旅師の独り言

こころがうらぶれた時には旅に出る。地球の片隅で大地の声にそっと耳を傾ける。.

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1.天は蒼蒼

1.天は蒼蒼

勅勒歌
勅勒の川陰山の下
天は穹廬に似て四野を籠蓋す
天は蒼蒼野は茫茫
風吹き草低れて牛羊を見る

「勅勒歌」は唐の時代、陰山山脈の北麓で遊牧生活を営んでいたトルコ系民族「勅勒」の民謡を、勅勒の有名な将軍・斛律金が漢訳したものと伝えられている。「勅勒歌」は私の高校時代の教科書に載っていたが、「天は蒼蒼野は茫茫」といった日本にはない茫漠たる景観と、読み下し文の語呂の良さとでたちまち好きになった。詩の大意は以下のとおりである。

勅勒の草原は陰山山脈の麓に横たわり、大空はゲルのように半球状にゆったりと大きく四方の野を覆っている。
空はどこまでも青く、野原は果てしなく広がっている。
風が吹いて草が低くなびくと、平原のあちこちには放牧された牛や羊の姿があらわれる。

イメージ 7

首都ウランバートルを一歩でも外に出ると、この詩のような茫漠たる景観は今もほとんど変わらない。モンゴルは日本の国土の約4倍もの広大な国土面積を持つが、その国土のほとんどが草地なのである。
21世紀の文化はモンゴルにも確かに押し寄せて来てはいる。車やオートバイを所有している遊牧民も多い。多くのゲルには太陽光発電のパネルが設置され、蓄電池にためた電気で夜間の照明とテレビ視聴ぐらいは可能になった。保温ポットやカセットコンロはほとんどのゲルに見られた。
しかしそれにもかかわらず、移動可能な組み立て式住居・ゲルに住み、家畜から得られる毛や乳や肉を生活の糧にして生きているという形は、千年前も今も変わらない。

イメージ 8ゲル。ソーラーパネルや衛星放送アンテナ、オートバイなどが見える

ここで「遊牧民」という言葉について触れておこう。遊牧の「遊」を「遊ぶ」という意味にとって、遊牧民は気の向くまま家畜を追って気軽な暮らしをしている民と勘違いしてはならない。遊牧の「遊」は遊撃手の「遊」と考えるべきだ。遊撃手は二塁〜三塁間の守備はもちろん状況によって三塁や投手のバックアップも行う。守備範囲が広く最も難しいポジションといわれている。「遊」は移動するという意味なのである。
国語辞典には、遊牧の解説として、「定住せず、牛や羊などの家畜とともに水や草を求めて移動し、家畜を飼養する牧畜形態」とあるが、これも誤解を招きかねない。モンゴルの遊牧の場合、夏営地、冬営営など季節によってゲルを営む場所は大まかに決まっており、自由気ままに移動しているわけではない。春夏秋冬の4回ゲルを移動させる場合もあるし、夏冬の2回しか移動しない場合もある。
最近は移動の回数が減っているという報告もある。遊牧という言葉に代わって移牧という 言葉を使った方が良いという学者もいるのである。

イメージ 9ガイドのエギー

今回の旅には、日本語が話せるガイド兼炊事係とロシア製ミニバンを運転する運転手を雇った。泊まるところは遊牧民たちのゲルである。観光化が進むモンゴルでは、各地に観光客専用の宿泊施設が設置されつつある。洋式のトイレやシャワーが完備され、レストランや売店を中心に宿泊用のゲルが円を描くように配置されている。
しかしあえてその土地で牧畜を生業としている地元民のゲルに泊まらせてもらうことにしたのは、モンゴルでの牧畜の様子を少しでも身近に観察したかったからである。日本でいえば、農家や漁師が経営する民宿に泊まりながらの旅といったところである。

モンゴルでは、羊、山羊、馬、牛(ヤクを含む)、ラクダを五畜(タブン・ホショー・マル)という。そして生活している土地の乾燥度によって、これらの五畜をうまく飼い分け、主力となる家畜の種類を決めているように見える。
すべての家畜飼養頭数は2009年で4300万頭(モンゴル国統計年鑑)で、羊4,山羊4,牛と馬がそれぞれ1ぐらいの比率である。ラクダは1パーセントにも満たない。モンゴルの人口が約270万人であるから、家畜の数は人口の16倍もあることになる。

イメージ 2 ウマ
イメージ 3 ウシ
イメージ 1 ヒツジ
イメージ 6 ヤギ
イメージ 5 ラクダ
イメージ 4 ヤク

モンゴルは、東側が大興安嶺、西側がアルタイ山脈で仕切られ、北側はハンガイ山脈を経て草原ステップ帯がパイカル湖につながり、南側はゴビ沙漠で中国と接している。緯度でいえば北海道と同じくらいであるが、国土の平均標高が1580メートルと高原で、短い夏は草花が咲き乱れ、避暑地を思わせる爽やかな風が吹き抜ける。しかし冬は一転して零下20度や30度は当たり前という厳しい寒さに襲われる。ウランバートルの1月の平均気温はマイナス22度Cで、世界一寒い首都と言われる。
モンゴルの気候のもう一つの特徴は乾燥である。海から遠いため湿気が届かず、年間の平均降雨量は300ミリ程度しかない。湿気はもっぱら北の北氷洋からの低気圧によるものだ。従って北側が割合乾燥が緩やかで針葉樹林帯が広がるのに対し、南側はゴビ沙漠となって乾燥が激しい。

イメージ 10 北部の針葉樹林

イメージ 11 南部のゴビ沙漠


家畜の中で一番乾燥に強いのがラクダ、次に山羊や羊、牛はもっとも乾燥に弱い。馬は南ゴビ沙漠の乾燥地帯から、中部の草原や北部の針葉樹林帯まで幅広く分布している。これは馬が乗り物として重要な役目を果たしているからであろう。また馬の所有は富や権力の象徴としての意味も持っているらしい。

イメージ 12 ゲルの内部.馬乳酒をふるまわれた

今回の旅で一番頻繁に見られ、また興味を引いたのが家畜の乳搾りである。モンゴルでは、乳製品のことを「白い食べ物」という。
これに対し「赤い食べ物」とは、肉料理を意味する。乳の出の多い夏は白い食べ物の季節だ。
遊牧民たちは生乳を飲まない。搾った乳は加熱、撹拌、静置、分離、濾過、発酵、成型、乾燥などさまざまなのプロセスを通じて加工され、60種類とも言われるほど多くの乳製品になる。代表的なもので、私も旅の最中に何回もご馳走になった乳製品をあげれば、クリーム状のウルムや固形状のアーロール、飲料のアイラグ(馬乳酒)などがある。
乳製品の加工の過程はじっくり腰を落ち着けて観察する機会がなかったが、搾乳の作業にはたびたび出くわした。家畜の種類によって、少しずつ搾乳の仕方や乳の利用方法が変わっていることに大きな興味を覚えた。

何気なく行っている搾乳や乳製品作りが、遊牧民としての長い歴史に裏打ちされた高度な牧畜技術の一環であることに気付き、家畜を追ってのんびりと人生を送るといった遊牧民に対する単純な私の先入観、あこがれ感は大幅に修正されることになったのである。

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