向陽台青空スポーツ少年団のブログ

運動はもちろん、自然と親しんだり、家事をしたり、親子の体験活動等を通じて、こころとからだの健やかな成長を目指します。

福島県民お断り

宮城県女川町に住む中学生の体験談と思いが綴られた作文です。
できるならば、このような理不尽なツライ思いはさせたくない。
しかし、この学生は、女川の人々のやさしさやチカラ強さに支えられ、自らの歩む道しるべをみつけたようです。
普段の生活や言動の中で、私たちが学ばなければいけないことが、たくさん含まれた作文を是非お読みください。


「福島県民お断り」。
イメージ 1
 
それは、福島県民の私に大きなショックを与えるものでした。
小学校三年生まで、私は福島県南相馬市で生まれ育ちました。
南相馬といえば野馬追が有名で、昔からの歴史を大切にしてる町です、
私は、そんな南相馬の町や人が大好きでした。

しかし、五年前、東日本大震災の影響で原子力発電所が爆発し、全てが変わりました。
放射能の影響から、南相馬市は一夜にして人の住めない町になってしまいました。
この事故の影響で、私は家族と一緒に、親戚がいる栃木県に避難することになりました。
ところが、その途中に寄った店で、とても衝撃的なものを見てしまいました。
それは、駐車場に停めてあった車に、

福島県民お断り
 
と書かれたステッカーを貼った車があったのです。
私はそれを見て、これからのことが不安だったこともあり、
「え?」とただただパニックになり、
意味を理解したとき、悲しい気持ちになりました

しかし、被災した方々のために、
直接届けてにきてくれた人に向かって
どうしてそのような心ない言葉が言えるのだろうとむなしさがこみ上げてきました。

結局、その場所では物資は受け取ってもらえず、別の場所で受け取ってもらったそうです。
この話を聞き福島県の風評被害は今なお続いているのだと恐ろしい気持ちになりました。
同じ日本人なのに、どうして福島県から来ただけで、このような酷い言葉をかけられなければならないのでしょうか。
私が育った町や人が否定されるならば、私の今までの人生までも否定されている気がしました。 

震災後、私は自分の気持ちを人に話すことが苦手になっていました。
「福島県民だ」という周りの人達の視線がとても気になったからです
しかし、そんな私の心を新たな出会いが変えてくれました。 

小学校五年生の時、私は宮城県の女川町に引っ越してきました。
見知らぬ土地での生活はとても不安で、これからどんなことが待っているのか心配でたまりませんでした。
また「福島県民だ」と悪者扱いでもされるのかと思っていました。
自己紹介を終えて指定された席に着くと、周りは男の子達でした。
するとその中の一人が、私に「福島から来たんでしょ?」と聞いてきました。
私はその質問にひどく動揺し、この後何か言われるのだろうかと思いました。

しかし、聞こえてきたのは私の想像するものではなく「大変だったね」という気づかいの言葉でした。
他の子達も
「友達にならない?」「一緒に遊ぼう」
などと、とても優しく接してくれました。
女川町もまた、震災で大変な被害を受けました
 
友人の中にも、津波で家や家族を亡くした人がたくさんいました。
それでも、明るく毎日を過ごしている友人を見て、女川の人たちの力強さを感じました。

同時に、苦しい思いをしているのは自分だとばかり主張して、
ふさぎ込んでいたのが「なんだこの人達の方が辛かったんじゃないか」
と思い、自分が情けなくなりました。
女川町の人達は、本当に強い人ばかりで、何度も助けられました。

私がここまでの体験で感じたこと、それは「偏見」と「共感」です。
「偏見」とは、自分の勝手なものさしで周りのものを判断することです。
相手の気持ちを無視した、とても自分勝手な行動だと思います。
みなさんは、人と関わるとき、偏見を持って接することはないでしょうか?
 
「あの人はテストの点数が悪いから頭が悪い」や「あの人は口数が少ない人だから暗い人だ」など、ちょっとした偏見で他人を見ることは誰にでもあることだと思います。
しかし、その偏見が無意識のうちに人を傷つけるということを忘れてはならないと思います。

逆に「共感」とは、相手のことを思いやり、相手の立場に立って行動することです。
私が女川に来てから、私の心に寄り添ってくれた友人たち。
私の痛みを自分の痛みとして捉え共に乗り越えようとしてくれたことにとても感謝しています。
だからこそ、自分もまた、傷ついている人がいたら共感し、手を差し伸べることができる人間になりたいと思うようになりました。

私は将来、自分を救ってくれた人達のように、苦しむ人の助けになりたいです

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

青空キッズ最終回

半年間、未就学の子どもたちはプレイフルネス運動遊びを体験し、

たくさんの笑顔に包まれて最終回を迎えました。

「プレイフルネス運動遊び」とは ⇒

https://m.youtube.com/watch?v=XPIK5cFK-_U&feature=youtu.be

イメージ 1

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

大切な命を失って

失った3人のお子さんの大事な命を通して、あらためて生きること、
防災のこと、たくさんのことを教えてくれる『有り難う』100%の遠藤さんご夫妻。

 明日の活動で、みんな読ませていただきます。

NHKラジオで聞いたよ、と たくさんの方から連絡をいただきました。
七回忌前日に、ラジオが流した夫の声を、敢えて転載します。

あの日起きたことに、今日まで私は目をつぶり、耳を塞いできました。
どうか、読むのが辛い方は読まずにいてください。
それでも、漠然と、彼が傷口を開いて伝えることで助かる命があるのだ、
と信じて、この日を迎えたのだと感じています。


『 私は、あの津波で、宝物だった3人の子どもをなくしました。
中学1年の長女・花(はな)、小学4年の侃太(かんた)、小学2年の奏(かな)の
3人です。
あの日、地震が起きたとき、私は、家から15分ほどの水産会社の改修の仕事をしていました。
揺れがおさまったあと、すぐ家に戻りました。
家には、母と、学校から戻っていた長女の花がいました。
「揺れにびっくりした」と、母と花は、口々に言っていました。
二人の無事を確認したので、小学校に車で向かい、侃太と奏を連れて、家に戻りました。
この時点で、連絡がとれていない親戚がいました。
こちらも心配だったので、様子を見に行くことにしました。
余震が怖かったので、子どもたちには、新しく建てた母の家に、母といるように伝えて、
再び車で家を後にしました。
その途中のことでした。

ある交差点で、目を疑うような光景に出くわしました。
右側から、家や車がこちらに向かって、迫ってくるのです。津波です。
必死で迂回して波を避けようとしましたが、逃げ切れません。
ドアを開けて逃げようとした瞬間、波に飲み込まれました。
波にもみくちゃにされながら「ああ、人はこうやって死ぬのかな」とぼんやり考えていました。
その時、体がいったん浮き、コンビニの壁と瓦礫の間に挟まれました。
水は口元まで来ていますが、身動きがとれません。
ただ、幸いなことに、流れてきた瓦礫は、胸や腹に刺さることはありませんでした。
その状態で、どのくらい時間が経ったのか分かりません。
少しずつ、私の周囲を囲んでいた瓦礫が、私の体を圧迫するようになってきました。
ふと気づくと、水が引き始めています。
浮力がなくなってきたために、瓦礫の重みが私の体にかかってきたのです。
私は、残る力を振り絞って、体を瓦礫の山から引き上げ、
コンビニの屋根によじ登り、さらに、少し高台なっている場所に残っていた家の基礎部分に
移動しました。
水がさらに引いて、膝下ぐらいになった時点で、避難所に向けて歩き始めました。
ところが、右足が痛くて十分に動きません。後で分かったのですが、骨折していました。
この足で、瓦礫の山を越えることはできませんでした。
近くの保育所で、火をたいている人がいました。
ずぶ濡れになっている私の姿を見て、「早くあたりなさい」と言ってくれました。
火を絶やさないように、周囲の瓦礫を持ってきて、くべてくれました。
少し体が温まってくると、「家に戻らなくちゃ」という気持ちになりました。
でも、壁のような瓦礫が、あちらこちらの道を塞いでいるのが見えます。
夜、真っ暗の中、この瓦礫を超えて家に行くのは無理だと思いました。
一晩、保育園で過ごしました。

次の日、瓦礫を一つ一つ登りながら、家までたどりつきました。
家はありませんでした。
呆然としていると、遠くで声が聞こえました。
「誰かいませんか。誰かいませんか。」 母の声でした。
腕には、一番下の子の奏を抱いています。
「奏は?」と聞くと、母は、号泣しながら「冷たいんだ・・・」と答えました。
奏を保育所に連れて行き、再び家に戻りました。
近くに、母の家が、形を変えて流されているのがみつかりました。
なんとか中に入ると、長女の花が、冷蔵庫の下敷きになっているのが見つかりました。
周りにいた人が、扉をさがしてきて、その上に花をのせ、運んでくれました。
侃太は、その時は見つかりませんでした。
10日後、自衛隊の人が見つけてくれました。
侃太の胸のあたりに母に宛てた年賀状が散らばっていて、身元が分かりました。
涙が止まりませんでした。
悔しい涙なのか、悲しい涙なのか、分かりませんでした。
でも、涙が出ました。
長女の花は、弟や妹の面倒をよく見てくれる子でした。
お土産を3つもらうと、弟や妹の好きな色を譲って、違う色を選ぶような、子でした。
侃太は、足が速い子でした。
陸上クラブに入ったのをきっかけに、朝、親子で一緒によく走りました。
どんどん足が速くなり、精神的にも成長しているのを日々感じていました。
8歳の奏は、正義感の強い子でした。
弱いものいじめをしている子がいたら、男の子でも向かっていきました。
心根の優しい子で、施設にいるひいおばあちゃんに会いに行ったかえり、
「ひいおばあちゃんを一人にするのはかわいそう」と大泣きしました。
そんな子どもたちを、自分が殺してしまったようなものだと、自分を責めました。
3日後、妻と保育所で、再会しました。

妻も、子どもたちの姿を見て、号泣しました。

そんな私に、周囲の人たちは、気をつかってくれました。
わざと、忙しくさせてくれたのです。
保育所の避難所の代表をやれと、言ってくれました。
「水がたりないぞ」
「食料の手配を頼む」
「風呂を作ろう」
体がくたくたになるまで、動きました。
火を絶やしたくなかったので、夜通し見張りが必要でした。
それも、私の当番となりました。
5時に女性たちが起き出してから、私が寝る、という生活を繰り返しました。
そうすることで、精神状態が保たれていた気がします。
地震から数週間後、若い頃 木工の修行していた東京の会社から
連絡がありました。
社長は「必要なものはないか」と言ってくれました。
「軽トラックのようなものがあると、運搬が楽なのですが」と伝えました。
すると、会社で仲の良かった友人がトラックを買って、用意してくれました。
東京にそのトラックを受け取りに行ったとき
社長は、私に黙って100万円を手渡しました。
慌てて返そうとすると、
「若い奴から働かないといけない。絶対仕事を再開しろ」と言われました。
木工の仕事を再開するのに必要な道具もそろえてくれました。
トラックを使って、色々なものを運びました。
救援物資はもちろんのこと、避難所からみんなが仮設に引っ越すときには、
このトラックを使って荷物を運びました。
生きていくために、仲間と、必死に支え合いました。

この活動を、長い長い復興にも活かしていこうと、ボランティア団体を作りました。
この団体の拠点となる場所にと、滋賀県彦根市の団体の協力で、
コンテナハウスを建てることにしました。
協力してくれた団体の代表の人が、そのコンテナを、私の自宅のあった場所に設置しようと、言いました。
子どもと暮らした楽しい場所を、悲しい場所のままにしてはいけない、と、
気を遣って、わざと私の自宅跡に設置してくれたのです。
その気持ちに応えたいと思いました。
地域のみんなの情報交換の場になればと、
テーブルやベンチを木工でつくり、コンテナの横に置きました。
子どもたちの遊具も、作ることにしました。
木で作ったジャングルジムのような遊具です。
高さ4メートルの物見櫓があり、
子どもたちの隠れ家になるようなスペースもあります。
地域の子どもたちの声がここで響いて欲しいと思いました。
遊具には、虹をかたどったモニュメントを取り付け、「虹の架け橋」と名付けました。
たくさん流した涙のあとに出た虹です。
虹は、掴むことはできませんが、感じることができます。
子どもたちと一緒に生きていくことはできませんが、
子どもたちがここにいるということを、今では感じることができます。
本当に数多くのボランティアの人に助けられました。
そして、彼らは、とても大切な人たちになりました。

ボランティアで知りあった若い女性が、結婚することになりました。
東京で行った結婚式に、呼んでくれました。
彼女が着ていたのは、紫色のドレスでした。
一番下の娘・奏が好きな色だから、と、彼女は言っていました。
涙が止まりませんでした。

子どもたちがなくなって、生きていても仕方がないという日々もありました。
でも、自分は生かされたのに、今あちらに行ったら、子どもたちに叱られるだろうと
考えるようになりました。
私は、今、自分の体験を、色々な人に話しています。
一人でも多くの人に、防災に関心を持ってもらいたい、
そして、一人でも多くの命が助かって欲しいと思うからです。
そのことが、子どもたちが生きた証へとつながっていくのだとも思っています。

宮城県石巻市 遠藤伸一(えんどう・しんいち)さん (48)』

合掌

イメージ 1

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

ONとOFFの切り替え

日本医師会のポスターを見ながら
青空スポーツ少年団活動のまとめ
を書いていて、気がつきました ヾ(・・ )ォィォィ

うちの団員が、
活動の前後でスマホやゲーム機を使って遊んでいる姿
見たことがありません。

(使っている子どもは、
みんな体験に来て直ぐにやめましたね)

もちろん、団員がまったく使っていないとは思っていませんが
ONとOFFを切り替えできる
ことって
大事なプレイフルネス!

ちゃ〜んと成長しているメンバーを誇りに思います



イメージ 1


この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

イメージ 1

娘が嫁ぐことになりすこ〜し凹んだ気持ちの団長を励ましてくれたのは、
やっぱり子ども達の笑顔 ☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

南三陸まで2時間ドライブして、
親子で絵本を読んで、
プレイフルネス運動遊びをして…

会の始まりは集中力がイマイチだった子ども達。
でも、あっと言う間に笑顔が満開になりました

また、来月遊ぼうね!

「プレイフルネス運動遊び」とは ⇒

この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

たすきリレー

クロスカントリー大会で欠かせない名物たすきリレー
気合い充分な走り出しも声援する子どもに抜かれる 様子が面白い

「参加することに意義がある」
と毎年の事なのに
反省しないポジティブなオトナ達(о´∀`о)

子どもとオトナが同じフィールドで行うことで
益々プレイフルネスが昂まります

イメージ 1


この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

青空スポーツ少年団が年に一度だけ出場しているクロスカントリー大会
今年も親子ラン部門へエントリーしました

この種目は1.5kmを親子一緒に走り、手を繋いでゴールするルール。
なのに、子どもに追いつこうと必死に走るオトナの姿が面白い競技です。

今日もとにかく元気いっぱいの子どもたち。
出場前のサッカーや木登りが一番楽しかった、と話していました


イメージ 1


この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

「とみぃず」3月号に
幼児親子を対象にして、
絵本の読み聞かせと運動遊び”をコラボした
プレイフルネス運動遊びの募集記事を掲載していただきました。

どうして知ったのか団長の旅先に届けられた雑誌。
嬉しいね、ありがたいね。

わずか毎月一回の活動でも継続することで
親子関係、
友だち関係
などなど驚くような変化が見られます。

絶賛募集中‼︎
よろしくお願いします。

イメージ 1


この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

先日、タピオ大学でお話しさせていただきました
その講演要旨を掲載していただきました。

団長、がっちがちに緊張している感じがわかる写真ですね。
お話は、そうでもないんですよ!
こちらをご覧くださいね。。。

タピオ大学のblog →
http://tapidai.exblog.jp/27560339/


イメージ 1


この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

休息の取り方

スケート教室も3回目となれば、
技術の上達とともに要領が良くなるこども達。

休憩中には似顔絵を描きたいらしく
「団長カッコよく描いてあげるよ!」
って。

リクエストをして髪を20%増量サービスしてもらいました^^;

団長の威厳はないけれど、
年度末に向けてこども達のプレイフルネスがどんどん拡大中です。

「プレイフルネス運動遊び」とは ⇒

イメージ 1


この記事に

開く コメント(0)

開く トラックバック(0)

[ すべて表示 ]


.


みんなの更新記事