいだ。でも素晴らしく楽しい。さすがモーツアルト。こういうオペラは人生を幸せにしてくれる。

3週間前にも「みなとみらい」でウィーン近郊のバーデン市立劇場チームの公演で「女は皆、こうしたもの」を観たばかり。ストーリが奇抜・痛快。

――親友の男二人が、美しい姉妹に恋をする。彼女ら二人の<貞節>を讃美していると、人生の機微に通じた老齢の哲学者が笑う。怒った男二人。「我々の恋人に限っては違う」と息巻く。哲学者が言った。では試してご覧。異国の貴族に化けた二人、相手を代えて姉妹に言い寄る。最初は<貞節>に見えた。だが…。ここからが「女とは皆、こうしたもの」…だ。

このオペラ。火山、驚嘆した。モーツアルトは思っていた以上にロマンチック。恋の機微を見事に描く。音楽も完璧だ。凄い。

この日の6チャン「時事放談」。アメリカ大統領選挙が話題だった。宮沢元総理と国連で活躍した緒方貞子さんが出演。二人とも民主党の大統領候補ケリーをよく知っていた。二人ともケリーを買っていた。だが結果は分らないと宮沢。不幸にもこの予測は当たった。

ギリシャやローマの<市民社会>で育った<民主主義>。素晴らしい文明・文化の遺産を現代に残してくれた。ギリシャ市民自身、自分たちの精神の若々しさを自覚していたという。女子美の公開講座で聞いた。素晴らしい。

45年ぶりに会ったゼミのマドンナ。テキサス在住。大統領選のディベートを聞いているかと火山に質問。火山が読んだボブ・ウッドワード「攻撃計画」では見方が甘いとも指摘。女性が男社会の腐った政治を変革してくれたらと思うことが多い昨今、「女は皆、こうしたもの」と笑っていたくない。

「オーソレミオ」。ソーレとは「太陽」。フランス語のソレーユと語源は同じ。ミオとは私。英語のマイ、ドイツ語のマインと語源が同じ。このオーソレミオの歌い出しに「ケベラコーサ」とあるが、ケは「何と」、ベラは「美しい」、コーサは「このように」。
「コシファントゥオッテ」の<コシ>とは<コーサ>。トゥオッテは「皆」、たぶんトータル(オール)と関係がある。ファンはフランス語のファム(女性)。手元のイタリア語の辞書には2冊とも収録されていない。ナポリ地方の方言か…。このオペラの舞台はナポリだ。

ナポリ民謡のイタリア語も方言が多いのか、良く分らない言葉が多い。学生時代、大好きなジュゼッペ・ディ・ステファーノのカタリカタリ(不実の心)=コーレ・ウングラートのコーレは「心」。ウンとは英語にもある否定表現、アン・ウン・インなどと一緒だろう。信頼できないのがウングラート。(ブッシュはウングラート)。
ヨーロッパは昔からお互いの交流が多い。女子美の公開講座。キャンパスの本屋で1割引の特権を利用。「英国史」を買った。凄く面白い。外語短大で聞いている「女王陛下の大英帝国」が一段と興味深くなった。

ここでも民主主義の歴史を学んでいる。火山、この時、アメリカの民主主義が健全かどうか必死に見守っていた。今も必死。人類の運命を握っているから。ブッシュさん。テキサスの牧場でバーボンをがぶ飲みしている場合じゃない。離婚などしないでください。ファーストレディは賢夫人の誉れが高い。「女は皆、こうしたもの」でしょうか。

(平成16年10月9日)

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山手線で<お握り>をパクリ。上品な奥様から<声>がかかった。

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新宿から山手線に乗った。昼時の車内。意外と空いている。<優先席>(3人掛け)に座った火山、空腹を覚え、オニギリが食べたくなった。田端を過ぎ、隣が空いた。車内はガラガラ。火山、意を決した。家内の心尽くし。よし、パクリ。ウマイ!!そしてとっておき、ペットボトルに入れた<日本酒>もグビリ。ウーン、こたえられない。

「いいですね」――。鈴を振るような綺麗な声。思わず振り向いた。上品な奥様、銀髪とはいえ、素敵な女性だ。服装も見事に決まっている。火山と同じ座席。一つ空いた連結側に座っていた。「えっ…」。火山、息を飲んだ。

「手作りのお握り。おいしそうですね…」――。何て返事をしよう。迷っているうちに電車は「西日暮里」に着いた。くだんの奥様、スラリと立ち上がった。「お先に失礼します…」。火山、途端に気を取り直した。ただの<田舎おやじ>と思われては困る――。
「あの、これからコンサート。上野の東京文化会館へ参ります」――。<参ります>!<謙譲語>だって使えるんです。それにコンサートです!!
「あら、そうだったのですか。お気をつけて…」――。何か、爽やかな風が吹き抜けた。

「ピアノ協奏曲の午後」――。「題名のない音楽会」にレギュラー出演の日本フィル。指揮は平井哲三郎。江藤俊哉、園田高弘と芸大に学んだ同期生。音楽歴60年という。リスト、グリーグ、プーランク、ベートーヴェンの4つのコンチェルト。素敵な午後でした。

+++ここまで書いて気が変わった。やっぱりあの奥様、火山に注意したのかもしれない。<人前です>――。なんとまあ、古風で奥床しいのでしょう。ホレボレ…!

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ネイティブの宣教師に英語の“お説教”を準備する火山の“クソ度胸”!お笑いください。

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Please give me a few minutes, I would like to make a brief speech in English. Why?
I always feel sorry, every time I speak, I use only Japanese. So, Paul can never understand, what I think. Today, I prepare here a few sheets of paper I could read. So, can I have a few minutes?

えっ!いきなり英語が出てくる。この掲示板、何なんだ! ビックリしないでください。火山だって、自分が「英語が得意」とは、お世辞にも言えない。でも「論より証拠」…。このヘタな英文が、どんな意味なのか、まずお知らせしましょう。
実はこれ、「月1」通っている東大近くの教会の読書会で、ネイティブの宣教師に聴いてもらおうと思っているもの。ヘタな英語なのに、いい度胸でしょう。

「あの〜2、3分、お時間をください。英語でスピーチをしたいんです。なぜかって私、いつも日本語でしか話さないので、申訳ないって思ってるからです。ポールさんは私が何を考えているのか分からない。今日は読めばいいように、メモを2〜3枚用意しました。

Last month, in November, we read an essay “ the Essence of Life by Mr. M――People Appear; Interact, and Depart” that means in Japanese “Ichigo-Ichie” “once- in- a- lifetime” 。先月、11月…。私たちは「人生の本質」というMさんの随筆を読みました。人間は出会い、交際し、別れる。日本語では、それは「一期一会」という意味になる。

What a coincidence! I was also in charge of the job of an educator like Mr. M, he was in a university, but I in a company. Anyway I was a general manager of employee education department of the company. But I was also an instructor or a trainer until I was retired. So I always feel like a professor. It’s a kind of joke, of course.
何とも偶然ですが、私もまたMさんご同様、仕事が教育者でした。Mさんは大学の…。私は企業の教育部長だったのです。私は生涯現役、定年まで講師・トレーナー役も務めていました。まあ、気分は大学教授と一緒。もちろんこれ、冗談です。

My motto as an educator, was “Ichigo-Ichie” “once- in- a- lifetime”. I applied this motto to all my lesson, training, education course. You are to be born to a winner, a main actor to perform a happy drama on your life stage. So ask a company, you have been working for, to get you a stage where you can play the best drama, that is self-realization.

教育者としての私のモットーは「一期一会」でした。このモットーを私は自分が担当するすべての講座、訓練、教育コースに適用しました。「人間は成功すべく生まれてきている。自分の人生劇場で、幸福ドラマを演技する主役なのだ。だから自分が勤める会社には、そうした最良のドラマ、自己実現を演じられる舞台を要求」してください。

In Zen(Buddhism), “Ichigo-Ichie” “once- in- a- lifetime” also means “ZenKiGen”.“All nature, all creation in the universe is to be born to win, so perform everything, every time perfect, completely. And this is my motto all in my life.
仏教の「禅」では「一期一会」は「全機現」という意味でもある。宇宙に存在する万物は、全存在は、成功、自己実現すべく生まれてきている。だから、何事も完全無欠に、完璧に演技しなさい。これは私の人生観、モットーなのです。

Next, I would like to tell you of my love-story “ how I meet my beloved better half”――
This is my “ the Essence of Life ――Appear; Interact, and Depart”.
I call it “Love in the afternoon”. You know, of course, it’s one of famous Holly wood movies.” Why I call it so, in two reasons. First, she appeared to me like Audrey Hepburn. She was so nice, and resembled her so much.

次に、私の「愛情物語」を聞いてください。私がどのように最愛の伴侶を得たか。これって、私の「出会い、交際、別れ」――。つまり「人生の本質」です。これを「昼下がりの情事」と呼んでいます。有名なハリウッド映画と同じ。理由は二つ。第一に彼女、オードリー・ヘップバーンにソックリ。可愛くて、私には、そう見えたのです。

Second, we always made a date in the afternoon. Why? She was a member of “Josiryo” that is a dormitory for girls, and the dormitory had very strict rules. So she never be allowed to come home late in the night. We always met only in the afternoon. This is our another “Appear; Interact, and Depart”. Besides, I am seven years older than her. You know, Gary Cooper and Audrey Hepburn have very large deference of age.

第二に、私たちのデートはいつもアフタヌーン、つまり午後。彼女は女子寮生。規則が厳しくて、深夜の帰宅は許されていなかった。だから私たち、「昼下がりのデート」しかできませんでした。これがもう一つの「出会い、交際、別れ」でした。加えて、私は彼女より7歳も年上。ゲーリー・クーパーとオードリー・ヘップバーンも非常に大きな年齢差がありましたよね。

+++これ、まだ執筆中。日曜日まで書き続け、推敲を重ねる予定。
(平成23年12月2日)

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「60歳のラブレター」英語版が完成。ネイティブの宣教師に語る予定

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これは本日、別に投稿している「ネイティブの宣教師に英語の“お説教”を準備する火山の“クソ度胸”!お笑いください」の続きです。併せてご一読いただけると嬉しいです。火山は明日、ネイティブ宣教師お二人にこれを朗読します。発音はどうか…。ウーン。

Second, we always made a date in the afternoon. Why? She was a member of “Joshiryo” that is a dormitory for girls, and the dormitory had very strict rules. So she never could go home late in the night. We always met only in the afternoon. This is our another “Appear; Interact, and Depart”.Besides, I am seven years older than her. You know, Gary Cooper and Audrey Hepburn in “Love in the afternoon” have very large age deference.

第二に、私たちのデートはいつもアフタヌーン、つまり午後。彼女は女子寮生。規則が厳しくて、深夜の帰宅は許されていなかった。だから私たち、「昼下がりのデート」しかできませんでした。これがもう一つの「出会い、交際、別れ」でした。加えて、私は彼女より7歳も年上。ゲーリー・クーパーとオードリー・ヘップバーンも非常に大きな年齢差がありましたよね。

She was born in AOMORI prefecture in 1944. AOMORI region where she was raised, also is called TSUGARU, the northernmost part of the main island of Japan. It means very exotic and faraway to me.
Anyway she appeared in front of me on June 1960. Exactly to say, I found her in a bus I was in charge of guide to Tokyo sightseeing for 50 girls who are newly employed by our company from faraway TOHHOKU district, in that season.

彼女は青森県に1944年に生まれました。彼女が育った青森地方は津軽と呼ばれ、本州の最北端に位置します。私から見ると僻遠の異民族のような感じ。でもとにかく、彼女は1960年の6月、私の前に現れました。正確に言えば私が東京観光のバスガイドを務めていたバスの中で発見したのです。そのバスには50人ほどの新入社員、その春、僻遠の東北地方から新規採用された女の子たちが乗っていた。

“ Wow, She must be Audrey Hepburn.” I told myself. And I fervently longed to know her real name. But it was impossible. There were so many girls. In front of them, how I was able to make a conversation only with her and ask her name. Only what I could do was, to grieve over my misfortune.

凄い!彼女はオードリー・ヘップバーンに間違いない。私は自分に言い聞かせた。彼女の本名を知りたい。熱烈に思い焦がれました。でもそれは不可能。そこには大勢の女の子がいた。彼女らの前で、彼女とだけ会話を交わす、そして名前を聞く。できっこない。私にできるのは、自分の不運を嘆き悲しむだけでした。

What a coincidence, our encounter or appearance happened on one of the famous bridges in Tokyo called “Sukiyabashi” where Machiko Ujiie and Haruki Atomiya, also famous heroin and hero of very tragic love-story, we all Japanese were engrossed,at that time, happened to meet on this bridge, and be fallen in love each other. And another coincidence, the name of that drama is“I fervently long to know your name”, in Japanese“君の名は?”――。

なんという偶然でしょうか。私たちの出会いが起こったのは東京の数ある橋の中で有名な橋の一つ。数寄屋橋でした。当時、日本人が熱中、時間を割いていた「悲恋物語」のヒロインとヒーロー、氏家真知子と後宮春樹は、その橋で出会い、恋に落ちた。ドラマの題名は「君の名は」…。

Three or four months passed in vain, I had no way to know her name. You know, in that year our company employed about 1,800 newly employees, and she was only one of them.But Lady Luck was smiling on me! One day, one of the headmasters in Tsugaru visited our company to inspect our dormitory for girls, because one of his graduate newly employed by our company on that June.

3,4ヵ月が無為に過ぎた。私には彼女の名前を知る手段がなかった。お分かりでしょう。その年は私たちの会社は新入社員を1800名も採用していた。彼女はその1800名の中の1人だったのです。しかし、運命の女神が私に幸運を運んできた。ある日、津軽から校長先生が1人わが社にやってきた。女子寮を視察したい。理由は彼氏の教え子がその6月に、わが社に採用されていたから。

There were a lot of colleague in our personnel section, but what a coincidence, our receptionist appointed me to guide him, and then wow! that Audrey Hepburn appeared with a broad smile. I could know her name for instance. But three years passed in vain. I didn’t know how to approach her. I was so shy.

人事課には大勢の同僚がいたのですが、なんという偶然でしょう。受付嬢が私を案内役に指名した。そうしたら、凄い!あのオード―リー・ヘップバーンが満面の笑みを浮かべて出てきた。私は即座に彼女の名前を把握した。でも3年が無為に過ぎた。彼女に近づけなかった。内気でした。

Our wedding ceremony was held in 1965 after two year“interaction”. And we celebrated Sapphire Wedding Memory last year. Now I’m 74 years old. Naturally, my departure-time is approaching day by day. I completely have been conscious of it. So,at my 60 years old, I wrote a love-letter to her. You know,“a love- letter at 60 years old”is a famous event presented by Sumitomo trust bank.

私たちの結婚式は、2年の交際を経て、1965年に挙行されました。そして昨年、私たちは結婚45年のサファイア婚を祝いました。私は今、74歳です。自然の摂理で、私が天国へ旅立つ日が、刻々と迫ってきています。私は、それを十分自覚しています。そこで60歳の時、「60歳のラブレター」を彼女に書きました。ご存知でしょう。「60歳のラブレター」とは住友信託銀行が主催した有名なイベント。

The first prize,or grand-prix money was wow, 3 million yen. I thought. OK, Lady Luck was smiling again on me! Why ? I used to be a kind of journalist. I had been in charge of the editor of a magazine for our company-employee. Naturally I thought myself, I must have been very good at writing “love-letter”. I could easily get the first prize.But don’t ask me the results of the judge. Anyway I couldn’t give her 3 million yen. Alas! Alas!

一等賞、グランプリの賞金は300万円。私はシメタと喜んだ。運命の女神が再び幸運を運んできた。私はある意味のジャーナリスト。会社では「社内報」の編集長だった。「ラブレターなど得意中の得意」。一等賞を取るなど簡単だ。そう思った。でも審査結果は聞かないでください。どっちにしても、私は彼女に300万円をプレゼントできませんでした。ああ、悔しい。ああ…。

But after that, I made up my mind. I decided to leave that love-letter to her, my beloved better-half, my Audrey Hepburn. And ask her. Please read it in front of my whole family when the first anniversary of my death come. This is my very departure to her.

でもその後です。私は決心した。このラブレターは彼女に、最愛の伴侶に、私のオードリー・ヘップバーンに預けよう。そして頼み込んでおこう。私の一周忌の席で、家族の全員の前で読み上げてほしい。そしてこれがまさに、私の彼女への「別離」なのです。
(平成23年12月3日)

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