全体表示

[ リスト ]

陸を東から西に進軍するモンゴル軍団(その2)

 証拠は見つかっていないが、ホラズム国王スルタン ムハンマドが、イナルチュクに直接命じた可能性もある。個人的にはその可能性が高いと思っているのだが。いずれにせよ、ホラズム王国が、サルト商人またはモンゴル帝国に非常な敵意を抱いていたことは確かだ。問題は敵意の理由である。その理由をさぐるため、ホラズム王国の歴史を少しさかのぼってみよう。

■ホラズム王国■
 世界最大の湖、カスピ海の東方にアラル海がある。かつては地球上で4番目の大きさを誇ったこの湖も、今では、水資源の危機で消滅しようとしている。ホラズム王国は、このアラル海の南方に位置していた。この王国の第7代目の王が、先のスルタン ムハンマドである。スルタン ムハンマドには、強大なモンゴル帝国をみくびり、国を破滅させた無能な君主、というレッテルが貼られているが、彼は、虎と猫を見間違えるような間抜けな君主ではなかった。

 スルタン ムハンマドは、イランからアフガニスタンにおよぶ広大な領地を巧みに自国領に組み入れ、アムダリア河とシルダリア河をはさむトランスオクシアナ地方を支配していた。さらに、サマルカンドを楔(くさび)とし、西方世界にまでにらみを利かせていた。当時、西方イスラム世界の覇者は有名なアッバース朝だが、その主都バグダッドに攻め込んだほどである。

 このような傑出した君主が、なぜ、モンゴル帝国とチンギス ハーンの力を見誤ったのか?実際、スルタン ムハンマドが、モンゴル帝国をあなどっていた証拠もある。実は、チンギス ハーンは、この事件が起こる3年前、金朝の主都 中都に来ていたホラズム王国の商業使節団と会っている。チンギス ハーンは、すぐにこの王国に興味を示し、使節団をホラズム王国に派遣する。ところが、この時、謁見したホラズム国王スルタン ムハンマドは、チンギス ハーンが自分の家臣になるよう要求したという。モンゴル帝国を過小評価していたことは間違いない。

 スルタン ムハンマドには、さらに不可解な点もある。後に、チンギス ハーン率いるモンゴル帝国軍が、ムハンマドの領土に攻め行ったときの行動だ。我を忘れた無為無策ぶりは信じられないほどで、天下のアッバース朝を攻めたてた人物とは思えない。有能さと無能さが同じ人物、同じ歴史の中に記されているのだ。理由を知りたいのだが、一般に入手可能な歴史資料には見当たらない。スルタン ムハンマドは謎である。

■チンギス ハーン■
 そして、チンギスハーン。注目すべきは、征服事業ではなく、政治と経済だ。チンギス ハーンが、シルクロードを保護したことは、高校の教科書にも登場する。そこでは、残忍な征服事業で知られるチンギスハーンも、じつは経済にも明るい有能な政治家だったという、それらしい説明がなされる。確かに、そういう側面はあったかもしれないが、チンギス ハーンが交易がもたらすマネーや物品に執着していたとは思えない。そもそも、モンゴル帝国は自給自足経済で、いざとなれば略奪経済も躊躇しなかった。つまり、日常生活物資に困っていたわけではない。

 一方で、異国の珍品の類に興味はあったかもしれない。中世最大の旅行家イブン バトゥータが記した大旅行記『三大陸周遊記』には、それを暗示する記述もある。イブン バトゥータは、キプチャクハーン国の都サライを訪れているが、この国は、チンギス ハーンの末裔たちが、西方大遠征の過程で築いた王国である。イブン バトゥータは、その都で、中国やインドから届けられた莫大な宝物を目撃し驚いている。
 だが、偉大なモンゴル帝国の創始者が、珍品収集のために、長大なシルクロードを保護したとは思えない。帝国の領土拡大とその維持が目的だった考えるほうが自然だ。そして、このようなチンギス ハーンの思惑に合致したのが、先のサルト商人であった。

■サルト商人■
  歴史上有名なシルクロードには、実は複数のルートがあった。その中の中央アジアルートを支配していたのがソグド商人であり、その継承者が、サルト商人であった。彼らは、シルクロードという広大な商業ネットワークを支配するために知恵をしぼった。長大なシルクロードを旅し、異国から様々な情報を収集するサルト商人の判断は、客観性があり正確なものだった。サルト商人は、その優れた先見性により、早い時期にチンギス ハーンの将来性を見抜き、彼の取り巻きとなっていたのである。むろん、目当てはモンゴル帝国の強大な軍事力だった。

 交易商人が十分な利益を得るには、交易ルートの安全確保が欠かせない。中継点の治安が悪ければ交易は中断されるし、ルート上で山賊に商品を持って行かれてはたまらない。むろん、このような長大なルートの治安を維持するには、強大な軍事力が必要だ。これが、サルト商人がチンギス ハーンに群がった理由である。
 このような為政者と商人の関係は、日本の戦国時代にもあった。織田信長が急速に勢力を伸ばしていた頃、今井宗久ら一部の堺商人たちが、信長の周囲に群がったが、今井家の大繁栄はこの時約束されたのである。

 こうして、サルト商人は、チンギスハーンの取り巻きとなることで、自分たちの交易の安全を確保した。問題はその見返りだ。まず、モンゴル帝国の西方大遠征だが、歴史上、この遠征の直接原因は、先のオトラル事件となっている。だが、オトラル事件が起こらなくても、モンゴル帝国はヨーロッパに侵攻していただろう。残っている歴史記録を信じれば、チンギスハーンが征服そのものに至福を感じていたのは明らかだ。より具体的には、征服し、泣き叫ぶ哀れな敗北者たちを見て、無上の快感を覚えたのである。つまり、敵の悲しみや苦しみこそが、チンギス ハーンにとって、生き甲斐であり、究極の悦びだったのだ。歴史年表に残された足跡をたどれば、チンギス ハーンにはこのような資質があちこちで見てとれる。

この記事に

閉じる コメント(0)

コメント投稿
名前パスワードブログ
絵文字
×
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

閉じる トラックバック(0)

トラックバックされた記事

トラックバックされている記事がありません。

トラックバック先の記事

  • トラックバック先の記事がありません。

.


プライバシーポリシー -  利用規約 -  ガイドライン -  順守事項 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2014 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事