出光美術館「茶陶の道 ―天目と呉州赤絵―」 ・・・「名物」になった「容器」たち
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撫子さんのブログを見て、これは行っておかねばっと思いまして。
やきものに親しむVIII 「茶陶の道 ―天目と呉州赤絵―」
千代田区・出光美術館 〜12月23日(祝)
天目茶碗(建盞)や茶入、呉州赤絵など、わが国で茶陶として愛好されてきた中国・福建省の陶磁器にスポットを当てる展覧会。
目玉はなんといっても大阪の東洋陶磁美術館から出品の「国宝 油滴天目茶碗」だったんですが・・・どうやらもう、大阪にお帰りになった後だったようでΣ( ̄ロ ̄lll) えー、まあ1点モノとしての目玉はなくなってるわけですが、展示としてはなかなか興味深いものでした。唐物の茶陶に関心のある方、今月23日(祝)までですので、お早めに。 展示構成としては
① 宋代福建陶磁のはじまり ② 天目 ―福建に生まれた鉄の美 ③ 珠光青磁 ―輸出された福建青磁 ④ 茶入と茶壺 ―日本文化が育んだ唐物茶陶 ⑤ 呉州赤絵 ―州窯の展開 となってます。 ①は前史的な部分で、②〜④の部分がまさに日本独自の美意識によって重んじられた茶陶なわけですが、面白いのは①で福建の“二流窯業地”っぷりが結構がっつり示されていることで、さらに①と②の間に関連展示として景徳鎮・龍泉窯など“一流どころ”の青磁の名品が並ぶことでこの落差が強調され、その上で②以降の茶陶を見る流れになっているんですね。 禾目天目茶碗 珠光青磁茶碗 本願寺伝来
まあ「建盞」は当時から評価は高かったようですし、油滴や曜変などのように誰が見てもキラキラしてきれいなものの価値はどこでも不変のものなんでしょうが・・・問題はそれ以外ですね。いかに日本人が価値観の大逆転を行って雑器を「名物」へと転換させたか、ということ。珠光青磁(③/まさに建窯の粗相な青磁)の件だけならみんなよく分かっていることなんですが、この展覧会ではその視点が茶陶の心臓部、最も「格」重視の茶入にまで向かっている感じがあるんですね。
唐物肩衝茶入「師匠坊」(大名物) 前田家伝来
実際、今回の展覧会でも茶入(8点も出ておる)にはそれぞれ仕服が一種ならず添い、特に唐物肩衝茶入「師匠坊」(大名物)は仕服2種にその箱、挽家にその袋、更にそれら全体を収める箱など、いわゆる「次第」の全体が展示され、どれだけ重んじられ、大切にされてきたかが感じられるわけなんですが、・・・一方解説で「茶入はもともと薬など貿易品の容器に過ぎなかったが」なんてことが強調されているので、目の前の茶入が「名物」と「貿易品の容器」の二重に見えるような感覚があり。ふつう「大名物」とかを展示してある時には「もとは貿易品の容器で」なんてあまり書かないですからね。
ここで「おや」と気になったのが後の方に展示されていた「褐釉壺 9客」で、小壺が9種類、中には茶入とよく似た形のものも。これがいかにも「名物」になり損なった「容器」達って感じなんですね。発掘品なので(だったと思う・・・うろ覚え)そもそも状態が良くはないんですけど、もしかすると一緒に窯から上がった「出来の良い子」はどこかの名物になってるかもしれない、いやこの展覧会場で綺麗なお仕覆と共に名物茶入として出ているのが実は兄弟かもしれない、なんて思ってみたり。それどころか、「目利き」の人次第ではこっちが「大名物」にさえなり得たかもしれない、なんて。そういう一種の可能態として見ると面白い。(見た感じで言ってますけど、もしかすると産地や作りなど決定的な違いはあるのかも)
ともかく茶入について誰でも最初に一度は思うであろう、「何でこんなチンケな小壺がそんなに大切なの?」という疑問が「あながち的外れではなかった」と、ある意味安心できた(笑)のはけっこう大きかった。多少の出来の違いを覚えたり、「昔は名物茶入一つが一国一城にも匹敵した」なんて逸話でみんななんとなく納得してるわけですが、作行きの良し悪しはあれ、元々どうってことない小壺には違いないんだと。
で・・・それでは一体、茶人達はあの「小壺」のいったい何を重んじたのか?考えて行きたい所です。 黒褐釉四耳壺(茶壷)「羽衣」(大名物) 前田家伝来
・・・こちらは大壺(やや小振り。中壺?)。
おや・・・主役は天目の展覧会なのに茶入の話ばっかりになってしまった(苦笑)。ま、一番の主役が先に大阪に帰っちゃったからなんですが(笑)。
さてその他。 ⑤ではもう一方の主役、呉州赤絵の大皿がずら〜っと並んで壮観。さらに青呉州に呉州染付、餅花手など、福建の色絵のスパンが概観できる感じで良かったです。青呉州がなかなか不思議。
呉州赤絵刀馬人物文皿 緑褐釉(交趾)亀形香合「萬歳々々」 さらにいわゆる「交趾焼」。大亀香合とか、狸香合とか見たことがありますが、江戸時代の香合の人気ランキング「形物香合番付」では上位に交趾香合が並んでいて、特に人気が高かったようです。今回も亀形香合が出てます。この交趾焼も一部が福建のショウ州窯て所のものなんだそうで。茶陶って本当に福建の陶磁器に関わりが深いんですね・・・。 〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
さて、おなじみ屏風コーナーは 伝・長谷川等伯「波濤図屏風」(六曲一双)。波をうねうねと、岩を鋭い筆法で対比的に描く等伯らしいスタイルで、今年春の東博の「長谷川等伯展」で見た京都・禅林寺の「波濤図」(重文)とよく似た絵柄。
和物ではなんといっても今年一番のイベントだった「等伯展」の記憶が、この年の暮れになってよみがえる感じでうれしかった。ありがとう出光さん。今年は没後400年だったんですよね。
言ってみれば第1楽章の第1主題が終楽章のコーダにちょろっと現れる感じ。ちょっと嬉しくなるんですよ、あれ。 |







Romanescaさん、こんにちは♪
なり損ないの容器たち?のことを、学芸員さんも、Ronanascaさんと同じ視点で説明しておられましたよ。
「当時の目利きたちが、こちらを良しとしていたら、今の茶道具はみんなこの系統になったかもだが、日本人の美意識?はそれを選ばなかった」
ちょっとポッテリなポップ?さが、素朴でかわいらしい感じかも?とチラっと思いましが、やっぱり「緩い」のは選ばれなかったのですかね〜(*^^*)
2010/12/16(木) 午前 11:39 [ 撫子 ]
( ´ ▽ ` )ノ
コレは
たのしそーな催し♪( ´▽`)
結局、品物の良し悪し
はもとより
正義や悪まで
全て
一部の権力者の
手の中にあった
のか
と
皮肉ってみる♪( ´▽`)
2010/12/16(木) 午後 9:22
撫子さん、いらっしゃいませ。おかげさまで興味深い展覧会に出会えました〜♪
そうですか、学芸員さんもそんなことを。茶入とは離れた場所にほかの小壺類と並んで展示されていたので、関係あるのかな〜?無いのかな〜?と思ってたんですけど、やっぱりそういう意味もあったんですね。
では、離して置いた事についての私の勘ぐりも案外遠からず、というところかな?^^
なぜか茶入って瀬戸とか国焼のものも含めて北山〜東山の頃の唐物数寄の硬めの造形感覚からあまり大きくは離れませんよね。茶碗や水指が時代に敏感に反映しているのに比べて不思議だなと思います・・・
でも道具組みの中にそういういろいろな時代の感性が層を成しているのは面白いですね。
2010/12/17(金) 午前 0:04
ひでさん、いらっしゃいませー^^
こちら、突出した名品が出ているわけではないんですが、なかなか面白かったですよ。
人に貴賎があるのが当然だった時代の感性というのは、時々現代人には分かりにくい部分があるなと感じることがあります。
そのかわり凄く分かりやすく突出した名品も、突出した英雄も現れやすい時代だったのかも知れないなと。今は人の価値もモノの価値もみんな多様で相対化されちゃってますので・・・
あ、ところでこの出光に行った翌日、ひでさんが先日行かれた永青文庫にも行きました!凄い茶入の数で。ただいま記事考えてるところです。
早くアップしないと終わっちゃう;^_^A
2010/12/17(金) 午前 0:29
天下の名品を見るには美術館しかありませんねー・・・
2010/12/17(金) 午前 7:22 [ 夢想miraishouta ]
夢想miraishoutaさん、いらっしゃいませ。
そうですね・・・でも美術館は「おさわり禁止」(爆)なんですよねー(^^;
鑑賞オンリーでいい絵画とかはともかく、うつわについては夢想館さんのように実際に所有して使うことも同じくらい大事だなと思います。
2010/12/18(土) 午後 8:47