水辺の土木遺産

水辺の産業遺産や近代化遺産、それに土木遺産を中心に、色々と紹介していきたいと思います。

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近代建築 官営模範工場富岡製糸場(群馬県富岡市)。

岡谷の話では、富岡製糸を引き合いに持ち出す機会が多かったもので、皆さんご存じかとは思いますが寄り道ついでに簡単に紹介させてください。

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上信電鉄富岡駅近くにあるのが官営模範工場の富岡製糸場跡です。

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竣工時期は玄関門構えのアーチ中央、要石に刻まれた通り。
建設地としてこの土地が選ばれたのはもちろん養蚕が盛んな地域であることが第一ですが、交通の便が良くて綺麗な水が大量に手に入ることも大切な要因でした。

水に寄り添うと、他の色々なものに繋がっていきます。

官営模範工場としての富岡製糸が年間の経費に対して売り上げが1/10ほどしかあげられない赤字工場だったのは以前に少し触れた通りですが、そうして育てられた女工さんたちの中からは地元に帰って旗揚げした人たちも現れ、岡谷の町を1つ見ても製糸工場が出来て、機械工業が起こり、エプソンやオリンパスが今も工場を構えていることから、富岡製糸が果たした役割は小さくなかったことが分かります。

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富岡製糸は有料で見学コースを見学することが出来る所謂『観光地』ではありますが、受付の事務所の建物を覗き込んでみてもこの通り、見学コースから見ることのできる敷地だけでも、観光地にはあまり興味の無い私のように無粋な人間にとっても一見の価値がある場所です。

ただし、見学開始の10時ジャストには入らないと人が多くて写真を撮るのにはかなり残念な事になります。

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こんな景色が見たければ、朝の家に訪れることをお勧めします。

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こちらが河岸跡と思われる場所の木橋と比較していた木筋レンガの木の柱。
これとほぼ同じ太さの柱を並べて木橋にしていると言われると、その圧倒的な質感が伝わるかと思います。


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東武線の駅で良く見られるような木製トラス構造の屋根がまた良いんです。
今の工場に置かれた機械は昭和の片倉製糸時代のものですが、この広大な敷地は竣工当時から変わっていないわけで、富岡製糸開業当初の機械の台数はフランスの大型の工場の約10倍と言うことですから、開業当初の富岡製糸は『世界最大の製糸工場』という言い方をして間違いないと思います。

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現在の機械はプリンス自動車(日産自動車と合併)の製品です。
プリンスはもともと自動車会社ですが、トヨタ自動車は豊田紡織からスタート、スズキ自動車は鈴木式織機製作所からのスタートで、自動車産業と製糸業や紡績業との繋がりは非常に古く、非常に深い……みたいです。
(自動車は専門外なので、トヨタとスズキの資料館くらいしか覗いたことがないんです(苦笑))


日本に初めて作られる製糸工場としては、異常とも思えるこの工場の規模などを決めたのは、お雇い外国人のフランス人技師(技師と言うよりは交易業に近い方面の品質検査員だったようですが)のポール・ブリューナ。

彼のたしなむワインが「工場の異人は生き血をすする」と間違えた風聞が伝わったために女工さんを集めるのに苦労する原因になっていたり、工場の敷地内にある彼の館には換気口があるためにワインの保存には適さないワインセラー(つまるところ異人だからという理由で襲われたときの為のレンガ製のシェルター)を備えていたりと、歴史を掘り下げて見るのも面白い物件です。

いや、おまえが気になるのはレンガアーチのシェルターだろ? と、そう突っ込まれるとその通りです(笑)。


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こちらは駐車場から富岡製糸の間で目に付く時計屋さんですが、建設当時は消防団の詰め所だったという火の見櫓が目を引く疑似洋風建築、周囲の町並みも楽しめる場所です。

お近くの方は、機会があれば立ち寄ってみてください。

追記:
なお、見学コースの説明のボランティアの方々は知っている部分はよく知っていますが、知らない部分は学芸員の方達でさえ少々お粗末な認識だったりする印象でした。掘り下げて話してくれることは鵜呑みにして大丈夫ですが、軽くしか触れていない部分はあまり詳しくない部分だったりするので、こういう場所の説明は話半分で聞いて後は興味があれば自分で調べるのが基本です。

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屋根付き橋 田丸橋(愛媛県内子町)。

いつも拝見している方の記事で四国のお話を読んでいて、何となく紹介したくなってしまい、現在紹介している今年のGWの話ではなく、3年ほど前のGWに訪ねた四国の橋の紹介です。

この年のGWは香川空港をスタート地点に琴平や別子を経由して松山に入り、松山から南をまわって松山空港から帰宅すると行ったコースで自転車で走りまして、結局は4つしか見られませんでしたが(本来は5つの予定が日暮れで最後に1つまわれず)、四国の屋根付き橋がテーマでした。

普通の人に屋根付き橋というと、どんなものだか想像もできないか、あるいは昔は毎週日曜日にやっていた世界名作劇場の『トム・ソーヤーの冒険』や、映画『マディソン郡の橋』のようなものを思い浮かべてしまうのですが(って、その2つを同列に語るなよと言われそうですが、どちらも全く同じ形式の橋が出てくるもので)、そこは日本。

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私が見て回った橋は、こんな感じの橋になります。
木製方杖形式の橋に杉の革葺き屋根の素朴な橋で、最寄りの観光地からでもかなり離れた寒村にある昭和18年に掛け替えられた田丸橋

掛け替え前の橋は昭和18年の大雨で流失したと言うことですが、一体どれほどの雨が降ればこの橋が流されるのでしょう?

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接近するとこんな感じ、横に渡された木材のアーチにうねった姿が良い感じ。
橋の向こうに鎮座しているのは近所の三毛猫さんで、橋の右手前の足下にあるのは日本土木学会認定の土木遺産のプレートになります。

橋の説明文などは設けられてはおりませんが、橋の屋根にはこんなプレートが。

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四国というと温暖なイメージが強いのですが、愛媛県の山間部はスキー場もあったりする通り、それなりに自然のきびしい地域でもあります。

だからこその屋根付き橋という文化なのでしょう、かつてはこの辺りには10本以上もの屋根付き橋があったということですが、今は内子町には2本ほどしか残っていなかったはずです。そんな橋は村の共有財産として倉庫であり、子供が釣り糸を垂れる場所でもあり(私が見下ろすと野生の(?)錦鯉が泳いでいました)、ホタルを眺めて夜を楽しむ場所であり、農作業の合間の一服をする憩いの場所でもあったのだと、文章よりも雄弁に天井のイラストが物語ってくれます。

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年期の入った床板の風情は、まさに昭和。
それでも、経過した年月で磨り減って痩せてさえ継ぎ接ぎなどは必要の無い立派な橋板、大戦中のもののない時代によくこれだけ立派な橋をと、畏敬の念を持たずには居られません(もちろん、山の中で木製だから言ってしまえばそれまでですが、それでもやはり立派なものだと思うのです)。


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袂から眺める方杖形式の桁はなかなかの迫力。
この形式の橋としては、仙台市青葉区にある大倉川橋梁などが代表的ですね。


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夕暮れ時も近い時刻で逆光気味なのが申し訳ありませんが、河原から見上げる橋もなかなかの風情。

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傾斜地に石垣の棚田が広がる内子の山間、

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鯉のぼりがたなびく2009年5月初旬のものでした。

屋根付き橋は機会があればまたいずれ。

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2012/04/29 岡谷〜伊那3。

イメージ 10天竜川沿いに進みます。

こちらは既に使われなくなって水路管が撤去された三弦水路橋。

次の写真は、古い河原を新しい護岸に改修中の場所。
地図で見る方が河岸も広く取られて見えますね。


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釜口水門で水量が調節できていて水害の心配がなければ、何もこんなことをしなくても……。

取り残された古い石の護岸と、その奥に見える古い手摺りの護岸やここも河岸の跡らしい地形を見ていると、そう感じさせられるのが残念です。

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しばらく進むと川に降りる階段と、そこに置かれた少し古いボート、今はこの区間をボートが行き来することはないだけに、なんとももの悲しい感じです……。

この辺りから対岸を見ると川岸の手摺りが途切れた場所から川岸に向かってハシゴが降りていたりします。

きっと川を行き来する船に乗り込むためのものだったんでしょうね。

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こちらの街灯みたいなのは、残っているのが嬉しい雰囲気なんですけどね。

この先にあるのが本日最初の目的地。
西天竜幹線水路の取水頭首工になります。

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この先、頭首工の上は道路橋になっています。


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渡りながら辺りを見回していると、1つめの主塔の壁にはこんなものが。

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……船通し水門?
下を見ても魚道は見えるんだけど船通し水門??

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右の写真は改めて見下ろした下流側。
左端はなんのための水門なのかは分かりかねますが、左から2本目の階段状の水路が魚道、その右の細いのが船通し水門なんだろうと思われます。

見下ろす船通し水門は雑草が生い茂っていて、相当な年月に渡って水が流れていないことが分かります。

岡谷の町には親水意識的なものがまったく感じされませんでしたが、その理由の1つがこれなんでしょうね。

そもそも諏訪湖は水質はあまりよろしくないところに護岸でガチガチに固められているので親水意識など発生しようもないところに、それでも天竜川河畔の利用で水に対する親しみもあったでしょうに、船通し水門などの運用もいつの頃からか無くなってしまって、そうなると本当に水に対する親しみがなくなってしまうんですね。

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同じく水質の悪い手賀沼の近くに住んでいる私からすると、手賀沼の水質改善とともに千葉県柏市や我孫子市の親水意識が改善されてきたのを子供の頃から実感しているだけに、岡谷市にも頑張って欲しいと願わずには居られません。

イメージ 9さて、頭首工を天竜川右岸に渡ると、干からびた水道施設っぽいものがあったんですが、本来はこれ自体が西天竜幹線水路に関する施設だったのではないかと思われます。

……って、雑草が酷くて全く分かりませんね。

こちらの地図で見ていただくと、如何にも水道施設っぽいものに見えると思うのですが、それがこの草ぼうぼうの写真の場所です。

う〜ん、実際はなんだったんでしょう?

西天竜幹線水路に関係する施設の可能性が高いとこの場で分かってさえいれば、ぐるりと周囲を回って、確認してきたのですが……。

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2012/04/29 岡谷〜伊那2。

例の異常に頑丈な木製橋梁の続きから。

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正面から見るとこんな具合。
この橋を渡るとその先には橋原橋。

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斜面は上り勾配のままで現在の川岸の道路と同じ高さに向かって緩やかに登っていきます。

振り向くと、

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こんな具合。
天竜川の下流に向かっては、この川岸の道(?)は途切れ途切れに川に近い高さをキープしています。
橋の脇には見慣れない花が1輪だけ咲いていました。

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自転車に戻って先に進み、次の橋のところで川岸から1区画東岸に入り込むと旧片倉組本部事務所跡

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現在の片倉工業の本社跡という位置づけで、天竜川の川岸から製糸業で起業した片倉は財閥を形成するに至り、有名な官営模範工場の富岡製糸も三井の手を経て昭和14年には片倉製糸紡績会社の所有になります。

岡谷の町は製糸業で栄えますが、製糸業のおかげで機械工業も発達。
片倉も会社の一部として片倉自転車工業なんてやっていて、片倉シルク号は東京オリンピックの日本代表チームでも採用されたほど。

製糸業から手を引いたとは言え、起業の土地にこうしたものが残っているのに、他社の工場敷地内とは寂しい限りですね……。

折角の建物ですが、通常の時にも外からしか眺めることができません。
また、工場が営業中であれば一声掛けて玄関口まで近づくこともできるのでしょうが、時間の所為か、GW中だからか、お休みのようで外からしか眺めることができませんでしたが、この建物の玄関口の脇にはもっと古いレンガ倉庫の一部みたいな建物も見えたりします。

自販機で見掛けた見慣れぬ飲み物(ルックチョコレートドリンク(笑))を取りあえず飲んだりしながら、

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工場敷地をぐるり回り込んで川岸に戻ると、

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川岸には片倉が起業したときからのものなんじゃないかと想像させる石垣が続き、

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少々寂しい形で、当時の門(裏門?)も残されています。

橋を渡って対岸から眺めると、

イメージ 3イメージ 4











向かって右手、天竜川上流方向には水面の少し上に古そうな道が残っているのですが、
向かって左手、天竜川下流方向には水面からはかなり高い位置に起業当時からじゃないかという雰囲気の石垣と、旧道が残されています。

状況から考えると、諏訪湖方面から現在の橋原橋の下を潜り抜けるようにして、途切れ途切れに旧片倉の本拠手前まで続く陸地は、諏訪湖を渡る水運のための河岸(かし=この場合は川や湖の船着き場という意味です)の跡なのではないかと思われます。

そうして考えると重い荷物や大切な絹を積んだ荷車が通行したのであろうあの橋には、あれだけ見事な木材を並べてまで、幅一間少々の橋を作るだけの意味があったのでしょうし、だからこその低いながらも欄干というか、荷車がコースアウトしないための段差が橋の両脇には設けられていたのでしょうね。

想像ばかりを書き並べただけではありますが、そう的外れでもないんじゃないかと思います。
岡谷という土地の歴史を感じられる地味だけれども見事な橋、今後も大切に残していって欲しいものです。

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2012/04/29 岡谷〜伊那1。

翌朝起きて荷物の積み込みをしようと思ったら、タイヤの空気が抜けきっていました。パンクのようですからタイヤのチューブ交換に10分程のロス、それでもタイヤのチューブ交換だけは上手いものだと自負しています。
(逆に言うと、それ以外の整備は全然なのですが(苦笑))

イメージ 1

こちらは岡谷市のシンボルとも言えるツツジの花をあしらったマンホールの蓋。
鶴峯公園の土地を片倉製糸が市に寄贈した際、記念にツツジを注文したところ単位を間違えた先方から大量のツツジが納品されてしまい、鶴峯公園はツツジに埋め尽くされたのだとか(笑)。

ちょうどツツジの季節でしょうが、ツツジには目もくれずに先を急ぎます。

午前7時に走り出すと、とりあえずは天竜川に出て、川の左岸を走ります。
JRの高架をくぐったところでこれといった特徴もないけれど、割と雰囲気の良い橋が。

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その名も橋原橋

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から読んでも左から読んでも換わらない名前の橋って初めて目にします(笑)。

渡ろうと接近して再び停車。
橋の袂にあったのはこんなもの。

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この板を載せた石が何かと言うと、かつてこの辺りにあった『びったら橋』という橋の遺構だそうですが、とても興味深い、この地域にあったという流れ橋遺構の移設です。

イメージ 5興味深いという理由の1つには、茅野市の『ながれ橋』はやはりこの辺りにあった流れ橋文化の痕跡なのだという再確認。

もう1つには、この流れ橋が非常に古いものだということです。

流れ橋というのは基本的には遺構の残りづらい簡易な橋の1形態で、文献くらいにしか残りませんし、舟橋よりも簡易な民間用の渡河手段である流れ橋は、文献にすら残りづらいようです。

そのために歴史を追うのが難しいのですが、この地域は明治の終わりには製糸業でそれなりに栄えていたこと、その時期にはこの辺りにまで船を乗り入れていたことを考えれば、明治前半以前のもの……というか、看板によれば橋原橋架橋まで使用されたとあり、諏訪藩の時代からあったことが明記されています。

行政としての岡谷市は古いものをあまり振り返らないところがあるようですが、こうした貴重なものが沢山残っているのは本当に素晴らしい事だと思います。

スタートしたばかりだというのに興味深いものが見られたのに満足しながら橋原橋を渡ろうとすると、

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今度は地味な場所に、地味に見事な木橋
ありがたいことに階段で下りられるようなので、河原へと降ります。


イメージ 7構成部材は木材で一辺が40〜50cmほどもある見事な木材を単純に横に並べただけの簡易なもので、掛け方こそ簡易ですがこの橋の頑丈さは異常です。

パッと見で、これほど見事な木材というと、片倉製糸繋がりでまず思い浮かぶのが木筋レンガ建築という珍しい造りの富岡製糸の柱がちょうどこのサイズでした。

橋原橋の建設以降に有意義な使い方がされたとは考えづらい位置から察するに、竣工時期は橋原橋よりも相当に古いはず。


その長い年月を殆ど省みられることなく、水辺にありながらもこの風格なのかと思うと恐れ入ります。

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