難波田氏館(2010年4月)
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4月にやや近所の難波田氏館を見てきました。 ●難波田古城図 ●復元木橋 手前の間口を奥の間口より広くする事で、手前側から攻め込む敵軍が攻めにくく、奥から応戦する味方が攻めやすい構造にしています。 ●馬出曲輪 ●難波田氏館石碑 ●食い違い小口 【難波田氏の歴史と難波田城】〜現地案内看板より
平安時代の終わり頃から、武蔵国には「武蔵七党」と呼ばれる武士団が活動していました。その一つ村山党の中心に、金子氏がいました。金子小太郎高範は、鎌倉時代の承久の乱に参戦して討ち死にしました。その恩賞として幕府から、高範の子孫に難波田(南畑)の地が与えられ、その子孫が「難波田氏」を名乗るようになりました。 南北朝時代には、羽祢蔵合戦で高麗経澄の軍勢と戦って敗れましたが、戦国時代になると難波田弾正善銀が扇谷上杉氏の重臣として活躍しました。しかし、天文15年(1546)の河越夜戦で北条氏と戦い、敗れて討ち死にしました。その後、難波田氏一族は北条氏の家臣となり、難波田の土地は北条氏の家臣上田氏が支配しました。しかし、北条氏が豊臣秀吉に滅ぼされたために難波田城は廃城となりました。 難波田城は江戸時代に作られた絵図などに描かれています。城は最初小さなものでしたが、戦国時代に難波田弾正善銀が活躍する頃に、大規模に改造されたと考えられます。江戸時代には、城跡に修験寺院の十玉院が建てられました。 |
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☆ 城郭探訪 難波田城(富士見市下南畑) 文献史料から見た難波田城 ☆
城郭探訪、今回は、埼玉県富士見市の 難波田(なんばだ)城 というお城跡です。 県内ではなぜか古くから有名なお城で、私も結構昔から知ってました。縄張も馬出があったりで独特で、岩付城や忍城のように、周囲を沼に囲まれた城です。現在は、普通に住宅街や畑になってますが、遺構もまずまず残ってます。発掘調査も何度となく行われ、遺物もたくさん出ています。最近公園化されて、市立難波田城資料館もたってます。 東武東上線志木駅からバスで15〜20分くらいで、難波田城公園入口というところで.
2011/1/28(金) 午後 5:04 [ 〜未知なる城を求めて〜城郭研究ノート ]
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せっかく去年行って写真をたくさん撮ったのですが、全部消えてしまいました…
トラバさせて頂きます。
2011/1/28(金) 午後 5:04
トラバありがとうございます。
写真、全部消去はつらいですね…。
雨天の写真ですがよかったらどうぞ。
2011/1/28(金) 午後 5:13 [ AMBこもだ ]