2004年の夏から、 竹内敏晴さんの「 からだとことばのレッスン」にときどき参加しています。
前からずっと記事にしなければと思いつつ、なかなか言葉にするのが難しくて、でも、どうしても今、書かなきゃいけないような気がして。
今でこそ、コミュニケーションが得意であるように周囲から勘違いされるようにまでなりましたが、そんなことはまったくなくて、人生の大半の期間を人とうまくやっていけないことに悩んできた私です。人と同じように「うまくやれない」自分をもてあまして、悩み続けてきたことがきっかけのひとつ。
また、私は以前から「体」や「教育」や「演劇」に関心があり、たまたま古本屋で「からだ・演劇・教育」(岩波新書)を購入したのが、先生とのはじめの出会いでした。
長い間この本は、買ったことさえ忘れて「積ん読」になっていたのです。ところが、これらのテーマの他の本をいろいろ読んでいると、なぜかどの本にも「竹内敏晴」という名前が出てきました。この人は一体どんな人だろう、と不思議に思ったところで、ふと買った本のことを思い出して取り出し、一気に読み終えました。もっともっと知りたくなって、本屋に出かけ、ちくま学芸文庫の「教師のためのからだとことぱ考」を手に入れ、これもあっという間に読みました。具体的に何がどうということは覚えていないのですが、とにかくびっくりしました。「こんなに深く人間を愛している人がいるのか!」ということに。
この人に会わなきゃならない! そんな思いに駆られて、インターネットで検索してみると、たまたま直近に琵琶湖岸で 合宿ワークショップというのがあることがわかり、これを逃すなとばかりに事務局に電話して、何が何だかよくわからないうちに申し込みました。
先生は小柄な、“スーパーじいさん”でした。
初めてのレッスンのテーマは、「日本語のレッスン−呼びかけること、こたえること−」。「呼びかけのレッスン」と言われるものが主体でした。
このときの衝撃は今でも忘れることはできません。私がどんなに呼びかけても呼びかけても呼びかけても、相手に振り向いてもらえず、自分の言葉はまったく人に「届かない」ことを知ったのです。
汗びっしょりでぷちパニック状態の私に、「声の産婆」と呼ばれる先生は言われました。そんなかわいらしい声ではだめだと。これまでの若いときならその声でも人はだませたかもしれないが、これからはそうはいかん、自分の声をちゃんと出せと。そして、レッスンによって、「私のほんとうの声」を引き出してくれたのです。
これが、これが私の声、これが私か! その驚きと喜び。合宿を終えて、帰ってしばらくも、「自分の声」を出し、人に届けることが本当に楽しく感じられました。
次に参加したのは同じく合宿ワークショップの12月。今度のテーマは「あなたとわたし−出会い−」、「出会いのレッスン」を中心として展開されました。
このときは、また新たな衝撃を受けました。人と「出会う」ということのあまりの難しさに。人と目の前に立って向かい合って、お互いに触れ合っているというのに、「出会えない」ことを体験しました。
あまりにショックだったので、終わった後に先生に話してみました。実は、私はレッスンのあの相方と向かい合ったとき、この人とは出会えないかもしれないと気づいていたこと。でも、自分は相手との向き合い方はたった一種類しか知らなくて、それは自分を開いてまっすぐに相手に向き合うことで、自分は今回もそれをやってみるしかなかったけれど、やはり出会えなかったということを。先生は言われました。人と向き合ったときに、自分を開くということは絶対に必要なことだけれど、まっすぐに前に立つことは必ずしもよいとは限らないのだと。
そうだったのか、なるほど。それで、今まで日常でも犯してきた間違いに気づきました。私はこれまで、暗闇から出てきたばかりの人に対して、真っ正面からスポットライトでバーッと照らすようなことをしてきたのだということに。
こんな感じで、参加するたびにびっくりすることが起こり、そのたびに自分が解き放たれていくことを感じるので、合宿ワークショップに年に1〜2回参加することになりました。今月は初めて大阪の定例レッスンにも参加させてもらいました。
その効果のほどを言葉で説明するのはとても困難です。だけど、自分や人の「からだ」がよく「見える」ようになって、自分に嘘がつけなくなったことは感じます。
それから、しゃべるのが下手くそになりました。といっても決して悪くなったわけではなく、今その時その場所で自分の「からだ」から出た言葉でない言葉で語るということができなくなったのです。これは、社会的な生きものとしては生きるのが困難になった、と言えるかもしれませんが、「わたし」というものがひとりの人間として「人間らしく」生きることができるようになった、とも言えます。
今、私はとても自由です。
いつも、ワークショップを終えて日常生活に戻ってしばらくすると、また生活の垢や泥のようなものが体にくっついて、自分がすぐにさびついていくのもわかるのですが、それでも、「からだ」に無自覚であったときに比べれば、とても自由です。
自分が自分であること、これがコミュニケーションの基本なのですね。
自分のコミュニケーションに問題を感じたことがある方、どうも生きづらいということを感じたことのある方は、ぜひこの「 からだとことばのレッスン」を受けることをおすすめします。
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