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天日槍・田道間守・児島高徳・三宅太郎左衛門尉藤原芳高・私。

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二千年前韓国から来た私のルーツ。

【始祖・天日槍(あめのひぼこ)或いは、天之日矛】
 
 BCからADに替わる頃(垂仁天皇の頃)、天日槍は、新羅の国の王子として生まれる。
新羅の阿久(アグ)沼<大韓民国慶州市>の辺で、昼寝をして居た女性が太陽の光を浴びて、目映い赤玉を産み落としたと言う噂を聞いて、譲り受け、持ち帰った処、赤玉は美しい乙女に変身し、天日槍は妻に娶り、楽しい歳月を送るが、夫婦喧嘩の末に「祖国へ帰る」と云い残し、日本に逃げ帰った妻阿加留比売(あかるひめ)を追い、家督を弟知古(ちこ)に譲り来日。
 其の間阿加留比売は難波<大阪市>の比売詐曾(ひめこそ)神社の祭神と成ってしまう。天日槍は八種の神宝を持参して難波を目指し、一旦播磨の国宍粟(しそう・兵庫県宍粟郡)に上陸。(垂仁天皇・治世三年三月・AD31年)噂を聞いた垂仁天皇は使いを出し、何故新羅の王子が日本に来たか問うと、「立派な王が居ると聞き、神宝を持参した」と答えると、其の宍粟周辺の領地を与える約束を受けたが、妻を求める為、宇治川を上り、近江の国<滋賀県>・若狭の国<福井県>から但馬の国<兵庫県>をさ迷ったが思い果たせず、(難波を播磨・但馬と聞き間違えたのか?)出石の住人俣尾(またお)或いは、麻多烏の娘前見津(まえみつ)を娶り、天日槍は、製鉄を始めとする大陸の優れた技術と文化を伝えた。出石神社の祭神である。<古事記・日本書記・播磨風土記等参考)

【三宅連(むらじ)の祖先・田道間守或いは、多遅摩毛理】

 古事記に拠ると、天日槍の子但馬諸助(もろすけ)或いは多遅摩母呂須玖(もろすく)→多遅摩斐泥(ひね)→但馬日楢杵(ひならき)或いは多遅摩比那良岐→田道間守(但馬清彦或いは清日子は田道間守と兄弟です。)は、垂仁天皇の命を受け不老長寿の橘の実を求める常世国(とこよのくに)<大韓民国済州島>への旅に出た。遥かに遠い荒波を渡り、十数年の歳月を命がけで橘の実を捜し求め、持ち帰ったものの、天皇は崩御。天皇陵に橘を捧げつつ、精魂尽き息絶えた。田道間守が持ち帰った時じくの香の木の実は、わが国のお菓子のはじまりとされ、和菓子の神様と称されている。
 現在でも、奈良の垂仁天皇陵には右近の橘が植えられている。<古事記等参考>

【三宅一族中興の祖・和田範長】 に付いては、
 「二千年前韓国から来た私達のルーツ。」を御覧下さい。
     http://www.geocities.jp/korealobby/roots.html

【遠祖・児島高徳】

 三河三宅氏系図に拠ると、天日桙命→多遅摩諸助→但馬日楢杵→清彦→田道間守→(中略)→郷守→重範→範守→範勝→和田範長→児島高徳は、開運除災とご祈祷の本山倉敷市五流尊瀧院で、後鳥羽上皇の第三子頼仁親王の第四世の頼宴大僧正を父に、佐々木盛綱の娘を母に、正和元年(1312年)生誕。
父の教えに従って、和学を学んでいたが、後鳥羽上皇や花園天皇・後醍醐天皇が北条氏の為に酷い目に遭っている事を聞き、武士に成って、北条氏を討とうと決心し、祖父の三宅(和田)範長に預けられた。 高徳は元服後児島姓を名乗り、一門の頭領として北条氏・北朝方討伐に孤軍奮戦した。1332年後醍醐天皇が隠岐に流される時、天皇奪回出来ず、院庄行在所の桜の幹に「天勾践を空しうする莫かれ 時に范れい無きに非もあらず」<漢文表記出来ず>の十字詩を刻み天皇に忠誠を誓った。
 <私は、運送業を営んで居た時、其の跡地に有る作楽神社を父と参拝し、寄付をして来た事を思い出します。>
 新田義貞の弟脇屋義助の四国征伐に従軍したが失敗し、義助は発病・戦死。義助の遺髪を預かり、其の兄義貞を今度は助け、其の縁でここ上野の国<群馬県>に、1380年3月医王山延命院高徳寺を開山しながら、南朝の勢力回復に努め、1382年11月24日72歳で其の生涯を閉じた。自身が「太平記」の作者小島法師の一人で有る。
 全国に墳墓が九つ有る事で、児島高徳の存在を疑う学者が居ましたが、児島高徳の研究者で、忠桜会会長庭田尚三元海軍中将<戦艦大和の設計者>等何度も訪問され、私の家に伝わる資料等で、私の家から二キロ程の処に有る墳墓が本物と全国に報道され、高徳公没後六百年忌の名誉会長に福田赳夫総理<当時>をお願いし、北の湖・増位山・闘竜を招き、墳墓前で横綱の土俵入りの奉納等、大泉町を挙げて執り行いました。
 尚、脇屋義助の遺髪は、太田市脇屋の正法寺に埋まっている。<玉野の伝説・宮家史朗著「児島高徳実在論」・三宅福次郎著「三宅家系統譜」等参考>

【先祖・三宅太郎左衛門尉藤原芳高】

 児島誌・三河系譜に拠ると、児島高徳→次男高久或いは、高澄は<元大関で元歌手の増位山・現三保ヶ関親方の先祖姫路の豪農沢田家に預けられた>→(中略)→三宅芳高は児島高徳の六代目で、谷川岳を水源に日本最大の流域面積で、悠々と流れる利根川の畔に眠る高徳公の墳墓を守る為、播磨から三河三宅(田原藩主)で剣術修業の後、天龍川を上り、上信の山を越え、ここ富岡秀信(小泉城主)を頼り、1558年4月47歳の時、在を求めた。
 秀信の家老を務めながら、祖先高徳公の冥福を祈り、供養を続け、1569年12月26日秀信病死後其の子富岡清四郎大炊介秀親と共に、北条氏系武州忍城主成田下総守と現在の太田市古戸で戦い、秀親戦死、私の先祖芳高も深手の傷を負い、翌1570年1月23日59歳で死去する。<資料は同上>

【三宅太郎左衛門尉藤原芳高から私】

 芳高→(略、代々芳高を襲名)→昇吉→佐太七→滋太郎(日露戦争英霊)→太平(婿養子)→英四(婿養子)→私。

 ですから、私の先祖三宅太郎左衛門藤原芳高がここに居を構えて、代々2008年で450年に成ります。

 天日槍命が落ち着いた、出石町を是非一度訪れて見たいです。<そう云った歴史から、兵庫県出石郡出石町は、91年11月7日慶州市と姉妹都市縁組を締結しています。>

 私は、児島高徳公直系同族会理事長として、日本氏族会の常任理事に選ばれましたが、当時若かったせいか・多忙なせいだったか、加わる事は有りませんでした。

 二千年前韓国から来て、私の代で何度も韓国に行く事に成り、そして近い将来韓国で暮すつもりです。一衣帯水の日本と韓国なのに、歴史を見失ってしまった事が悔やまれます。ブログにも書きましたが、三宅・浮田・児島・松崎・和田の天日槍命・児島高徳公の末裔一族二十数万人の内の幾人かの人に此れを読んで戴き、日の目を見た高徳公の墳墓に参拝戴ければ、代々守って来た甲斐が有り、幸甚です。

* 画像1は、六百年忌に備え整えられた、坂東太郎(利根川)の畔に在る、児島高徳公(明治36年11月追贈従三位)の墳墓。(当時、奥の二階家は無かった。背の高い碑は、総理福田赳夫書。)
* 画像2は、墳墓の黒御影石に刻まれた、三宅輪宝の家紋入り花立て。奥に私と同じ高徳公の末裔の増 位山(現三保ヶ関親方)と其の父親三保ヶ関国秋の名前が有ります。
★  輪宝(りんぽう)=輪宝は、想像上の武器で、この輪を転がす者を転輪聖王(てんりんしょうおう)と云い、常にこの輪を回し法(真理)を宣布すると言う。日本には、仏教の伝来と共に渡来したとされ、輪宝紋はこれを図案化した物で、三宅輪宝は、代表的な輪宝紋と本田總一郎監修「新集 家紋大全」梧桐書院・昭和57年3月発行に記述が有りました。三宅輪宝から、考えても我が遠い祖先は渡来人で有ったことは明らかです。
* 画像3は、全国に九箇所有ると言われていた<児島高徳公>の墳墓。
              
  ■■ 尚、年齢表記は、何れも数え年です。

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