ブルーレイ課金、甘利経産大臣の誤解
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こんにちは、下級役人です。(第10回)
さて、前回(第9回)はブルーレイ課金についての経産・文科省合意について書いたのだが、自分の書き込みが、大臣発言の一次原典に当たっていなかったことに、「Copy&Copyright Diary」のサイトで気づかされた。役人にあるまじきことで誠にうかつ。要反省です。それに比べてブロガーの皆さんはよく調べているので、ほんとに関心しきりです。
(言い訳をすれば、前回書いたとおり「エンドユーザーの見た著作権」のサイトがよくまとまっていたので、すっかり調べた気になってしまったということなのだが、グダグダ言うまい。)
というわけで、今回は、前回の補足をちょっとだけ。
amari> よく考えていただければ、ハードそのものに、例えばハードディスクに何回入れようと取り出せないわけですから、取り出した対象に対して課金されれば、それは権利者の権利が移転するという理屈になりますけれども、中に入っているものに何回できたから何回分寄こせとか、あるいはこれによって複数の人たちが恩恵に浴するからといって、取り出せないものは一人でそこでしか見ることができないわけですから、取り出して物理的に分散できるものに対して課金されるという理屈はわかりますけれども、そうでないというのは理屈の上から理解が難しいでしょう。
と述べている。これを見ると、どうやら甘利大臣(というか経産省か。きっと役人が周辺状況を整理して大臣に報告しているはずなので、大臣はその報告の範囲で発言しているだろう)は、私的録音録画補償金の正当化の根拠は、複製物を取り出して複数人に渡すことによる損失の補填だと思っているようだ。
ハードディスクや一体型機器へのコピーは、複製物が他人に渡らないのだから損失がないし、だから補償の必要もないという認識か。
しかし、この理解はどうなんだろう?
これが大学の著作権法のゼミなら、「複製物を他人に渡すのは、著作権法30条の目的外使用であり、権利侵害として、補償金ではなくて損害賠償を請求すべきものでありまして、適法な範囲でありつつ補償金請求権を付与している私的録音録画補償金制度の趣旨としてこれを論じるのには、論に混乱が見られます」とか、「いや、渡す範囲が親しい友人なら30条の範囲内ではないか」とか、そういう議論になるのだろうが、私もちょっと学生気分に戻りつつも、そんな著作権法論議をしたいわけではない。
情報法(著作権法はその分野にも属するはず。人格権のように文化財保護法制的な部分もあるが)の基本に立ち返れば、情報財の提供において競業、競合する者がいる場合に、フリーライド的な競合者よりオリジナルの方を優先することで、情報財創出のインセンティブを損なわないようにするということだろう。
それであれば、経産省のように他人に渡すという部分で、コンテンツ提供者との競合に着目することもできるが、それ以外にも、そもそもタイムシフトでコンテンツを提供する市場でも競合が起きている部分もあるはすだ。この部分については、他人に渡そうが渡すまいが、それ以前の段階で損失が観念され得るし、ハードディスクが取り出せない機器でも、コピーワンスの下であっても損失が生じうる市場である(第7回で詳しく書いたので参照して欲しい)。
もし、JEITAが今回の甘利大臣発言のように主張するとすれば、それは理解できる。権利者側も、何が損失なのかと問われてそういう主張しかしていないのだから、それに対する反論としてJEITAがそういう主張になるのは当然だ。しかし、甘利大臣(経産省)が、JEITAと同じような主張(いや、むしろそれ以下の段階か)をそのまま述べている点は、なんなんだろうと思う。コンテンツ産業が利益回収を図る市場は一次市場だけでないこと(第7回参照)や、特許庁も傘下に抱えていて情報財の特質をよく理解しているはずの経産省の分析としては、どうかと思う。
しかも、技術的に複製制限がかけた上の話であれば仮に損失があたっとしても織り込み済みでしょ、というJEITAの主張のような二段構えであれば、私の上記の考え方への次の段階の反論になるのだが、今回の甘利大臣の発言(経産省の主張)は、それ以前の段階でとどまっているようでちょっと情けない。
※ちなみに、JEITAの主張の著作権保護技術があるから損失は織り込み済みでしょ、という部分は、ちょっと主張の要点が分かりにくいこともあって、私の意訳が入っているかもしれない。それと、そういう主張は、契約法の考え方からすると疑問もあるので、機会があれば、もう少し調べて回を改めて書いてみたい。
とはいえ、そこのタイムシフトによる損失論議はいろいろ意見が分かれるところだろうから、経産省が、いろいろ考えた上で別の意見を持っているのなら別にいい(そうは思えないが)。
下級役人としては一論客として参戦したり、ここに深入りするつもりもないので、観察者としての注目点は、むしろここから先だろう。
◆経産省と文科省は、どの利益を代弁したのか
こういうように、今回の経産省の発言は、メーカーの主張をより低次元に引っ張ってきたような感じがあるのだが、検索すると、その前の6月2日の北畑事務次官の会見もあるようで、それを見てみると、メーカー所管の経産省としてダビング10延期に対してどう思うかとの質問に対して、コンテンツ産業も情報機器産業もどちらも経産省の所管だからうんぬん、と発言している。 このときは、経産省という役所は情報機器産業だけではないのだぞ、という気概が見えていた。そのときに比べると、今回の大臣発言は、代弁している利益という点で後退しているような感じを受ける。
一方で文科大臣の見解はというと、まだ公開されてすらいないようだ。役所の中では、文科省というところは(文化庁もその一部)、どちらかというと真面目で動きが遅くて、まごまご検討しているうちに、他の役所に先を越されるというイメージがあるが、こういう大臣会見録のアップのスピード一つとっても、経産省に水をあけられているようで、今回の件を象徴しているような気がする。(だから今回の省庁合意も、どちらかというと経産省的なやり方で、中身も経産省が主導的に動いて決めたのだろう。権利者団体の反応とJEITAの反応を比べると、それが出ているような気がする)
なので、文科省(文化庁)側の見解は原典に当たっていないが、こちらも経産省と同じように、気概のなさを感じる。
過去の著作権論議を調べてみると、文化庁は必ずしも権利者団体の片棒を担いでいるわけではなくて、権利者団体から要望が来てもただちに応じるわけではなくて、関係者間協議というものに回して、相対する利害関係者の利益も合わせて調整する中立的な対応をしていたようだ。それが、今回の両省合意では、権利者団体の代弁者というような立場になってしまっている。 私のイメージでは、こういう利害調整型の制度を所管する役所では、特定の業界を代表するというよりは、一歩引いた立場から裁定を下していくやり方がぴったり来る。文化庁は文科省の組織の一つのはずだが、文科省から著作権改正要望というのを受け付けて、それを審査したりもしていたようだ。※平成16年の著作権分科会報告書より。こういう気構えが本来必要なんだろう。
※今回の件とは関係ないが、この一覧表を見ると、経産省がコンテンツ産業の所管省庁でもあるとの性格がよく表れている。
もっとも、省庁間で協議・合意する際には、お互いが双方の立場を代弁するよりは、片方が片方を代弁した方が分かりやすくてやりやすいということはあると思うので、こういった場面ではある程度やむを得ないとは思うが……
……と、書きながら思ったが、要はそういうことか。
今回の甘利経産大臣の発言は、本来の経産省の立場としてというよりは、JEITA側に立って調整をするための代弁者としての立場に寄っているということなのだろう。そう考えれば、理解できた。なるほど。
……甘利大臣の発言から少々、思いつたことがあったので、突然だが、次の書き込みに移ってみたい。
私的な複製物を外に持ち出して生じる損失という部分で、今の著作権法には、いろいろ不公平な部分がほかにもあるかもしれない。という点について、述べてみたいと思う。 |
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