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文芸春秋10月号より

東京裁判は政治劇だ、マッカーサー

出席者:

半藤一利、保阪正康、戸部良一、御厨貴、福田和也、日暮吉延

半藤:
今年は昭和23年11月12日に東京裁判(極東国際軍事裁判)の判決がくだり、12月23日に死刑を宣告された、いわゆるA級戦犯が処刑されてから、ちょうど60年目にあたります。じつは私、旧制高校の1年のとき、実際に東京裁判を見ているのです。A級戦犯として起訴された元イタリア大使、白鳥敏夫の息子が同級生で、家族だから傍聴券が入手できた。そのつてで一度だけ、東京・市ヶ谷の旧陸軍省大講堂の法廷に行きました。

ところが実際に見てみるとこれがまったく面白くない、誰かが長広告をふるっていましたが、何を言っているのか分からない。一部の被告たちは居眠りをしていましよ。その姿を上から見ながら、正直いって「ああ、こんなおじいさんたちが日本の国を指導していたんだ」と思いましたね。

保阪:
半藤さんのように、東京裁判を実際に見た、という人はもう随分少なくなりましたね。法廷で証言をした、裁判に携わったという証言者も、もうほとんどいないでしょう。私は東京裁判には二つの顔があったと思うのです。ひとつは、多くの日本の戦争指導者たちが法廷に立ち、その責任を追求される中で、それまで国民が知らなかった事実が明らかになっていった。その半面で、裁きのために、昭和の歴史が非常に単純化し、かえって歴史的な事実を覆い隠してしまった負の側面も持っている。

実は東京裁判では、証拠に採用されなかったものも含めて、膨大な文書や記録が集められました。これらは現在、国立公文書館におさめられ、2006年の終わりから徐々に公開されるようになっています。そこには、東京裁判では表に出てこなかった昭和の指導者たちの姿も記録されている。

日暮:
そのひとつが、8月12日に大きく報じられた、東條英機首相の手記ですね。終戦直前の昭和20年8月10日から14日の間に書かれたもので彼の心情が生々しく綴られている。こうした新資料はこれからも次々と公開されると思います。

半藤:
東京裁判の判決が下ったとき私はもう大学生だったかな、「ああ、日本の現代史は連合国によって徹底的に裁かれてしまうのだな」という印象を強く持ちました。いくら弁護側が熱弁をふるっても、日本の現代史は侵略戦争歴史であり、正義は連合国にあるという点を確認するために、また日本人に思い知らせるために、この裁判は行われていると思いました。

もうひとつ感じたのは、東京裁判は完全に復讐の儀式だったということです。連合国側も自分たちの国民を納得させなければいけない、そのためにああした判決を下したのだなというのが、当時の実感でしたね。現在ふりかってみると、連合国側はこの裁判を巧みに利用して、日本の国民を教化、訓練したのではないかと思います。

連合国側は「日本国民に責任はない、天皇にも責任はない」と明言して、ごく少数の指導者を責任者として挙げた。日本人は、それにすっかり教化されてしまい、自ら昭和の歴史を正しく考えるチャンスを失ってしまったのではないでしょうか。

イメージ 2広田弘毅、第32代内閣総理大臣

福田:
そこで、今回、東京裁判を入り口として、昭和の指導者や、陸海軍のなどの巨大組織が、なぜ勝てる見込みのない戦争に向かっていったのか、どこに判断の誤りがあったのかを論じていきたいと思います。もちろん、一方的な断罪ではなく、日本の指導者たちが直面していた困難な状況、そして当時の日本の政治システムが抱えていた欠陥とは何だったのについても、詳しく見ていきたい。

登場しない主役たち

保阪:
日暮さんは、海外の新資料などを基に、新しい切り口で東京裁判の実証研究に取り組んでいますね。

日暮:
半藤さんや保坂さんがいわれたように、この裁判については二つの大きな見方が対峙してきました。ひとつは、日本の侵略行為と残虐性の責任を「文明」的な裁判方式で追求したとして評価する「文明の裁き」論です。もうひとつが、裁判の形を連合国による一方的な復讐だとする「勝者の裁き」論ですね。私の考えは、東京裁判自体が、戦後の処理をめぐる国際政治そのものだった、というものです。そこで目指されているものは、あくまでも戦後の国際秩序の安定であって、歴史の判定はそのための手段だった。

イメージ 3「巣鴨プリズン」から市ヶ谷の法廷に戦犯を運ぶ米軍のバス、東條英機、荒木貞夫、武藤章、広田弘毅、土肥原賢二 などが見える

裁判を通じて日本に戦争責任を負わせることにより、敗戦国民に「教育」的効果を及ぼす。それが日本の反逆を抑止し、戦後の国際秩序を安定させるだろうーーーこうした考えに基づく国際政治の場が、東京裁判だったと思うのです。

福田:
まさに政治の劇ですね。しかも裁判の途中で冷戦が始まったことで、ますます政治的な判断が色濃く影響するようになった。チャーチルが有名な「鉄のカーテン」の演説を行ったのは昭和21年3月のことです。

御厨:
しばしば、「東京裁判史観」と言われますが、東京裁判の判決を歴史観と呼ぶのは相当に無理があります。まず当然のことですが、アメリカなどの連合国は、日本の近代史や権力構造などよく知らないんです。それでも裁判で誰かを責任者として裁くためには、とりあえず歴史的な見取り図を作らなければならない。そこで出来上がったのが、「1928年の張作霖爆殺事件を起点とする陸軍軍閥を中心とした共同謀議だったわけです。

いかにもアメリカ的だなと思うのは、この構図はきわめて単純なだけに、とてもわかりやすいんですね。逆に言うと、だからこそ、戦後、日本人の間に浸透してしまった、といえる。東京裁判の被告を見ると、人となりや人間関係などはあまり考慮されず、ある時期にどんな役職を勤めたかでほとんど決まっていくんですね。日本人であれば、その指導者がどんな人物で、何を考えたか追求するところを、アメリカ人はそういう要素を排除して図式化し、最後に、開戦時の首相は東條で、東條内閣の主要スタッフは誰でといった具合に当てはめていった。

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国際法は利害解決の手段としての戦争を合法としている。第一次大戦戦後処理では、戦争犯罪裁判は無かった。敗戦国の指導者を戦犯裁判に掛けて処刑したのは米国が初めてである。米国が負ける時が来たら、自分が作った先例に基づいて、米国の指導者も絞首になる。要は、負けないことだ。

2008/9/13(土) 午前 3:25 [ johnkim ] 返信する

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