下級役人のつぶやき

一言メッセージ :ロングテールと格闘する下級役人の仕事日記

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著作権

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コピー制限があれば補償金は不要?

こんにちは、今週は忙しめの下級役人です。(第13回)

 さて、前回は、いろいろなコメント欄でもらった宿題を整理してみたが、私的録音録画補償金関係が大量になってしまって、ちょっと下調べに時間がかかったが、さっそく考えたところから書き込んでみよう。まずは、「★著作権保護技術がかかっている場合の録音録画と私的録音録画補償金の関係(第10回関係)」だ。


◆まずはJEITAの主張を整理
 まず、私が第10回で疑問を感じた部分、私的録音録画補償金についてのメーカー側の主張(の一つ)を振り返ってみよう。メーカー側(JEITA)の主張は、こういう著作権保護技術がかかっていることを承知の上で、そこにコンテンツを提供するなら、その範囲内の複製による損失は承知の上でしょ、別にさらに補償金を払う必要はないでしょ(私の意訳)、ということのようだ。
 H19.5.31の私的録音録画小委員会にJEITAが提出した資料と、そのときの議事録を読むとよく分かるが、JEITAの代表委員は、こう述べている。

kamei> こちらの箱はコンテンツを世に出すリリースをした後に、利用のコントロールを選択できるというボックスでございます。リリース後にどのようにコンテンツが利用されるかということを、あらかじめある程度想定ができるというものでございまして、当然にそれを前提として利用以前のところでの契約あるいは価格設定ということも、そうでないボックス、後ほど説明いたしますが、左側のボックスに比べてよりしやすい環境であろうと思います。

 著作権保護技術が採用されていれば、その後何回コピーされるか分かるし、それならあらかじめコンテンツ提供価格に必要な分を上乗せすればいいでしょ、さらに補償金なんて必要ないでしょ、という議論だ。ここまでは非常に分かりやすい。
 その後の権利者側との意見の応酬を見ると、さらなる真意が見えてくる。まずは権利者側。

shiina> 例えば配信などのプラットホームからユーザー端末のハードウエア、ソフトウエアに至るまで一手に独占しているような事業者さんがあった場合に、その地位を利用して一定の配信価格や保護技術のレベルなどを権利者に求めて、権利者がそれを飲まざるを得ないというような場合にも、これは権利者が選択したのだから補償の必要性がなくなるということになるとすれば、それはその事業者が独占的に上げる利益が全く調整されないということになると思うんですね。(H19.6.15)

 要するに、権利者側は、権利者がコントロールできない場合だってあると反論している。確かに、iTunesなどを見ていると、価格や技術は、アップル側が主導しているだろう。

 これに対するJEITA側の反論が、法的な観点から興味深い。

kouno> 「厳しい利用制限の選択肢があるとしても市場がこの方法を受け入れなければ権利者はそうした選択ができないこと」と書かれているのですが、(中略)市場が受け入れないことはビジネスとして成り立たないわけですから、文句を言ってもはじまらないわけでして、(中略)それで他の方法を選択したのであれば、それは納得した上の積極的な選択と言えるのではないでしょうか。(H19.8.24)

 これらの一連の発言を総合していくと、内心不満に思っていたとしても承知していたことには変わりないでしょ、それならそれで意思が合致していて、合意は成立ですよね、その分の回数のコピーを納得(許諾)しているのと同じことじゃないですか、という主張のように思える。


◆コピー回数を承知の上でコンテンツ提供したら、その回数分の複製は許諾済み?
 では、コピー制限などの著作権保護技術がかかっていて、権利者からすると一定回数のコピーが生じることが予測できて、そういう場合にそれを承知でコンテンツを提供すれば、その回数のコピーは承知したことになるのだろうか?

 それはそのとおりだろう。

 例えば、ひとたび契約書にハンコを押した後で、それが不本意だったとか言ったところで普通は通用しない。不満が内心に止まっているようなら、その意思を推し量るすべはないし、実際にどういう意思があったかは、契約書として残されているものを第一に考えることが通常だろう。現実に表示された意思をもとに考えるのが、契約法の基本だ。
 実際に不満があるのかどうかは知らないが、コンテンツ提供を許諾して配信されているという事実が現実として現れている以上、コピー回数も含めて、その内容には合意があっただろうと考えられるはずだ。

 ただ、考えなければならないのは、その理屈を取る際には、その契約書に書いてある他の条項も含めて、契約書に書いてある事項(例えば対価とか)も含めて全体について合意があったと考えるのが普通だということと、一方で、決して、それ以上の意味にはならないということ。
 つまり、この契約書に書いてあること以上についても合意があったはずだ、ということは、その契約書のどこを読んでも書いていない。

 どういうことか、例を挙げてみよう。
例えば、
 一、Aは、Bに対して、100円のコーヒーを一杯飲ませてあげる。
 一、Bは、Aに対して、代わりに80円のプリンを一個買ってあげる。

という約束があったとする。一見Aが損しているように見えるが、先ほどの理屈でいけば、実は内心で不満に思っていたとしても、Aが100円のものに対して80円のものしかもらえないことを認識した上で、Aがこれで約束したのなら、両者の意思は合致している。約束として成り立つだろう。後から、実は不満だったと言ったところで、Bが約束撤回に応じてくれない限り、今更どうしようもない。

 ただ、実は、Aは損しようと思ってこんな約束をしたのではなくて、コーヒー会社Cとの間で、「C社のコーヒーを一杯売ってくれたら、一杯につき20円のリベートを払いましょう」という約束を取り付けていたかもしれない。
 そうだとしたら、別に、Aは80円のプリンをもらうことは承知していても、別に全体として損する意思があったわけではない。

 そして、このことは、上の約束のどこにも出てこない。なぜなら、上の例は、AとBとの間の約束を書いたに過ぎないからだ。
 そして、契約というものは、常にそういうもので、当事者どうしの間のことしか拘束しない。


 つまり、上の約束があるからと言って、Aは、Bとの間で100円のものと80円のものとを交換する意思があるということまでは分かっても、AはCとの取引も含めた全体として20円損することを承知の上だったのでしょ、ということは決して言えないのだ。

 ある2人の当事者間の合意内容から、第3者との関係までの全体像を確定することは、できないということは、論理的にそうだというだけでなく、民事法の世界では、大原則だ。
 (自由主義社会では、人は、自分の意思にしか拘束されないのが原則。つまり、自分は自分で約束したことにしか拘束されない、逆に言えば、自分たちの間の約束で自分たち以外の人を拘束することもできない(私的自治の原則とか呼ばれているはず))
 ※もちろん、このほかに、法令によって義務が課せられることもある。これは国民の代表たる議会で、みんなで決めたからこそ義務を負うという構成だ(本当は法令による義務については、いろいろな歴史的経緯や思想があるのだが、ここでは省略)

 ここに、私の最初の疑問点がある。

 この「こういう著作権保護技術がかかっていることを承知の上で、そこにコンテンツを提供するなら、その範囲内の複製による損失は承知の上でしょ、別にさらに補償金を払う必要はないでしょ(私の意訳)」という主張には、まさに当事者間の約束から、それ以外のことを推測しているのではないのか。

 つまり、権利者とコンテンツ提供者との間で、
 一、Aは、Bのコンテンツ、コピーは10回までという制限をかけて放送します。
 一、Aは、放送で著作物を使う対価として、Bに対して、▲▲円支払います。

という約束があったとして、ここから分かるのは、権利者Bは、▲▲円の収入が入ることと引き替えに、コピーが10回されることは承知しているということ。しかし、その約束から分かるのはここまでで、Aが別の人から対価をとるつもりがない、ということまでは分からないのだ。


◆この点を文化庁の整理では、どう取り扱っている?
 ただ、念のため書いておくが、私がここで言いたいのは、だからJEITAの主張がおかしい、ということではない。その約束があったからといって、その周辺までは分からない、確定しないということだけであって、各自がどうだったかを推測することは自由だ。
 JEITAが周辺はこうだったんじゃないの?と推測して主張することは自由だし、逆に、権利者側が、周辺はあなたの推測とは違うよと説明することも、もちろんできる。

 結局のところ、JEITAの主張がどうこうというのではなく、契約法の原則から言えば、当事者の意思は当事者にしか分からないということが原則なのに、むしろ当事者ではないJEITAの主張の方を採用したと思われる文化庁の5月8日の整理こそが、契約法の考え方からして、おかしいのではないだろうか。
 どちらかと言えば、補償金制度があるという環境の下で結ばれた合意なのなら、権利者側の言い分の方が、通りやすいような気もする。

 ※「エンドユーザーから見た著作権(2008.6.19)」で教えていただいた昨年10月の私的録音録画小委員会の中間整理(p.113-114あたり)の段階では、確かに私が述べたようなことも認識されているようだが、いつの間にか、その部分は抜けてしまったようだ。中間整理から1月の文化庁試案までの間に、どうしてそこが抜けることになったのか経緯はよく分からない。

 どうだろう?


◆次回の予告
 とは言っても、ここまで読んだ方でお腹立ちの方がいたら、念のため書いておくが、まだ先がある。

 権利者側の主張のとおり、ではそのまま補償金をメーカー・消費者から徴収するとの心づもりがあっただろうということが言える(損失が織り込み済みでしょとは言えない)として、その心づもりが正当か不当かというのは、実は、また別の議論だ。

 次回は、補償金を徴収できるからこそ、不満があってもこれこれの条件(コピー回数や価格)でコンテンツを提供しているのだ、という権利者側の心づもりに正当性があるのかどうかを、思考実験してみよう。
 さらに余裕があれば、消費者負担との関係の議論にも入っていくかもしれない。

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