平成中野学校

トランプ政権こそ国防軍創立のチャンス

全体表示

[ リスト ]

イメージ 1

                                        【08005】

今年は「本業」の核武装のトピックを未だ立てていませんでしたので、第一発目。


平成中野学校の命名は「陸軍中野学校」から無断拝借しました。
陸軍中野学校については『長髪に背広の陸軍戦士「陸軍中野学校」』
http://blogs.yahoo.co.jp/koudookan/375492.html として以前に解説しています。

”陸軍中野学校が創立された背景には、増大するソ連の脅威があった。ソ連は微笑外交を続けながら、昭和6年から9年の間、着々と軍備を増強し、沿海州に重爆撃機を配備して日本を爆撃圏内に収めつつあった。このころ、日ソ、満ソの国境の緊張状態はピークに達していたのである。(どこか・今日の状況に似てはいないだろうか・?)”…という動機でありました。
決して何か教えをたれようとして命名した訳ではなく、警鐘を鳴らせれば…という考えです。

当時の日本はこうした状況で”作戦第一主義だつた日本軍も、ソ連の動向を探るためにも、諜報機関の必要性を痛感するようになる”という事だった。安倍政権が日本版NSC構想を打ち出したのも、軍事力を行使できず外交力も無い我が国としては、せめて兎のように長い耳の必要性を感じたものと思うのだが、福田政権に変わってアッサリと白紙撤回されてしまった事は返すがえすも残念な事です。

我が国が今後「自尊と自立」を達成するためには「自衛の為の核」が必要であり、核を正しく管理するためには「正確な情報」が必須になります。
先ずは、なぜ我が国に「核」が必要なのか…という事をシリーズで考察して行きたいと思います。


★我が国には核開発と核保有の資格もあるし必要もあります。

これまでは技術的な側面と対外的な状況について、その必要性を述べてきました。
しかしながら…いくら核保有の能力も資格もあると叫んでみても、まるで吸音材に吸い込まれるような塩梅です。北朝鮮がミサイルを乱射し核実験を行っても、我が国の世論は微動だにしませんでした。
なぜ、これほどまでに我が国は危機意識に鈍感でいられるのでしょうか…世界は固唾を呑んでいます。
(駝鳥は危険が迫ると砂に顔を埋めて敵を直視しないそうです)

駝鳥民を公民と化し、世論を眺めず興論を起こさねばなりません。


戦前の大日本帝国憲法では「天皇ハ戒厳ヲ宣告ス」(第14条)とし、「戦時又ハ国家事変ノ場合ハ於テ天皇大権ノ施行ヲ妨クルコトナシ」(第31条)と規定されていました。
非常事態が国家に降りかかる事を想定し、その場合は憲法を停止せざるを得ない事を定めたものです。
これが「普通の国」の非常事態に於ける対処方法ではないでしょうか。

国家というものは国家体制を守る事で、国民を保護せねばなりません。
人権ウンヌンという前に、国家が無くなれば国民も存在し得ません。
”国家など無くなっても生きていける”…と考えるのは国を失った流浪の経験どころか、想像すらし得ない者の思いあがりのセリフではないでしょうか。
国というものはご先祖様を含めた歴史であり、味覚を含めた文化であり、なれ親しんだ山河なのです。

あるいは…前の大戦で敗戦し(主に)米国による占領が、思いのほか不快なものでは無かった、むしろ戦時中の統制から解放された楽しげなものであった…と考え、思い込まされているのなら、それは敗北主義の殖民根性と言わねばなりません。生存さえ許されるのなら…という考えがどのような精神の腐敗と子孫への荒廃を押し付ける事になるのかを考えてみるべきです。
人間がただ、労働とその日暮らしの捕食のみに生きられるものでは無いはずです。

現憲法に大日本帝国憲法に在った非常事態条項がないという事は、現日本という国の実態が米国の保護国であることの証左でしょう。なぜなら日本国政府は日本国と日本国民に対して責任を負っていないからです。
戦後60有余年にわたってこの国の政治家は誰一人としてこれを正そうとはしませんでした。

自国の生存と安全を赤の他人(国)に依存し、その庇護?(核の傘とやら)に頼っていながら、世界の核の廃絶を毎年国連で主張するという欺瞞と偽善を繰り返している破廉恥ぶりです。
いっその事、”我が国にいかなる事態が起きようとも米国の核は不要”とでも宣言すれば良いのです。
一部で拍手が起きるかもしれませんが、眉を顰める者もほくそえむ者も居るでしょう。
1億人の国民と世界第二位の経済大国が、弱肉強食の世界でも有数の危険な地勢で無防備宣言を行うようなものですから、新宿歌舞伎町で紙袋から札束を覗かせて歩くようなものです。

要は…どこかの強国への単なる属国となってしまったような国家は他の諸強国からの標的になりやすいのです。そうした新たなる力学が生じる事は、既存のパワーバランスを崩す事になり地域の不安定化を誘発する事になるのです。その端的な例が東アジアにおける我が国の現状ではないでしょうか。

                                            つづく

この記事に

閉じる コメント(7)

面白くて一気に読んでしまいました。
国家の名誉と誇りを守るために核武装は必要です。
キーワードは、「パワーバランス」ですね☆

傑作一番乗り!

2008/2/7(木) 午後 2:59 naomi_shararan 返信する

顔アイコン

ナオミさん、傑作一番乗り!ありがとうございます。

どうも戦後の日本人には「パワーバランス」という感覚に欠けるようです。従って角度を変えて、自尊自立を目指さない国、他者の顔色に合わせて動く国がいかに醜い存在であるか。核廃絶などという世迷い事がいかに世界を危険に晒すか、国連主義などという幻想のアホさかげんなどを述べて行くしかないかな…と思っています。
国民が早く目覚めないと、大変な事になると思うからです。

2008/2/7(木) 午後 5:19 koudookan 返信する

顔アイコン

田中光二&日下公人さんなどは、10年以上前からこの提言してたのに、それに政治家が追いつかないのが悔しくて悔しくて・・・

2008/2/11(月) 午後 7:23 [ tero19632001 ] 返信する

顔アイコン

teroさん、多くの政治家は「民意が反核」という認識時点で、思考停止状態になっているのでしょう。そこには、選ばれし者として国家の未来や国民の安全保障に対する責任が露ほども無いという事です。

戦後の日本では国民+政府=国家というイロハが忘れ去られ、まるで国民と国家とは別のものであるかのごとき錯誤が一般化し、政治家の「国民国家」を目指す、などという失笑ものの発言がまかり通るのです。まるで”親を家族として考えたい”などとほざいているようなものです。

2008/2/11(月) 午後 10:54 koudookan 返信する

極めて常識的な議論だと思います。それが、日本では「非常識」? まあ、タブーだった時代より少しはましになったとはいえるでしょうけれども(溜息)

2008/2/20(水) 午前 6:19 [ KABU ] 返信する

顔アイコン

KABUさんTBありがとうございます。
過去(1969年頃)に海自がソ連原潜に対する核爆雷の運用研究を行っていましたし、この頃に米国が原子力潜水艦の提供を打診しています。支那が核実験を成功させた時は日本の核開発のチャンスでしたが、支那がICBMを完成させた時(1970年)、当時の中曽根防衛長官は米国の核の日本持込を容認すると発言する事に留まりました。翌年(1971年)には東京を狙った「東風3号」(CSS2)が実戦配備されました。発足当時の科学技術庁は日本の核開発研究も目的でしたが、同時期(1972年)には公然たる核武装論者のズルフィカール・アリー・ブットがパキスタン首相に就任し核開発をスタートさせ今日にいたりました。日本もこの間、米国の協力を受け「常陽」や「ふげん」でのプルトニウム処理等の開発を続けてきています。

2008/2/21(木) 午前 0:14 koudookan 返信する

顔アイコン

【つづき】
そして…昨年の北朝鮮の核実験と核保有国宣言です。
各国が日本の出方に注目しましたが…ヘタレでした…。

その後、我が国が武装の為の核開発を行っている様子はありませんし、ミサイルに転用可能なM型固体燃料ロケットの開発も中止し、ミサイル生産企業の日産はフランスのルノーに吸収合併されました。

私個人としては、とても「少しはマシになった」とは思えません。

核武装を考えもしない日本という国が、精神的にいかに卑怯な国なのかを、今年は述べてゆくつもりです。

2008/2/21(木) 午前 0:15 koudookan 返信する

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

開く トラックバック(8)


.


みんなの更新記事