クマさんのまだまだ弓道

高校弓道部顧問による自虐的な日記

東北・関東大震災

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3月11日、再び

 1年前の今日も同じように、3月も中旬に入ったにもかかわらず、とても寒い日でした。
 雪がかなり降っていました。
 
 こどもたちを小学校に迎えに行って連れ帰り、割れた皿やCDを片付けて、真っ暗な中で蝋燭の火を頼りに夕食を取りましたが、家族全員が無事だったことがとてもありがたかった。
 
 停電のためテレビを見ることができず、津波が沿岸部を襲っていることさえ知らずにいました。
 
 その後、私たちを心配してくださった方々、支援物資を送って下さった方々、横浜においでよ、と声をかけてくれた卒業生。
 みなさん、ほんとうにありがとうございます。
 
 今日の山下達郎のFM番組、『サンデイ・ソング・ブック』は震災の特別番組でした。
 
 公的な支援が立ち遅れているために、震災の物質的・精神的痛手からなかなか立ち直れずにいる方々、しかしその一方で、力強く立ち上がろうとしている、あるいは立ち直ってきている方々の言葉を聞いていると、却って言葉がうまく出て来ません。
 
 地元のテレビ番組では毎日、通常のニュースのほかに、震災に関する番組を放映しています。
 
 最近ではもっぱら「人」がその中心。
 
 つまり、震災以後「その人たち」がどのように暮らしているのか、どのように生きようとしているのか、という報道です。
 
 昨日は陸前高田(だったと思う)の、両親を失った19歳と14歳(だったと思う)の兄弟を伯父が引き取って育てているという男だけの家族。
 
 それをただ黙って観ていることしかできない。
 
 
 
 震災で(あるいは「から」)学んだことは無数にあると言ってもいいほどですが、その中でも最も強く感じるのは、こういう時こそ
「人間の本性が見えてくる。」
ということでした。
 
 なんだか、この一言に尽きるように、今は思います。

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震災の風化

 NHK仙台のアナウンサーに津田さんという方がいます。
 この方がなぜか私の好感を呼ぶのでした。
 
 「なぜか」というのは実は誤魔化し的で、本当は彼が震災の当事者であるからなのだろうと思います。
 
 彼は石巻の出身の人で、仙台の(というよりはむしろ宮城の)毎週土曜日には震災の被災者の人たちにインタビューをする番組があって、そのキャスターをしています。
 
 その彼が先日の土曜日の番組の冒頭で、
 
「私の石巻の同級生で、現在は東京に住んでいる友人が言っていたのですが、実家の両親にこの番組を録画してもらい、送ってもらって観ている。とのことでした。東京では既に震災のことが過去のことになっており、忘れられている、ということでした。」
 
 私のような、震災の被害がほとんどない家庭であっても、仙台にいる限りは震災のことを1日たりとも忘れるわけにはいきません。
 それはこういう番組があるから、ということだけではありません。
 本校生徒にもかなりの数の被災者がいますし、直接の被災者ではなくとも
「間接的な被災者」
もかなりの数に上ると思われるのです。
 
 「間接的な被災者」というのはちょっと複雑です。
 震災による影響を間接的に受けて、それによって人生観そのものが大きく変わってしまった人というのがいるからです。
 これに関してはそのうちお話できる時が来るかと思いますが、想像するほど小さな問題ではないのです。
 
 そのことを考慮の外に置いたとしても、地元にいる人間には震災のことを忘れるわけにはいかない状況にいる、と言っていいかと思います。
 
 しかし、それは決してマイナスのことだけではなく、むしろプラスに考えてもいいのではないかと思われることも少なくありません。
 
 そうしたさまざまなことを含めて、津田さんという彼の、石巻方言をそのままに放送する姿勢を好ましく見ている私がいるのも確かなことなのでした。
 
 

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教育の力

 昨夜のNHK総合19:30からの「クローズアップ現代」を久しぶりに真剣に見ました。
 タイトルは忘れましたが、岩手県釜石の小学校児童184名が自分たちの判断で津波から無事に逃れていた、というもの。
 
 下は3年生から上は6年生までの釜石小学校の児童たちは、放課後でそれぞれがまちまちの場にいた。
 一人で家にいてテレビゲームに興じていたこどももいれば、仲間と遊んでいた児童もいた。
 
 その彼らが、働いている親たちが不在のまま自分たちだけで危険と判断し、個々に逃げた場合もあれば、津波から避難する必要をまったく認めなかった祖父母を辛抱強く説得したうえで、老人たちを伴って避難したケースもあった。
 
 そのことには本当に驚きました。
 
 結果的にそれは小学校で行っていた「防災教育」の賜物であったわけですが、彼らがその教えを忠実に守ったということが、驚愕すべきことのように思えたわけです。
 
 普通はそんなに教わったことを忠実に守って実行に移すということがあるわけではない。
 現場で長年に亘り、生徒たちと付き合ってきた私にはそういう「思い込み」があります。
 
 しかし、釜石小学校の児童たちは「防災教育」で学んだことをほぼそのまま実行し、その教えの言葉もよく諳んじていた(たとえば「津波てんでんこ」など)。
 且つ、なかなか避難しようとしない大人たちをも説得して避難させた。
 
 もちろん小学校での教員の取り組み方が非常に真摯なものであり、それが功を奏したということがあるのでしょう。
 
 しかし、うちでたった1人きりでテレビゲームに興じていた小学生が、激しい地震の揺れで「津波が来るから逃げなければならない」と判断した、ということにはなかなか信じがたいほどの冷静さが見られますし、「津波は来ても大したことはない。」と重い腰を上げなかった祖父母を辛抱強く説得するというのにも、小学生らしからぬものを見る思いがしますし、弟に防寒着を着せて、今からでは高台に行くことは間に合わないかもしれないから、マンションの屋上に逃げようと判断した高学年の兄には大人顔負けの判断力が見られます。
 
 私は食後の洗い物をしなければならなかったこともあって、終わりの方は中途半端だったのですが、洗い物をしながら考えたのは、児童数が184名という小規模校ならではの児童同士と教員との緊密な繋がりがあったのではなかろうか、ということです。
 
 うちのこどもたちが通う小学校は全学年で444名というのが入学した時点での数です(その後少し増える)。
 これは全校生徒の顔と名前が一致する数ではありません。
 
 限度は200名以内でしょう。
 その点で184名という釜石小学校の児童数は理想的だったし、地域内の住民たちの繋がりが強かったということもあるのかもしれません。
 
 これが転勤族の多い仙台とは異なるところ。
 
 
 
 久しぶりに人間の生きる力を見せられた思いのする番組でした。
 
しかもその主人公が小学生であったということに、非常な希望を感じます。
 
 もしかすると内田先生が常々言っていた、現代人にはかなり鈍ってしまった動物的とも言える「危険回避能力」が、釜石のこどもたちにはかなり備わっているのではなかろうか、とも思いました。
 
 
 「災い転じて福となす」とは実はこうしたことを言うのかもしれないと思ったのでした。

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震災後を支えるもの

イメージ 1
 
 NTTドコモのCMで使われている桑田佳祐の新曲が気に入って買いました。
 
イメージ 2
 
 こんな長いスポーツタオルがついています。
 桑田佳祐に関して、私はそんなに熱心な聴き手ではないものの、長年に亘って時々聴いていますし、親近感もある。
 声はよくないかもしれないが、メロディーと、ふざけた歌詞も私の趣味に合う。
 今回のこのCDはシングルで3曲しか入っていません。
 その冒頭が『明日へのマーチ』で、これがCMに使われていて、めったに民放を見ない我が家なのですけれど、たまたま「世界遺産」の番組のスポンサーにドコモがなっていたためにこの曲と出会い、こどもたちも非常に気に入ったのでした。
 3曲目の『ハダカDE音頭〜祭りだ!! Naked〜』は「ん、クレイジーキャッツか?」と思わせる曲想で、そのやけに砕けた歌詞とともに桑田佳祐の人間性がうかがわれる。
 
 それにしても先に購入した山下達郎の『Ray Of Hope』といい、桑田佳祐のこのCDと言い、いずれも震災で被災した人々やその周辺の人たちを元気づける、という趣向の企画が目につきます。
 
 それぞれの立場で、それぞれができることをする、という考えからすればこれほど的確な仕事もないのではないか? と感服するわけなのですが、それにしてもいい曲が多いことは、嬉しい限りです。
 
 
 このまま秋になっちゃうの? とまで思われる気温が続いていますが、では我が家のミョウガもそろそろ終わりかな? と思って最後の収穫をしてきました。
イメージ 3
 
 大量にこうして収穫があると、我が家ではピクルスにします。
 このままただ甘酢に漬けるだけなので実に簡単。
 毎日のようにいただいていくと、その漬かり具合がまた変化に富み、楽しいものです。

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震災から学ぶもの

 久しぶりに「ほぼ日刊イトイ新聞」を見てみたら、「クロネコヤマトのDNA」というタイトルで糸井重里と社長との対談(http://www.1101.com/yamato/2011-08-17.html)が掲載されていました(全12回で今日は8回目)。
 
 その冒頭に上の写真(と思ってコピーしようとしましたが、どうしてもできませんでした。上記のURLでご覧ください。)があり、これはどこかでも見たことがあったように思うのですが、やはり心動かされる1葉です。
 
 いまだに私は沿岸地区に津波が襲う動画や写真を見るたびに実際、心が痛むのですが、この写真もそうで、しかもこの写真からは、それとは別に勇気のようなものも感じ取れてしまう。
 
 まあ、通常であればこのような写真は私としては「売名行為」的に受け取るはずなのですが、これはまったくそうではなかった。
 
 しかも、これに続くインタビューでは、この震災で仕事中に亡くなった社員はわずかに1名(非番で亡くなった方が4名)で、全体で14万人の社員がいる中での被害者がそれほど少なかったのは「道を知っていたから」という話を聞き、またもや心が動かされた。
 つまり、インタビューの中でもそれに触れているのだけれども、「地元の企業」だからということなのでした。
 「そうだよなあ、そうなんだよな。」
と深くうなずけたのでした。
 
 クロネコヤマトが営業を始めたのは1976年だそうですから、私が24歳の時。
私がこどもの頃には「便利屋さん」というのがあったけれども、これはたとえば栗駒から仙台へ段ボールなどを運んでくれるというにすぎなかった、謂わば「地域限定事業」。
全国版になると、日本通運(今は「ペリカン便」でしょうか)しかなくて、これはJRの駅まで大きな荷物をエッチラオッチラ運んで行き、「お願いします」と窓口に頼まなければならず、届いたらまた駅まで取りに行く、という方式だった(このことについては、この対談の中でも触れています)。
謂わば、「殿様商売」だったわけです。
 
本当に「隔世の感」がある。
 
『魔女の宅急便』というジブリのアニメは、クロネコヤマトがスポンサー(プロデューサーも?)で、詳しい経緯は存じませんが、あの精神が実際に生かされている、という気がしますね。

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開設日: 2007/4/26(木)


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