歴史

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]

従軍慰安婦問題について・・・・(謝罪と賠償)

 韓国の日本大使館前の路上に、従軍慰安婦をモチーフにした銅像が建てられ、この問題で、政府は、1965年の条約で既に法的には終わっているとした見解を述べ、野田総理は、何らかの措置を取る可能性に言及したが、この立像については撤去を求めた。
 
 この従軍慰安婦問題を取り上げると、必ず、下記の反論が寄せられ、堂々巡りになるので、ここでその反論に対してお答えする。
 
 以前にも詳細な資料に基づいて、慰安婦問題と南京事件については、書いているので、はっきり言って面倒臭いのだが、どうも一部保守系論客などが、世論を誘導するのも目的に確信犯的な暴論を主張して、ネット右翼と言う戦争を知らないあるいは、知る術の無い若者を中心にミスリードしていると感じる。さらにごく一部だが、国会議員の中にも、従軍慰安婦の存在そのものに対して否定的な論をお持ちの方が少なからずいるので、その議論が出るたびに日韓で不毛な論争を引き起こす切っ掛けになっている事が、極東の安定に逆の効果を齎していると感じる。
 
 まず、寄せられる反論について簡単に書いてみる。
 
 1、従軍慰安婦は、軍が直接関与したのものではなく一部悪質な民間業者
   女衒によって集められ、当時許可されていた遊郭経営者が管理運営した
   もので、軍がひいては、国家が行った事ではない。
 
 2、慰安婦は、玄人の女性(売春婦)が自らの意思であるいは、その保護者に
   よって売られたもので、当時の法律に違反した行為ではない。つまり人権
   侵害ではない。
 
 3、戦後、韓国で現れた元従軍慰安婦の中には虚偽の申告をしたものが少な
   からず存在し、それらの虚偽申告は、すでに明らかになっており、偽物で  
   ある。
 
 4、朝日新聞が60年代に取り上げた根拠となった、軍関与の資料については、
   それを取り上げた日本人が、偽情報を提供したもので、直接強制的な連行
   あるいは徴用は、無かった事が証明されている。
 
 5、軍隊は、あるいは政府は、この従軍慰安婦制度を、直接運営管理してはお
   らず、民間業者へ、軍がその料金を支払ったもので、そこで働く女性には、
   それ相応の対価を支払っている。
 
 大きく分けると、この様な反論が寄せられているのだが、これらは、既に、歴史学者の間では、既に決着のついた問題である。その決着とは、軍が直接管理運営し、女性を集める行為も軍が直接行っていた。これらの証拠は、既に公文書や資料が少なからず存在し、確定したものである。
 
 また、現在、我が国が主張する国家賠償に関わる条約、1965年に締結された日韓条約により、既に個人的な損害賠償責任も存在しないと言う見解についても、ここで、明確に国際的な解釈も述べてみたいと考えている。ただし、前にも述べた様に小生は、法律の専門家でもないし、国際法が、何処まで解釈されているかなど、法理に関わる知識は、持ち合わせていないので、あくまで小生個人の集めた情報によって、その情報をそのまま、記する事にする。
 
 まず、大きく分けた5つの反論だが、これにお答えする。この5つの反論には、明確な間違いが存在している。
 
 従軍慰安婦と言う言葉が、戦後作られたと言う造語であるとする指摘だが、これは、全くの間違いである。60年代に朝日新聞が取り上げた時に朝日新聞が作った造語であるとする、反論は、その時点で誤りで、50年代に週刊現代が、「従軍慰安婦」についての記事を特集した折に既に使っており、それ以前から存在していた事は、ほぼ間違いが無い。小生の個人的な経験で言っても、祖父が、この言葉を戦前から使っていた事を記憶していた事もあり、正式な言葉ではなかったかもしれないが、言葉として戦前から存在していた可能性が高い。
 
 さて言葉としての従軍慰安婦は、さておいて、まず、軍が管理 運営、あるいは、募集に関わる直接行動を取ったか取らなかったか、であるが、これも、既に多種の公文書によって証明されている。
 
 これは、小生が発見した資料ではなが、京都大学文学部史学科永井教授による論文に掲載された、徳島県警による資料(旧内務省資料)によると、昭和13年に徳島県で、許可の無い女衒(当時の女衒は、内務省による許可を得た者だけが行える資格業務であった)もぐりの女衒と言う意味である。二人の女衒が、徳島県内の農村で数名の女性(19歳から20歳)を募集し、保護者に金銭を支払った。これは当時、違法行為であり、取り締まりの対象とされた。逮捕拘留された二人の女衒は、「陸軍からの命で行った行為であり違法ではない」と主張した。これにより、当時の徳島県警は、旧内務省に伺いをたてた、その結果、旧内務省は、陸軍省に照会、その事実を確認したが、軍に対して「日本国内で、この女衒行為は、内務省の許可による権益であるとして正式に抗議した」とされている。この時に陸軍は、特別に許可を与えた訳ではないとして、その後、それら陸軍の名前を使っての女衒行為をしてはならない旨の内容を命じたと内務省に報告している。
 
 現実に二人の女衒は、数日で釈放され、これが陸軍による女衒行為であった事は、事実であると判明している。しかし、当時の法律では、女衒が集めた売春婦は、国外には移動してはならないとされており、当時の韓国は日本に併合されていた事もあって、韓国の売春宿あるいはキーセン宿に売り渡す事は合法だったが、満州やその他、諸外国に移動させる事は認められていなかった。
 
 軍が求めているのは、あくまで最前線基地での慰安婦であり、日本国内ではない。つまり、当時の法律でも従軍慰安婦は、違法であった事が既に報告されている。
 
 元々、従軍慰安婦を求めたのは、陸軍ではなく海軍であった。それは、当時我が国の租借地である青島(チンタオ)にあった海軍基地で、陸に上がった水兵たちが、地元にある売春宿で買春をして、性病を感染させられ、長期に渡って入院せざるを得ず、中には、運行そのものに支障をきたした軍船があり、これを重く見た海軍軍令部は、国内の売春宿経営者に基地近くでの営業を求めた事に端を発する。しかし、国内の売春婦で諸外国まで売春を行いに行く女性は、高齢なものばかりで、しかも少なからず性病に罹患しており、海軍軍令部は、若い女性で、未経験者を求めた。しかし、諸外国に女衒が売り渡す事は法律で厳しく禁止されており、集める事ができずに、軍関与の女衒たちは、日本国内での募集を徐々に諦めて、半島に移動して行く事になる。
 
 この折に朝鮮総督に対して、国内法を緩和して売春婦の国外売り渡しに関与させる。これを内務省は黙認する。慰安婦たちは、満州経由で最前線の送られたのである。これを国家関与が無かったとする、一部保守系論客たちはどう反論するのだろうか?できるはずはない、全て公文書に記載された事実であるからだ。
 
 更に、強制は無かったとするのも、既に否定されている。これも内務省におよる公文書記録から、当時の朝鮮半島は、我が国領土であるから、国内法が適用されており、その中で、警察の日誌の一部が残されている(大半は敗戦時に焼却処分されているのだが、奇跡的に残されたもの)これに駐在所の日誌があり、その中に、陸軍の許可を得た女衒が、村を回ったが、何処の家も扉を空けず、ノルマを達成できないとして駐在所に相談、駐在(日本人)は、それらの家々を回り、ドア口に経ち、警察である、ドアを開けろと命じる、当時の警察は、大変に恐い存在であるから、当然、農民はドアを開ける、すると警察官は、中には入らず、ドア口で立っていると女衒が「天皇陛下の皇軍が、若い女性を求めている。」と大声を出すと、その恐さに娘を差し出す。これは、強制とは言えないが、半ば強制であることに異論はあるまい。
 
 次に、もし従軍慰安婦が軍隊の正式な管理で移動させられていれば、その名簿が残されているはず、とする反論にもお答えしておく、確かに看護婦などの軍属は部隊編成が為されているから、記録が残されている場合が多いのだが、慰安婦に関する移動記録は存在しない、しかしここが、トリックである。彼女たちは、人間として送られたのではなく、兵站として移動させられたのである。これは、現在の防衛大学校の資料に、当時の駆逐艦や巡洋艦、あるいは、輸送船などに存在する送付物資の記録などに散見している。「ウメ、タケ、ハナ」と言った女性の名前が記録にあるのだ。つまり彼女たちは、物資として輸送され、戦地へ送られたのである。当然、部隊ではないし、正式な存在ではなかった事が伺わせる。
 
 更に、中野陸軍軍医中尉による日誌や、毎日新聞社などの検閲による掲載禁止写真などにも基地内にある慰安所の映像が残されており、その中に憲兵隊が管理し運営していた様子が残っている。更に中野氏に日記には、書くにも憚られるそれらの女性の細かい内容が詳しく書かれており、これは既に出版されている。
 
 これらの状況から、軍や国家の関与は、疑いの無い事実であり、強制的な連行や徴用に近い募集の事実も記載がある。
 
 また、当時の売春婦の売り買いの相場を最後に記しておく。吉原と呼ばれた当時の我が国では一番格式の高かった場所では、200円から300円が相場で、その他、日本国内でも200円前後である。朝鮮半島の場合で、釜山やソウルなどのキーセン宿などの場合で、100円から200円である。もしわが娘を苦界に沈めなければならないとすれば、国内のこれらの地に売った場合、相当の金銭が手に入るのに対して、最前線に送る従軍慰安婦の場合、許可を得た女衒が買い取り使った前渡し金は、20円前後で、これは当時の家政婦などの一ヶ月分の給与でしかない。つまり、戦後出てきた、高級将校宅での家政婦として、あるいは軍属として洗濯婦や下働きなどで募集した事は容易に想像できる。
 
 更に、当時の国内法で18歳未満の売春婦の募集はできないと厳しく制限されていたのに対して、朝鮮半島から送られた慰安婦の過半数が15〜16歳であった事も鑑みると、これは、売春婦として募集したと言うより、寧ろ下働きとして前渡を受けて応募に応じたとする方が遥かに合理的である。
 
 ただし、これらの記録は現在のところ発見できていない。何故ならば、敗戦時に殆どの公文書などを焼却処分しており、公文書にないからと言ってそれが罪を逃れるいい訳にはできないと考えている。
 
 この様に多くの資料や公文書が残されているからこそ、我が国政府は、強制的に徴用し、苦界に未成年の少女を送った事を認めているのである。更に史学者の間では既に決着のついた過去の問題であり、これを何らかの意図があってミスリードしているのが、保守系論客と右翼たちの姿である。これは歴史という学問に対す冒涜であり、また日本人として卑劣で卑怯な態度であると断じる。
 
 また、政府間で取り交わされた国際条約が、そのまま個人の賠償責任を回避できるかに対して、ドイツでは、妨げないとして、基金を作って戦後も賠償を続けている。そらが法的に正しいかは、小生には判断できないが、人間として、これらの賠償問題に政府は真摯に取り組むべきではないかと考えている。

閉じる コメント(10)

閉じる トラックバック(0)

従軍慰安婦問題・・・・・拡散のお願い(転載記事)です

 本来、この手の論争がネット上で行われている事事態、歴史学者の中では、あり得ないことなのだが、ネット右翼だけに留まらず、右派や保守系議員など、自分勝手な資料などへの偏向した飛ばし読みなどで、歴史そのものを冒涜する様な発言が罷り通っている、我が国の状況を、大変に遺憾であると思うので、下記の記事を紹介いたします。
 
 これは、小生が、厳密に調べた結果に近いもので、信じるに値する記事であると思います。しかしながら、当然、小生が書いたものではありませんから、この記事に対する書き込みは、ご遠慮いただきます。
 

閉じる トラックバック(0)

寝る前に、ちょっと歴史認識について・・・・・・・

 夜更かし、週末の特権かな?
さて、よく、歴史認識に違いで外交交渉が上手に運ばないなんて、よくあることで、この認識の差を埋めようと政府間で研究チームまで立ち上げて、何とかその溝を埋めようなんて努力してるのだが、これは、少なくとも、昭和以降の歴史については、殆ど不可能と断言しておく。
 
 南京問題、従軍慰安婦問題、捕虜虐殺などの問題や、植民地支配などによる人権侵害など、この摺り合わせを政治的に図るのは、無理だと考えている。
 
 歴史学者による歴史認識は、政治の歴史認識とは大幅に違い、学術的な、研究と言うのは、あくまで資料をどう読み解くかが問題であり、そこに政治的なイデオロギーやナショナリズムは、全く排除されたものであるのに対して、政治的判断と言うのは、資料の基づいているものの、その読み方は、互いが互いの有利な点を拡大して、それを国論として国民にナショナリズムを持たせると言うイデオロギーの塊かあるいは国益優先が主張される場に変化する為に、資料そのものの、是非より、どちらに有利であるかが問題になってしまうからだ。
 
 特に大正後期から昭和20年までの歴史は、世界中が混沌とした時代であり、その為に、当時の国際法であっても、欧米有利に作られ、我が国のようにアジアの小国の場合、その妥協点は、あくまで欧米に追従すると言う状況であった。
 
 これは、逆に言うとアジアに於ける権益の奪い合いと言う形になり、大きく考えるならば、日中戦争や太平洋戦争は、この覇権を争うために行われたと言えなくもない。
 
 この覇権争いに巻き込まれたのが、アジアの植民地であり、中国や併合された朝鮮と言う事になる。
 
 学術としての日本現代史に於ける、南京事件や従軍慰安婦問題、あるいは、朝鮮併合から日中戦争までのある程度の決着は付いている。これは、京都大学文学部や東大文学部、早稲田や慶応と言った有名大学の歴史学者、あるいは欧米の大学の研究者などの間でも殆ど決着している問題であるのに対して、政治的な歴史解釈に於ける認識の違いについては、今なお争いの種になっている。
 
 この違いは、実に簡単な理由から起こっている事を、互いに認め合わない為に加速度的に外交を停滞させる原因になっているのだ。
 
 どうして、これ程、学術的見解と政治的な見解に乖離があるのか、それは政治的に判断した場合、この現代史当時の歴史は、国民の中では、まだ歴史と言うより事件に近い存在であるからだ。
 
 オーラルヒストリーと言う、生存者から聞き取った口伝である。これは歴史学上では一次資料となり、近視眼的な、その生存者が経験した歴史の一部分でしかない。この生存者の直接の家族や親類が、この口伝を伝える場合、加害者側は、できるだけ生存者の名誉を傷つけることなく、矮小化するものであるのは、現在の刑事裁判に於ける被告側の弁護士による弁論を聞けば理解できると思う。逆に、被害者側、自分や親戚と言った近しい人が犠牲になっている場合、どうしても被害の拡大を主張する傾向が強い、これもまた刑事裁判や民事裁判などでも同様で、被害者側に立つ、検察官や、あるいは原告に当たる弁護士の答弁などに良く見られる。
 
 この状況は、戦争被害でも同様で、加害者とされた我が国の場合、その与えた被害は、出来うる限り限定的に解釈したいと言うのは、理解し易い加害者意識であり、これは、国民のコンセンサスを受け易い為に、安易なナショナリズムを刺激するのである。
 
 逆に被害者意識を強く持つ、中国や韓国などに見られる反日感情や嫌日感情は、被害者として被害の拡大による主張を、加害者側である我が国が自国民感情に阿る形で、縮小解釈することに対する、反発からである。
 
 これは、この歴史上の事件が、まだまだ歴史として冷静に認識できないと言う事を意味している。
 
 つまり、まだ歴史ではなく、単なる事件であると言う意味である。
 
 単純な交通事故の裁判に於いてですら、加害者側の主張と被害者側の主張が大きく違って裁判が長期化したり、互いに納得行く判決が出なかった場合の感情的な反発は、やはり拡大し、司法への不信感となって現れる。
 
 これと同次元にあるのが、我が国の現代史であり、先の大戦であると言っても過言であるまい。
 
 この感情的な反発が、学術としての歴史認識を否定してまで、政治的に作り上げられた、全く違う歴史認識として大きな乖離を作り上げているのである。
 
 ここでは、一つ一つの事件を取り上げては話さないが、上記に上げた事件の殆どが、学術の世界では、既に決着している問題である。
 
 しかしながら、政治的な認識となると、その乖離は、殆ど埋められないほど、全く違った歴史を互いに作り上げると言う間違いを犯し続けている。
 
 例えば、韓国併合を、植民地化であるとする韓国側の主張と、あれは併合であり、互いに納得しあって合同で新しい国を作ったのだとする主張とでは、真逆であるのだが、これを600年戻って、豊臣秀吉の朝鮮征伐になると、我が国の研究者の間でも、侵略であり暴挙であると考えられており、韓国側が、秀吉を悪魔と表現しても、現代の日本人の琴線に触れる事はない。つまり、これが歴史認識であり、互いに加害者意識や被害者意識がなくなる時間の経過が必要と言う事である。
 
 国内に色々な民族問題や統治問題を抱える中国では、この認識の違いを中国国民の陳腐なナショナリズム高揚に利用しているし、これを外交カードとしている。
 
 逆に我が国の場合でも、国家経営に於けるナショナリズムの利用として、外交上の真実と、事実の間に、この歴史認識問題をリンクさせて、作り上げた歴史を主張している。
 
 歴史学と言う学問から鑑みれば、明らかに互いに間違った研究を徒労の内に続けているのであって、これは歴史学向上には、全く意味にない、寧ろマイナスとなっている。
 
 何故ならば、互いの国の歴史学者は、その事実を公言すると、ナショナリズムを高揚させた国民からバッシングされると言う憂き目にあうからだ。
 
 結果、韓国でも中国でも、無論わが国に於いても、日本近代史の専門家は、殆ど、論文の提供以外には公式な発言をしていない。
 
 わが国に於いて、この問題で多く発言する保守系の学者の殆どが歴史学者ではなく、国際政治学や外交学を専門とする政治学者であり、彼らの認識は、自国に有利な資料の拾い読みであり、専門の研究者の様な膨大な資料を公正に読み込んだ結果ではない。
 
 現在、互いに求められるのは、冷静に判断できるまでの間、この問題を政治化する事を避ける努力をすべきだろう、研究チームなど立ち上げても、互いの主張が平行線になり、その判断が、互いの国の教科書を作る様な状況を生み、その互いに偏向した教科書で育てられた若者は、どこか深層心理で互いに嫌悪感を持つと言う悪循環を生んでいる。
 
 これは不毛であると考えている。
 
 以前に、京都大学の歴史学の教授にお話しする機会があったが、その折に、専門家である先生たちが、口をつぐむから、この問題が複雑化するのであって、専門家としてはっきりと、現在存在する資料から、この問題は、これが結論であると発言すべきであると聞いたのだが、その教授は、この様に反論した。「自分たちで研究課題を見つけて膨大な資料を読み込み、そしてその結論を得ると、新しいテーマに向かって行くのが学者であり、そのテーマの論文を書き上げたと同時に、既に、それは過去のものと言う認識に変わる、興味が無くなる、更にこの様な不毛な論争に口を挟むなど面倒でやってられない」と言うのが彼らの口を重たくする原因である。
 
 我が国の場合、どんな発言をしても法律で裁かれる事はないのだが、ナショナリズムに凝り固まった人々から感情論的な嫌がらせを受ける事が多く、彼ら学者の口を更に重たくしている。これが中国や、韓国の様に、政治が作り上げた歴史認識を否定する様な学術的な発言があると、それは排除される運命にあり、当然、学者の口は閉ざされる事になる。
 
 つまり、何故、こうなるのか、それがまだ歴史ではないと言う感情が、互いの国民の中に存在しているからだ。
 
 この際、この現代史問題から、政治や国民感情は淘汰するべきで、それが出来ないと言うのであれば、当然、この問題に触れる事を互いに止めるべきだろう。
 
 それこそ、外交交渉で、それを成し遂げるべき最大の課題だろうと思っている。
 

 夜更かしをしつつ、今なお、実に下らん国民感情に支配されたナショナリズムを示す外交から互いに脱却を図るべき時である。


閉じる コメント(4)

閉じる トラックバック(0)

今日の新聞から(朝日新聞4月22日夕刊)

 「軍関与」認定判決 確定
 沖縄ノート訴訟 最高裁が上告棄却
 
 太平戦争末期、沖縄戦で、旧日本軍が集団自決を命じたと記述した大江健三郎著作「沖縄ノート」をめぐる名誉毀損訴訟で最高裁は原告の上告を棄却した。・・・・・・・・・・・・・
 
 当時の陸軍少佐らが、事実ではないとして名誉毀損にあたり、慰謝料と出版差し止めを求めた裁判の結果である。
 
 この裁判は、沖縄戦の集団自決に関して、文科省が教科書からの削除を促した原因となるもので、注目されたものだったが、地裁、高裁と名誉毀損には当たらないとして判決した、この判決に原告側が上告した、その結果が、上記の判断であった。
 
 さて、この原告は、その集団自決を命じたか、あるいは命じなかったかについては、現在、それを事実であるとも、あるいは虚偽であるとも推論しか出来ない。
 
 この手のオーラルヒストリーは、被害者側の誇張もあるし、逆に加害者側の隠蔽も多々あり、これらの状況は、多くのオーラルヒストリーから推定するしか方法がない、ここで、小生の意見を申し述べる。
 
 沖縄戦に関しても、多くの一般人が、軍から命じられたと話しており、当然、そう言う事実を否定するだけの資料は、軍からも出てこない、あるいは、逆に、当時の軍人で、それらを認める発言をした人も存在する反面、否定する人も少なからず存在しているところから、組織戦が終了後の混乱と言う状況を鑑みると、命じた軍人も存在し、逆に命じなかった軍人も存在したと言う事だろう。つまり、どちらが正しいと言うのではなく、近視眼的に見れば、双方、間違っているとは言えない。
 
 つまり、軍関与は、あったとする判断は、間違っていないと言う事になり、この最高裁の判断は、正しいと思う。
 
 沖縄戦に限らず、小生の同級で、両親祖父母が満州からの引揚者で、その引き上げで、やはり同様の命令を下した将校がいたと言う話を聞いたことがあり、やはり、当時の軍人は、軍人訓にある様に、捕虜になる事を極端に嫌った事で、一般人にも同様の強制をした人がいる事は、想像に難しくない。
 
 サイパン玉砕の時も同様に一般人も自決しているのだが、この全てが自らの意思とは到底、思えない、相当の強制があったと見るべきであろう。
 
 つまり、当時の日本国内の思想そのものが、捕虜になる事を、嫌うと言う状況下であり、それを否定できない状況であった事で、自分の意思で自決した人の大半もまた、半ば精神的に追い詰められており、いわば、強制と考えても強ち間違いではない。
 
 確かに、この訴訟に於ける原告になった3人の元軍人にすれば、強制していないのに、強制したかのように捉えられる事に対する反発があったとしても致し方ないが、例えば、無言であっても、手榴弾を民間人に手渡した時点で、「死ね」と命令をしたのと同義になり得ると言う事である。
 
 正式な命令ではなく、あるいは口頭で言った訳でもないのだから、それは命じた事にならないとすれば、それは当時の日本社会への無理解であろう。当時の軍人、取り分け士官から手榴弾や毒薬を手渡された時点で、そのまま、それは「死ね」と言う命令と同じである。
 
 この辺りの理解がないと、当時の社会は語れない。
 
 悲劇に時代であり、当然、生き残ったこれら軍人も同様に被害者である。だからと言って、現在の社会性から推し量る事は、間違いであると思っている。
 
 沖縄戦は、最初から、日本軍は、民間人を人間の盾として対峙する米軍との間に挟んだ。これだけでも軍隊の存在価値を否定しても致し方ない悲劇であると考えている。
  
 「敗軍の将、兵を語らず」と言う、同様に、民間人が自決する様な状況に追い込んだ軍人もまた、民間人を語ってはならないと思っている。
 
 この手の文章をアップすると、保守系や右翼からお叱りを受けるのだが、よくよく考えてもらいたい。
 
 それが権力の怖さであり、権力を持たない人間の悲劇であると言う歴史的事実をである。

閉じる コメント(4)

閉じる トラックバック(0)

太平洋戦争の悲劇は、どうして起こったか

 この三連休をのんびり過ごして、朝寝に午睡と眠りすぎた為か、ベッドに横になって2時間で目覚めてしまった。この一年ほど睡眠障害だと医師から言われているのだが、睡眠導入剤や精神安定剤が身体に合わない為に使用していないので、自然に睡魔が来るまで、起きる事にしている。ベッドから起き上がって、書斎のPCに向かっている。CDのドイツグラムフォン版、レナード バーンスタイン指揮、ウィーンフィルのベートーベン、第3番交響楽「英雄」を聴きながら、先の戦争を考えてみる。
 
 先の大戦の原因を特定するのは、歴史学者や政治学者でも意見が分かれるところであり、結論じみたものを論じるつもりはない。しかし、日本近代史を具にひもとくと、原因らしい、幾つかの事象にめぐり合う事が出来る。
 
 まず、明治まで遡る、日清戦争で勝利した後、わが国の取り分け海軍は、仮想敵国を、既に米国としている。当時は、国防の主軸は日英同盟であったが、米国との関係が悪化していた訳ではない。当時のロシアは、ロマノフ王朝末期にあり、帝政ロシアが混沌とし始めている。陸軍の方はと言うと、言わずもがな、仮想敵国はロシアである。
 
 虎視眈々と中国の利権を覗う帝政ロシアの存在は、朝鮮半島の不安定さもあり、わが国の生命線として、南下政策を採るロシア政府のキナ臭い状況は、わが国にとってあり難くない存在であった事は間違いない。その為に日英同盟がなされたと言っても過言であるまい。つまりアジアと欧州からの挟み撃ちと言う事であろう。
 
 わが国の危機感とは、相反する様に、英国は、然程の危機感を持っていた訳ではない。海軍力を比較すれば、ロシアはどうやっても英国には勝てない。西欧に触手を伸ばす様な気配があれば別だが、英国にとってロシアの脅威は、アジアの利権確保だけに留まっていたからだ。
 
 この意識差が、対ロ政策に大きな違いを日英の間にはあったと考えている。しかし、まだまだ国際外交に強かさがないわが国は、日英同盟を過信した気配がある。日露戦争が勃発したのは、この意識差が最大の原因である。
 
 陸軍の旅順侵攻から始まり、海軍の日本海海戦、陸軍の奉天の大会戦と、局地戦では、わが国が勝利して行く、しかし、現実は、どうだったか、既に戦費を殆ど使い果たしていたわが国に対して、ロシアは、まだ充分に戦えるほどの軍隊を保持し、わが国の力が尽き果てるのを待つだけで勝利は容易に手に入る状況であった。当然、戦争を収めるつもりはない。
 
 そこで、わが国は、米国を利用して、仲介させ終戦に導く為の外交政策に移行して行く、局地戦とは言え、一応、負けてはいないと言うのが、強みであった。
 
 そして、終戦、この時のロシアや国際社会の認識とわが国、国民の認識の間には大きな乖離が認められる。わが国は、現在に於いても、今なお、日露戦争は、「わが国の勝利」と教えているのと同様に、当時のわが国の世論は、ロシアと言う当時の超大国に勝利したと言う歓喜に包まれていた。この世論に導かれる形で、わが国の富国強兵策は、政府の現実論を通り超えて、圧倒的な支持を受ける。靖国神社が、その背景にあるのは、あくまで事後的な要素が強いと考えられる。
 
 その後、ロシア革命によってソ連が誕生するのだが、その結果、ロシアの南下と言う危機は和らいでくる。しかし、現実に戦った陸軍は、ロシアの脅威を捨てた訳ではない。徐々に大正デモクラシーが、退廃的な文化を創り始めると、軍部以外には、この危機を感じる事がなくなってくる。しかし、中国が内乱状態になり、清朝が事実上崩壊、中華民国が誕生するが、その支配能力は、脆弱であり、ソ連から援助される形で共産軍の台頭、旧軍閥などの蜂起などで中国内政は予断を許さない状況になる。この時、中国とそれを取り巻く状況に危機感を持っていたのは、当時陸軍だけであろう。
 
 しかし第一次世界大戦から欧州は、戦争否定の立場から、国際連盟を作り上げる。軍縮が世界を駆け巡る事になる。しかし、北にロシアの脅威、内乱状態の中国を隣国に、併合した朝鮮は、その国境にある。満州立国は、ロシアの南下に対する緩衝地帯として陸軍が考え抜いて作り上げたのであろう。
 
 陸軍が常に対ロシアを考えていたのに対して、海軍は、仮想敵国は、米国であり続けた。欧州の海軍大国である英国からわが国へは、距離があり、脅威には違いないが、直接、戦う事は想定外であったからだ。
 
 世界恐慌によって、世界の安定は崩れ始める。島国であり、エネルギーの大半を輸入に頼る我が国にとって、経済の崩壊は、そのまま我が国の崩壊を意味する。そこに付け込まれる形で、中国の我が国利権への欧州からの干渉が始まるのである。この干渉に米国も同調する。米国にとってアジアの窓口に当たる我が国の強大化は、米国利権にとってあり難くないからだ。
 
 米国は、エネルギーの輸出と言う我が国の生命線を握っている為に、強硬な姿勢を崩さない。これが太平洋戦争の直接の引き金になる。
 
 さて、近代史を、資料のまま話し続けても意味がない。
 
 我が国が、ベクトルを間違えたのは、日露戦争の勝利と言う間違った世論を政府は、何ら啓蒙できずに、その世論を利用する形で、軍拡を推し進めてしまった事が最大の間違いであったと思っている。
 
 もし、この時に小村寿太郎が、交渉状況を国民に説明し、また政府も財政的にも、潜在能力的にもロシアには勝利できないと言う現実を認めていたら、国民は盲目的に勝利を信じ続ける事ができたであろうか?
 
 この時の誤解、あるいは曲解が、後の悲劇を生んで行く原動力になって行くのである。この時に、戦争は、容易には勝てないと言う事を日本人が理解できていたら、太平洋戦争への容易な結論は導かなかったと考えている。
 
 海軍は、戦争責任の大半を陸軍に押し付けているが、米国海軍と容易に戦えると結論したのは、明治期から、海軍は仮想敵国は米国であり、米国を徹底的に調査して、ある程度の自信があったからに他ならない。山本五十六が、時の総理、近衛文麿に対して、一年や二年は、暴れて見せるが、その後の保証はできない。それまでに有利な停戦交渉を政府は続けてくれと言う説明をしたのは有名だが、現実に一年所か、ミッドウェーでの開戦で、海軍は事実上崩壊している。つまり、半年で、馬脚を現したと言う事である。
 
 逆に、対ソ戦を常に想定していた陸軍は、日ソ中立条約を盾にして一気に南方に出て行くことになる。陸軍は、インパール作戦までの間、殆どの局地戦で勝利している。つまり、我が国が誇った帝國海軍は、明治期から仮想敵国としていた米国との対戦に於いて、僅か8ヶ月程度で崩壊させられているのが現実である。
 
 それに比較すると、先の大戦の悪役である陸軍は、現実的には、開戦より2年半、よく戦ったと言うべきかも知れない。話が外れた。
 
 つまり、何故、容易に開戦に踏み切れたかは、海軍が、米国の脅威を知りすぎていたことで自信過剰になっていたのが原因と思っている。この海軍の姿勢が、情報を軽んじていた陸軍の対米戦略を誤らせる事になる。
 
 つまり、日露戦争に於いて、世論は勝利したと言う判断に対して、また海軍は日本海海戦で、ロシア艦隊に容易に勝てた事で、西欧の技術力や戦闘能力を過少に評価したと思っている。これに反してロシアと直接戦った陸軍は、それをトラウマとしてロシア脅威論を中心にして軍備を中国大陸に集中させて行く事になる。この中国侵出と満州立国が欧米からの日本脅威論を作り上げるのだが、陸軍にしてみれば、一途にロシアが怖いのである。
 
 これは、更に深刻なトラウマを作り上げる、ノモンハン事件である、この時、ソ連陸軍の機動力と武器の強力さに陸軍は震え上がるのである。満州を陸軍が徹底的に手放さなかった理由は、このソ連怖さからである。ソ連が、まだ社会主義国として安定していなかった事で、日ソ中立条約が締結されたにも関わらず、国際社会を敵に回してまでも、満州を手放さず、逆に日中戦争に入ったのは、このソ連の脅威が、中立条約で和らいだ事が原因である。
 
 対日輸出禁止が厳しくなってもなお、満州に居座り続けたのも同様の理由である。陸軍が、悪役に思われるのは、この満州に駐屯していた関東軍が暴走した為である。大日本帝国陸軍の評判が悪いのは、この関東軍と憲兵隊の所為であると言っても過言であるまい。
 
 結論を申し上げる。
 
先の大戦、取り分け、日米開戦を導いたのは、日露戦争を間違った認識が齎した世論の暴走が原因である。この時の勝利の立役者である、東郷平八郎を含めて軍部の認識と、政府の認識の違い、これを埋めようとしなかった明治政府が、第二次世界大戦の礎を作ったと考えている。
 
 無論、素人判断である。しかし、我が国の国定教科書の殆どが、日露戦争は、今なお勝利したと書いている事を見ると、やはり、間違った認識のまま、戦後を過ごしたと考えると、最近、ネットなどでも勇猛果敢な右翼的な論調が出ているのも同様に、戦争に対する意識が間違っているからだと結論できると思っている。

閉じる コメント(6)

閉じる トラックバック(0)

全5ページ

[1] [2] [3] [4] [5]

[ 次のページ ]


.

ブログバナー

公平論001
人気度

ヘルプ

Yahoo Image

検索 検索
  今日 全体
訪問者 13 84685
ブログリンク 0 83
コメント 0 5235
トラックバック 0 221

標準グループ

1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

開設日: 2006/5/6(土)


プライバシーポリシー -  利用規約 -  ガイドライン -  順守事項 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2012 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.