旅師の独り言

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芦川北稜を辿る

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芦川北稜を辿る

芦川北稜の峠道を訪ねる

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前号で書いた「山の神」は、甲府盆地の南縁に横たわる御坂山塊から派生する長い尾根上に位置しています。
「甲斐の山々」の著者小林経雄さんの文章を借りると、「甲府盆地の南側に芦川という川がある。(中略) 芦川の北側稜線は、御坂黒岳から分岐して釈迦ヶ岳・春日山・滝戸山・浅間山などを起こし、身延線芦川駅の東方で消滅する。その間に芦川の谷から甲府盆地へ越える峠は十を越えるが、中でも若彦路が越えていた鳥坂峠と中道往還が越えていた右左口峠は重要であった」という尾根です。

「山の神」を尋ねたついでに、大峠から芦川駅まで、この尾根の一番東側寄りの部分を歩いてみました。鳥坂峠や右左口峠は甲斐の国と駿河の国を結ぶ官道で、今は車が通行可能な立派な道路になっていますが、私がこれから辿る大峠や桜峠は車がなかった時代の地元の人たちの生活道路です。いまは廃れてしまって、一部のハイキング愛好者を除き、訪れる人もいないと思われます。
豊富村教育委員会が編纂した『曽根丘陵地帯の豊富村』には「用無き峠路は荒れ放題、その所在すら不明になりがちの今日である。今や全山が森閑落莫として時に妖気さえ漂うほどに陰惨で、人間臭は更になく原始の林相をさえ呈している」と郷土の峠に対する想いが吐露されています。

山の神社の脇には山梨県林務部が設置した「峠道文化の森」の看板があります。
『峠道文化の森は、往時、人々の暮らしに深く結びつき、地域の固有の文化を育んだ里山の峠道とその周辺で大切に守られてきた大樹や森に着目し、設定したものであります』と書かれています。
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その脇には熊出没注意の看板もありました。山梨県の熊の生息数は約400頭と推定されています。2006年に97頭の熊を捕殺、絶滅も懸念される中、出会えればラッキーかもしれません。
そうは言っても、今の時期は交尾期で雄グマも雌グマも行動が活発になり、緊張状態が続いていて、遭遇した場合、襲われる危険性が高い。特に子グマを連れた母グマは、雄グマから子供を守る必要があるので、非常に警戒心が強く、かなり攻撃的だとか。
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さて、山の神本殿を後にして、ほぼ真南に大峠へ向かいます。ここから先は本格的な山道で、あまり人が歩いていないことから踏み跡も定かではありません。落ち葉が積もっていてどこが道か分かりにくいのですが、回りの地面から凹状に窪んだ様子で、かつてここを多くの人馬が行き来した跡だということが分かります。

少し登ると桜峠という手製の小さな道標が立っています。
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今日目指すのはこの桜峠ですが、地図で見ると大峠はここより少し登ったところですから、そこまで寄り道することにしました。気持ちの良い新緑の林を10分ほど登りつめて、平らな広い尾根上に出ましたが、どこが大峠なのかさっぱり分かりません。
そのまま西南に尾根伝いに進みますと、尾根上を更に進む道(高萩方面)と小さな沢を越えて東北に向かう道(三張方面)の分岐点があります。国土地理院の地図と先ほどの「峠道文化」の案内板では、この三叉路に「大峠」の地名を付けていますので、ここが大峠と勝手に認定しました。
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イメージ 5  (大峠付近の尾根道)

豊富村教育委員会が編纂した『豊富村の地名考』には、『山の神神社境内をさらに登り、鳩口日向を通り、精進場に達する。ここが頂上で、三珠町との境界でもあるが、六根清浄と登りつめた地、すなわち精進して登り極めた端の意味と解される』という記述があります。「鳩口日向」がどこか分かりませんが、「精進場」が「頂上で、三珠町との境界」という記述から、地図上の大峠を南南西に少し過ぎた標高912メートルの緩やかな平らのピークを指すのではないかと推測されます。

また、「甲斐国志・巻ノ二十六山川部」に「大鳥居嶺 上大鳥居村ヨリ登ルコト三十四町、八村入会山界ナリ。又東嶺トモ云フハ西方弓建嶺ニ対セル名ナリ」という記述があります。

「嶺」というと山の頂上と思われがちですが、昔は「峠」の意味で使ったこともあるようですので、大鳥居嶺は大峠のことと考えていいでしょう。例えば北国街道の難所である木ノ芽峠は木嶺と呼ばれていました。
そうすると、これから向かう尾根上にある838mと664mのピークの鞍部が弓建嶺ということになります。弓建嶺からは芦川沿いの中山部落に降りる道が今でも地図に残っています。

また「大鳥居・弓建二嶺ノ間ニアリ其ノ南面ハ中山ニ属ス」という記述から、838mのピークは三ツ俣尾山ということになります。

歴史に詳しいわけでもなく、シルクの里の中にある豊富郷土資料館の書籍を少し漁っただけですので、確信があって書いているわけではありません。地元の方で詳しい方がおられると思いますので、いずれ訪ねてみたいと思っています。

いずれにしても、この辺の峠は芦川沿いの人たちが、薪炭や山の幸を持って盆地に向かい、それを売った金で生活物資や食料を買い込んで戻るために、かつては頻繁に人々が行き来していたのでしょう。

「角川日本地名大辞典19 山梨県」には大峠より少し東の関原峠に関する記述がありますが、そこには「笛吹川の水運を利用して鰍沢方面との往来が多かった。また村の東部は関原峠を越えた三張村・下芦川村と笛吹川右岸の巨摩郡乙黒村とを結ぶ道筋であった。(中略)当時は渡舟で笛吹川対岸とつなげられ、富士北麓と甲府盆地を結ぶ一道筋といして利用された」とあります。

また峠の北側の人たちにとっては「南部の山地・入会地では薪炭造りや堆肥用の草刈が行われた。山地のうち大鳥居嶺・弓建嶺は、8か村の入会地であった」ので、多くの村人が出入りしていたと思われます。

芦川北稜を辿る

さてだいぶ道草を食いましたが、大峠辺りから西北西の方向に降りていけば芦川駅方面に向かう尾根に出られるはずと地図で見当を付け、磁石を参考に落ち葉を蹴散らしては落葉樹の森の中を適当に降りていくと、程なく明瞭な山道に出会いました。

大峠からこの道を降りきった地点が三ツ俣尾山との鞍部で、曽川の方(古宿)へ南に下る道が合流しています。少しそちらの方へ行ってみましたが、すぐに川の流れの音が聞こえます。
またこの鞍部には小さな水溜りがありましたが、イノシシのヌタバでしょうか。
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(イノシシが転がりながら全身に泥を塗る場所をヌタバと言いますが、苦しみあがくという意味の「ぬたうちまわる」からこの言葉が生まれたそうです。今まさにイノシシがのた打ち回ったような茶色く濁った泥水です。

さてここで道に迷ってしまいました。稜線伝いに三ツ俣尾山に向かって登っていけばよいのですが、左手奥の木に下がっている赤い目印を信用して、そちらに向かってしまいました。しかし道は稜線を離れて左側の沢に降って行きます。なおもある木々の梢に縛り付けてある赤いテープを信用して進んだのですが、あまりに降る様子なのでおかしいと気づきました。山仕事の人たちの目印だったのでしょうか。
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しかし道に迷ったおかげでいい物に出会いました。エビネです。エビネはいまや環境省で絶滅危惧種に指定されているほど貴重な花です。「日本が世界に誇る最も魅力的なラン」といわれ多くの愛好家がいるため、密かに乱掘されて少なくなってしまったのです。「妖艶な森の美女」は眺めるだけに留めておきましょう。すぐ近くにはホタルカズラも咲いていました。
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気を取り直して、尾根を目指して上り直しです。先ほどの鞍部では、北側の山蕗の群生の辺りの尾根の右側を忠実に辿ってゆけば間違いがありません。
 
三ツ俣尾山の山頂は展望はありません。木の幹に手製の山名板が打ち付けてありました。838mの三角点は山頂の少し先の尾根道上にありました。
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ここを少し降っていくと見事な赤松の林の中を通ります。
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北側の斜面の木が伐採された尾根から南アルプスや甲府盆地が良く見渡せます。
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更に尾根筋を降ってゆくと林道大鳥居線の広い車道にぽんと飛び出しました。
ここがかつての弓建嶺でしょうか。通行止めですが、立派なカーブミラーもありました。
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弓建嶺には甲斐国志の中に面白い記述があります
「本村ノ西南ニアリ山南ヲ中山ニテハ弓張ト云フ。亦タ八村入会山ノ界ナリ。山頂一層高キ処ニ松林アリ。伝ヘ云フ浅利ノ与一一日此ニ射猟シテ北方一町畠ノ田間ニ白鷺ノ啄バムヲ臨眺シ乃チ一発シテ殪ス。行テ之ヲ検スレバ白衣ノ老婆跼行シテ田螺ヲ拾フナリキ。此ノ間径直凡ソ一里許リナリ。後人石弓ヲ造リテ此処ニ建テ与一ノ石祠ヲ置テ以テ表トスト云フ。」

山道はこのカーブミラーの脇を入ってゆきますが、さらに西進すると古びた石祠に出会いました。石祠のまえに張られた縄にさがる御幣はまだ新しく、さらに脇には一升瓶の酒が奉納されていました。甲斐国志に記述のあった石祠かもしれませんが、まだ信仰する人がちゃんといて、ここまでお参りに来るのです。
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石祠から少し行くと潅木の荒地に出ました。地図にも荒地の記号がこの辺りから西に広がっています。恐らく焼畑の放棄されたものではないかと思われます。焼畑は昭和30年ごろまでは盛んに行われ、粟、稗、蕎麦、大豆、小豆などの雑穀を栽培していた記録が残されています。
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焼畑は雑草などが進入してくるため3年ぐらいで放棄し、場所を次つぎと変えながら続けられますが、今の時代にここを再び畑として使う人があるとは思われません。

昭和15年に出版された日本山岳案内には「櫻峠から浅間山辺りの尾根筋一帯は、最近は麦畑も作られてあり、晩春頃この辺りで、黄金色に波打つ麦畑の傍らに腰を降ろして、夕霞の一面に延びて行く盆地を見ていると何とも云えない気持に襲われる」とあります。

この荒地は尾根の北側の杉林の中を迂回し、目の前の浅間山と呼ばれる594mの山を目指します。浅間山の少し手前で尾根の右に入ってゆく道がありましたが、「みたまの湯」から延びてきている林道に降りる道です。桜峠はこの辺だと思われます。

「甲斐国志」には「櫻嶺 弓建嶺ノ西ニアリ大塚村ヨリ中山ヘ踰ル山路ナリ。上下一里余昔時嶺頭ニ桜樹多シ。花時奇観トス。因テ名ヅクト云フ。今枯株ダモ存セズ唯一小樹ノ淡紅花ヲ発スルアリ。好事ノ者嘗テ芳野ヨリ移植スト云フ。又一大榎樹アリ。其下ニ浅間ノ祠ヲ安ズ」と記載されています。

櫻峠から広い荒地の尾根を少し行けば浅間山です。浅間山からは芦川南稜の向こうに富士山が顔を覗かせています。たおやかな山頂には浅間神社の石祠や富士講の石碑が立っていました。
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浅間山と544mのピークとの鞍部には林道桜峠線が延びてきています。この林道を突っ切り544mのピークの北側を辿れば目指す芦川駅は直ぐそこです。

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開設日: 2008/12/2(火)


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