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日米安保条約は機能しているのか? 2

1からの続き
 
 
 しかし、武力によるイニシアティブは、まだまだ健在で、そのアジア外交上必要不可欠なのが、我が国に駐留する米軍と言う存在である。
 しかし、米国は、仮想敵国としている、中国、北朝鮮、あるいはロシアと言った反米的な政権と、現実に全面戦争できるか?と言う疑問に我が国の為政者は、誰も答えていない。安保条約がある限り、必ず、万が一、中国が武力による我が国領土への攻撃をした場合、米軍がそれを追い払ってくれるはずだと主張しているが、中国との領土問題で現実に問題視されているのは、尖閣諸島であろう。しかし、この領土問題に対して、米国議会の国防委員会は、はっきりと「領土問題は当事国どうして話し合うべき者で、万が一、中国が暴走して尖閣諸島に武力侵攻した場合であっても米国政府は、武力による介入はしない」とはっきり言及しているのである。
 つまり、沖縄本島や日本の本土に対して武力攻撃が為されない限り、米軍は、我が国を守らないとはっきり宣言しているのが事実である。
 北方四島問題も、同様で、日露間に入って米国政府が仲介すると言う事も全くない。つまり米国は我が国の為に何をするのか具体的に示しておらず、この抽象的な安全保障条約をもって我が国の安全保障問題の基礎と考えるのは、聊か軽薄でしかない。
 また中国も、共産主義国ながら、現実には自由資本を受け入れ、そして豊になっている、世界の工場として、輸出も堅調で、昨今減速気味とは言え、その成長速度は、先進諸国より以上の伸びを示している。更に元々13億人以上いる国民による一般消費も徐々に拡大されれば、世界の工場以上に、自国の国内消費による自然増で、GDPは伸びてゆくだろう。無論、紆余曲折はあるだろうが、少なくとも大きな政変が起こらない限り、まず、日本や米国と武力闘争に発展する紛争を仕掛ける可能性は皆無であると言える。何故なら、もし日米と事を構えれば、自国の経済は、一気に失速、破綻する可能性が高いからである。
 もし、中国が米国相手に武力衝突を企図するなら、半世紀後以降になるだろう。しかし、その半世紀後に共産党一党支配が続いている可能性もまた、殆どあるまい。
 北朝鮮は、全面戦争を引き起こす程の体力も覚悟もあるまい、何故ならば、仕掛ければ、恐らく半月ほどで、現政権は、崩壊して、味方と思っている、中国が、一気に南下して平壌を占領、傀儡政権を樹立して、中国の支配下に止めると思っている。
 韓国や米国が出動する前に、中国軍が金王朝を崩壊させ人民解放軍を武装解除させるだろうと推測している。そうでないと、韓国と米国による傀儡政権かあるいは直接支配下に置く、併合が起こり、豆満江を挟んで、韓国という資本主義国と国境を直接接する事になるからだ。
 つまり北朝鮮問題は、我が国や米国、あるいは韓国より以上に中国としては頭の痛い存在でしかない。つまり、北朝鮮は、どう足掻いても暴発できないと言うのが事実である。
 米国が、喧伝する脅威と言うのは、必ず粉飾されており、その粉飾の裏に隠れた、米国の戦略とは、アジアへのインセンティブの確保に他ならないのである。
 日米安保条約が我が国にとって有利に働いているとすれば、仮想敵国を米国としない事で米国軍に匹敵する軍事力を持たないで済むと言う一点だろう。
 逆に言えば、中国や北朝鮮問題、ロシアなどが武力による侵攻をしないとすれば、わが国は、反米世界からの逆にテロのターゲットになり得ると言う危機が増幅されつつあると言うことだろう。
 もし、アフガニスタンやあるいはイラクなどのテロ組織が、米国本土ではなく、東京など我が国の大都市部でテロ行為を仕掛けた場合、米国は同盟国として、それらの国への武力介入を正当化できる。我が国の法律により、我が国では、基本的人権は厳しく守られており、9.11以降の米国国内ほどの人権無視に近い、テロリスト狩りは我が国では出来ない。厳しい米国でテロが行えないとすれば、テロリストたちのターゲットが、我が国へシフトするのはさほど遠い未来ではあるまい。そうなると、テロの危機は、米軍が存在する事で増幅すると言う意味になる。
 一種のブラックジョークになりかねないのが、現在の日米安保条約であろうと小生は考えている。
 国別の平和条約や同盟関係は、あくまで価値観や利害の一致している次期に限られる事は世界の外交史を見れば明らかで、明治期に台頭するロシアの脅威に対して、欧州とアジアで挟み込んで成立した日英同盟も同様に価値観のズレや利害が敵対始めると自然に崩壊するのであって、国家と言うカテゴリーがある限り、未来永劫続くものではない。現在の日米同盟は、日本が米国の価値観や利害に付き合うことで成立していると言っても過言でない、徹底的な価値観のズレや、利害の対立が起これば、我が国が破産を覚悟しない限り米国に追従できない事は明白で、日米関係をただ闇雲に深化させると発言する為政者の軽薄さには、驚きを禁じえない。
 わが国の様に地政学上超大国である、ロシア、中国、そして米国に挟まれた小国の場合、どちらかに偏った外交政策は、大変に危険で危うい、まず、全方位外交策を独自に作り上げ、米国との距離感をある程度とって、逆にロシアや中国との距離感をちょっと近めるくらいの覚悟は必要不可欠であると思っている。
 北朝鮮の姿は、惨めで悲惨としか言いようがない、体制維持の為に、米国との緊張関係を作り上げて、やっと小さな核武装を演出している。米国を相手にする場合、小国は、核武装する以外に抑止を持たないからだ。もし、北朝鮮が通常兵器で米国と戦うとすれば、国防予算で国家は、破綻する。つまり不可能と言う事であるのだ。
 我が国も同様で、米国と対峙せざるを得ないとすれば、国防費は、現在の5兆円規模から、30兆円規模にしなければなるまい。現実的に不可能だが、これは、相手が中国であってもロシアであっても同様で、だからこそ、どこか一カ国とでも全面戦争など行う事は出来ないのだある、出来もしない戦争に膨大な予算を付け、そして沖縄県民に負担を強いる現在の日米安保が我が国の安全保障上必要不可欠な存在とは到底思えない。
 いきなり、その関係を切る必要は、ないが、徐々に、米国一辺倒の外交と安全保障から離れる政策を打ち出す必要性があると結論して終わりにする。

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日米安保条約は機能しているのか? 1

 今夜は、日本の安全保障問題の中心である「日米安保条約」について一言・・・・・・・・・・
 
 そもそも論になるのだが、安保条約は、我が国の安全保障に有益なのか、この点をもっと掘り下げてみたいと思っている。
 
 ソ連崩壊から以降、世界の安全保障問題は、明らかに変化している。欧州は、EUの拡大、東欧からの危機の軽減などから、自国一カ国での安全保障から、欧州と言う全体で安全保障問題を考えており、核による抑止からは、徐々に脱却し始めている。欧州が抱える安全保障問題で最大の懸念は、テロ対策にシフトしていると言っても過言でない。
 
 しかし、米国はどうだろう、第二次世界大戦以降、米国は自由と民主主義、それに経済システムである資本主義を守ると言う大義名分をもって、世界の地域紛争の大半に武力行使を続けて来た。この為に、常に米国は敵視政策をした他国からの攻撃を念頭に置かねば安全保障が成立しないと言うジレンマの中で超大国として武力世界の頂点に存在し続けた。これが、現在、冷戦が終了したにも拘らず、常に膨大な軍事費を予算に計上し続けると言う負担を国民に強いて来たのだと考えている。
 
 この米国の外交政策に常に従い続けているのが、唯一、我が国の姿であると言っても過言でない。米国のポチを揶揄されるのは、外交上、わが国は、常に米国側に立った発言を繰り返しているからだ。
 
 湾岸戦争の折に、多国籍軍の軍事費の過半を拠出した日本に対して、被害国家であるクウェートから感謝されず、挙句に、米国からは「旗を見せろ」と言う、金を出す以上に血と汗を流せと言われて、時の為政者は、自衛隊の海外派遣に積極的になって行く、この自負心のなさ、あるいは、矜持のなさは、情けない限りで、この辺りから真剣に憲法9条の改正をもくろみ始めたと思っている。
 
 行政のトップである内閣総理大臣は、基本的に「憲法遵守」を強制される、この時、腹の中で憲法改正を考えていたとしても、米国からの挑発的な「旗を見せろ」に対して、堂々と、我が国の立場を宣言すべきであった。
 
 小生なれば「わが国は、世界に誇れる平和憲法を持っており、我が国の国民の血は、一滴も武力紛争では流させない、だからこそ国民の血と汗の結晶である莫大な税金からの支出をして、多国籍軍の後方を援助したのではないか」と、旗を見せないのは、我が国の誇りであると高々とセ現すべきだった。
 
 つまり、自公政権下の為政者は、平和憲法の主旨を省みる事無く、ただ、闇雲に米国よりの発言を米国に阿る形で行動に表したと言う事だろう。本来、あってはならない為政者の姿である。
 
 米国の外交政策は、強かだと外交評論家が報道で言っていたが、全く逆である、米国の外交政策は、強力な武力を背景にした恫喝外交であり、それは単純極まりない最低の外交であるとしか評価できない。
 
 この姿は、戦前、我が国がアジア外交で同様の手口を使って結局、破綻していった事を鑑みればだれでも理解できると思っている。
 
 米国の外交政策のまずさは、中東政策でも如実に現れている。イスラエル建国に対して、米国が責任をとる必要はないが、現実に、イスラエル一辺倒の外交政策は、悉くアラブ地域の反米感情を強くし、その結果が、テロの脅威に晒されると言う安全保障上ありがたくない結論を生んでいる。米国の外交政策の単純さは、敵の敵は味方と言う明快なもので、かつてベトナム戦争の折も、資本主義を喧伝していた南ベトナムのゴ ジンジェム政権をホーチミン率いる共産党軍を敵としてみれば、ゴ ジンジェム政権が如何に腐敗した権力であっても、共産党軍よりは味方であるとして始めたのが真相で、結局、民意によって見放されたゴ ジンジェム政権に幾ら肩入れしても、勝利できない泥沼状態になって最後には投げ捨てた結果、反米政権が成立している。またアフガニスタン問題も同様で、共産党の政権が、それを拒否する部族たちからの波乱で混乱、ここにソ連の侵攻があるのだが、このソ連による進駐時代には、実は、さほど治安や混乱はなかった、しかし、米国にすればソ連は、最大の敵対国家であり、この国を貶める為には、ソ連や共産党による政権の敵は、誰であれ、米国の味方と言う外交戦略を生み出す。
 
 オマル氏など、当初は、このソ連と共産党政権により、追い詰められていた反乱軍を率いていた言わばテロ集団である。これに武器や資金を供与して、反乱を拡大して、ソ連崩壊の立役者であるゴルバチョフの新しい政策などで、ソ連を撤退させ、一気に反乱軍による政権が誕生した。しかし、この政権は、反米政権であった訳だ。結果は、現在のアフガニスタンを見れば明らかな通りである。
 
 米国の外交政策は、常に大変に稚拙で乱暴であると言える。それは、どこまで行っても強力な軍事力と、膨大な経済力による恫喝外交が罷り通って来たからに他ならない。
 
 我が国のバブル崩壊を企図したのは、米国政府だと言う実しやかな情報が飛ぶのは、この経済力による米国の地位が日本によって脅かされ始めたからに他ならない。もしあのバブルが後10年続いていたら、米国の名だたる大企業や建造物は、日本人によって所有されていたと小生は思っている。
 
 我が国の当時の上場企業の時価相場は、米国の上場企業全ての合算の2倍強もあったのである。つまり我が国の上場企業は、米国の上場企業を全て買い取っても半分は残ると言う計算である。更に地価は、小さな日本全体の価格は、米国を3個買えるほどに高い状況で、この不動産による銀行の預金高、融資額総額は、世界の10大銀行の中に、我が国の都市銀行が全て入っていると言う状況であった。50位以内に我が国の地銀や信用金庫なども顔を出していたほどである。この膨大な資金力による融資で、投機マネーは、現在の中国の台頭など比較にならないほどの資金力で世界を席捲していた。
 
 この危機感が、我が国への圧力となって、バブル崩壊に至る道筋を日銀や当時の大蔵省などが米国の意図を察して、一気に凍りつかせた、軟着陸ではなく、墜落させたと言う事だ。ただ、米国が企図した以上に我が国の傷は重く、ようと再生せずに、現在に至っている。
 
                                              2に続く

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日銀、白川総裁の不明(財政再建への増税推進)

 一昨日だったか、白川日銀総裁が、野田政権への一種の援護射撃として、財政再建策の具体化を求めるインタビュー記事が新聞紙面に載っていた。
 
 その中で、財政債権へのロードマップを具体的に示さないと、長期金利の暴騰、我が国国債の投売りなどにつながり、結果、財政は一気に悪化して破綻するとした。この危機を回避する為には、財政再建策の具体化が必要不可欠で、その方法論の一つとして消費財率の引き上げは必要だとした。
 
 財政専門の経済学者が、「長期金利の暴騰」「国債が市場で投売りされる」と言う言葉を多用しているのだが、もし、それが事実であるならば、我が国の国債発行が、700兆円を超えた、5年ほど前に既に長期金利が上がり始めていなければならない、しかしながら、我が国の長期金利は、全く上がる様相を呈していない。何故ならば、国際社会に於いて、我が国の国債を大量に保有する外国資本や、国家が存在しないからだ。つまり国際市場に我が国の国際が投売りされるほどの供給がないと言うのが事実であるのだ。
 
 更に、長期金利が高騰すると言うのも現実には、この短期間で起こるはずがない、何故なら、先にも述べたように、我が国の国、公債の殆どが国内市場に存在し、国際市場に出回っていないと言う現実がある為で、我が国の長期金利が、諸外国の外圧によって長期金利を暴騰させるほどの国債の発行残が存在しないからである。
 
 つまり、国際市場に於いて、わが国の長期金利や投売りは、まず金輪際起こるはずのない架空の危機感である。
 
 それならば、どうして、日銀は、国債引き受けを財政モラルに違反し、これが国際市場に於ける我が国の信用を貶めると危機感を募らせるのだろうか?
 
 それは、どこの国でも同様だが、中央銀行の最大の役割は、インフレの抑制にあり、デフレを解消すべき何ら手段を持っていないと言うのが事実である為だ。
 
 日銀は、これ以上、金融を緩和させマネーサプライを増加させれば、抑制の効かないインフレに陥り、その結果、我が国の経済は、一気に悪化させると指摘している。
 
 つまり、今以上の金融緩和は、国際経済に於いて、あり得ない選択として、一部、積極財政派が主張する、発行国債の日銀一括買い入れに対して警笛を鳴らしたと言う事である。
 
 しかし、白川総裁が、主張する、抑制の効かないインフレに陥るとする危機感だが、もし、彼の言う事が事実であれば、0金利策を長期に渡って行い、年に10兆円ほどのマネーサプライを行って来たこの10年で、既にわが国は抑制の効かないインフレになっていなければならない。しかし、現実には、どうであるのか、今なお、我が国の経済状況は、危機的なデフレ状態であり、このスパイラルは、全く解消する気配すらないと言うのが事実である。
 
 つまり、今以上の金融緩和策を行っても、我が国が抑制の効かないインフレになる可能性は、皆無と言うのが、現実的な予測であり、白川総裁の言う、インフレに向かう可能性は殆どない。
 
 無論、このままズルズルと借金体質を続けて良いと言うものではないのだが、日銀が清水の舞台から飛び降りるつもりで行ったマネーサプライの大幅な増加やこれ以上下げようもない0金利策が続いても、現実には、経済の復興には、効果がないと言うのが本音で、それではどうすれば良いのか、それは、一気に財政出動を促すのは当然だが、それにもまして、増やした通貨をただ闇雲に金融機関へ流しても、金融機関が通貨流通に関わる融資に使わない限り、市場での通貨量は増えることはない、現在の様に、ごくごく一部の大企業や勝ち組企業が融資を受け入れ設備投資などを拡大しても、他の大半の企業が抑制的に設備投資を考えていれば、その時点で、増やした通貨は、銀行の金庫に在庫されるだけで、結果、その向かう先は、国債買い入れになり、何ら流通しない。
 
 これでは、幾らつぎ込んでも、流通通貨量は、増えることもなく、国の借金が増えるだけに終わっているのが現在のわが国の財政の実態である。
 
 中小企業が零細企業などには、貸し渋り、あるいは科し剥がしが横行し、通貨量が社会で具体的に増えると言う目論見は外れてしまうのである。
 
 どうして、これだけ、金融緩和策を続けても我が国経済がデフレ傾向から脱却できないのか、それは日銀が考えるマネーサプライでは不十分であるからで、この手法を続ける限り、効果があろうはずはない。
 
 もし、日銀が、本気でインフレターゲットを決めて、通貨量の拡大を図るのであれば、手段は一つしかない、それは、金融機関へ流す通貨量を減らして、直接、日銀が市場介入することである、ただ、この場合、投資の専門家が殆どいない日銀が、介入できるほど、容易ではないのだが、証券業界にその企業の規模に合わせて、通貨を渡し、それを証券市場に介入させる、この場合、借入するのではないために、上場企業や株式を公開した企業は、増資する事で低金利の資金を有利な条件で得られる。この増強された資本で、我が国の企業は、基礎体力が著しく引きあがり、更に株価の安定的な上昇に繋がって行く事になる。
 
 ただ闇雲に銀行に資金を入れても先に述べたように、その金は行く先を失い、ただ国、公債に変わるだけである。
 
 直接介入については、経済モラルに反すると言う指摘もあるのだが、議決権を否定した投資であれば、民間への介入を最小限に止める事が可能だと思っている。
 
 また、この数年、4年程の間だけでも、国債発行の全ても日銀が無金利で引き受けて、積極的に財政出動を促して、インフレに誘導するくらいの覚悟は必要不可欠だと思っている。
 
 効果なき、借金は慎むべきだが、効果を齎す借金は、この数年に於いて、わが国の経済の下支えには必要不可欠な政策であり、中央銀行の独立性を担保することより以上に必要な覚悟であろうと思っている。
 
 さて、野田政権は、増税と言う麻薬に手を出そうとしているのだが、増税と言うのは、役人が権益を拡大させる最大の武器で、その結果は、歴史を見れば明らかである。
 
 今の様な時代に増税、そして金融の消極性、更にモラルだと言っていると、本当に、わが国は破綻知ると危惧している。
 
 白川総裁の不明は、自らの誤りに気が付かないと言う点、そして過去の日銀の手法が間違っていたと反省できないと言う保守である。
 
 人類は、我が国で資本主義の踏み込めない領域を試しており、この壮大な実験は、過去の事例などを鑑みても、意味が無いのである。
 
 現政権の中には、財務大臣もそうだが、わが国はデフレではないとした無知な発言が続いている。この全てが増税を認めさせようとするミスリードで、財務省の主張する全てが既に破綻していると考えるべきである。
 
 財務省と日銀、既に悪辣な共犯関係になると断言すべきだろう、その尻馬に乗って、野田総理は、自らの不明に気が付かず、結果、我が国を破綻させる歴史上最悪の総理として歴史に名を残す事になる。
 
 正にそれこそ、我が国の危機であると考えている。

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何故、今、増税してはならないのか簡単に説明しよう。

 消費税率の引き上げが「税と社会保障の一体改革」と銘打って野田政権の目玉政策になっている。この増税論議は、かつての自公政権下でも実しやかに主張されていた事だが、この最大の原因は、社会保障費の伸びに対して税収が増えないと言う事ではない。あくまで財政が借金体質になり、その結果、国公債の発行残高が、GDPの2年分に匹敵する状況に立ち至った事で、米国を中心とする、諸外国からの要請に応えると言うのが事実である。
 
 無論、このまま借金体質を続けてよいと言う事ではない。ただ、財政を改善する為に、増税と言う手段は、言わば、一番容易で短絡的な税収確保でしかない。その為に、行政側は、知恵も要らなければ、難しい政策を立案する必要もない。つまり、そこらの若者に任せても充分に実行可能な安易で無責任な手法であると言う意味である。
 
 小沢氏を中心とした消費税率引き上げに反対する勢力は、何となく、世論的に無責任なのでは?と言う意見が多い様に思うのだが、小生の様な企業経営の玄人であり、経済の専門家の目から見れば、先に述べたように、増税一本やりの方が遥かに無責任に感じる。
 
 つまり、これを一般家庭に置き換えれば、小生が主張する事が容易に判ると思う。父親の収入が伸びないにも拘らず、子供たちは、進学し、成長するたびにその潰えは、増えて行く、これを何とか、子供の将来の為と、銀行などから借り入れを増やして行く、しかし、父親の収入が増えない為に、年収の十数年分の借財が圧し掛かっている。これが、今の我が国の状態である。そこで、父親の収入を増やそうと考えるのだが、そう簡単には増えないので、父親の収入に頼れないとすれば、その子供たちにアルバイトをさせ、母親にもパートで働いてもらおうと言うのが、現時点での野田政権、あるいは自公の主張である、増税である。
 
 孫子につけを残さないとしながら、その孫や子供に働けと言っているわけだ。これは効果がありそうで実は、想定以上の効果は見込めない。更に若い世代に重石をかけるこの手法で行くと、若い世代は、つまり子供は、働く事に汲々として夢や希望を語らなくなる。現実から逃げられないからだ。
 
 結果、希望や夢を描けなくなった若い世代は、小さく纏まって更に消費を削って生活を維持する事になる。つまり消費が減少すると言う事だ。
 
 この方法では、父親の負担は減少する者の、その負担を子供や母親に押し付けているだけで、何ら解決に至っていない。ただ、経済的な破綻を回避するだけに終わるのである。しかしながら、この破綻とて回避できるかと問われれば、その答えは、楽観できる状況ではないと申す他ない。
 
 国家と言う大きな枠組みで考えると、余りに規模が大きすぎて実感として理解し難いのだが、もし自分の家庭に置き換えれば、この増税方法は、将来につけを回す代わりに、現在の若い世代に大きな重石をかけることで、先に負担せよと言う意味である。
 
 これでは、未来の方が、ともすると収入が安定し増える可能性があり、今、収入が安定しない状況下での負担より、未来の負担の方が経済的には楽であるのだ。野田政権の主張する孫子の代に殺菌を残さないは、単なるスローガンで詭弁であり、大変に無責任な方法である。
 
 税収と言うのは、あくまで経済発展により、自然増を目論むものであり、その目論見というのは、全体像を引き上げる右肩上がりの成長率を維持する事ではない。わが国の様に、世界標準からみれは、突出した規模を持つ成熟経済の国の場合、GDPが年に10%以上も延びることは、想定できない。政府が目論む経済成長には、旧時代的な右肩上がりと言う方法論だけが語られ、そうでなければ税収の自然増は見込めないとしている。しかし、これは政府と日銀のトリックである。あるいは知識不足から来る軽薄な論で、経済の一面だけを見た愚論でしかない。
 
 我が国の様に、資本主義国家の中で成熟度が進んだ国家の場合、更に少子化などで人口が減少傾向にある場合、右肩上がりの経済成長は、殆ど不可能だと思うべきである。しかし、税収を増やす事は充分に可能なのである。その一番、効果のある方法が、国民所得を引き上げる事であり、それはすなわち、企業の経常収支を格段に好転される方法を目論むだけで可能であるのだ。GDPが幾ら増えても、企業の経営が潤沢な資金に裏付けられない限り、企業の収益は、減少する事になる。
 
 もう少し簡単に説明すると、100万台の車を生産しながら、損益分岐ぎりぎりの経営状態の会社もあれば、50万台しか生産しなくても、大きな経常収支を得られる企業もある。つまり我が国の場合、後者を選択するだけで、我が国の持つ経済的なポテンシャルから考えて、企業の収益率を格段に引き上げる事はさほど難しい事ではない。何故なら、わが国は、先進国の中で、最も国内消費に支えられた経済形態を持っているからだ。
 
 貿易立国と言われるのだが、その実態は、総生産の中で貿易によるものは、20%前後でしかない。つまり貿易立国と言うのは、我が国の場合、間違っても当てはまらないと言うのが我が国の実体経済である。ごく一部の自動車や家電などが貿易によって支えられていると思われているのだが、それも、その殆どが、空洞化によって諸外国に生産拠点を移しており、必ずしも貿易だけによって利害が成立すると言うものではない。為替による変動によって、ホンダやトヨタは、相当に利幅が変わるのは、生産量と言うより、ドル決済している為であり、生産量の変化による企業経営への圧迫は、為替損益から比較すると僅かであるのが現実である。
 
 つまり我が国の経済の場合、国内消費を10%から15%伸ばすだけで、GDPは、容易に4%程度の成長を齎すのである。もし、年に4%の実質成長が見込めれば、3年後には、法人税収は、現在の3倍近くまで引き上がり、消費税による税収も50%程度引きあがるのである。これで、野田政権が目論む、消費税率10%の増税分の2倍程度の増収となる。つまり、国内消費を15%程度引き上げる政策を打つだけで、我が国の経済成長は、著しく引き上がるのである。
 
 この為に、必要不可欠な政策は、個人所得と大幅な引き上げであり、その為には、その引き上げが企業経営側の体力が付くまでの間、財政出動で補う必要があり、その数年間、凡そ小生の試算では、3年から4年間は、財政出動を、自公政権下で行って来た抑制策ではなく、一気にしかも大きく出動させる必要があるのだ。
 
 我が国のこれからの経済のあり方は、国民所得を先に伸ばし、その結果、国内消費が引きあがり、経済を伸ばす、その結果、GDPそのものは、大きく伸びなくても企業収益率が引きあがり、税収が安定する。消費が伸びれば、その分、消費税による税収も顕著に引きあがり、安定的に伸びて行く事になる。
 
 これを指導するのが行政の役割であり、ただ闇雲に増税による税収を考えているとすれば、いかにも安易で軽薄、そして短絡的に過ぎると言わざるを得ないのである。
 
 御理解頂けただろうか?
 
 小生から見れば、野田政権や自公が述べている増税已む無しと言う議論こそ、大変に無責任で経済的なセオリーから逸脱する暴挙であるとしか言えないのである。
 
 高学歴、軽薄世代である我が国の世論は、増税派の「孫子の代に残さない」が正論に思えるのだろうが、実は、それこそ、軽薄で無責任な主張であると理解すべきである。

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原発再稼動問題

 原発の再稼動について、日曜討論などで専門家と称する学者が、賛成、反対に分かれて討論をしていた。小生のスタンスは、少なくとも、現時点での再稼動は、問題外と思っているので、さほど興味を持って見ていたのではない。
 
 今日、久しぶりに大学時代の同期で、横浜で弁護士事務所を営んでいる友人と会った折に、この話題が出て、彼の弁をここで紹介しておく。
 
 彼は、法律家であるのだが、原発問題には素人である。これは小生が経済の専門家であるが、原発問題の素人であるのと同様に、持っている情報は、昨今はやりの書物と、報道から齎されるものしかない。
 
 そこで、専門家として技術的な問題を語れる者ではないので、あくまで一般論として、彼の論をまとめてみた。
 
 原発問題として、考えると、専門的な知識が相当に必要なのだが、これが交通事故や業務上過失などの事故と単純に比較してみるのだそうだ。
 
 つまり、専門知識が必要な核技術に関わらず、過失事件として、考えてみると、この再稼動がとんでもない状況である事が理解できるとの事、もし、何処かの建築物が、想定していたより脆弱で倒壊、そして大きな被害が出た場合、同様の建築基準で建てられた建築物は、この倒壊原因が解明されるまで、少なくとも立ち入りや使用が制限される。つまり、原因が確定して、その改善なり、あるいは改良が加えられない限り、この建築物は、使用できないのが当然。しかし、今回の福島第一原発の事故は、まだその原因が津波なのか、あるいは地震であるのか、あるいは、設計上の問題なのか、何一つ解明されていない。しかし、同様の建築基準で建てられた他の原発について、机上の空論に近い、ストレステストを行えば、安全であるとする政府の見解は、他の過失や事故の比較した場合、余りに乱暴であるとしか言えないと言うような、発言をしていた。
 
 確かに、自動車なども何らかの技術的な問題で事故が起こった可能性がある場合、その車種は、その原因が判るまで使用を制限したり、あるいは、使用禁止措置が講じられる。これは、当然で、航空機など、同様の措置が過去に多くあった。安全を確保する為には、最低限守らねばならないモラルである。しかし、どうも電力に関わる、この手の事故の場合、確実な原因解明が為される前であっても、政治的な判断で、その使用を認めようと言うのは、どうも彼の言う様に乱暴な議論だろう。
 
 経済的な損失と稼動容認派は、主張するが、今回の事故による損失以上の損失は、燃料費が相当に高騰しても、それを甘受する以上に危険な存在が原発であろう。今回の事故に於ける原因解明は、遅々として進んでいないのが事実で、地震によって倒壊、あるいは、機能不全に陥っていたのか、想定外の津波によって齎されたものであるのか、はたまた、元々、何らかの設計上の不備があり、それが地震によってかくも脆く倒壊したのか、更に、その全てが重複した不幸であったのか、まだ結論を得ていないのが現実だろう。この原因が判らないままに、経済的に電力高騰が、問題視されるモラリティーの無さは、一体何処からくるのだろう。
 
 再稼動賛成派に考えてもらいたい。もし、天災だけに原因があったのではなく、何らかの整備上や設計上の不備があった場合、同様の基準で建設された他の原発が、原因解明もないままに再稼動するリスクは、誰が責任を持つのだろうか?と言う疑問だ。
 
 経済維持の為に必要不可欠だと主張する人が多いのだが、今回の事故による東電の損失は、最低に見積もっても3兆5千億円と言われている。最大に見積もると10兆円を遥かに超える試算もあるほどだ。経済的な損失を考慮しても、この損失を、東電だけで賄えるのであればともかく、現実には、既に3兆円余の政府からの援助が行われており、それはとにもかくにも、税金から支出しているのである。つまり、我々が民間企業である電力会社を維持する為に、支払っていると言う事になる。
 
 もし次に同様の事故が起こった場合、その損失は、GDPの10%を遥かに超える可能性が高い。もしそうならば、高騰した電気料金を個別に補助するほうが、遥かに国民負担は少なく済むのである。
 
 今日、弁護士と話しているときに、確かに、他の事故と比較して、どうも乱暴な議論が続けられているのではないかと感じた。
 
 再稼動、次期尚早であり、あってはならない暴挙である。小生は、54基ある我が国の原発を、その減価償却を計算して、全てを国が買い上げて、廃炉に向けてのロードマップを国民に示すべきだと思っている。同じ税金を投入するのであれば、より安全に、そして将来性のある目標に向かうべきであると結論して、今日は終わりにする。

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