新鬼の城yahooブログ版です

ブログはじめました。宜しく。。。
次女の死が知らされておよそ1か月になるが、まだ暗い洞窟にいるような感じである。また、体調も良くなく家から出れない状態だ。誠に申し訳ないことだが大事な集まりや会議も参加していない。このブログの更新もできるモチベーションもまだない。

次女の残された写真を眺めてため息をつく毎日だ。どうすればよいのかカウンセラーとかに聞いてはいるが、まだ次女の死そのものを受け入れていないのが現実だ。そんなこと「あるのか」と思い続けている。今度の日曜日には芝工大の仲間が急に亡くなり「偲ぶ会」が催されるが、故人との信頼関係もあったので参加してみようと思っている。

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次女の死が知らされて以降、眠れない夜が続いている。精神的にかなりまいっているのでここのブログの書き込みを当面中断することにした。友人・仲間からの言葉を有難くいただいているが、やはり心中は癒えない。自責の念が重なるだけだ。ということでご了解いただきたい。

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今朝は寒くて雨が降っている。実は今週の火曜日(2月7日)に民事裁判の関係で弁護士から次女死去との連絡があった。ただそれだけでどういう状態だったのか、などの情報はない。だが、次女はウールリッリ型筋ジストロフィーであり生まれてからその病魔と闘っていた。そして、次女はこの病気の患者会を立ち上げその代表となっていた。https://ucmd-kanjakai.jimdo.com/

さらに「人工呼吸器使用者の患者負担ゼロを求める国会内集会」などで積極的な活動をしていた。http://www.ahk.gr.jp/html/kikaku/26/26-syuukai02.pdfまた、自らの母校である工学院大学からその前向きな活動が認められて工学院大学校友女性躍進賞を得た。http://www.kogakuin.ac.jp/news/2014/032002.htmlまた、難病問題をテーマとする専門雑誌に投稿するなどの活動もしていた。
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考えてみるとただでさえ苦しい状態である中で、このような活動をしていたのを知ると次女の前向きな生き方に胸が塞がれる思いである。そして、私はこのような次女の活動をサポートするどころか、何らの援助もしていなかった。そしてそれは別居と言う生活環境の違いから、このような活動すら知らされていなかったし、知る関係性がなかった。このような活動を知ったのは死去の連絡があり、あるいはと言う思いからネットで検索した結果である。

今思うことはただただ自責の念と(知らされていないこととは言え支援できなかったこと)、前向きに生きていた次女について一言でも声をかけていたら、と言う思いである。今は、気が沈んでなかなか立ち直れない。昔、二人の娘と百人一首をしたことなど楽しい思い出を反芻しているのだ。

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今日は今朝から雨模様だ。そして、寒さがぶり返した。しかし、風邪はこれ以上悪くはならないようだ。咳・痰も激しくはない。でも、安心は良くない。用心が必要だ。

さて、私はいつもながら4・5冊の本を同時に読んでいる。その中の1冊が下記に示して本だ。あの捏造事件から16年以上たつ。その後、日本考古学は再生したのだろうか。私はもっと悪化していると考えている。自称研究者の考古学的事象の解釈を[思い付き・反証無き推論・炭素C14 に見られる非科学的実証依存症・解釋枠を超えた物語造作]など、問題を挙げればきりがない。
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そう言う中で、この本はあの捏造事件とは何か、と言うことを今に伝える機会となる。そもそもこの本は「新潮45」に連載されていたものを、加筆・訂正したものだが、その事件は今日的に引きずっていることを明らかにしている。問題は多岐にわたるが、以下思い就くことを羅列しよう。

・藤村一人の単独行動か、複数の集団行動か、あるいは仮に藤村単独行動だとしても誰かが示唆したものかなどの問題がある。
・また、毎日新聞がスクープせねば今でも捏造は「事実」として存在していた。さらに、文化庁主催の【発掘速報展】でより徹底的に喧伝されていた。また、藤村自身もどこかの大学に職を得ていた。
・縄文時代の石器などを旧石器時代の石器だと信じ込むエセ考古学者が横行して(つまり、考古学的方法論が無い連中、言い換えれば偽石器だと見抜けない自称考古学者が跋扈すること)、それは恰も考古学正統派であるが如く市民権を得ていた。
・教科書などにアジア最古の旧石器文化として賞賛され、日本ナショナリズムを煽りたてていた。
・そういうことに疑問を抱く者は口を閉ざすか、隠れキリシタンのような存在に陥っていた。

それ以外にも様々な弊害が考えられるが、いずれにしても「荒唐無稽な無茶苦茶な事態が横行」していたことは想像するに難くない。毎日新聞が竹岡俊樹意見を無視していたらこういう事態が継続していたことは確かである。石器が考古学的方法で理解できない者が「石器研究者」として大手を振って歩きまわるという、陳腐極まる事態が今でも存在していたのだ。因みに「天網恢恢疎にして漏らさず」と言う言葉があるが、これは結果論的な意味で実際には「漏れていない」事実が世の中に多くある。さらに付言すれば毎日新聞のスクープ取材班もこのネタ追及に対して資金切れ寸前だったが、取材班責任者の最後の決意でこの歴史的スクープを得ることができた、と上記紹介の本に書かれてある。

また今現在の考古学とは、「現代人の視点・思考」で過去のモノ・コトを解釈するという非論理的な意見が存在しており、それが考古学的議論としてまかり通るというナンセンスな学風もこのことに疑問すら持たず大きく存在している。それがなぜナンセンスなのか、と言うことに気付かず、あるいは気付こうともしない「考古学」が学問性を持つという笑止千万な事態が今も強くある。そして、それを補強するために、恣意的な意図での統計処理・分類処理が事実を客観的に見せかけるために動員される。併せて遺物の出土状態や遺構の検出状態に関する認識も同様である。

つまり、捏造事件以降日本考古学は反省的に再出発をしたのではなく、捏造事件以前と以降とでは何ら変わらずナンセンスな学風として、さらに病理を深く犯しつつ今も継続しているのだ。昔、某大学では「考古学的事実を元に歴史を叙述する」と教えていた。それが「科学的考古学である」と。くどいようだが「考古学的事実」とは何か、と言うことに問題を提示してその「事実解明」の方法論こそが今強く求められている。その為の苦闘を開始せねばならない。

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東京はここの所好天気だが朝晩の冷え込みはきつい。風邪は治らないし、体も重い。何とかその日その日を送っている。ところで、考古学の同人誌の編集長から現行の催促があった。そして今、この本を読んでいるのだが日本考古学との「理論的乖離」には驚くしかないほどだ。現代の日本考古学では「現代人の視点」からのモノとコトの解釈がまかり通っている。それは、「妄想」と言うべき代物でおよそ「学問」の範疇ではないのだ。
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それに対してレンルーのこの本は読みかけだが、モノとコトの解釈を「現代人の視点」を排除しつつ論理的に行っている。そこの違いは根本的なものだ。ここではレンフルーの「先史時代と心の進化」と言う本について加藤弘一さんの論評を紹介したい。
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  本欄では以前、ミズンの『心の先史時代』と『歌うネアンデルタール』をとりあげたが、認知考古学をより広い視点から見直すために本書を読んでみた。
 著者のレンフルーはケンブリッジで長く教鞭をとった世界的な考古学者で、『考古学―理論・方法・実践』という浩瀚な入門書が邦訳されている。

 本書は二部にわかれる。
 第一部「先史時代の発見」は18世紀のポンペイ発掘から現代にいたる考古学の歴史で、「先史時代」という概念がどのように生まれ、変遷してきたかを目配りよく紹介している。

 多種多様な出土品を整理するために、進化論と地質学の影響のもと、石器時代・青銅器時代・鉄器時代という三分類が生まれ精緻化されていき、ゴードン・チャイルドの『ヨーロッパ文明の曙』(1925)と『文明の起源』(1936)によって集大成されるが、そこにはナチスに加担したとして悪名高いグスタフ・コッシナの文化史的アプローチがとりいれられていること、チャイルドの提唱した「新石器革命」がマルクス主義の史的唯物論から着想されていたことをレンフルーは見逃さない。

 一歩一歩発展してきた考古学は第二次大戦後、科学の進歩と植民地の独立で飛躍期をむかえる。

 科学の進歩とは放射性炭素C14による年代測定や湖底コアや氷床コアの分析、DNA解析のような手法があいついで開発されたことである。なかでもC14革命の衝撃は決定的だった。相対的な年代しかわからなかった考古学に絶対年代という物差しをもたらしたからだ。エジプトやメソポタミア、インダス、中国、新大陸の年表を書き換えただけでなく、遠隔地の年代が比較できるようになった。世界規模の先史学がようやく可能になったのである。

 植民地の独立も影響が大きい。考古学は欧米の研究者がずっと担い手だったが、独立によって自国の過去に関心が生まれ、地元の研究者が育つようになった。

 新興国の中には社会主義陣営にくわわった国がすくなくなかったが、そうした国では史的唯物論が先史時代への関心をかきたてた。史的唯物論の先史時代論はモーガンの『古代社会』(1877)の焼き直しにすぎなかったが、先史時代に注目させたという意味では十分功績があったのである。

 第二部「心の先史学」から認知考古学にはいっていくが、レンフルーは認知考古学の初期の達成であるミズンの所論とは別の立場をとっている。

 ミズンによれば原人・旧人段階の人類の脳は特定分野の処理に特化したモジュールの集まりだったために、骨を道具の素材にするといった簡単なことが思いつけなかったが(骨の判別は博物学的知能、道具の加工は技術的知能が担当)、ホモ・サピエンスになるとモジュールを隔てていた仕切がとりはらわれ、分野をまたいで融通がきくようになったとする。ミズンはこの能力を認知的流動性と呼んでいる。

 レンフルーは最近の神経科学はモジュール仮説を支持する証拠を見つけておらず、ホモ・サピエンスに移行する時に遺伝子がどのように変化する必要があるのかもわかっていないと疑問を呈した上で以下のように述べている。
 これについては、人類初期に社会集団を、実際の姿に沿って、霊長類の社会システムの進化という視点から考えるアプローチが非常に有望である。人類への移行を推し進めたと思われる、より強力な社会的相互作用がホミニドの間で徐々に発達していく過程については、ロビン・ダンパーが著書『ことばの起源――猿の毛づくろい、人のゴシップ』で詳しく論じている。前期および中期旧石器時代の考古学的記録は、現在この視点から検討されることが多くなっている。今では通説として、完全な文法構造を持った言語が発達したことで、狩猟採集者の集団は環境に適応する上で非常に大きな利点を得たと考えられている。このように、この場合は進化論的アプローチが有効なのである。
 旧人からホモ・サピエンスが誕生した種形成段階では遺伝子変化と文化の発達が共進化していたというわけである。

 レンフルーはさらに「ホモ・サピエンス・パラドックス」と呼ぶ謎を提起し、真に重要なのは種形成段階ではなくその後だとする。

 ホモ・サピエンスは15万年から10万年前にアフリカで誕生し、6万年前にアフリカ外に拡散したと考えられているが、遺伝子的には現代のわれわれと同等だったはずなのに、彼らは依然として旧石器時代中期の生活をつづけていた。新石器革命がはじまったのはようやく1万年前にすぎない。

 どんなに遅くとも出アフリカの起きた6万年前には現在と同様の知能をもっていたはずであり、6万年前の子どもをタイムマシンで現代に連れてくれば、普通の現代人に育つことだろう。それなのに農耕と牧畜をはじめるまでになぜ5万年もかかったのか? レンフルーはこれをホモ・サピエンス・パラドックスと名づける。

 体格や皮膚の色の面では人類のゲノムは変化しつづけたが、行動面はもはや遺伝子が決める段階は終わっており、学習のみによって身につける段階にはいっていた。ゲノムの変化が重要でなくなった段階をレンフルーは「構築段階」と呼び、認知考古学はこちらに注目すべきだとしている。

 新石器革命はどのように起こったのか?

 マルクス主義の史的唯物論をはじめとして、以前は安定した農耕システムが確立されてから定住がはじまったとする説が一般的だったが、現在では農耕より定住の方が早かったことがわかっている。海産物などが豊富な場所でまず定住がはじまり、社会関係が複雑化していった結果、認知能力が発達し、耕作の開始をふくむ新石器革命にいたったというわけだ。

 レンフルーは新石器革命から階級分化、価値概念の発生、文字の発明までをやや駆足で概観していくが、認知能力の進化を単に脳内の出来事とするのではなく、社会関係と物質表現という視点からとらえるという方法論で一貫している。

 300ページ足らずの本なのでやや食い足りなくもあるが、目配りよくコンパクトにまとまった好著だと思う。
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以上である。私は、放射性炭素C14については懐疑的なのだが、それ以外の点では示唆に富んでいる。参考にしてみよう

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まだ、風邪が治りきっていない。咳も痰も止まない。しかし、裁判で用事がありまず高円寺の杉並年金事務所にく。そこで、年金受給証書と言うものを貰うのだが何だかんだと2時間かかった。年配のおばあさんが担当だが、年金の仕組みなども改めて確認できた。その後、荻窪に移動して弁護士事務所で担当の弁護士と協議をする。そこでの時間も1時間半である。結構集中して話をすると、その時は疲労感を感じないがそれが終わると疲労感がドッと出てくる。そして、帰宅して昨夜は19時に就寝した。
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まあ、昨日はそれほど寒くはなく暑さを感じたので風邪は悪化はしていない。今日も朝から穏やかな日である。

ところで、何が何でも「共謀罪」を成立させようとする安倍政権は、この「共謀罪」と改憲策動がメダルの裏表の関係にあり、戦前の治安維持法の今日的復活である。この点について澤籐さんが「ちきゅう座」で投稿されているので引用したい。

スパイにされた姉 戦時下カトリック弾圧―「共謀罪」の本質が見える

本日(1月24日)の衆議院本会議。代表質問で、志位共産党委員長が、今国会に提出予定とされる、共謀罪新設法案についてアベ首相を問いただした。正確には、組織犯罪処罰法の改正案。

既に「共謀罪」は手垢にまみれている。3度の廃案でイメージ悪過ぎの、悪あがき法案。政権は、「共謀罪」の用語使用を徹底して回避し、「テロ等準備罪」と呼称する方針と伝えられている。

志位委員長は、「法案のレッテルを貼りかえても、相談、計画しただけで犯罪に問える本質は変わらない。国民の思想や内心まで取り締まろうという共謀罪の法案提出は断念すべきだ」「テロ対策の名で、国民を欺き、国民の思想や内心まで取り締まろうという共謀罪は、物言えぬ監視社会を作る、現代版の治安維持法に他なりません」と論じたという。

これに対する、アベ答弁は、「東京オリンピック・パラリンピックの開催を3年後に控える中、テロ対策は喫緊の課題であり、国際組織犯罪防止条約の締結は、国際社会と緊密に連携するうえで必要不可欠だ」「犯罪の主体を、一定の犯罪を犯すことを目的とする集団に限定し、準備行為があって初めて処罰の対象にするなど、一般の方々が対象になるのがありえないことがより明確になるよう検討している。国民の理解を得られるような法整備に努めていく」「これを『共謀罪』と呼ぶのは全くの誤りだ」というもの。

相当にひどい不誠実な答弁ではないか。「法案のレッテルを貼りかえても、共謀罪の危険な本質は変わらない」という指摘に対して、アベの答弁は、「これを『共謀罪』と呼ぶのは全くの誤りだ」という噛み合わないものとなっている。共謀罪の恐るべき危険な本質を認めたからこそ、危険性を低減しようと「犯罪の主体を限定し」「国民の理解を得られるような法整備に務めている」のだろう。にもかかわらず、唐突に「『共謀罪』と呼ぶのは誤り」というのだ。何の論理も不要と、国民をなめきった居丈高な姿勢。到底真摯に国民の理解を求める態度ではない。

アベ答弁で浮かびあがったことは、ただ一つ。アベが「共謀罪」という言葉が嫌いで、法案や新設犯罪を「共謀罪」と呼ばれるのはイヤだということ。ならば、徹底して、共謀罪を連呼しようではないか。「共謀罪」「きょうぼう罪」「キョーボー罪」「きょうぼうざい」「キョウボウザイ」…。そして、法案の呼称をメディアの真っ当さの基準としよう。「共謀罪」というか、「テロ等準備罪」というか。これが、アベ政権におもねっているかいないかのリトマス試験紙だ。

「共謀罪は、物言えぬ監視社会を作る、現代版の治安維持法」という質問者の指摘は、いま多くの心ある国民が危惧しているところ。このタイミングに、毎日新聞1月22日朝刊に、治安維持法被害の実例を掘り起こした記事が出た。

「『スパイ』にされた姉 戦時下、カトリック信者弾圧」という、日曜日の朝刊に、文字通り1頁全面を使った大型レポート。長文だが貴重な記事。是非下記URLでお読みいただきたい。
全国に無数にあった天皇制国家による弾圧の一つ。埋もれそうになったその悲劇を記者(青島顕)が掘り起こした。弾圧の手法は、特高警察による不敬罪と治安維持法の活用。弾圧されたのは、新潟県高田のカトリック信者とドイツ人神父。

 内務省警保局の内部資料「厳秘 特高月報」44年4月分には、新潟県特高課が「不敬その他の容疑」で信者7人を検挙し、サウエルボルン神父にも「嫌疑がある」とした記録がある。当事者の手記などによると、このうち、(中島)邦さんたち20代の女性信者3人と神父の計4人が起訴され、有罪判決を受けたとみられる。新潟地検に残る邦さんの判決文を合わせると、起訴の段階で罪名が治安維持法違反に変更されたと考えられる。

1925年に治安維持法が生まれて45年に廃止されるまでの20年間に、この法律で逮捕された人は、無慮7万人と推計されている。高田で逮捕された7人は、その1万分の1。同様の事件が、全国で無数にあったのだ。

記事のストーリーは、治安維持法で起訴されたクリスチャン中島邦さん(故人)を中心とする弾圧の悲劇。中島邦さんの妹笹川芳さん(78)への取材を通して、事件が語られている。

 日本が戦争一色の時代、カトリックの信者だった姉(中島邦さん・当時23歳)は熱心に教会へ通っていた。1944年4月、姉たち信者7人は突然、特別高等警察に拘束され、翌月にはドイツ人神父も捕まった。戦後、「人間と思えないほどやせ細った体」で姉は帰ってきたという。
驚くべきは、次の事実だ。

 当局から何の罪に問うているのかという説明はなく、「自分は刑法の不敬罪で捕まった」という信者もいれば、「治安維持法違反ではないか」という人もいた。世情不安の中、デマが広まっていく。信者や家族の中には戦後も「スパイ」とあざけられ、苦しんだ人がいた。

中見出しに大きく「戦後も続いた孤立」とある。弾圧を受けた人や家族は、当時「スパイ」「思想犯」として地域から排斥されただけでなく、戦後も孤立し地元から離れた人が多かったという。邦さんもブラジルに渡って、帰国することはなかった。悲しくも恐ろしいことに、権力だけでなく民衆も消極的ながら弾圧への加担者だったのだ。
もともと、治安維持法は、「国体ヲ変革シ又ハ私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的卜テシテ結社ヲ組織シ又ハ情ヲ知リテ之ニ入シタル者」を処罰する立法だった。「国体ヲ変革シ」「私有財産制度ヲ否認スル」目的の結社といえば、だれもが共産党をイメージした。まさしく「3・15事件」に見られるとおり、治安維持法は共産党弾圧に猛威を振るった。しかし、まさか治安維持法がカトリック弾圧にまで及ぶとは思われていなかった。

41年改悪法は、「国体ヲ否定しまたは神宮もしくは皇室の尊厳を冒涜すべき事項を流布することを目的とする結社」に加入することはもちろん、「結社の目的遂行の為にする行為を為したる者」は1年以上の有期懲役とされた。

「目的遂行のためにする行為」とは、何と曖昧な構成要件。これこそ、権力側にとってみれば、気に入らない人物の気に入らない言動を、なんでも逮捕し処罰できる便利な道具なのだ。高田の中島邦さんらも、これに引っかけられたのだ。

振り返って、アベの言い分を見てみよう。「一般の方々が対象になることはありえない」「これを『共謀罪』と呼ぶのは全くの誤りだ」は成り立たない。例の如く「アンダーコントロールで、完全にブロック」の論法なのだ。問題は、犯罪の構成要件が曖昧なことである。犯罪行為と法益侵害の結果の両者が明確にされていなければ、弾圧の武器になる。治安維持法の目的遂行罪がそうであったし、共謀罪も本質的にそうならざるを得ないのだ。

かつては、「天子に弓引く非国民共産党ならしょっぴかれてもしょうがない」との社会の空気が治安維持法の成立と改悪を許した。が、結局弾圧されたのは共産党ばかりではなかった。社会民主主義も、労働運動も、自由主義も平和主義も、そして宗教団体も野蛮な天皇制政府の標的とされたのだ。今また、「オリンピック」と「テロ」をネタに空気を作って、共謀罪を成立させようということなのだ。

教訓を噛みしめたい。我々は、喉元過ぎたからといって熱さを忘れてはならない。むしろ、羮に懲りて膾を吹こう。吹き続けよう。権力を信用してはならない。権力こそは恐るべきものと心得なければならない。ましてやアベ政権においておや、である。
(2017年1月24日)
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     「DHCスラップ」勝利報告集会は今週土曜日
                   弁護士 澤藤統一郎
私自身が訴えられ、6000万円を請求された「DHCスラップ訴訟」。その勝訴確定報告集会が次の土曜日に迫りました。この問題と勝訴の意義を確認するとともに、攻守ところを変えた反撃訴訟の出発点ともいたします。ぜひ、集会にご参加ください。
日程と場所は以下のとおりです。
☆時 2017年1月28日(土)午後(1時30分〜4時)
☆所 日比谷公園内の「千代田区立日比谷図書文化館」4階
「スタジオプラス小ホール」
☆進行
弁護団長挨拶
田島泰彦先生記念講演(「国際動向のなかの名誉毀損法改革とスラップ訴訟(仮題)」)
常任弁護団員からの解説
テーマは、
「名誉毀損訴訟の構造」
「サプリメントの消費者問題」
「反撃訴訟の内容」
☆会場発言(スラップ被害経験者+支援者)
☆澤藤挨拶
・資料集を配布いたします。反撃訴訟の訴状案も用意いたします。
・資料代500円をお願いいたします。
言論の自由の大切さと思われる皆さまに、集会へのご参加と、ご発言をお願いいたします。
       「DHCスラップ訴訟」とは
私は、ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」を毎日連載しています。既に、連続1400日になろうとしています。
そのブログに、DHC・吉田嘉明を批判する記事を3本載せました。「カネで政治を操ろうとした」ことに対する政治的批判の記事です。
DHC・吉田はこれを「名誉毀損」として、私を被告とする2000万円の損害賠償請求訴訟を提起しました。2014年4月のことです。

 私は、この提訴をスラップ訴訟として違法だとブログに掲載しました。「DHCスラップ訴訟を許さない」とするテーマでの掲載は既に、90回を超します。そうしたら、私に対する損害賠償請求額が6000万円に跳ね上がりました。

この訴訟は、いったい何だったのでしょうか。その提訴と応訴が応訴が持つ意味は、次のように整理できると思います。

 1 言論の自由に対する攻撃とその反撃であった。
2 とりわけ政治的言論(攻撃されたものは「政治とカネ」に関わる政治的言論)の自由をめぐる攻防であった。
3 またすぐれて消費者問題であった。(攻撃されたものは「消費者利益を目的とする行政規制」)

 4 さらに、民事訴訟の訴権濫用の問題であった。
私は、言論萎縮を狙ったスラップ訴訟の悪辣さ、その害悪を身をもって体験しました。「これは自分一人の問題ではない」「自分が萎縮すれば、多くの人の言論の自由が損なわれることになる」「不当な攻撃とは闘わなければならない」「闘いを放棄すれば、DHC・吉田の思う壺ではないか」「私は弁護士だ。自分の権利も擁護できないで、依頼者の人権を守ることはできない」。そう思い、自分を励ましながらの応訴でした。

スラップ常習者と言って差し支えないDHC・吉田には、反撃訴訟が必要だと思います。引き続いてのご支援をお願いいたします。
初出:「澤藤統一郎の憲法日記」2017.01.24より許可を得て転載
〈記事出典コード〉サイトちきゅう座 http://chikyuza.net/





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風邪をひいてそれが寒さで一段と酷くなったが、いろいろな用事が重なり休めない。困ったものだ。今朝は、朝から咳と痰が強く出ている。こういう時はじっとしており、しょうが湯でも飲んでいると症状が軽くなる。それができないのだ。

さて、極右安倍が国会答弁で「云々」と言う文字が読めなくて「でんでん」と言った。これがフェィスブックでも罵倒されているが、この大馬鹿者に勝るとも劣らない大馬鹿者の極右が百田である。この大馬鹿者の勘違いぶりを全面開花させている。以下、リテラから引用する。

“被害妄想”百田尚樹が今度はテレビ攻撃!「地上波はおぞましいくらい左翼的」「私も憲法改正を言うからお呼びがかからない」

2017.01.24
sapio_170124.jpg 「SAPIO」(小学館)2月号より


 映画『海賊とよばれた男』は大コケ、昨年末に出版した小説『幻庵』(文藝春秋)も売れ行きはイマイチと、トンデモネトウヨぶりのエスカレートと反比例するように、小説家としての人気が凋落している百田尚樹センセイ。

 しかし、本人は反省するどころか、ネトウヨ的“被害妄想”丸出しで「すべてマスコミのせい」と考えているらしい。少し前にも、映画『海賊とよばれた男』のプロモーションで自分の名前が隠されているとか、新聞が憲法改正のトンデモ小説『カエルの楽園』の書評を載せない、などといちゃもんをつけて失笑を買っていたが、今度は、同様の論法でテレビに絡み始めた。
 発言が飛び出したのは、「SAPIO」(小学館)2月号に載った「百田尚樹×櫻井よしこ 尖閣問題、憲法改正──2017年は“待ったなし”の年なのに 新聞やテレビは嘘ばかり垂れ流している 日本の未来を壊す『左翼メディアのおぞましさ』」。
 タイトルからして頭がクラクラしてくる対談だが、この中で百田氏は櫻井氏といつものように中国脅威論や教育バッシングで意気投合しながら、とにかくテレビを叩きまくっているのだ。
「私が懸念しているのは、戦後70年たって、多くの国民が自虐史観に根ざした戦後教育を受けてきたことです。『洗脳』が100%完了したわけです」
「最近では、もっとも影響の大きい地上波テレビがおぞましいくらいに左翼的な考え方に偏っていることも問題だと思います。安保法制の議論でも、賛成と反対の両論を半分ずつ取り上げるべきです。ところが調べてみると、反対意見を流している時間のほうが圧倒的に長い」
 これに櫻井氏も「現在の憲法を大事に持ち続けると、逆に日本という国が滅んでしまうという『正しい情報』を広く国民に伝えていくことは難しいですね」と大きく相槌をうつ。
 テレビを「おぞましいくらい左翼的」などと、本当にこの人たちはニュース番組を見ているのか?と聞きたくなるではないか。
 本サイトでは再三指摘しているが、第二次安倍政権の成立以降、官邸は個別の番組を常に監視し、少しでも政権に批判的なコメントがあろうものなら、ゴリゴリの圧力をかけてきた。事実、14年末の解散総選挙の際には、在京キー局に萩生田光一自民党筆頭副幹事長の名義で“圧力文書”を一斉に送付、15年春には『報道ステーション』の古舘伊知郎氏、『NEWS23』の岸井成格氏、『クローズアップ現代』の国谷裕子氏など、官邸から目をつけられていたキャスターたちが次々と降板に至った。そしていまや、ワイドショーや夜のニュース番組を見れば、ほとんどが安倍政権の言い分をそのまま垂れ流し、問題の検証や疑惑の追及など全然やらなくなってしまったのである。
 安保法制賛否の比率が云々と言っているのは、おそらく、これも本サイトが追及してきた報道圧力団体「放送法遵守を求める視聴者の会」が主張していることのコピペだろうが、百田先生もよくご存知のように、同会は事務局長の自称文芸評論家・小川榮太郎氏をはじめ安倍応援団で固められた団体(なお、小川氏は“安倍晋三ヨイショ本”を書いて世に出た人間だが、2013年には『『永遠の0』と日本人』(幻冬舎)なる“百田ヨイショ本”も上梓している)。この調査や偏向批判がいかに恣意的であるかは、本サイトがとっくに指摘している。それをいまさら持ち出して、もっともらしく語るとは……。
 しかも、ちゃんちゃらおかしいのは、百田センセイが「テレビは左翼ばっかり」「洗脳されてる」などと吠えていることに、自分が最近テレビに出してもらえないことへの“逆恨み”が見え隠れすることだ。
「私も、地上波テレビからはすっかりお呼びがかからなくなりました。私がテレビで『憲法は改正すべき』などと言うと面倒だと思っているのでしょう」
 おいおい、ちょっと待ってくれ。残念ながら百田センセイがテレビにお出ましにならなくなったのは、別にあなたが改憲派だからとか、そういう話じゃない。
 もともと『永遠の0』が大ヒットした 3、4年前頃もすでに右派的主張をがなり立てていたが、百田センセイはトーク番組やバラエティなどテレビに引っ張りダコだった。しかし、当時NHK経営委員だった14年 1月、東京都知事選で田母神俊雄氏を応援した際、他候補のことを「人間のクズ」呼ばわりしたぐらいから、世間も百田センセイの“ヤバさ”に気がつき始める。そして、14年秋からの『殉愛』騒動と名誉毀損裁判で、さすがに「この人、ヤバいだけじゃなくてウソつきだ」という認識が社会に定着。そして、15年夏には自民党の会合に出席し、沖縄の二紙に対して「潰さなあかん」という言論弾圧発言である。そりゃあ、テレビ局関係者も「ちょっと出すのヤバくない?」となるに決まっているではないか。
 つまり、百田センセイは盛大に“自爆”したのだ。言っておくが、これは別に“左翼陣営からの圧力(笑)”があったとか、ましてやテレビが左傾化したからとか、そういうことでは一切ない。あたり前だろう。前述したとおり、安倍政権のプレッシャーに完全にひれ伏したテレビメディアはいま、ごくごく一部の気骨のある報道番組以外は、政権批判にまったく踏み込まなくなってしまい、むしろ田崎史郎・時事通信特別編集委員のような“政権の代弁者的”なコメンテーターばかりが重宝されている。
逆に言えば、百田センセイは自らのヤバさを次々と開陳してしまったことで、お仲間が我が世の春を謳歌している“テレビの右傾化”のブームから完全に取り残されてしまったのだ。しかも百田ときたら、繰り返しその言動が問題になったにもかかわらず、その後もネトウヨばりのヘイトデマや歴史修正主義をツイッターでひけらかしている。実際、最近も千葉大医学部の学生3名が集団強姦致傷容疑事件について〈私は(犯人は)在日外国人たちではないかという気がする〉などと何の根拠もなくツイート(のちに悪質なデマであることも確定した)。そんなバリバリのヘイトを地上波で放送していいわけがない。
 まあ、逆に言えば、そういう四面楚歌の状況だからこそ、百田センセイは「地上波テレビがおぞましいくらいに左翼的な考え方に偏っている」「私も、地上波テレビからはすっかりお呼びがかからなくなりました」などとブー垂れているのだろう。完全に“被害妄想”と言うほかないが、仮に1億歩譲って、百田センセイの言うとおり、地上波テレビで苛烈な安倍政権批判や改憲批判が展開されていたとして、だ。それのどこが問題だというのか。
 そもそも、メディアの責務は“権力の監視”であり、圧倒的な情報量と宣伝能力を持つ政治権力に対して、批判的な観点から分析し、論評を述べるのは当たり前のこと。むしろ、その政策や外交成果、演説などを右から左にそのまま垂れ流し、絶賛するほうがはるかに問題だ。ようするに、普通の民主主義国家のジャーナリズムの感覚なら、百田氏のような人物が嫌厭されるのはむしろ当たり前ではないか。
 しかし、このオッサンにこんな指摘をいくらしてもしょせんは馬の耳になんとやら。きっと、これからもまだまだわたしたちの頭を痛くさせ続けるのだろう。
小杉みすず



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枕草子で

春は曙あけぼの。 やうやう白しろくなりゆく山際や ま ぎ はすこしあかりて、紫むらさきだちたる雲くもの細ほそくたなびきたる。

と言いう有名な言葉がある。これは旧暦で今の時期を指している。しかし、今は厳寒期だ。寒さが堪える。

しかし、公園に行くと花のつぼみが目につく。こういう風流な心情は私は持ち得ていないが、季節の変わり目を目にする時は新鮮な気持ちになる。
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ところで、この間沖縄での山城博治さんに対する不当な長期拘留弾圧、経産省前テントひろばに対する不当弾圧、さらに、埼玉県での中核派に対する不当弾圧などが連続的に起きている。特に中核派に対する不当弾圧は2015年9月の事件を今頃とりあげて弾圧をした。皆で福島に行くために車代をカンパで賄った。それが「白タク」行為にあたるという。このようなことは我々も地方に行くときレンタカーを借りて、その費用をカンパで賄うことは当たり前である。それが「白タク」行為に当たるというのは、我々もそれで弾圧対象となるのだ。

もはや、極右安倍政権は共謀罪成立以前から実質的に「共謀罪体制」を敷いており、人民の闘いに弾圧を強行しているのだ。この弾圧に屈するのか、それとも真っ向から対峙するのかが問われている。そのための闘う戦線を強化していこうではないか。



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今が厳寒期だ。私は、免疫力の低下だろうか昨年以来の風邪の症状が治らない。現在もその症状である。加えて、厳寒期だ。さらに、安倍の反動政治も共謀罪成立でより強化される。つまり、政治的にも「厳寒期」となる。これと、断固闘わねばならないと思っている。だが、共産党は完全に「投降路線」であり、天皇制に屈服し、安倍の極右政治にも結果的に迎合の道を走っている。ここで、歌人の内野光子さんの意見を評価した中島一夫さんのブログを紹介したい。これは、個別共産党だけの問題ではなく、共産党に表象された大衆的な流れである。

内野光子「タブーのない短歌の世界を」Add Star

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 触れそびれていたが、昨年の重要な論考の一つに、内野光子「タブーのない短歌の世界を 「歌会始」を通して考える」(『ユリイカ2016年8月)があった。
 歌人である内野は、自ら短歌空間の渦中にいながら、いかに短歌天皇制と密接に関わっているかを論じてきた。今回も、従来から指摘し続けている、岡井隆のなし崩しの転向について触れながら、これまた『短歌天皇制』(一九八八年)や『天皇短歌は何を語るのか』(二〇一三年)などでも論じてきた、歌会始についての、いわばなし崩し的な変化を見逃さない。
 歌会始選者の一人、今野寿美が、昨年から『赤旗』の歌壇選者になったというのだ。内野はこれについて、「今野寿美の思想の自由、『赤旗』の編集の自由だといって、片づけられる問題なのだろうか」と問い、さらに次のように主張する。
だが、これには、前触れがあった。一九四七年以来、七〇年近きにわたって、「玉座」から天皇の「おことば」が述べられている国会開会式には参加していなかった日本共産党が、二〇一五年のクリスマス・イブに、二〇一六年の通常国会から出席すると発表したのだった。そのために開かれた記者会見の模様を、『赤旗』より詳しく報道したのが『産経新聞』であった(一二月二五日)。「共産党国会開会式に出席へ 天皇陛下御臨席に反対方針を転換「アレルギー」払拭へ」の見出しで、共産党安全保障関連法の廃止を求める野党連立政権国民連合政府」構想を提案しており、従来の対応を変えることで他党に根強い「共産党アレルギー」を払拭する狙いがあるとみられる、と報じた。
 『赤旗』が公然と歌会始選者を迎え、あからさまに天皇制にからめとられていくさまは、共産党が、従来拒否してきた国会開会式に参加し、安保法案の廃止に向け野党と足並みを揃えようとすり寄っていくことと並行していると言うのだ。すなわち、共産党は、世間の「アレルギー」を払拭するために、政治においても文学においても、天皇制への迎合を必要としたということである。的確な指摘だろう。
 内野の指摘は、一昨年の安保法案問題、さらにはその先にある来るべき憲法改正問題が、明確に天皇制と通底していることを突いている。左右を問わず、もはや大衆の支持を得るには天皇制しかないかのような状況だ。
 安保法案が通ったことについては「数」の問題(暴力)だと見なされがちだが、そうではないだろう。与党野党も基本的に天皇制を受容、肯定しているのだから、安保法案に対しても憲法改正に対しても、「反対勢力」を形成することなどそもそも可能なのだろうか。そして、そのことは、政党政治内部だけにとどまらず、「街頭」にあっても同様だろう。
 内野は言う。
さらにさかのぼれば、二〇〇四年の新綱領、昨二〇一五年一〇月の「日米安保条約廃案一時凍結」の発表を経て、野党共闘アレルギー払拭をめざし、一枚一枚、筍の皮をはいで行って、その先に残るものは何なのだろう。そういう流れのなかで、一見、寛容で、ウィングを広げたかのような『赤旗』紙面への著名歌人の登場、歌会始選者の『赤旗歌壇への起用であったのである。
 この問題については、内野以上の言葉を持たない。だが、「一枚一枚、筍の皮をはいで行って、その先に残るものは何なのだろう」という、この、なし崩しの果てまで来てしまったという感覚は共有している。

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皮膚の乾燥性潰瘍と言うものらしいが、足の痒みが止まらない。皮膚科に行き塗り薬を処方してもらったが、原因は空気の乾燥によるものだと言われた。家の中でも靴下をはくようにとも言われた。こんなことは初めてである。第一私は一年中家の中で靴下をはくことはない。まあ、あれやこれやで医療費がかさむのだ。

ところで、人気番組と言われている『ザ!鉄腕!DASH!!』と言う番組が安倍の政治利用にされている、と言う記事がリテラに載っている。自分の政治的野心のためなら何でも利用する安倍の小賢しい手口に騙されるな。以下、リテラより転載する。


dash_170113_top.jpg 『ザ!鉄腕!DASH!!』HPより


 あのDASH村が復興のシンボルに──いま、こんなニュースが世間を賑わせている。ご存じのようにDASH村とは、TOKIOの人気番組『ザ!鉄腕!DASH!!』(日本テレビ)の企画で開墾された里山の一区画で、福島県浪江町の山間部・津島地区にあるが、事の発端は12日付の福島民友新聞に掲載された高木陽介経済産業副大臣の取材記事だ。


「帰還困難区域の解除に向けて一歩踏み出して前進する中、DASH村の復興に向けた手だてがあるのではないかということについて協議を始めたい。帰還困難区域の復興の大きな柱にできないかと考えている」

 同記事によれば、高木経産副大臣は〈5年後をめどに、復興祈念館や体験農園のような形での再生を目指す〉のだという。だが、そんななかで『ザ!鉄腕!DASH!!』のプロデューサーである日本テレビの島田総一郎氏は、ツイッターにこんな投稿をおこなった。

〈知らぬ存ぜぬとは まさにこのニュースの事 そもそもDASH村は 誰かのものでは無いですし〉
 つまり、DASH村の復興計画は日テレの番組関係者にも伝えられていない、政府サイドだけの構想だったのだ。それでも、このDASH村復興計画にネット上では「いいアイデア」「復興のシンボルにぴったり」という好意的な意見が寄せられた。

 だが、ちょっと待ってほしい。たしかにDASH村の知名度は抜群だし、自然ゆたかなあの里山をもう一度見たいと願う視聴者も少なくないだろう。この場所をシンボルにすることは福島の復興を進めるうえで多くの人の関心を集めることもできるはずだ。

 実際、浪江町はいまだ全域に避難指示が出ており、町の8割にもおよぶエリアが帰宅困難区域に指定されている。今年3月には一部が避難指示解除されることが想定されているが、DASH村のある津島地区は事故から5年が経ったいまも除染はおこなわれていない。

 そうしたなか、政府は先月20日に福島の復興指針を改定し閣議決定。帰宅困難区域に5年を目処に避難指示解除を目指す「特定復興拠点」を設け、同拠点の除染費用として2017年度予算から300億円を計上した。浪江町は「特定復興拠点」として津島、大堀、苅野の整備を求めており、この「DASH村復興計画」を考えれば、津島地区が「特定復興拠点」に選ばれる可能性は高いようにも思える。

 しかし、この「特定復興拠点」以外はどうかといえば、相変わらず除染の方針は定まっておらず、〈拠点を設けることが難しい自治体もある〉状態だ(毎日新聞1月11日付/福島版)。ようするに、そんな曖昧模糊な復興指針を掲げる。

だいたい、現実に目を向ければ、“社会基盤の整備や除染が進んだ”という理由から17年度の予算案で復興特別会計は前年よりも約5600億円も減少。他方、「特定復興拠点」にしても、除染費用は東京電力の負担とする原則を反故し国費が投入される。

 そして、もっとも忘れてはいけないのが、今年3月、避難区域外から自主避難した人々に対しておこなわれてきた住宅の無償提供が打ち切られることだ。除染費用を負担すべき「加害企業」は守るのに、保障すべき避難者は切り捨てるのだ。

 避難指示解除にしても、帰りたい人もいれば、いまの状態ではまだ帰ることができないという人だっている。生活を奪う大事故を起こしたのだから、国と東電はどんな事情にも対応するのが当然だが、これでは「国策に従わず帰らない人は自己責任」という風潮が高まることも十分考えられる。

 それでなくても、国は福島の健康被害に対する対策を完全に無視している状況にある。既報の通り、今年9月に公表された「福島県民調査報告書」によると、福島県の小児甲状腺がん及び疑いの子どもたちが前回より2人増えて合計174人と膨大な人数となっているが、政府や有識者会議、電力会社は「被曝の影響は考えにくい」などと非科学的態度、抗弁を続け、さらには現在、福島では子どもたちの甲状腺検査を縮小しようという異常な事態が進んでいる。

 しかも、甲状腺がんの問題に対しては、御用学者の詭弁を鵜呑みにし「原発反対派のデマだ」「福島いじめにつながる」などとしてバッシングする者も多い。しかし、福島にかんするマイナスな情報は復興を阻害するという考え方では、どんどんと不都合な情報は隠蔽され、本来検討されるべき安全や環境は守られない。

 DASH村の問題も同じだ。DASH村が復興のシンボルとしてそこに祈念館がつくられ、多くの人が「帰宅困難地域も復興が進んでいる」と安心するその一方で、避難指示が解除されても「帰れない」と判断した人々の保障が切り捨てられていては、それは復興などと呼べない。たんに政府が五輪を控えて復興を強調するためのものとしてDASH村復興計画が打ち出されたのだとしたら、これは「DASH村の政治利用」と言うべきだろう。

編集部)政府が「アピール」するために、DASH村復興計画がぶち上げられたとしか見えないのだ。

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