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その4.日英抑留者交換船で帰国。
昭和17年8月はじめ、夢にまで見ていた抑留所出発が実現し、残留者の羨望と呪詛の眼に送られ、ニュ
ウデリーを出発し、再び軍用列車でボンベイにたどりついた。
久し振りに見るボンベイの港には戦艦、巡洋艦や輸送船などがひしめいて、戦時色一色であった。
日英両国の抑留者は、中立国であるポルトガルの南アフリカの植民地モザンピークのロレンソマルヶスと
いう港で交換されることになった。
そして、ボンベーより、ロレンソマルヶスまでは英国船、ロレンソマルヶスより日本までは日本船が配船
された。
昨日までの抑留所生活におさらばして、久し振りに手持ちのスーツに身を固め、英国船プリンスオブパリ
ス1万トンに乗船してみると、なんと一等船客の待遇であった。
山羊の肉お臭いシチューを食わせられた身が、今日はシャンデリア輝く一等船客の食堂で豪華な食事とス
コッチウイスキーやフランスワインのサービスであるから、正に頬をつねって現実をたしかめ、昨日に変
わる大名気分を満喫した。船はボンベイ港を出ると、アラビア海を一路西に向かい、アフリカ沿岸を目指
して進んだ。天候は快晴で、インド洋の船旅はまことに快適であった。
そして数日後、アフリカ沿岸に達した。そこで南に転じ、南下を開始した。
其のある日の午後、突如前方の水平線から爆音を轟かせ、艦載の英軍戦闘機が猛スピードで飛来した。
本船の上を旋回し始めた。
交換船は日英両国と中立国が協議して決定したものであるから、通常は攻撃されないわけだが、何分にも
激戦中の第一線であれば、なにかの間違いでいつ戦闘に巻き込まれるかわからない。
あわてた本船が、英国船である旨の信号旗を上げると、なおの執拗に旋回していた戦闘機は、やっと納得
したものか、もとの方向にもどっていった。
そのとき、水平線の彼方に巨大な英国船団が前後を巡洋艦、駆逐艦に守られて近ずいてきた。
輸送船はオーウストらリア航路の3万トン4万トンの巨船で、快速力で我々とすれ違つて、いった。
当時ボンベイはアジアにおける英国の兵站基地であったから、おそらく人員や兵器を輸送していたのであ
ろう。
珍しい鯨やイルカの大群を眺めながら、マダガスカル海峡を南下し、8月の末にやっと目的地のロレンソ
マルケスに到着した。
南アフリカの沿岸は、荒波の海から数百メートル切り立った断崖で、雄大な眺めである。
その割れ目のような湾の奥深く進んだところにあるのがロレンソマルケスで良港であった。
我々待望の日本船は日本郵船所属の竜田丸2万屯で、すでに到着していた。
久し振りに見る日の丸を挙げた日本船を見ると、全員はやれヤレこれで日本に帰れるぞと万歳を叫んだ。
中立国のポルトガル領であるから、上陸も自由で、久し振りに街に出て買い物などして行動の自由を満喫
した。
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