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次女の死が知らされておよそ1か月になるが、まだ暗い洞窟にいるような感じである。また、体調も良くなく家から出れない状態だ。誠に申し訳ないことだが大事な集まりや会議も参加していない。このブログの更新もできるモチベーションもまだない。

次女の残された写真を眺めてため息をつく毎日だ。どうすればよいのかカウンセラーとかに聞いてはいるが、まだ次女の死そのものを受け入れていないのが現実だ。そんなこと「あるのか」と思い続けている。今度の日曜日には芝工大の仲間が急に亡くなり「偲ぶ会」が催されるが、故人との信頼関係もあったので参加してみようと思っている。

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次女の死が知らされて以降、眠れない夜が続いている。精神的にかなりまいっているのでここのブログの書き込みを当面中断することにした。友人・仲間からの言葉を有難くいただいているが、やはり心中は癒えない。自責の念が重なるだけだ。ということでご了解いただきたい。

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今朝は寒くて雨が降っている。実は今週の火曜日(2月7日)に民事裁判の関係で弁護士から次女死去との連絡があった。ただそれだけでどういう状態だったのか、などの情報はない。だが、次女はウールリッリ型筋ジストロフィーであり生まれてからその病魔と闘っていた。そして、次女はこの病気の患者会を立ち上げその代表となっていた。https://ucmd-kanjakai.jimdo.com/

さらに「人工呼吸器使用者の患者負担ゼロを求める国会内集会」などで積極的な活動をしていた。http://www.ahk.gr.jp/html/kikaku/26/26-syuukai02.pdfまた、自らの母校である工学院大学からその前向きな活動が認められて工学院大学校友女性躍進賞を得た。http://www.kogakuin.ac.jp/news/2014/032002.htmlまた、難病問題をテーマとする専門雑誌に投稿するなどの活動もしていた。
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考えてみるとただでさえ苦しい状態である中で、このような活動をしていたのを知ると次女の前向きな生き方に胸が塞がれる思いである。そして、私はこのような次女の活動をサポートするどころか、何らの援助もしていなかった。そしてそれは別居と言う生活環境の違いから、このような活動すら知らされていなかったし、知る関係性がなかった。このような活動を知ったのは死去の連絡があり、あるいはと言う思いからネットで検索した結果である。

今思うことはただただ自責の念と(知らされていないこととは言え支援できなかったこと)、前向きに生きていた次女について一言でも声をかけていたら、と言う思いである。今は、気が沈んでなかなか立ち直れない。昔、二人の娘と百人一首をしたことなど楽しい思い出を反芻しているのだ。

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今日は今朝から雨模様だ。そして、寒さがぶり返した。しかし、風邪はこれ以上悪くはならないようだ。咳・痰も激しくはない。でも、安心は良くない。用心が必要だ。

さて、私はいつもながら4・5冊の本を同時に読んでいる。その中の1冊が下記に示して本だ。あの捏造事件から16年以上たつ。その後、日本考古学は再生したのだろうか。私はもっと悪化していると考えている。自称研究者の考古学的事象の解釈を[思い付き・反証無き推論・炭素C14 に見られる非科学的実証依存症・解釋枠を超えた物語造作]など、問題を挙げればきりがない。
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そう言う中で、この本はあの捏造事件とは何か、と言うことを今に伝える機会となる。そもそもこの本は「新潮45」に連載されていたものを、加筆・訂正したものだが、その事件は今日的に引きずっていることを明らかにしている。問題は多岐にわたるが、以下思い就くことを羅列しよう。

・藤村一人の単独行動か、複数の集団行動か、あるいは仮に藤村単独行動だとしても誰かが示唆したものかなどの問題がある。
・また、毎日新聞がスクープせねば今でも捏造は「事実」として存在していた。さらに、文化庁主催の【発掘速報展】でより徹底的に喧伝されていた。また、藤村自身もどこかの大学に職を得ていた。
・縄文時代の石器などを旧石器時代の石器だと信じ込むエセ考古学者が横行して(つまり、考古学的方法論が無い連中、言い換えれば偽石器だと見抜けない自称考古学者が跋扈すること)、それは恰も考古学正統派であるが如く市民権を得ていた。
・教科書などにアジア最古の旧石器文化として賞賛され、日本ナショナリズムを煽りたてていた。
・そういうことに疑問を抱く者は口を閉ざすか、隠れキリシタンのような存在に陥っていた。

それ以外にも様々な弊害が考えられるが、いずれにしても「荒唐無稽な無茶苦茶な事態が横行」していたことは想像するに難くない。毎日新聞が竹岡俊樹意見を無視していたらこういう事態が継続していたことは確かである。石器が考古学的方法で理解できない者が「石器研究者」として大手を振って歩きまわるという、陳腐極まる事態が今でも存在していたのだ。因みに「天網恢恢疎にして漏らさず」と言う言葉があるが、これは結果論的な意味で実際には「漏れていない」事実が世の中に多くある。さらに付言すれば毎日新聞のスクープ取材班もこのネタ追及に対して資金切れ寸前だったが、取材班責任者の最後の決意でこの歴史的スクープを得ることができた、と上記紹介の本に書かれてある。

また今現在の考古学とは、「現代人の視点・思考」で過去のモノ・コトを解釈するという非論理的な意見が存在しており、それが考古学的議論としてまかり通るというナンセンスな学風もこのことに疑問すら持たず大きく存在している。それがなぜナンセンスなのか、と言うことに気付かず、あるいは気付こうともしない「考古学」が学問性を持つという笑止千万な事態が今も強くある。そして、それを補強するために、恣意的な意図での統計処理・分類処理が事実を客観的に見せかけるために動員される。併せて遺物の出土状態や遺構の検出状態に関する認識も同様である。

つまり、捏造事件以降日本考古学は反省的に再出発をしたのではなく、捏造事件以前と以降とでは何ら変わらずナンセンスな学風として、さらに病理を深く犯しつつ今も継続しているのだ。昔、某大学では「考古学的事実を元に歴史を叙述する」と教えていた。それが「科学的考古学である」と。くどいようだが「考古学的事実」とは何か、と言うことに問題を提示してその「事実解明」の方法論こそが今強く求められている。その為の苦闘を開始せねばならない。

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東京はここの所好天気だが朝晩の冷え込みはきつい。風邪は治らないし、体も重い。何とかその日その日を送っている。ところで、考古学の同人誌の編集長から現行の催促があった。そして今、この本を読んでいるのだが日本考古学との「理論的乖離」には驚くしかないほどだ。現代の日本考古学では「現代人の視点」からのモノとコトの解釈がまかり通っている。それは、「妄想」と言うべき代物でおよそ「学問」の範疇ではないのだ。
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それに対してレンルーのこの本は読みかけだが、モノとコトの解釈を「現代人の視点」を排除しつつ論理的に行っている。そこの違いは根本的なものだ。ここではレンフルーの「先史時代と心の進化」と言う本について加藤弘一さんの論評を紹介したい。
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  本欄では以前、ミズンの『心の先史時代』と『歌うネアンデルタール』をとりあげたが、認知考古学をより広い視点から見直すために本書を読んでみた。
 著者のレンフルーはケンブリッジで長く教鞭をとった世界的な考古学者で、『考古学―理論・方法・実践』という浩瀚な入門書が邦訳されている。

 本書は二部にわかれる。
 第一部「先史時代の発見」は18世紀のポンペイ発掘から現代にいたる考古学の歴史で、「先史時代」という概念がどのように生まれ、変遷してきたかを目配りよく紹介している。

 多種多様な出土品を整理するために、進化論と地質学の影響のもと、石器時代・青銅器時代・鉄器時代という三分類が生まれ精緻化されていき、ゴードン・チャイルドの『ヨーロッパ文明の曙』(1925)と『文明の起源』(1936)によって集大成されるが、そこにはナチスに加担したとして悪名高いグスタフ・コッシナの文化史的アプローチがとりいれられていること、チャイルドの提唱した「新石器革命」がマルクス主義の史的唯物論から着想されていたことをレンフルーは見逃さない。

 一歩一歩発展してきた考古学は第二次大戦後、科学の進歩と植民地の独立で飛躍期をむかえる。

 科学の進歩とは放射性炭素C14による年代測定や湖底コアや氷床コアの分析、DNA解析のような手法があいついで開発されたことである。なかでもC14革命の衝撃は決定的だった。相対的な年代しかわからなかった考古学に絶対年代という物差しをもたらしたからだ。エジプトやメソポタミア、インダス、中国、新大陸の年表を書き換えただけでなく、遠隔地の年代が比較できるようになった。世界規模の先史学がようやく可能になったのである。

 植民地の独立も影響が大きい。考古学は欧米の研究者がずっと担い手だったが、独立によって自国の過去に関心が生まれ、地元の研究者が育つようになった。

 新興国の中には社会主義陣営にくわわった国がすくなくなかったが、そうした国では史的唯物論が先史時代への関心をかきたてた。史的唯物論の先史時代論はモーガンの『古代社会』(1877)の焼き直しにすぎなかったが、先史時代に注目させたという意味では十分功績があったのである。

 第二部「心の先史学」から認知考古学にはいっていくが、レンフルーは認知考古学の初期の達成であるミズンの所論とは別の立場をとっている。

 ミズンによれば原人・旧人段階の人類の脳は特定分野の処理に特化したモジュールの集まりだったために、骨を道具の素材にするといった簡単なことが思いつけなかったが(骨の判別は博物学的知能、道具の加工は技術的知能が担当)、ホモ・サピエンスになるとモジュールを隔てていた仕切がとりはらわれ、分野をまたいで融通がきくようになったとする。ミズンはこの能力を認知的流動性と呼んでいる。

 レンフルーは最近の神経科学はモジュール仮説を支持する証拠を見つけておらず、ホモ・サピエンスに移行する時に遺伝子がどのように変化する必要があるのかもわかっていないと疑問を呈した上で以下のように述べている。
 これについては、人類初期に社会集団を、実際の姿に沿って、霊長類の社会システムの進化という視点から考えるアプローチが非常に有望である。人類への移行を推し進めたと思われる、より強力な社会的相互作用がホミニドの間で徐々に発達していく過程については、ロビン・ダンパーが著書『ことばの起源――猿の毛づくろい、人のゴシップ』で詳しく論じている。前期および中期旧石器時代の考古学的記録は、現在この視点から検討されることが多くなっている。今では通説として、完全な文法構造を持った言語が発達したことで、狩猟採集者の集団は環境に適応する上で非常に大きな利点を得たと考えられている。このように、この場合は進化論的アプローチが有効なのである。
 旧人からホモ・サピエンスが誕生した種形成段階では遺伝子変化と文化の発達が共進化していたというわけである。

 レンフルーはさらに「ホモ・サピエンス・パラドックス」と呼ぶ謎を提起し、真に重要なのは種形成段階ではなくその後だとする。

 ホモ・サピエンスは15万年から10万年前にアフリカで誕生し、6万年前にアフリカ外に拡散したと考えられているが、遺伝子的には現代のわれわれと同等だったはずなのに、彼らは依然として旧石器時代中期の生活をつづけていた。新石器革命がはじまったのはようやく1万年前にすぎない。

 どんなに遅くとも出アフリカの起きた6万年前には現在と同様の知能をもっていたはずであり、6万年前の子どもをタイムマシンで現代に連れてくれば、普通の現代人に育つことだろう。それなのに農耕と牧畜をはじめるまでになぜ5万年もかかったのか? レンフルーはこれをホモ・サピエンス・パラドックスと名づける。

 体格や皮膚の色の面では人類のゲノムは変化しつづけたが、行動面はもはや遺伝子が決める段階は終わっており、学習のみによって身につける段階にはいっていた。ゲノムの変化が重要でなくなった段階をレンフルーは「構築段階」と呼び、認知考古学はこちらに注目すべきだとしている。

 新石器革命はどのように起こったのか?

 マルクス主義の史的唯物論をはじめとして、以前は安定した農耕システムが確立されてから定住がはじまったとする説が一般的だったが、現在では農耕より定住の方が早かったことがわかっている。海産物などが豊富な場所でまず定住がはじまり、社会関係が複雑化していった結果、認知能力が発達し、耕作の開始をふくむ新石器革命にいたったというわけだ。

 レンフルーは新石器革命から階級分化、価値概念の発生、文字の発明までをやや駆足で概観していくが、認知能力の進化を単に脳内の出来事とするのではなく、社会関係と物質表現という視点からとらえるという方法論で一貫している。

 300ページ足らずの本なのでやや食い足りなくもあるが、目配りよくコンパクトにまとまった好著だと思う。
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以上である。私は、放射性炭素C14については懐疑的なのだが、それ以外の点では示唆に富んでいる。参考にしてみよう

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