【転載】福島より東京の方がストレスを感じている
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「困ってる人」の大野更紗氏と重松清氏の対談から一部抜粋です。
大野 この前、福島県内で一番大きな書店さんのイベントに呼んでいただいたんです。被災後はじめて、福島に入りました。この身体ですから、日帰り搬送体制で、それ自体非常に大変なことでしたが行って本当によかったと思っています。両親もこっそりと郡山市まで車で出てきて、3・11後にはじめて直接顔を見た。
書店の一角で三十分話しただけでしたが。それはともかく、郡山市のその書店で、福島で日常を暮らす人たちにお会いした。そこで、東京の人こそ「苦しい」のかなと感じました。福島で少しずつ日常が壊れて、土地が消えようとしていることは、もちろんわかっているんだけども、放射線やこれからどうやって生きていくかという事実から少し切り離した心情的な話では、東京の人のほうがストレスを感じ、怯えている印象があるんですよね。 重松 うん。いまの東京の人たちは、たとえば「引越しをする人もいるし、しない人もいる」「しようと思えばできる」という選択肢のある状況に、かえって悩まされて、苦しめられている気がする。開き直れなくて右往左往しちゃう。 大野 原発にかぎらないですけど、逃げられるところから見える景色と、本当に逃げられないところから見える景色はぜんぜん違う。 重松 そうですね。「ここでやるしかないんだ」って開き直った人は、やっぱり強いです。当然シビアな状況はずっとつづいているんだけど、「ここで生きるしかないんだ」って腹をくくれるんですよね。 大野 東京のほうが浮き足立っていると感じた。それは東京と福島を単純に比較したり、正しいか悪いかの次元で考えられることではない。価値概念やイデオロギーの問題ではないんです。ただの東京の今日の「現実」なんです。 重松 浮き足立つと人は短絡的になるんですよね。さっきのレッテル貼りもそう。そうやって短絡的に結びつけることは、この半年間すごく多かったと思うんです。だから、大野さんにも、無神経な質問とか、すごく多かったんじゃないのかな、と。 大野 そうですね。「福島枠」にプラスして、「弱者枠」でしょうか。(抜粋ここまで) 今、東京の関心事は、放射線もさりながら、巨大地震も追加してきたように感じます。週刊現代の見出し、華々しいです、そしてポストがそれを否定する見出しです。ほんとうにわかりやすい構図です。自由である、選択できる=恵まれていることが人々を苦しめているなんて。 それと、私が前の読売の低線量被曝で「電力を使っているのに恩恵を受けているとあまり感じないからリスクばかりを一方的に感じる」という解説をなるほどと思ったのと似ていることを幕内秀夫先生が書いています。 たぶん、そんなことをした人はほとんどいないでしょうが、私は今回津波にあった三陸海岸はすべて、見ています。三陸海岸を端から端まで、乗り物に乗らないで歩いたことがあります。もう、三十年以上も前になります。今回、被災して避難している福島原発の近隣はほとんど行ったことがあります。東電で働く人も、東電の下請けで働く人も、避難している農家や漁業の人たちもたくさん知り合いがいます。 原発の事故が起きるはるか前から、原発の問題は考えていました。事故が起きて、昨日、今日、騒いでいるわけではありません。だがゆえに、私にはわからないのです。どう考えていいのかわかりません。
ただ、私は、私たちは単なる被害者ではなく、加害者でもあること。それを忘れて、論じることには非常に違和感があります。 (Kのブログより転載)
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