明治潜穴7。
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川の流れが潮の満ち引きで逆流を始めると、漕いでもなかなか進まなくなるのと合わせて発生した問題がコレ、川の‘流氷’です。
海との高低差がほとんどないために流れがゆったりとした高城川(旧元禄潜穴、現在の明治潜穴を通る川につけられた名前)、私がカヌーを下ろした場所の上流部分などは日中でも川面が一面凍りついていました。 (だから、それを避けてテント設営場所から少し下流でカヌーを下ろしたわけですが) そうした部分が何かのきっかけで流れ出し、それがどこかで引っかかったり、あるいはこのときのように逆流するときにでも折り重なって、ちょっとした厚みの‘流氷’になるようです。 ちょうど今‘橋梁’で取り上げている久慈川でも厳冬期には見られると聞いていた川の‘流氷’でしたが、海から流れてくる流氷に逆流するようにカヌーを漕いでいるとそれに乗り上げざるを得ない場面が発生します。 空気で膨らますインフレータブルカヌーなだけに、最初はおっかなびっくりと乗り上げていたものが、徐々に当たり前という感じで、バリバリと流氷に乗り上げて、気分は宗谷か、ガリンコ号か、といった具合で、明治潜穴の穴尻へと向かいます。 穴尻付近を行ったりきたりしながら撮影した出口の写真、ここまでのものもトンネル内には絶えず水の流れがあったために、漕ぐのをやめてカメラを構えた頃には距離票などの被写体を通過してしまい。 さらにそれからオリンパスの性能の悪いオートフォーカスで……フォーカスが合わずに諦めてマニュアルフォーカスに切り替える頃には、ずいぶん流されてしまったりして、1枚の写真のためには何度も行ったり来たりしています(苦笑)。 こちらが私が通過した右岸寄りの潜穴穴尻。 上流部とは違って川の下流部なので丸い形の水制工が目を引きますが、右の水制工を見ていただくとしっかりと接岸用の階段が付いているのもポイントです。 そして、3つ並んだ明治潜穴の穴尻がこちら。 少々自慢をさせていただくと、ネット上でも3つ並んで穴尻が見える写真は見つかりません。 というのも、穴頭側と違って両岸との間や、水制工の間を行き来するための橋はないし、両岸は垂直に近い崖になっているために、脇を併走する国道の川岸側の歩道に設けられたささやかな展望フロアしか見下ろすしかないし、この場所からでは左岸寄りの明治潜穴(行政による名称は高城川トンネルの1号トンネル)は死角になってしまうのです。 折角なので、ここからは1973年の松島沖地震の復旧工事銘版の表記にしたがって、左岸寄りを1号トンネル、来るときに通った右岸寄りを3号トンネルと呼ぶことにしましょう(この工事銘版以外では、3つを呼び分ける表記を見たことが無いのです)。 こちらはパノラマで。 ……って、準備している間に穴尻方向にどんどん流されてしまい、2号トンネルしか見えませんね(苦笑)。 さて、ここで考えることしばらく。 来る時に通過した3号トンネルを戻るのは、見落としが無いかを確認するのには有効だけれど、やはり折角なら変化がほしいところですが、穴頭の正面にはすでに紹介したとおり、1号トンネルと2号トンネルの入り口は流木に塞がれて通行不能になっていました。 ただ、洞内で流氷に乗り上げながら進んでみて、インフレータブルカヌーは極端に喫水が浅いことを体感しました。 中央の2号トンネルは枝で空中までふさがれて絶対に無理だけれど、左岸寄りの1号トンネルは木の幹に塞がれているだけだし、幹の上部が水面に出るかでないかといった感じでした。 ……もしかして、この艇なら幹の上を越せるんじゃないか? 一応補足しておくと、明治潜穴の穴尻から元禄潜穴の穴尻までは往復でも1km弱しかありません。 この場所に来るまでは元禄潜穴の穴尻にも立ち寄るつもりでいましたが、各駅停車の新幹線に乗って仙台に向かったために電車の乗り換えも含めると1時間のロス。 仙台丸善で明治潜穴に関する自費出版系の書籍を探そうとして……開店前でしたが、これで1時間半のロス。小雪舞う中でゆっくりと回りすぎた上に洞内でも写真撮影に時間がかかってしまい、この時はすでに日の入りまで1時間も無くなっていました。 おまけに、潮が満ち始めてからでは穴尻付近だけでも入洞は危険だし、実地で見た穴尻には真上に排水(廃水?(泣))の土管からの滝。 元禄潜穴の穴尻は、また今度にしよう! (今度があるかどうかは別にして) このまま帰路に着きました。 元禄潜穴内への潜入も目論んで千葉からやってきたというのに、根性の無いことです(苦笑)。 |
