みとよの文化探訪

三豊の文化情報発信基地を目ざします

250回目を迎えて

前回の記事で、250回目を迎えました。期間にすれば、1年10ヵ月が経っているわけですから、よくもこんなに長く続けられたものだというのが正直な感想です。

それというのも、この一人合点な記事を懲りずに覗いていただいた方々、そしてその上にご丁寧なコメントまで寄せてくださった方々がいたからのことで、もしそうでなければ、せいぜい100回も続けられればいい方であっただろうことを思うと、ただ感謝の気持ちでいっぱいです。

これからは、できれば香川県の各地にまで探訪先を広げ、もっとスローなペースで、地元の文化を見つめてみることも考えています。そのためには、しばらく充電の時間をつくってみようと思っています。

すでに前々回・前回の記事の末尾でもお知らせしているように、新しいブログ『リタイアライフ満喫中』を開設しています。こちらの方でも、地元の文化については変らぬ関心をもちたいとは思っていますが、もっと自由で、気軽で、そして広い範囲のことを書いてみるつもりです。時どき覗いていただけることを願っています。
『リタイアライフ満喫中』のURLは、下記のとおりです(クリックしていただくだけで、アクセスできると思います)。
http://blogs.yahoo.co.jp/retire0611/MYBLOG/yblog.html

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県庁旧本館で記念写真展が

いま、香川県庁旧本館(現東館)の1階ギャラリーで、当館の完成50年を記念した写真展が開かれています。「あのころの県庁舎展」というテーマで、県庁職員の有志約30人が「旧本館の美しさを再認識してもらうために」企画したとのこと。

旧本館といえば、故丹下健三氏の設計による、わが国の戦後建築を代表する作品の一つとして広く知られています。私が持っている平凡社版『世界大百科事典』中の「日本の近代建築」の項にも、その東側外観の写真が掲載されています。

コンクリートの柱と梁をそのまま剥き出しにした斬新な様式美を初めて目にしたときには、私も大きな衝撃を受けました。完成が戦後10年を経ない1958(昭和33)年ということですから、当時の人たちには自らの美意識を革命的なまでに揺さぶられるほどの体験だったでしょう。

もっともこの旧本館も、周囲の街並みにあって、そこだけ傑出した、いわば「点」的な存在に過ぎません。それでも、道ゆく人の心をおのずから引き締め、厳かにさせずにはおかない雰囲気を辺りに放っています。

この記念事業を企画したのが県庁職員であるというのが、何より楽しく、うれしいことです。ちょっと遠いので、できれば県内各事務所のロビーなどでも開催していただければ、有り難いのですが…

お知らせ 新しいブログ「リタイアライフ満喫中」を開設しました。こちらの方も覗いていただけますように。

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大調和型の天才・空海

讃岐が産んだ二人の傑出した人物・大平元首相と菊池寛について書いてみました。そしてこの二人が揃って調和型の逸材であり、この地の風土が産んだ、典型的な「讃岐人」ではないかということも。

讃岐が産んだ調和型の逸材といえば、むろん弘法大師についても触れないわけにはいきません。調和型というより、その範疇を大きくはみ出すほどの大才です。

若いころ、自分の非才をも顧みず、ただ向こう見ずなだけで、主著といわれる『十住心論』に挑戦してみたことがありました。もとより精髄など理解できるわけもありませんが、それでもぼんやりと見えてきたのは、その実に高く、広く、そして深い世界です。既成の仏教に破壊的なまでに革命的でありながら、それでいて、そのすべてを包み込むような大調和の世界です。

宗教的な著作・活動だけではありません。詩作から書道、教育、さらには溜め池の築造に至るまでそのいずれをとっても群をぬいた業績であり、まさに超人的というしかない人物です。

しかもそれらが互いに調和し、交響し、一体となって空海なる大宇宙を形成しています。この人物もまた讃岐の人であることには不思議さを感じる私ですが、讃岐の人であるがゆえに、このような大宇宙、大調和の世界を創造しえたのだとも思っています。

お知らせ 新しいブログ『リタイアライフ満喫中』を開設しました。現在退定年職後のフリータイムを存分に楽しんでいるところですが、その日々の思いをありのままに書いてみようと思い立ちました。下記のURLをクリックすると、開けると思います。覗いていただければ、幸いです。
http://blogs.yahoo.co.jp/retire0611/9616575.html

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菊池寛という作家

何年程前だったか、ある新聞の県内版で、「菊池寛は文豪か」ということが議論になったことがあります。確か議論は尽くされなかった感があり、県内では今も「文豪菊池寛」という語がかなり市民権をもって使われているようです。

しかし、全国的な評となると、今日菊池寛に対して文豪の評を冠することは難しいというのが大方の見方ではないでしょうか。誰しもから文句なしに文豪と呼ばれるには、単に長編小説をたくさん書くだけではなく、その文体の芸術性、一行一行の感覚的な鋭さや煌めきもまた必要条件で、彼の作品にその片鱗を求めるとすれば、ごく初期のものに限られるからです。

菊池寛が純文学作家の時期を終え、大衆作家として次々にベストセラーを発表するようになってからは、「文壇の大御所」なる評が揺るぎないものとなりました。感性の鋭敏さや思想の先鋭性を追い求めることより、多くの読者に読まれることの方を彼は選んだのでしょう。

そして作家としてだけではなく、『文芸春秋』を創刊したり、大映の初代社長に就任したりするなど、実人生においても大変な成功を収めることとなりました。同じ『新思潮』の同人として出発しながら、実人生から作品を屹立させ、その感性の切っ先をますます尖らせることに終始した芥川龍之介とは、正反対の生涯です。

菊池寛には、芥川のように、切っ先の尖った、現実世界とも切り合うような作品を書くことはできなかったでしょう。しかし、現実世界と和睦した作品を多作し、その現実世界においても数々の成功を収めた菊池寛もまた、まぎれもなく私たちの風土が産んだ作家、まさに「讃岐人」的な作家であると私は思っています。

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遺したい大平元首相の書・その3

「着眼大局 着手小局」というのは、数ある句のなかでも、元首相自身が最も好んだものの一つではなかったでしょうか。氏の足跡を振り返るたびに、そう思われます。

いうまでもなく、この句の主意は、「着眼大局」「着手小局」の両者を兼備することの難しさ、重要さにあります。両者は互いに相反し、そむき合うことが常だからです。

この対立し、そむき合うものを共存、調和させることが、氏の生涯を通じての思索と政治を貫くバックボーンであったと思います。よく知られた田園都市国家構想も、その一つです。

都市と農村とは、本来相容れない、互いに対立し、否定しあう関係にあるというのが、世の一般的な考え方でした。この両者を「結婚」させるという政策の最初の提唱者は、英国のE・ハワードでしたが、むろん元首相も早くから彼の著作を読んでいて、将来におけるその具体的政策発表の機会に備えていたにちがいありません。

しかし、それ以上に、この互いに矛盾し、相反するものを共存、調和させるという思想・政策を氏のうちに育み、熟成させたものこそ、実は、私たちの風土、この穏やかにして和やかな山河ではなかったのか…氏の田園都市国家構想や環太平洋連帯構想などを振り返るたびに、私にはそうも思えてくるのです。

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遺したい大平元首相の書・その2

日中国交回復というと、真っ先に光が当てられるのが田中角栄元首相ですが、最近その舞台裏を知る人の証言が発表されています(『文芸春秋』平成19年12月号)。終始交渉の通訳を務めた中国側の周斌氏によるものです。

この記事では、交渉が行きづまりに至った段階で、当時の大平外相が田中首相に優るとも劣らない役割を果たしたことが証言されています。たとえば交渉の最難問といわれた、先の戦争に対する認識とその表現についてです。

大平元外相は、万里の長城を視察することになった際、当初乗る予定であった車を急遽変えて姫鵬飛外相と同乗し、その問題をめぐる私案を同外相に訴えたというのです。この時周氏も同乗したとのことですが、合意が成立するに当たっては、「大平さんの言葉がすべてであった」と語っています。

実際に後に発表された共同声明は、車中で大平外相の示した私案とほぼ同じ文言で記述されることとなりました。それは、両国の歴史と将来を展望しながら、同時に帰国してからの左右両陣営からの反応をも計算し、そして何より車を乗り変えて姫外相と直談判するという目前の一策があってのことであり、まさに「着眼大局 着手小局」を自ら実践したものであるといえるでしょう。

このように、大平元首相の遺した書には、氏の政策の発案や実行の経緯を照射し、首肯させるものがたんさんあるようです。氏の思想や政治にはまだまだその深部が見えない大きさがありますが、各自治会館に遺された書から、その全貌を考えてみるのも、地元民に与えられた大きな幸運であり、楽しみなのではないでしょうか。

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遺したい大平元首相の書

今月9日の四国新聞に、大平正芳記念館の加地館長が元首相の足跡や考え方をテーマに、県内各地で講演活動を始めたことが報じられています。2010年に元首相の生誕200年と没後30年を迎えることから、館長がかねてから温めていた念願を実行に移すことにしたとのこと。

私は新聞を見て、さっそく加地さんに電話をかけ、できるだけ多くの人に元首相の思想や行動を伝えてほしいと頼んでおきました。そして私なりに願っていた、元首相の足跡を振り返るための取り組み案も。

元首相は生前、三豊地区内の自治会館などに、一目見て氏の筆によるものと分かる、あの清逸で瀟洒な書をたくさん遺しています。これに香川県内、そして個人宅のものまで加えれば、たいへんな数にのぼるでしょう。

私は氏の書を前にするたびに、魅力的な筆跡もさることながら、その味わい深い句の内容に深い感銘を与えられてきました。たとえば、「着眼大局 着手小局」「不責人小過 不念人旧悪」などは、様ざまな迷いや悩みに捕らわれると、よくこの書を思い浮かべて、自省の糧にしてきたものです。

三豊地区、そして香川県内に遺されたこれらの書を洩れなく調査・採集し、それに施設名や揮毫年月日、句義、出典などを付して一冊の本にまとめてほしいというのが、私の長年の願いです。この一文を読まれたどなたからでも、その実現に向けた機運をつくり、盛り上げていただくことを願っています。

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遠い日の微かな酸っぱさ

ついさっきのことですが、散歩の途中、道ぶちの暗闇のなかに小さな桑の木を見つけました。前から気になっていたので、車のライトが通り過ぎるのを待って確かめてみたのです。

何粒かを取って家に帰ると、記憶のなかの、あのぷちぷちとして瑞々しい実とはちがって、どれもが皆やせ細っています。それでも微かに紫色を帯びた粒つぶの実は、まぎれもなく桑の実です。

昭和30年頃まで、近くの畑には桑の木が植えられていて、私たちはその畑に忍び込んで、口いっぱいに桑の実を頬張り合ったものでした。いま忍び込んでと書きましたが、確か他の成木物とはちがって、桑畑だけは仮に大人たちに見つかっても咎められることはなく、自由に出入りできたのではなかったでしょうか。

何十年ぶりかに、さっそくその一粒を水で洗って噛んでみると、微かに酸っぱさが広がります。迸り出るような甘味はないものの、酸っぱさだけは変わりありません。

その微かな酸っぱさは、桑畑を目ざして山道を急ぎ登ったひもじさや、それでも昼なお暗い葉の下で、互いに唇のまわりを紫色に染めて頬張り合った、遠い至福の時間を思い出させてくれました。

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エジプト・ギリシャ・トルコを旅行して・その6

私たちが今回、最初の観光地「エジプト・ルクソール」を訪ねたのは、4月12日のことでした。その同じ日の朝日新聞に、写真家石川直樹さんが「旅とはなにか」と題してエッセイを書いています。

石川さんはそのなかで、旅と観光旅行を対比させ、旅とは「心を揺さぶる何かに向きあ」うことであり、「自分と世界との関係を確かめる方法」であると書いています。そして観光旅行とは、ただ「ガイドブックなどに紹介された場所をなぞる」だけであり、そうした出会いや発見はあまりないとも。

確かに名だたる観光地には、ガイドブックや他の多くの人たちによる既成のイメージが被せられていて、それらの表皮を分け入って、自らの眼でその真の姿に出会うのは容易なことではないかもしれません。しかし、心の持ち方によっては、「自分と世界との関係を確かめる」機会にすることもできるのではないでしょうか。

およそ世界の観光地と称されているようなところには、大自然の驚異やこれまでの人知のつくり上げた最高度の文明・文化が凝縮されているといってよいでしょう。そんな大自然や文明・文化に出会うことは、少なくとも私の場合、「自分と世界との関係」を一新させる、又とない機会となっています。

それは、自らの住んでいる地域を見る眼を一新させる機会ともなっています。海外旅行をするたびに、「みとよの文化探訪」と題するこのブログに、その都度感想めいたことを書いているのは、それが最も大きな理由です。

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今年もくぐった「大般若はん」

きょうは、朝6時になるかならぬかに、家の前の道をカーン、カーンという鉦の音が響きわたります。まだ春眠のうちにいる人の目をも覚ませるほどの大きさです。

大般若経600巻を納める経箱がやってくるお触れの鉦です。経箱は各家の前まで担がれてきて、家の者が姿を見せると、二人のかき役が腕を高く伸ばし切って、その下をくぐらせてくれるのです。

地元では、この経箱あるいは行事の全体を「大般若はん」と呼んでいて、経箱の下をくぐった者は、その夏は病気にかからないといわれています。昔は座敷まで上がってもらってくぐっていたそうですが、私の子供時分には、父親に無理やり起こされ、眠い眼をこすりながら戸口まで出ていったのを憶えています。

大般若経には除災招福の御利益があるとされていることから、この行事が行われるようになったのでしょうが、これを担いで各家を廻わるのは大変な役目です。自治会や講中が順番でその役を引き受けることになっており、私も何回か担いだことがあるのですが、肩にかき棒がめりこむほどの重さです。それを両腕で差し上げるのは、せいぜい7、8軒が限度です。

今では経箱も随分軽くなっていますが、それでも戸口で待ってもらうのは気の毒です。それにあまり遅くなると次の家へ行ってしまうこともありますで、今年も鉦の音が聞こえるや、妻といっしょに戸口へ急いだことでした。

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