IT戦略本部のフェアユース議論・2
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こんばんは。下級役人です(第35回)。 今回は、第34回からの続きです。IT戦略本部の専門調査会でフェアユースの議論についての感想を書いていたところです。IT戦略本部の委員と文化庁等との間で、権利制限の一般規定について議論されているものの、どうも話がかみ合っていないようで、IT戦略本部の委員が求めているものは、法規定そのものではなくて、その前段となる価値判断基準の定立なののではないか、というところで前回は終わっていた。 ◆なぜ間接侵害の議論が出てくるのか さて、私がIT戦略本部の議論を聞いていてそのように感じたのは、次のような点からだ。 ・まず単純に、委員自身がアメリカ型の規定のようなものは作れないのかと聞いている点。(アメリカのフェアユースが、単純な法規定ではなく、衡平の原理によって法の欠如部分を補う性格があることは、第24回の後半で述べたので参考にして欲しいが、そういう性格の規定にならえないのかと発言しているということ。) ・そして何より、間接侵害(著作物の利用主体論)の関係と思われる事例が言及されること。 前者はそのままなので省略して、後者について詳しく説明してみよう。 間接侵害については、著作権の世界では、直接行為者でない者に対して侵害の責任を問うていく問題が特にクローズアップされているのは、皆さんご承知のとおり。物理的に行為をしているかどうかではなく、実態を見て実質的にその行為の効果がだれに属するのかを見て規範的に行為主体を判断していくという点では、この問題は、いわゆる手足理論に見られるように、権利が強まる側面だけでなく、権利制限の恩恵を受けられる者の範囲が広がる面もあるのだが、昨今の放送番組の転送サービス等をめぐる判決もあって、著作権法が時代遅れのものだという批評の象徴のように扱われることが多いようだ。 この問題は、権利制限規定の種類が増えるかどうか(一般規定も含めて)という議論とは局面が違って、例えば個々人には権利制限の一般規定が適用されても、それに場を提供している事業者は権利侵害になるという場合もあるはずなのだが、フェアユース規定がないことの不都合の例として、間接侵害(著作物の利用主体)が議論になった事例が混ぜこぜに挙げられることがまま見受けられる。 で、フェアユースをめぐる議論の中で、この間接侵害についての議論が何度も指摘されるのが何故なのか気になるのだが、思うに、これは単に関係者が無理解だということではなくて、それなりにその人たちの問題意識を反映したものなのかもしれない。 そういう目で見て考えてみると、前回、今の法制の考え方は、立法のときに想定されていない事象が起こったなら、その時点で存在する規定の中で、より使いやすい規定をあれこれ使って妥当な結論になるように工夫するのが流儀だと書いたが、そういう文脈では、確かに、フェアユースも間接侵害(著作物の利用主体)も、同じ土俵に乗ってくる部分がある。 ◆フェアユースと間接侵害の共通点 より詳しく言うと、間接侵害というとカラオケ法理がすぐ思い浮かぶ。既存規定を形式的にそのまま当てはめたら権利侵害に該当しなさそうなケースではあるが、そのままの結論を妥当だと考えなかったのだろう、あれこれ理屈を駆使して新たな規範を打ち立てて(大渕哲也教授は、判例百選の解説の中で「苦肉の策」と表現している)、条文に特にそのような規定はないが、誰もが存在を無視できない既存の規範として認識されている。既存の条文で解決が困難な場合に、関連の規定を使って型どおりでない結論を導くという前述の考え方の一つの表れだ。 そしてフェアユースについても、IT戦略本部の委員が求めているのは、既存の規定では妥当な解決にならないという事態が生じないようにするということだし、彼らが言及するアメリカ型のフェアユースにはそういう面があるので、そういう点で同じ性格の一面があるということだ。 そういう点に着目してみると、関係の報告書からもそれっぽい材料がパラパラ目についてきて、著作権分科会の報告書(p.29)でも、権利制限規定が柔軟に適用されて型どおりでなくフェアな結論を導いたとされる例が挙げられていたり、逆に、その前段の調査研究報告書(p.22)には、アメリカのフェアユースの法理も、与えられている権利が少なかった当時、フェアユースに該当しないことを証明すれば、条文に権利が与えられていない利用行為であるのに差止が認められるという権利強化の方向に作用したと述べられているし、既存規定の型にはまらない結論を導くという点で、権利制限(フェアユース)と間接侵害との間には、単純に局面が違うということで分けてしまうと見失ってしまう共通項がある。 それで、ようやく前回の最後に述べた部分に戻るのだが、こういう判決で既存の規定からちょっと離れた結論が出てくる場合には、その根拠づけの部分の前段に、既存の規定をそのまま当てはめた場合の結論が不合理かどうかという裁判官の価値判断があるはずだ。権利制限規定を拡張的に適用したケースの話だけでなく、権利強化の方向性のケースも同様で、カラオケ法理が示されたクラブキャッツアイ事件にしても、批判が集中するMYUTA事件にしても、その裏には、それを非侵害とすることが著作権者の正当な利益に不合理な影響を与えるという価値判断があったのだろう。だが、根拠とできるはっきりした権利規定がないから、無理にいろいろ構成して侵害を認めたという印象がある。 ◆間接侵害とフェアユースと価値判断基準 いずれにしても、フェアユースの議論の中で、間接侵害関係の事例が問題になるということは、こういう前段の価値判断部分に問題意識があると考えないと、なかなかつながってこないのだが、こういう観点で価値判断部分に着目した場合、関連の事例について、なぜあのような結論を採ったのか、その価値判断基準がどいうものだったのかに興味が湧いてくる。 極端に仮論してみると、MYUTA事件の結論が妥当かどうかは別として、これらの間接侵害をめぐる問題は、フェアユース規定がないから生じた問題なのではなくて、むしろ、アメリカのフェアユースの考慮要素と類似の要素が考慮されてあの結論になった可能性だって考えられる。具体的には、MYUTAのサービスが著作権者側が提供する可能性のある潜在的な提供市場とぶつかっているかどうかという点が考慮されて、非侵害とすると不合理だと判断されたのではないか、ということだ。(もちろん、あくまで可能性の話で確証はまったくありません) ※CDと携帯電話向けとで、別ルートでコンテンツを提供する、という仕組みを保護しなければならないかという価値判断は、異論はあり得るだろうが、プレイスシフト、持ち歩きしやすい、との差によって価値が大きく違う時代であれば、そういう別ルートでの提供のビジネスを保護することはあり得ないことではない。……もっとも、数十年前と今とでは状況も違うだろうし、価値判断は状況によって変わり得る。あの事件も4〜5年前でなく、今であったら結論も違ったかもしれない。 ※ちなみに、著作権者側の提供市場とぶつかるという基準はわかりやすいのだが(ベルヌ条約のスリーステップテストでも入っているし)、コンテンツビジネスと言われるものの中でも、コンテンツ自体の提供で収益を取るモデルと、コンテンツ自体をタダにして集客による広告収入を取るモデルが両方あると、どうしても両者は衝突する。後者が出てくると前者のビジネスは絶対に勝てないから、後者にはライセンスが出されないことになる。IT業界が目指すビジネスモデルが後者に偏っていることが、問題を難しくしている面もあるのだろう。……余談だが。 数々の判決で、フェアユース的な考え方・判断基準ははっきりと明示されていないものの、その価値判断部分には、同様の考え方が底流している可能性はある。そんなこんなをぼーっと考えていて、IT戦略本部の委員がフェアユースの議論の中で間接侵害についてもいろいろ議論に載せてくるというのは、権利制限の一般規定を題材に話をしているように見えて、実は、これらの条文に表れていない部分についての価値判断基準をはっきりさせろと言っているように思えてきたのだ。(……まぁ、ただの私の思い過ごし、考えすぎなのだろうが、このことは上野達弘先生がフェアユースが必要だと主張されていた問題意識とも重なる。) ということで、IT戦略本部の議論を受けて対応が必要なのだとすれば、それは単なる権利制限規定なのではなく、その解釈の指針、判断基準なのではないかと思われる。文化庁の権利制限案は、あれはあれで必要だと思うが、本当に価値判断基準が欲しいなら、その立法とは別に、学者たちが考えて広めていくのが早いかもしれない。今後の関係者の議論の動向を見守ってみたい。 ※なお、これを立法しようとなると、難しそうだ。解釈規定を置く方法や、あるいは解釈の指針となる目的規定(1条)を変えるという手もあるが、著作権の淵源については、人格権説とか、財産権説、労働権説等々いろいろあるし、大陸法系の著作権法からスタートした我が国で議論すると、フェアユースの考慮要素とは別の解釈指針とかが出てきそうで、かえって収拾が付かなくなるかもしれないとも思う。 ……以上、とりとめもない感想でした。 ◆蛇足・法律解釈についての風評 上記でMYUTA事件について言及したが、関連では、先週も1月の最高裁判決をめぐって池田信夫氏の「MobileMeもDropboxも違法である」等の記事が、ツィッターをはじめ、あちこちを賑わしていたようである。ぱっと読んでも……これ大丈夫か?と思うような眉唾ものの風評が、次々に広がっていっているような危惧を感じる。島並良教授などが抑制的に解説してくれているようなので、それが広まることを期待したいが、こういった風評というものは実に怖い。 例えば、IT系学者・技術者たちの法律解釈には、物理的・技術的な現象に引きずられる傾向があるか。目の前で起こっているコピーという現象が、法律でいう複製に当たるかどうか、場合によっては複製というに値しないという結論になることは、彼らには馴染めないようで、自ら複製が起こっているのだと、著作権侵害だと主張して、風評を流して、自らの首を自ら絞めて法改正を求める独り相撲が起こる。 条文に書かれている要件について、法律家なら言葉には幅があるし、それを様々な適用場面に応じて規範的に読んでいくという習慣があるが、馴染みのない方にとっては、その解釈という作業が理解しがたいようだ(もっともだが)。 実際に訴訟の場面、法務の場面に関わらない人の法律解釈や風評によって、ビジネスが萎縮していくことは、もったいない限りだ。法律家の人たちの適確な情報発信に期待したい。 ……以上、蛇足でした。
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車での長旅お疲れ様。
Twitterをたどってここに来ました。
来たからには、何が書いてあるか読むべきだろうと思って読んだ(34,35回)は良いが、バックグラウンドのない悲しさか、ほとんど理解できず。そこで素人質問を一つ。著作権は権利であるならば、義務を伴うと考えたくなるんだけど、権利保有者にかけられる義務はあるの?あるとしたらどんなもの?
2011/4/3(日) 午前 0:15 [ いとー ]
どうも─。ツィッタ─の方でコメントしてくれるばいいのに。まぁ、そっちでよろしくです〜。
2011/4/6(水) 午前 1:52 [ 行路 ]