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事務所に顔を出すと、古山女史が「古村さんはインフレ世代?」と言う。
今日一日、「インフレ世代」という言葉が、頭から離れることはなかった。
第一、近年は、経済面でたまたまお目にかかる程度で、「デフレ議論」が大手を振っているご時勢である。
それに最近は、「(新型)インフル」が流行りであり、市町村合併の旋風が巻き起こっていた5〜6年前は「インフラ(整備)」がもてはやされていて、「インフレ(経済)」は嫌われご法度ものであった。
確かに私は「インフレ世代」である。
物心のついたときには、次・三男の就職対策を耳にしたし、中学同級の乗った集団就職列車を見送りもしたが、私が就職した40年代は高度経済成長期であり、バブル期や安定成長期なる時代であった。
いわゆる右肩上がりの経済成長のなかで、正社員や正職員は当たり前のこととして“ぬくぬく”と暮らしてきたのである。
どんなに財政規模が小さかろうが、自前の税収が少なかろうが、地方交付税をよりどころに全国一律の公務員賃金制度を運用し、これまた当たり前のことであった。
公害やギャンブル禍問題などが噴出しても、そのことは成長に伴う「社会のひずみ」として処理されてきた。
それがいまや、すべて崩壊しつつあって、制度も公共物も重荷・無用の長物ではないかと議論が繰り広げられて混迷している。
「インフレ世代」は、過去の栄光の権利を手中にして老後を過ごしているが、平成の時代とともにはじまったバブル崩壊や失われた10年、続く世界同時不況下で、現役世代は塗炭の苦しみにあえいでさまよっているのである。
そして、「インフレ世代」を謳歌してきた者が、与野党を問わず政治を支配している。
「インフレ世代」が、現役世代の暮らしを立て直す役割を担うことが出来るだろうか。
このことがつきまとって、今も頭を離れないのである。
青森市との合併問題にしろ、ノスタルジーに浸って、ただ叫んで、保身を謀っているだけではないのか。
合併騒動の最中に三村知事が記者会見で述べた、「ノスタルジーにとらわれるべきではない」の一言が、またよみがえった。
ノスタルジーの世界に生きているだけではないのか?
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