フランス、原子力大国の実情 使用済み核燃料は・・・・
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日本は 使用済み核燃料の再処理を いまだに始められていない。1997年に再処理工場を 完成させる予定だったが、トラブルが続発して 17回も完成を延期した。 その一方 フランスは 1966年から再処理工場を稼働させている。その現場を訪れた。 フランスの首都パリから 電車で西へ3時間。 軍港で有名なシェルブールに着く。 そこからクルマで 30分のところに ラアーグの再処理工場がある。 日本は 世界で3番目の“顧客” 運営するのは 仏アレバだ。 工場に入ると ちょうどフランスの原子力発電所の使用済み 核燃料が運び込まれるところだった。重さ100トンの円形状の鉄柱で覆われており、人が 近づいても放射線に汚染されることはないという。 同工場には 2009年1月までに 合計で2万5000トンの使用済み核燃料が 運び込まれている。 国別の内訳は、フランス国内から 1万4260トン、ドイツから 5479トン、日本から 2944トン、スイスから 771トン、ベルギーから 672トン、オランダから 336トン、 イタリアから 82トン。 日本は 遠く離れているにもかかわらず、世界で3番目の“顧客”だ。再処理工場はUP2 とUP3とあり、それぞれ年間800トンの処理能力がある。 再処理の方法はこうだ。 使用済み核燃料が運ばれると まず、熱を帯びた燃料棒の1本ずつを取り出し プールで 冷やす。 次に プールで貯蔵して 放射線の濃度を下げる。 一般的に4年程度保管し、放射線の濃度が下がったところで プールから取り出し、燃料棒を 細かく切り刻む。 それを ウラン溶液、プルトニウム溶液、高レベル放射性廃棄物、金属片に分離。 再処理ウランとプルトニウムは 南仏のメロックス工場に運ばれ、MOX(ウラン・プルト ニウム混合酸化物)燃料に加工される。 高レベル廃棄物は ガラス溶融炉で 溶かしたガラスと混合して固め、キャニスターと呼ばれる 容器に封じ込めて固める。こうした作業は すべて遠隔操作となっている。 日本では 高レベル放射性廃棄物をガラスで固める工程がうまくいかずに、再処理工場の 稼働を何度も遅らせている。廃液に含まれる不溶解残さの影響で、キャニスターに流れ込ま なくなり、撹拌しようとしたら その棒が曲がったり、炉内のレンガが落ちたりするトラブル に見舞われた。 フランスでは 既に40年以上の実績があるため、日本の技術者が何度も研究に来たという。 ただ、フランスでも 高レベル放射性廃棄物については、最終処分地が決まっていないため、 2000立方mの廃棄物が 工場内に保管されたままだ。 アレバの試算では 2025年には 1万立方mが貯まるため、それまでに最終処分地を決め なければならない。 2015年までに 高レベル放射性廃棄物の処分地を決める 最終処分地の選定についても、フランスには長い歴史がある。1970年代から探し始めた。 88年には 4カ所の候補地があったが、反対運動で頓挫。88〜91年は処分のメドが たたず、空白期間となる。 事態が動き出したのは、91年にバダイ法が成立してから。 それまでは 地層的に適している地域を最終処分の候補地にしていたため、住民の反対運動を 招きやすかった。 しかし、同法では 政治的な合意をしてから地層を研究し、候補地を選定した。その方が 反対運動が起こりにくいからだ。 92年に候補地を募り、94年に4カ所に絞った。その最有力候補地が フランス北東の オート・マルヌ県とムーズ県にまたがる集落のビュールだ。 97年にも山場が訪れる。ビュールに最終処分に関する研究所を作ろうとしたが、なかなか 許可が下りない。当時のフランス首脳は、右派のシラク大統領に左派のジョスパン首相という 組み合わせ。 ジョスパン内閣には 緑の党のドミニク・ボワネ氏が入閣し、同氏が原子力政策 の推進に反対したことが背景にあった。 地下500mにあるトンネル そこで、ジョスパン首相は「 問題があれば 政策を見直すことができる 」という“可逆性” を担保に 緑の党と交渉して、98年12月に ようやく研究所の建設許可が下りた。 99年に地下研究所を建設。2005年に国民的な議論を経て、2006年に原子力新法が 成立。 最終処分に向けて 議論が進んだ。 現在は 国と電力会社が出資する放射性廃棄物管理機構(ANDRA)が地下研究所の運営や 最終処分への手続きを進めている。 12月21日。ビュールの研究所を訪れると 辺りの畑は 雪で覆われ、銀世界が広がって いた。地上には コンクリートの小さな建物があるだけ。そこからエレベーターで500mの 地下に降りると、直径5mほどのトンネルが広がっている。 ここは130mの厚みのある粘土層で、水脈など地層の変化が非常に少ないという。 トンネル内では あらゆるところで、実験を行っている。 例えば、ある物質を地層に流して、 どれくらいの速度で その物質が移動するかなどを測定している。 それでも住民の反対運動はある ANDRAには 80人の正規社員と、240人ほどの下請け社員がいる。正規社員の大半が 地質学などに関する専門家だ。 意外に難しいのは 直径5mほどのトンネルを掘ることだという。 鉄道や道路向けのトンネル は もっと大きいため、機械は その大きさ用に作られいるものが多い。そこでANDRAは 地下研究所向けに特別の機械を作ってもらい、それで 穴を掘り進めている。 住民とのコミュニケーションも ANDRAの重要な仕事だ。 同社は 定期的に住民向けの 説明会を開催している。 周辺の環境保護に関する委員会に、地域住民も入っている。同社の マリー・クロード・デュプイCEO(最高経営責任者)は、「 住民とは 科学者の立場で 話すことを心がけている 」と話す。 また、地域への経済支援もしている。ビュール周辺の2つの県には、年間それぞれ2000万 ユーロの補助金が給付されている。2010年から年間3000万ユーロに上がるという。 それでも 住民の反対運動はある。デュプイCEOは「 地域外の過激な反対派が、地域住民 をあおることもある 」と続ける。 ローカルテレビでは、地域住民が反対デモを行う様子など が放映され、農家などが作物への悪影響を懸念する声が紹介されている。 こうした状況であるため、デュプイCEOは気を引き締めている。「 謙虚な気持ちが大切。 信頼関係を作るのに時間はかかるが、失うのは早い 」。同社は 2012年までに最終処分 の研究に関する詳細な資料を国に提出する。 フランスは 国会での議論などを経て、2015年には最終処分地を決定する予定だ。 以上 |






世界の原子力事情としては 今後 ますます 増える予定のようですね。
それも イギリスやアメリカに加え、ブリックスと呼ばれる国々でも 発電所は それも CO2排出が少ない原子力発電所が 増える。
さてさて 核と人類 どうなって行くのか・・・
それに多少絡む 最近の世界情勢を記事にしましたです。
2010/2/6(土) 午前 7:36 [ 建築や ]
アレバのことについて情報ありがとうございました。どうやら各国の原発推進団体の応援が来始めたようです。福島原発の問題は緊急に解決しなければならないことでしょうが、親切の裏にある真実、といったものにも今後目を向ける必要があるでしょうね。
2011/4/1(金) 午前 0:51
「紅梅袖珍情報図書館」さんへ。 はじめまして。 お早うございます。
仰る通りだと思います。
そろり そろりと 動き始めましたね。そして、最後は「 これは 大事故ではなかった
んだ。これからも原発で行こう! 」ということにしたいのでしょう。
そして、事の原因は 「 科学的知見が十分でなかったために、設置or設計基準が
甘くなった所にある 」ということになって、「 さらに研究を! 」「 設置or設計基準を
さらに厳しくすれば、問題は解決する。また、保安院など 原発関係官庁の模様替え
をすれば、危機を回避できる 」というところに落ちつかせたいわけでしょう。
そして、誰も 事の責任を取らないというところに・・・。
――― しかし、福島第一原発が 今後 どのように推移するか分りませんが、
たとえ 冷温停止に成功しても、これを何でもなかったかのように、再び原発を
推進することは、日本だけでなく、ぜひとも 阻止せねばなりません。
合掌
2011/4/1(金) 午前 9:29 [ kyomutekisonzairon ]
もう30年以上、原発に反対してきましたが、
原発は軍需産業と同じで、本当の情報は決して開示されずに、
安全を理由に、非民主主義的な運用がまかり通っています。
この、決して情報を公開できないシステムこそが原発の正体なので、
日本のように未だ民主主義の根付かない国には、広がりやすかったのでしょう。
それではフランスは、民主主義が遅れていたのかと言えば、
そうではないからこそ、民主主義そのものの限界を感じたりもします。
であればこそ、僕らは将来にどんな社会を目指すのか?
それを議論して見定めないことには、原発を無くすことは難しいでしょう。
フランスでは「脱成長」が真剣に考え始められたように、
日本には何が相応しいのか?
2012/2/12(日) 午後 11:14
「イソップ」さんへ。こんばんわ。
原発は、電気を起こすためではなく、他の目的のために導入されました。
一つ目は、米国の核戦略をささえるため
二つ目は、日本が核兵器をもつため
三つ目は、核物理学研究のため
そして、その後 付随的目的が発生しました。
四つ目は、民主党政治家の利権
五つ目は、官僚のさまざまな利権
六つ目は、学界の利権
七つ目は、原発関連企業の利権
八つ目は、原発誘致自治体の利権
九つ目は、マスコミの利権
――― これらの主体は、これに関与した それぞれの人間です。皆 国家の法で
人権を認められ、その意思を表明する権利をもつ存在です。民主主義の手続き
を踏んで、彼らは 自己の利益を追求してきたわけです。
国家の法律は、彼らの行動を犯罪とは認定しませんし、むしろ 彼らの行為を
正当化するように 法律ができています。
彼らは、世襲の権力者ではありません。単に 庶民の一人であり、その選挙権も
一票しかありません。彼らは 皆、法の前に平等な主権在民の国民の一です。
(続)
2012/2/13(月) 午後 7:38 [ kyomutekisonzairon ]
これは、日本だけではなく、米国でも 英国でも フランスでも、民主主義国は
皆、そうでしょう。官僚や学者や企業家や政治家は、みな 人権を認められ、
選挙権を 一票づつもっています。企業のトップも平社員も 平等に・・・。
米国の市民が、草の根の活動をする自由があると同時に、企業家は 自己の利益
を追求する自由が認められています。市民が 企業家の行動を抑制する運動を
する一方で、企業家は その利益を追求すべく、ロビー活動をして、その自由を得る
法律を作るように働きかけます。 今日の 戦争や環境破壊には、この企業活動が
大きく貢献しています。しかし、企業活動は、法人組織の活動であるとともに、
人権をもつ個人の自由な活動です。民主主義に則った活動である訳でしょう。
フランスの原発政策は、国家政策です。この国家政策を前提に、今日まで 個人の
人権はあったわけでしょう。民主主義の本場・フランスでさえ、その人権は
国家に従属しています。これが、近代国民国家の実態です。その国家は 兵器輸出
を、米国や英国などと伴に積極的にし、旧植民地国を経済的に支配しています。
(続)
2012/2/13(月) 午後 8:08 [ kyomutekisonzairon ]
民主主義の本音は、企業活動などの人間活動を制約していた従来の慣習や思想
の桎梏を取り除いて、その活動のフリーハンドを得ることにあったのでしょう。
職業の貴賎を悪とみるのも、社会階級を封建差別だとするのも、何も 倫理的な
問題をそこに見てのことではなく、これらが企業・金融・学問活動を阻害
するからに他なりません。
もし、本当に 民主主義が、倫理的なものを追求するのを本音としているなら、
国連の人権機関やアムネスティなどは、欧米の権益を追求してなす 経済的
政治的な非倫理性こそ、世界に不幸を招いていることを、その最重要課題
としなくてはなりません。
しかし、彼らは 欧米の経済的・政治的世界支配のために、欧米以外の国々に
お節介を焼いて、その地の伝統的な生活や習慣を破壊し、その人権擁護活動
を展開しています。即ち、欧米の文化帝国主義のための活動となっており、彼らの
活動は その地での企業活動の桎梏を取り除く役割を果たしています。
ちょうど、植民地獲得の露払いに、キリスト教の牧師たちが 布教の使命感を
もって、その地に入ったように・・・。(続)
2012/2/13(月) 午後 8:39 [ kyomutekisonzairon ]
(つづき)
民主主義は、倫理的側面よりも、人間の欲望を開放するものでしょう。
人間の欲望解放というのが、アメリカ独立宣言やフランス革命の際に主張された
「自由」です。人間は自己の欲望を追求する自由があるというのが理念でした。
「人権」は、米国では 神が与えた権利、唯物主義の仏国では 自然権でした。
人間の欲望を開放する自由が、人権です。
即ち、企業活動の自由がある・・・。人間は みなそうである。そこに、「平等」
というものが唱えられたわけでしょう。 革命の本音が「自由」でしたから、
そこに 様々な矛盾が出てきて、社会主義・共産主義が出てきて、社会的な公正さ
を求めて「平等」が 問題となりました。
人間皆の欲望を 皆が実現できないということで、「平等」に重心を置いた社会
を作ろうというのが、19世紀半ば〜20世紀末ソ連崩壊までの世界的な社会運動
でした。
日本の労働運動なども、反戦とか反原発とか弱者救済の旗を掲げて、倫理性も
見られましたが、結局 賃上げ要求で 生活が豊かとなることを目指しました。
(続)
2012/2/13(月) 午後 9:54 [ kyomutekisonzairon ]
「基本的人権」及び「民主主義」は、人間の欲望の解放を理念としています。
――― 私は、そこに ‘これはダメだな’と思っているのです。
欧米では キリスト教倫理の支えがあるために、それなりに その社会内では
暴走を抑える力が働いて、誤魔化しながらも有効でしたが、その社会外では
植民地主義とか帝国主義とかと その猛威を奮ってきました。
しかし、今や その経済自由主義は、中国やインドなどにも伝染し、人間の欲望
の解放を抑えるには、これら欧米産の理念とは 全く違った考え方がなくては
恐ろしいことになるだろうと思います。
わが国では、戦後 欧米の民主主義が風靡してきましたが、いまだに なお
日本の伝統的な ものの考え方が、我々の無意識下に根強く残っています。
人々が、件の「条例案」に抵抗する根っ子には、利害打算・既得権益保守だけ
ではなく、こういう伝統的なものの考え方が働いているのだろうと思います。
(続)
2012/2/13(月) 午後 10:27 [ kyomutekisonzairon ]
(訂正)
>第1コメント
四つ目は、民主党政治家の利権 ――― 民主党 ☞ 自民党
(追加として) 電力会社の労働組合の利権
ながながとコメントしましたが、いまだ 意を尽くせません。
ここまでで、何か ご意見があれば お聞かせ下さい。
もちろん、他の方にも、ご意見を お伺いしたいと思います。合掌
2012/2/13(月) 午後 11:31 [ kyomutekisonzairon ]
丁寧なお話しを、ありがとうございます。
基本的に現代社会の認識の仕方には、大きな違いはないように思います。
問題は、それではこれから未来に向けて、どうすればいいか?と言うことで、
まずは経済的利権を行使する強い力に対して、好き勝手にさせない仕組みが必要と思い、
これを「市民協働のまちづくり基本条例」に託そうとしています。
個々人の活動をなるべく自由にしながら、強い力の行使を牽制するには、
どうしても政治力が必要だと思うからで、これが僕の望む市民民主主義です。
ここには、地域の地縁組織や風土を守るための仕組みとしても、
それぞれの特性を活かす事の大切さを謳っており、具体的な仕組みもあります。
放っておけば経済効率によって律せられてしまう社会の価値観に対して、
一本の杭を打って、市民を守ることが大切だと思って条例を考えました。
もっと人々が真に自由であれば、このような条例は必要ないのです。
2012/2/14(火) 午前 8:19
「イソップ」さんへ。こんにちわ。
> 経済的利権を行使する強い力に対して、好き勝手にさせない仕組みが必要
――― はい、そうですね。
西欧でも、フランス革命が生みだした深刻な問題が、この「経済」でした。
この無節操な乱暴さに 彼らは、
一方で 社会的公正さを求めて、社会主義や共産主義の潮流となりましたし、
男性のみならず 女性の選挙権獲得運動ともなりました。 女性が男性と同等の
選挙権を得るのは、第1次大戦後のことで、フランスでは、1944年のことでした。
経済という手の付けられない暴れん坊を、何とか社会の中で容認できる程度まで
に手なずけようというわけでした。
「市民」としての個人的権利を、乱暴な経済に対する歯止めとしようとしました。
( しかし、それ以外に 経済が 世界や自然から収奪した富の分け前を求める
といった側面もありました。彼らが求めた社会的公正さとは、非西欧から見ると、
むしろ このように見えます。それが、ソ連や中国 その他の植民地解放運動
だったでしょう。 )
(続)
2012/2/14(火) 午後 5:38 [ kyomutekisonzairon ]
他方で、フランス革命以降、西欧では 「近代国民国家」創設の潮流のなかで、
人々を 人権をもつ「市民」ではなく、「国民」として国民国家に再編入し、
徴兵制や学校教育を 人々の義務としました。 一に 経済的・軍事的に
強い国家を作るためです。
( 第1次大戦後の女性の選挙権獲得は、女性の力も国家に動員しなくては、
他国に抗していけなくなったためでしょう )
国家の軍事的・経済的な力をもつために、人々 皆を「市民」としてではなく、
「国民」として動員する・・・。そして、その結果が 第2次大戦の「総力戦」
でしたし、‘冷戦’の地球規模の「総力戦」でした。
この間、西欧の「市民」概念は 一体、こうした経済の奔放な活動に、ほとんど
有効な対応をすることができませんでした。
せいぜい、ナチスに対する パルティザン でしかない! もし、米国の経済力や軍事力
がなければ、「市民」は 息の根を止められていたでしょう。(続)
2012/2/14(火) 午後 5:56 [ kyomutekisonzairon ]
又、「市民」の良心を体現して、第1次大戦後 平和運動をしていた アインシュタイン
は、ナチスの台頭後 民族主義者になり、さらに ナチスに対抗して原爆の製造
を、他国のアメリカに使嗾しました。「市民」の良心を かなぐり捨てて戦争を
鼓吹する者となりました。
また、冷戦期には、「市民」は、「国民」としてしか存在できず、せいぜい
「消費者」としてしか、経済の乱暴から自己を守るスベはありませんでした。
―― この間、経済活動は衰えるどころか、科学・技術の発展とともに、その力を
増して、地球環境に 重大な撹乱と破壊をもたらすようになりました。生物種の
絶滅の規模と速度は、地球歴史始まって以来の 深刻さで進行しています。
――― このように 西欧の歴史を振り替える時、
いったい、西欧産の「市民」が、こうした事態に どれほど有効なのか?
私は 疑いを禁じ得ないのです。
「市民」という思想の基には、基本的人権(天賦人権or自然権)がありますが、
私は これを人間の虚構だと思います。実体のないものを基盤に据える所に、
やはり ムリがある・・・。(続)
2012/2/14(火) 午後 6:14 [ kyomutekisonzairon ]
「市民」は,明治以降 或は戦後に,我々日本人に「接ぎ木」されたものでしょう。
その接ぎ木が、官僚となり 企業家となり 学者となり 政治家となり マスコミ人と
なり、この度の フクシマを引き起こしたのでしょう。
この接ぎ木は、元の木を忘れ 蔑視し 踏みつけにして、その「自由」を謳歌した
ためです。 今や 農漁村の田舎の疲弊は、恐ろしいばかりです。
我々は、自己を 何者とするのか?
国民なのか? 市民なのか? 労働者なのか? 消費者なのか?・・・
―――我々は こういう者ではないと思います。こういう者であってはならない
と・・・。 では、何者なのか? です。 合掌
2012/2/14(火) 午後 6:46 [ kyomutekisonzairon ]
僕は西欧産の市民を良しとは思いません。
むしろ問題があるから、変えていきたいと思うので、
それをどのように変えるかが、課題なのです。
おっしゃるように、古来から日本文化にあったような、
外側の制度ではなく、内側の魂によって社会が律せられていれば、
現代のような理不尽な問題は起きないでしょうが、
今現にある社会の問題を、ないことにして議論はできません。
現状をどうするかの視点抜きなら、僕は自ら問題を起こさない生き方として、
自然農に勤しみながら、身近に愛する人たちと幸せに暮らすだけです。
しかしながら、周囲に苦しんでいる人が多くいるときに、
あるいは将来に向けて、不安を抱いている人が多く見受けられるときに、
ただ理想を唱えて、何もしないでいることにも疑問を感じるのです。
そこで自分には何が出来るのか?を考え、市民会議に参加して、
将来のまちづくりに「協働のまちづくり基本条例」を導入しようとしています。
望むべき我々は、消費者か、労働者か、市民か、国民かを、
公開された情報の中で自ら判断し、他人任せではなく、
自らの意志で決めながら、道を求めて歩いていく存在
2012/2/15(水) 午前 8:21
また最後が途切れましたが、
内容に問題はないので、このままにしておきます。
2012/2/15(水) 午前 8:22
「イソップ」さんへ。こんばんわ。
先のコメントで、
> もっと人々が真に自由であれば、このような条例は必要ないのです
――― と仰って下さいました。私も、まったく同感です。
ところが、この言葉の意味を、私は「イソップ」さんとは 別様に、恐らく聞いた
のだろうと思います。 それで、「イソップ」さんは ‘私が何もしていない’
で、‘ただ理想を唱えて’いる者だと感じられたのだろうと思います。
まず、
そもそも、日本の伝統的な発想では、社会的に何かをすることに、それほどの
意義を見出さないのではなかったでしょうか?
――― ここの所に、私は 日本的ではない発想を「イソップ」さんに感じます。
社会をよくするために活動するというのは、キリスト教的な発想でしょう。
日本の、さらに アラブから東の諸国・諸民族は、社会改造で 人間が幸せになる
ということを信じません。ただ、キリスト 教文化だけが、このような発想をします。
社会悪の解決は、社会の模様替えではできないという認識をもっているのが、
大半の発想でした。(続)
2012/2/16(木) 午前 0:39 [ kyomutekisonzairon ]
社会悪の解決は、社会改造ではなく 人間自身の解決しかないというのでした。
人間を改革する以外に、社会は改革できないという・・・。
昔 近世以前の キリスト 教は、しかし まだ イエスの言葉に 忠実でしたので、自己
の改革を キリスト教信仰だとしていましたが、ルネサンス以降の世俗主義的な
思潮が優勢になるにつれて、自分以外のモノの改造が 人間の為すべきことだ
という考え方が主流になりました。自分を変えるより、自然を変えたり、物質を
変えたり、社会を変えたり・・・、そういうことばかりするようになりました。
じっと座って 瞑想する(神を思う)のではなく、とにかく動きまわって、モノを
変えることが、神に嘉されることだというふうに・・・。
――― ↑ は 欧米人のことですが、
日本人の人間観は、例えば 仏教では 「人間」とは「凡夫」だと見ますね。
即ち、「 碌なことを考えないし、為さない存在が 人間だ 」とします。
人間は 迷いの存在で、悪に縛られて「自由」を得ない存在、イタズラばかり
して、生来 それから「自由」になれない存在だというわけです。(続)
2012/2/16(木) 午前 1:13 [ kyomutekisonzairon ]
悪に縛られた この者が、「真の自由」を得るにはどうしたらよいか?
――― そういうことを、すでに 2500年に亘って思惟し、実践しつづけた歴史
を、我々は もっていたのですね。
西欧世界が行き詰って、世界全体・人類全体を 奈落の淵に導いているとき、
我々の祖先たちが,欧米人の発想だにしない,こういう世界観・人生観・社会観
をもっていたことを 思い出すべきだろうと思うのです。 合掌
2012/2/16(木) 午前 1:13 [ kyomutekisonzairon ]
自分だけのことでいいのなら、おっしゃるとおりだと思います。
しかしながら、僕自身が多くの人たちと人生をともにしており、
必ずしもベストでないことでも、手を差し伸べ、助け合う必要を感じるのです。
正悪の二元論ではなく、目の前に困っている人に対して、
それは間違っているから正しい道を進みなさい!と諭すばかりではなく、
正悪混在の泥の中へ降りて、希望の花を咲かせようとするのは、
むしろ西欧にはない、日本的なことだと思っています。
2012/2/16(木) 午前 9:58
「イソップ」さんへ。こんばんわ。
> 自分だけのことでいいのなら・・・
――― 我々の祖先たちは、昔から村中で助け合いながら生きてきました。
助け合いは、何も 今に始まったことではありませんし、皆 それぞれの仕方で
助け合いをしているのでしょう。
しかし、
我々は、多くの人たちと伴に生きているからこそ、周りの人を助けるとともに、
周りの人たちを苦しめているのが 人間じゃないんでしょうか? 家族でも 職場
でも 村や町でも 愛憎合い半ばする中で生きているのが、我々の現実でしょう。
そこに、「自由」というようなことを言う暇のない ガンジガラメの人間関係が
あります。
そこに、もし、「自由」を求めるなら、その手っ取り早い方法は、人間関係の
束縛をできるだけ少なくするために、例えば 自分の部屋がなく 共同部屋しか
なければ、個室をつくるとか、家の建て増しをするとかして、互いの接触を少なく
し、また 一つの物を共有するのではなく、一人一人が それぞれ別々に同じ物を
もつといったことをすればよい・・・。(続)
2012/2/16(木) 午後 11:20 [ kyomutekisonzairon ]
実際、今日、自動車も 一家の一台どころか、一人一人が 自動車をもつように
なりました。昔と比べて 格段に 個人の自由は得られています。
家族どおしでも、みな職場が違い 別々の時間と生活圏を生きていて、互いに
何をしているのか 何を思っているのか 分らなくなるほどに、お互いの束縛から
解放されています。
また、我々は 物理的な時間と空間の束縛からも 解放されています。昔であれば
水盃で 遠方に旅に出ましたが、今や 雨にも風にも当らずに、サンダルを履いて
沖縄でもインドでも、一日で行けます。驚くべき 思いのままの「自由」さです。
――― しかし、このような「自由」は、ものすごいエネルギーを使わなくては
なりません。昔の王侯貴族よりも 今日の一般人のエネルギー消費は大きい・・・。
したがって、一人当りの 自然破壊の規模も 比較にならないほど大きなものに
なっています。(続)
2012/2/16(木) 午後 11:40 [ kyomutekisonzairon ]
この上、どんな助け合いをして、互いの「自由」を得たいというのでしょうか?
むしろ、もっている「自由」を放棄することしか、道は開けないのじゃないか?
すると、人間どおしは 顔と顔を突き合わせて、互いに束縛しながら生きる
方向に行くしかない。 人間関係の煩わしさの世界に呑み込まれます。
この中でこそ、一人ということが本当に意義をもってくると思います。
社会的な自由を他に要求するのではなく、この一人の人の「自由」ということが
切実な問題となってくる・・・。
愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦・生老病死という現実の中の自己の
「自由」とは何か? ということに 真向きになる契機が開かれてくるのではないか
と思います。そして、その時 始めて 本当の人間関係、助け合いということが
成り立ってくる・・・。社会の基礎が成り立ってくるのだろうと思います。
合掌
2012/2/17(金) 午前 0:05 [ kyomutekisonzairon ]
一個のいのちとして、自分が思い通りに生きる自由は、掛け替えのないものです。
それに比べて、外部に力を依存した自由は、自然界のバランスを崩して消耗します。
社会的な制約とは、外部の力をどうするかの規定であって、
いのちとしての自由を規制していいものではありません。
この二つを混同しないで、外部の力をコントロールするために、
さまざまなルールが必要になるのです。
2012/2/17(金) 午前 8:54
「イソップ」さんへ。こんにちわ。
> 一個のいのちとして、自分が思い通りに生きる自由は、掛け替えのないもの
――― 一応、私も異存はないのですが、仰っている「いのち」「自由」という言葉について
ですが、
「思い通りに生きる自由」=「いのちの自由」ということが大切で、社会的に規制するのは
外部の力を規制するので、「思い通りに生きる自由」は規制してはならない ということですね。
そして、
外部の力( これは 人間社会を主に考えられておられるのでしょう )をコントロールする
ルール( いわゆる「法」ですね)が必要だと・・・。
――― ここで、私は 疑問に思うのですが、外部の力というのは 自然の力でなければ、
その力を行使するのは ふつう人間です。従って 人間の行為を規制するということでしょう。
その規制される人間には 「思い通りに生きる自由」は認めないのですか? 彼or彼女にも
「いのちの自由」があるはずです。
その者は 権力の行使をいのちとし、富をいのちとし、名誉や地位を、社会的or国際的な
活動を、旅行を、(続)
2012/2/18(土) 午後 2:33 [ kyomutekisonzairon ]
他の人を犠牲にしても 好奇心(科学研究やゴシップなど)を、自分の思いを他に表現する
ことを、異性を、子供or親を、長生きや健康を、スポーツを、快適な生活をいのちとする・・・。
近代国民国家は、こういう 人間の欲望充足の自由を肯定した上になりたっています。これこそが、
人間の幸せだと・・・。
こういう,人間の自由を求める欲望が、科学・技術を発展させ、産業を起こし、貿易活動を
活発にし、戦争を起こし、自然を破壊しているんじゃないか・・・? と。
「自由」や「いのち」というものを至上とするなら、このようなことになりはしませんか?
合掌
2012/2/18(土) 午後 2:35 [ kyomutekisonzairon ]
人の社会が自然のままで、それを歪める力がなければ、
法律などなくていいのです。
法律が必要なのは、あくまでも人間活動の過剰を抑制するためです。
2012/2/18(土) 午後 4:49
「イソップ」さんへ。 こんばんわ。
パソコンの調子が悪くて、いつ コメントができなくなるか、わからない状態ですので、
手短に申します。
法律を作るのは 人間ですね。 その当人が、自分らの行為を抑制するために、適切な法律を
作れると思われますか? 切開しなくてはならない身体を、自分で切開できる者は 希です。
痛みを伴う手術は、自分自身では なかなかできないものでしょう。
人間は、本来 自分に痛みの伴うこと・都合が悪いことには、背を向けるものでしょう。
実際、法律は 人間活動を抑制するために作れられることは、希です。近代法は、権力を制限する
ことを、その出発点としていますが、では なぜ 権力を制限しなくてはならないのか、というと
市民(=商業・産業・金融資本家)という 新たな勢力の利害が、旧来の勢力と相反するように
なったからでした。 市民が 自己の利益を得るためのフリーハンドを得るためです。(続)
2012/2/18(土) 午後 9:54 [ kyomutekisonzairon ]
( すみません。先の 私のコメントの1つを 誤って削除してしまいました )
法律は、利害相反者の行為を抑制するためであって、本来は 自己自身を律するためではあり
ません。 利害打算を根底としていますので、自己の利益を最大限に 社会に通そうとする
ものでしょうから、自己を 自己が抑制するものではありません。
自己が 自己の活動の過剰を抑制するには、倫理・道徳or宗教というものでしょう。 しかし、まさに
こういう自己を律するモノを、「信教の自由」ということで、社会の周辺部に追いやって
軽んじてきたのが、「市民」の思想でした。 合掌
2012/2/18(土) 午後 10:02 [ kyomutekisonzairon ]
絶対的に正しい法律があるわけではありません。
まず人々の活動があって、それをルール化する動きがあって、
無法地帯から、法のルールに従う世界に移行するわけですが、
どんな法律を作っても、人間は新たな問題を起こし続けます。
そこで一方では、「問題を起こさない生き方としての自然農」のような考えが、
選択肢として登場しますし、僕はそのように生き方を持つわけですが、
同時に不完全な法律も、不完全なりに手を加えていく必要があると思っています。
それは理想とはほど遠い作業ですが、現実に問題に対応して、
まだ生き方を定められない人にも、チャンスの芽をつなぎ続けるものになります。
負の側面があるとしても、それぞれの人が自らの生き方を求める上で、
必要と思うから、条例づくりをするわけです。
市民の本質をどうこう議論しても、条例の意味と外れるばかりだと思います。
2012/2/19(日) 午前 0:27
「イソップ」さんへ。 お早うございます。
ルールは、ある土俵の上で作られ、適用されますね。スポーツやゲームを見ればよくわかります。
そして、その外にいて それに参加していない人には適用されません。
スポーツやゲームは、社会から隔離された所でしますから、そのルールが どう作られようと、
外の者には利害の影響がありません。
人間が作る社会は、ある前提のもとに成り立っていて、これが法律になります。ところが、
人間は その社会の前提よりも、広い世界に存在しています。
たとえば、米国の法律は、米国内だけに通用するものですが、その法律に順守した活動が、
他の多くの国々に 多大の影響を与え、他の社会を崩壊させることもあります。
また、交通法規は 自動車社会を前提に作られますが、人間みなが 自動車社会で利益を得る
わけではありません。その利益より害を受ける人も、多くいるわけです。(続)
2012/2/19(日) 午前 10:19 [ kyomutekisonzairon ]
法律を作れば、必ず その不利益を受ける人たちが出てきます。法律は それを作る際、それに
よる利益を得る人たちが、不利益を被る人たち(法律を作る時に存在するとは 限らず、
後に 発生することもある)を圧して作ります。
それで、自分らが 何かの利益を得ようとして、法律を作るわけですから・・・。
法律に 社会の理想を要求するのは、近代西欧に始まった法治主義というものです。 この法に
よって、欧米は 世界支配を より優位に達成しました。自分たちの利益をもとめて・・・。
これは、自己の倫理性・道徳性を要求されずに、その利益を追及できるやり方でした。自らの
流儀に従わず、それから逸脱する者を、順法精神に悖ると非難して・・・。
この法治主義は、人間存在の多様性や複雑さ、その精神の深さと幅の広さを、法の名のもとに
抑圧して、社会から排除するというサガをもっています。丁度、市民生活から、虫や小動物や
細菌を排除して、清潔で 無臭の生活環境を作るのと同じです。(続)
2012/2/19(日) 午前 10:43 [ kyomutekisonzairon ]
自然農の取り組みをされていらっしゃるのは、ありがたいことだと思います。こういう取り組み
が、新たな時代への突破口となってほしいと思っています。
ただ、新たな時代は、この法治主義から足を洗う方向でなされるべきだと、私は思うのです。
人工的なものの限界の自覚と、人間を超えた世界を尊び、これに根を張った生き方を! と。
――― これは、「人間の自由」よりも「道理」を重んじ、道理のためなら、自分の「思い通り」
を捨てる力,不正や不利益を忍耐して生き得る力という、そういう力によって 社会を内から
変革し、我々の「真の自由」を獲得する道です。 合掌
2012/2/19(日) 午前 10:54 [ kyomutekisonzairon ]
僕は法治主義者ではないし、法律を作れば社会悪がなくなるとも思いません。
世界はいつだってそれほど単純ではないし、括りきれない広がりを持つものです。
それをわかっているからこそ、小さな自分にもできることはやっておきたい。
自然農をしていると気付くことはたくさんありますが、
この世界に正しいものと悪いものが二極対立してあるわけではなく、
あるときは悪であったり、また別のときは善であったりする。
だからこそ、悪を憎んで人を憎まず!と言う教えもあるわけで、
法律や条令というものも、人を懲らしめると言うより、
人をして悪をなさしめない、善に向かわせるためのものだと思うのです。
道理と言えば、誰もが同じ道を思い浮かべるならいいですが、
言葉の解釈は様々で、道理を振りかざして人を縛る人もいます。
たとえ本当に人々の幸せを願っての道理であっても、迷惑になることさえある、
それが人間のレベルとしか言いようがありません。
したがって、絶対に正しい法律を作ろうというのではなく、
人々が善いと思うことをする自由を守ることが、
法律や条令の役目であり、これは必要と考えます。
2012/2/20(月) 午前 10:37
「イソップ」さんへ。こんばんわ。
> 法律や条令というものも、人を懲らしめると言うより、人をして悪をなさしめない、
善に向かわせるためのものだ・・・
――― 法というものが、人をして善に向かわせるという そういう法は、残念ながら 現実の
法ではありません。 世間の法は、人間社会の利害調整機能 と ある方向での秩序を与えるもの
であって、何か 倫理的・道徳的な善を志向するものではありません。いわば、人間同士の
約束事、仰るルールに過ぎません。
ただし、スポーツのルールだと、それに従うことが嫌なら、そのスポーツをせねばよいわけ
ですし、別のルールを作って 別のスポーツを作ればいいですが、社会の法は 強制力を
伴っていて、それに従わなければ、多くの場合 犯罪として 処罰されます。
ただし、イスラーム法は、宗教法なので 人間を善に導くことを目指していますが、近代西欧型の
法 (日本の法もそうです) は そうではありません。(続)
2012/2/20(月) 午後 11:38 [ kyomutekisonzairon ]
「 道理 」というものは、
例えば ガンジーが インドにおける大英帝国の理不尽を排除するために使ったのが、道理
でした。 法律は すべて英国の統治に有利なようにできていましたから、裁判では 埒が
あきません。従って、道理をもった行動をすることで、敢えて 法律に違反して牢獄に入り
ました。 ガンジーらの身柄は 拘束できましたが、彼の道理は 拘束できません。
大英帝国は、彼の「 道理 」の前に敗北したのでした。
また、釈尊の教えが、インドのみならず 中国や朝鮮半島、そして日本に広まり、東南アジアに
広まったのは、民族を超えた「道理」というものが、そこにあったからでしょうし、
また、イエスの教えが 広く民族を超え、また 仏教徒の心にも響くのは、そこに「道理」が
あるからでしょう。 ガンジーにしても釈尊にしても イエスにしても、そこに人間の道理が
ある故に、他国・他民族 或は 時代を超えて、我々は その言葉を聞いてきたのでしょう。
合掌
2012/2/20(月) 午後 11:45 [ kyomutekisonzairon ]
いつも観念的なお話しばかりで、残念です。
僕らは市民会議で、将来のまちを作る条例案を作り、
望むべき暮らしをどのように実現するか、具体的なルール作りをしました。
それに対するあなたの評価は、常に何かずれている気がしてなりません。
あなたは人々の生活が現状よりよくなるように、何をされているのか?
何もしない方がいい、と考えておられるのかもしれませんが、
すでに僕らがこうした条例案を作ることを否定することで、
必然的に、強者が好き勝手をする社会を是認されているのです。
これまでの議論の中で、次第にあなたに対する不信感が募ってきました。
以前もそうでしたが、どこかの参考書の内容を披瀝するような発言が続き、
自らの主張を唱えられるのは、ご自由にされたらいいとは思いますが、
あなた自身が、人間としてどのように生きようとされているのかが見えません。
それが見えないと、言葉を労しているだけに思えるのです。
僕は既に、あなたとのこうしたやりとりに、虚しさを覚えているのですが、
あなたは何を思って、熱心に教養を披瀝されるのか?
今一度、何を求めておられるのかを聞いてみたい気
2012/2/21(火) 午前 8:10
字数制限に引っかかりましたが、
内容は届いていると思いますので、
そのままにしておきます。
2012/2/21(火) 午前 8:12
彼方此方から参りました。
馬の耳に念仏
馬にも念仏を聞かせてあげたいお気持ちだったのでしょう〜。
馬のせいではありません〜。
2012/2/21(火) 午後 3:54 [ 彼方此方 ]
「イソップ」さんへ。こんばんわ。
う〜ん、観念的ですか・・・。そう感ぜられたなら、そうかもしれません。
私も、自らの考えを 未だ 十分に現実化しかねていますからね。
> あなたは人々の生活が現状よりよくなるように、何をされているのか?
――― 人々の生活が現状よりよくなることはありません。もっと悪くなります。これは、
甘い考えを捨てて、ちゃんと考えていただきたいと思います。「望むべき暮らし」という
何か形のあるものを得られることはありません。形の上では、これは もっと悪くなると
考えています。
そうした中で、人が生きられる道、悲惨を少なくする道を、私は考えているのです。
おそらく、対話で 空しく思われるのは、イソップさんが思い描かれているように、私が
現実を考えていないからでしょう。
もし、私の言が 何かの参考書の引き写しだと思われるなら、私のような考えも、世の中にある
ということでしょう。 したがって、こういう思考をする者たちの存在に、今少し 留意して
くだされば幸いです。合掌
2012/2/21(火) 午後 7:39 [ kyomutekisonzairon ]
「彼方此方」さんへ。はじめまして。
一連の対話を読んでくださり、ありがとうございます。
「イソップ」さんには 期待しているのです。きっと、やがて 私の言っていることに
耳を傾けて下さる時が来ると思います。何であれ、事は 一朝一夕にはいきません。合掌
2012/2/21(火) 午後 7:45 [ kyomutekisonzairon ]
そうですね
肥料を与えたからといって
すぐに成長があるとは限りません
肥料が間違っていることも
あるかも知れません
ですが楽しみですよね
どういう花が咲くかと
つい期待してしまいます
せめて
畑の石ころだけでも除けたいと
してしまいそうに
なりますよね〜・・笑
キョムさん!
どうかヨロシクお願いします・・・苦笑・・?
2012/2/22(水) 午前 6:25 [ 彼方此方 ]
お互いに議論することで、何が問題で、何がすれ違ったのか、
だいたいのところは、見えてきたように思います。
キョムさんの意見を観念的だと言ったのは、
自分も同じようなことを考えないわけじゃないので、
その上で何かしたい!と思って行動する意味について、
考えていただきたいと思ったからです。
人は天(観念)でも地(自然)でもなく、天と地の間に立つ生き物で、
何ものであるかは自らが決めるしかない、自由でしかない存在だと思っています。
それ故にどう行動するかの基となる“生き方”が大切だと思うので、
この流れに従って、行政には行政の“在り方”を求めているのです。
決して表面的な流行に乗って、条例づくりをしたわけではないことをご理解ください。
2012/2/22(水) 午前 10:18
「彼方此方」さんへ。 こんばんわ。
比喩は 色々と解釈されますから、できれば 率直な物言いをして下さると
ありがたいです。 合掌
2012/2/22(水) 午後 10:39 [ kyomutekisonzairon ]
「イソップ」さんへ。こんばんわ。
> 何が問題で、何がすれ違ったのか、だいたいのところは、見えてきた・・・
――― 見えてこられたということ、ありがたいことです。
条例を必要ないとする考え方もあるということ、そういう考え方も踏まえて、
今後 やっていって下されば、うれしいです。
また、
放射能測定(特に土壌汚染)の件、理解して頂いて有難うございます。合掌
2012/2/22(水) 午後 10:47 [ kyomutekisonzairon ]