クマさんのまだまだ弓道

高校弓道部顧問による自虐的な日記

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日置流目録六十箇條 第二条

 この際だからという気になったので、どこまで続けられるのかは自分でもわかりませんが(なにしろ気まぐれなものですから)、『日置流目録六十箇條』を読んでいこうと思います。
 ただし、原文には句読点や段落がなかったりして、現代人には読みづらいところなしとしませんので、クマクニが勝手に読みやすく(と思ったのですが)しておりますことは、ご承知おきください。
 さらに都合上、徳山勝弥太氏が著したものを「徳山勝弥太本」、浦上先生のものは「浦上榮本」としました。
 
 で、今日は第二条。(以下引用文)
 
徳山勝弥太本
 
 第二条 五の胴の事
 
 反(ハン)。屈(クツ)。掛(ケン)。退(タイ)。中(チュウ)。中有の胴には名有り。重賢重政問答の事。
 
 「五の胴の事」とは弓を射る時の胴の造り方が反の胴、屈の胴、掛の胴、退の胴、中の胴と申す五色あると申すことなり。
反の胴とは後に「そる」胴の造り方、屈の胴とは前に「くるずく(おそらく「かがむ」の意)」胴の造り方、屈の胴とは的の方に「かかる」胴の造り方、退の胴とは右手の方に「のく」胴の造り方、中の胴とは真直なる胴の造り方なり。
この五つの胴の中で中の胴を専(もっぱ)ら用ゆる事なり。
「中有の胴には名有り。重賢重政問答の事」と申すは二代目出雲守重政が父重賢に向い尋ねるに五ツの胴の教えはあれど中有中連の胴の外(ホカ)(アマ)り必要なきものの如くなれば強いて五ツの胴と申さずとも単に中有の胴とか又は中連の身とか申し置きては宜しからずやと言われしに、此の反屈掛退の四つの胴造りは捨てられぬ訳がある故に善悪を集めて五ツの胴と上げ置くことであると答えられたり。
此の元祖の捨てられぬ訳と申すは、馬上等で射る場合は反りて射る場合もあり又屈(クルズ)いて射る場合もある。屈は船中等で射る場合は動揺のため必ず屈に限るのである。掛は手先の低いものを射るとき掛の胴造りにて中心を合わすなり。
退とは掛の反対なり。強(アナガ)ち中有中連だけとは申されぬ故に右の如く答えられたり。
善悪とは中の胴は善きも反、屈、掛、退の胴はよろしからざるも応変の胴造りなればなり。
「中有の胴には名有り。」と申すは中有の胴、中連の身とも申し中有とは中を「タモツ」中連とは中を「ツラヌク」と申す意なり。此の中を「タモツ」とか又中を「ツラヌク」とか申すことは譬(たとえ)場合に依りて反、屈、掛、退の胴にて射ねばならぬ事があるとも中の胴を「タモチ」終始中の連絡を失わぬようになすが肝要ぞと申す意なり。中有中連共に十文字の準を失わぬように致すことなり。
元祖の意を用いらるることの周密親切なることを見るべし。
 
(引用終わり)
 
続いて「浦上本」の引用です(以下引用)。
 
第二条 五つの胴の事
 
反・屈・掛・退・中。中にあり。胴には名あり重賢重政問答の事。
 
胴づくりに五種ある。後に傾くのは反といい前に屈するのは屈である。左に傾くは掛、右に傾くは退、真直なるは中といい中を以て最良とする。
「胴には名あり」とは中を「中連の身」ともいい又「中有の身」ともいう。然し真直は得難いもの故少しの掛は保ってもよい。
「重賢重政問答の事」とは吉田出雲守重政が父なる上野介重賢に問うて曰く、「胴づくり五種の内、中を可とし、反屈掛退は不可、不可なものは五種から除いては如何ですか」というのに対し重賢答えて、「中庸は得難いものである。聖人にしてさえそうであるゆえに常人に於ては尚更である。その上人は体躯上種々の癖を生ずる事は免れない。従って初めから中ならしむる事は難しい、まずそのままの胴づくりになし置いて漸次真直に改める事を心がけなければならぬ。胴づくりには幾分の斟酌(しんしゃく)あって五種あるものである。かつ常人の癖はこれを治すことも容易でないが、また特技なるものはこれを用うる時もないとは言い難い。即ち掛胴(カカリドウ)の人には低いものを射させ、退胴(ノキドウ)の人は高いものを射る時用うる事が出来る。必ずしも不用なものではない。」と。これは実に味わうべき父子の問答と言うべきである。
 
(以上引用終わり)
 
 現代では「掛」に代わって「懸」をあてるようになっていますが、これはいつ頃からなのでしょう?
 「中」がベストだけれども、常人にはなかなかそれは簡単ではないので、漸次治してゆくのがよいだろう、とは大らかですね。
 私自身は胴づくりの傾きには神経質で、すぐに指摘し、治させるようにしています。
 上記にあるとおり、「掛胴」の選手の矢は「下」に行きがちなので、逆に「退胴」にしてこれを是正するようにしたりもします。
 
 やはりこういうのを読んでいると、いろいろと考えるところがあって新鮮な気分になります。

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足踏みの難しさ

 先日タムサヤと足踏みについて話していたのでしたが、高校生にとってこれはそう簡単なことではなさそうだ、と改めて気付いた次第。
 
 一番簡単そうな「矢束の準」ですらなかなか守れていないのですから、「扇の準」にしてもそうですし、「一間中墨の準」にいたってはなおさらのこと。
 
 「矢束の準」と「扇の準」については基準が割合明確ですから、それを覚えておきさえすれば事足りるはずです。
 問題なのは「一間中墨の準」です。
 
 この足踏みの三つの要領は『日置流弓目録 六十ケ条』の第一条「足踏を定むる事」にありますが、今日は時間がないので、引用は明日にします。
 
 「蜘蛛の準」というのがあるので、タムサヤにはこれを引用して話したのでした。
 
 つまり彼女は「どこに立ったらいいのか?」に少々不安があるようなのでしたが、これはどの高校生にもあるようです。
 実際、試合時に見ていると、本校の選手でも「立ち札」に影響されています。
 つまり、「立ち札」の位置が正確なものだと思い込んでいるふしがある。
 「立ち札」にしても、人間が立てたものですし、場合によっては補助員の高校生が置いていますから、正確かどうかの保証はありません。
 で、私は常に「自分の立つ位置は自分で決めなさい」と言っています。
 
 さて、「蜘蛛の準」ですが、これは蜘蛛が巣を作る際の糸の張り方からヒントを得たものと聞いています。
 すなわち、ある一点から糸を繰り出してぶら下がった蜘蛛が、今度は振り子のように風で自分の身を揺らして、目的の所へ達するように、的の中心から矢道をまっすぐに自分の方へ辿り、その延長線上に左足の親指の爪先を置く。
 したがって視線は的の中心から矢道を正確に真っ直ぐ辿って自分のところまで達し、今度は右足の親指の爪先をその延長線上に置くように辿る、という具合にしなければならないはずですが、すべての射手がそのようにしているかどうかには疑問なしとしないところがあります。
 指導者によっては「あまり視線を下に向けるのはよくない。」とおっしゃる方もおいでですから、そのような指導を受けた方に正確な足踏みを期待することは難しいのではないでしょうか。
 
 本校道場内でも、的は等間隔に立っているにもかかわらず、時には射手同士が密着状態になっていることもあり、やはりどうも正確な足踏みができていない模様です。
 
 
 一番の基本なのですが、これとて熟練が求められるという点で、そうそう易しくはないのかもしれません。

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手の内の利き

  昼休みの道場でタムサヤが筈の取り付けをしていました。
 2本並んでいる矢の一方はターキーの羽根、もう一方は鷲羽根です。
 訊くと、ターキーは最初に購入したもの。
 昨年の6月頃だったでしょうか。
 鷲羽根はお正月の初売りで、つい最近の購入です。
 
 ターキーの羽根があまりにもきれいなのでびっくりしました。
 まったくどこも傷んでいないのです。
 購入したばかりかと見紛うような状態。
 
 彼女たちが的前に進んだのが7月でしたから、使用し始めてから半年以上は経過しています。
 それにもかかわらず、まったくの新品同様。
 
 これは彼女の手の内がよく利いていることの証です。
 
 人によっては弓摺り羽が見るも無残な状態にまで擦り減っているばかりか、本剥ぎ付近の羽根が弓と擦れ合うために、なくなっている場合すらあるくらいです。
 
 浦上先生や稲垣先生くらいの射手なら「さもあろう」とばかりに深く頷きもしますが、本校の1年生です。
 それにしてもみごと。
 
 タムサヤは矢飛びがふらつくので、手の内か馬手の離れに課題があるのだろうと、その方面を中心に指導していましたが、最近ではきれいな矢飛びで、しかも狙ったところに飛ぶようになりました。
 これほど羽根が傷まないのであれば、手の内には問題がなさそうです。
 
 今でも5割くらいのようですが、次第にもっと中ってくるでしょう。
 
 
 1年生で私が一番「弦音がよい」と買っているのはマナミ。
 もちろん離れが抜群にいい。
 使っている弓は「クリアー」です。
 そう、あの茶色の、見た目は冴えない、現在では既に生産すら中止になった、2万円をも切る価格の弓です。
 使用している弦は「金龍」。
 この組み合わせで素晴らしい弦音を出します。
 さすがに彼女ほどの弦音は2年生にもめったにいません。
 
 私なんかはほとんど感激してしまいます。
 
 もちろん射手の技量と、弓と弦の相性というものがあるわけですが、それにしてもすごい。
 コストパフォーマンスでは本校随一ではないでしょうか。
 あれだけ安価な鈍い弓で、ごくありふれた安価な弦を使用し、あれだけ素晴らしい弦音を出す。
 
 可能であればここでお聞きいただきたいほどです。
 
 私は弦音には特に敏感なようで、道場へ行く時でもまずは弦音が耳に入ってきます。
 この弦音は誰だろう? と思いつつ道場へ入って行く。
 なるほど彼女ならね、と思う時もあれば、今日の彼女はどうしたのかな? と気になることもある。
 
 竹の弓を引く方でも、なかなかいい弦音を聞かせていただけるお方はそう多くありません。
 
 それだけに、この道具にしてこの弦音を出せるのかと、感心するわけなのです。
 彼女も的中はまだいまひとつですが、しだいに矢所が纏まってきました。
 あの離れにしてあの弦音ですから、やがては8・9割の的中になってくれるに違いありません。
 
 
 
 もう20年も昔になりましょうか、稲垣先生を東北大学へお招きした時に、私も高校生を連れがてら、自分でも引きに行ったことがあります。
 
 その時、私の弦音をお聞きになった先生が「おっ!」というお顔でこちらをご覧になったことが、私の数少ない自慢のひとつです。
 
 昔の先生は弦音をよくお聞きになっていたようです。
 そういうエピソードが多いですね。
 
 
 まあ、そういう私ももう「昔の人」なんでしょうが。

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大三について考える

  さるお方から「大三についてのクマクニの考えを聞きたい」とのご要望がありましたので、力不足を自認はしているのですが、少し書いてみましょう。
 
 まずは日弓連などの教本のように、基本通りに引いているかどうかということが問題になろうかと考えます。
 
1.馬手の拳が、高さでは額のあたりに、前後関係で言えば額から拳一つから二つ分ほど離れているかどうか。
2.矢は水平で、自分の的に正確に向いているかどうか。
3.馬手は肱から下ろした垂線が右膝のあたりに、あとは上記の2に従えば位置・形は自ずと決まってくるでしょう。
4.馬手の拳から手首付近の形が非常に大事だと私は考えているのですが、これは言葉だけでは少々難しい。誤解を承知で表現するならば、「矢に素直に繋がる曲線を描いていること」でしょうか。
5.馬手そのものの形は「熊手」または「招き猫」のごとく、弦に引かれているようにし、拳を握りこまないよう注意する。
6.弓手手の内が大三で決まるので、高校生ならばここで新たに作り直すくらいの気持ちで、慎重に手の内を決める。ここから会までは、手の内と弓が絶対に滑ったりしてはいけない、という認識を持つ。
7.大三からの引き分けの初めも大事。必ず弓手を優先する。
8.両肩を弓の中に割り込ませることができるように準備することも忘れない。
 
 という具合に、気をつけなければならないことが山ほどあります。
 逆に言えば、ここで決めることができれば、あとは会までさほど苦労せずに済みますが、ここで失敗すると取り返しがつかないことにもなる。
 
 つまり、「大三でほぼ射が決定してしまう」というのが私の考えです。
 だから大三を見れば、その射手が上手いかそうでないかがだいたいわかる。
 特に馬手の形がそうですね。
 
 ただ、骨格というものは人によってかなり違いますから、それに応じて変えなければならない部分というものが自ずと生じてきます。
 だから偉い先生のご指導のように、グイッとばかりに「ここだ」と体を掴んでそこへ持っていくのはいかがなものかと考えます。
 
 現代の範士の先生方には大三の位置の高い方がおいでのようなので、それが流行しているようですが、吉本範士のように腕の長い方であればいざ知らず、腕の短い人間にまで高い位置での大三を要求するのは無理というものではないでしょうか。
 腕の長短によって、頭の上まで挙げられる方もいれば、額の下の方にしか挙がらない人間もいるはずで、一概には言えないと思うのです。
 
 いつかも話題になりましたが、昔の範士の先生方の大三は決して高くはない。
 
 大三が低いとそれだけ会までの距離は短くなるわけですから、ある程度、引き分けに気を使わなければなりませんが、だからと言って、低いのが悪いということにはならないと思います。
 
 先日の講習会的練習試合でも感じたのですが、指導を求めてくる生徒には「これはこうでなければならない」という思い込みというのがあって、「こういうふうにできないのですが、何がよくないのでしょう?」とよく訊かれました。
しかし、私から見れば「そんなに気にしなくてもいいのではないか?」とか「そんなに拘らなくてもいいのではありませんか?」と言わざるを得ないことが実に多い。
細かいことに拘り過ぎて、射の全体をダメにしている、すなわち
「木を見て森を見ず」
ということが少なからずあるように思いました。
 
 「離れで両腕が下がるんですけれど…」という生徒の射を見ると、本校の誰よりも高い位置で止まっていたりするんですね、これが。

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早気について考える

 一昨日の練習試合で本校の女子チームは最低が2015中で平均8割強の的中。
 「こんなことは練習でもありません。練習よりも試合での方が中りました。」
と閉会式で言ったのは本当です。
 不思議な人たちです。
 
 さて、昼休みに「質疑応答」をしました。
 最近一向に63kgを切らない私の体重を減らすためもあって昼ご飯を抜いたのが幸いしたのですが、忙しかったのもたしか。
 
 一番多かったのは
「早気を直す方法はあるか。」
というものでした。
 「ありません。」
で済ませれば話は早いのですが、それでは取り付く島もないし、すがる藁もなくなってしまう(どうやら「的」さんにはあるらしいのですが)。
 でも、確実に直せる方法がないのはたしかです。
 いろいろとやってみるしかありません。
 
0.早気は江戸時代やそれ以前の人たちも悩まされていたらしい。さまざまな方法が試されたけれども、確実に治るという方法はないようだし、的前に自分のこどもを立たせて引いた、などの非現実的なものしかない。したがって、確実に治るかどうかはわからない。確率は五分五分と考える。
 
1.巻藁で引くのは無意味に近い。巻藁と的前は違うから。直すなら的前で試みる。
 
2.早気に罪悪感を持たない。早気はよくない、というのは和弓の世界だけで、他国の弓技では狙いが付いたらすぐに離している。会は長い方がよい、というのは概ね弓道界での迷信に近く、特に理由はない。的中との関連で言えば、4〜5秒程度が最も的中率は高いようである。名監督のフクダ先生なども早気がよくないとは考えていらっしゃらない(たぶん)。
 
3.早気になってからの時間と同じくらいの時間がかかると考える。したがって、取り組みが早ければ早いほど早く治るかも知れない。顧問としては「あ、もしかすると早くなっているのではないか。」と感じた時から指摘する。
 
4.弓を強いものに換えた時が一番危ない。本人はなかなか気づかないものだから、周囲が注意して見てやることが肝心。
 
5.的中が上がってきた時も危険。気づかないうちに次第に早くなってくる。
 
6.的前に他の部員と一緒に入り、4つ矢を引くが「離さないで戻す」という練習を続ける。
 上記の3で書いたように、早気になって半年だったら、直すにも半年かかるかもしれない、との覚悟を持つ。この練習法を最低でも1ヶ月は続ける。体の細胞が早く離すことを記憶してしまっているのだから、そのことをリセットさせる必要があるからである。
 
 こうしてみると、早気についてだけでもけっこう書くことがあるものですね。

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開設日: 2007/4/26(木)


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