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<君が代訴訟>教職員の敗訴確定へ 最高裁が弁論開かず
毎日新聞 1月26日(木)21時39分配信
学校行事で日の丸に向かって起立し君が代の斉唱を求める東京都教委の通達は違憲として、都立学校の教職員らが義務がないことの確認などを求めた訴訟の上告審で、最高裁第1小法廷(宮川光治裁判長)は判決を2月9日に言い渡すことを決めた。2審判断を見直す場合に行われる弁論が開かれず、教職員が逆転敗訴した東京高裁判決(11年1月)が確定する見通し。
1審・東京地裁判決(06年9月)は「教育基本法が禁じる『不当な支配』に当たり、憲法が認める思想・良心の自由を侵害する」として通達を違憲と判断し、賠償も命じた。これに対し2審は「不当な支配に当たらず、憲法にも反しない」と逆転敗訴としていた。【石川淳一】
君が代訴訟:処分取り消し訴訟 最高裁判決に知事「非常に不満」 /東京
入学式などで日の丸に向かい起立して君が代を斉唱しなかった都立学校教職員への都教委の懲戒処分の一部を「不当」と指摘した最高裁判決について、石原慎太郎知事は20日の記者会見で「非常に不満」と話した。
その上で「(日の丸に向かい起立して君が代を斉唱しない)先生の価値観はあると思うけれど、(教育の中で)国家と個人の連帯を体感させるのは、特に小中学校は刷り込みの段階ですから、先生たちの教育者としての基本的なルーティンだと思います。それを自分個人の判断で放棄するというのは教師としての職務怠慢だと思う」と話した。【柳澤一男】
「そこで現在よく出てくることの1つは愛国心です。愛国心を鼓吹するのはちょっと矛盾していると思う。学校教育で愛国心を吹き込んで愛国的な人間を沢山つくりたいということでしょうが、しかし、だいたい愛っていうのは一人の他人を愛する場合でも、国を愛する場合でも、あるいは芸術とか自然を愛する場合でも、主として感情的反応です。同時に身体的な要素も強く、ただ頭で考えただけではないですね。「これは利益になるから愛することにしよう」といって愛したりはしない。旧約聖書のソロモンの雅歌に「愛おのずから起こる時まで」という言葉がありますが、計画的に愛するというわけにはいかない。文化省が監督して「これを愛しなさい」と言ったところで愛国心は起こらない。愛国に限らず、政府が「日本国民は饂飩を愛せよ」と言っても愛は起こらない。
19世紀の半ば頃、ユダヤ系のドイツ人でハインリッヒ・ハイネという詩人がいました。1930年の七月革命のあと1931年にフランスに移住し、そこで自分の愛国心について「私にはかつて美しい祖国があった」という書き出しで詩を書いた。彼が祖国の何を愛したかというと、樫の大木と道端の菫violetteの花、もう一つはドイツ語の響きです。祖国は「Ich liebe Dich我は汝を愛す」と彼に話しかけた、その言葉の何と美しく響いたことだろう――これがハイネの愛国心の内容です。それは自ずから起こった。
愛国心は、ある環境の下では平和のために、あるいは国際協調のために役立つのですが、ある時には戦争のためにも役立つ。
人類の歴史で愛国心が軍事力と結びついた最初の例は、18世紀の終わりから19世紀初めにかけてのナポレオンです。長い中世とルネッサンスを通じて、兵隊は王様に対する忠誠のため、スイスの傭兵はお金のために戦ってきた。しかしナポレオンは兵士の戦いの動機に初めて愛国心を使いました。その力はご承知のように非常に強力でした。中世的、貴族的な軍隊よりも、愛国心で結束した軍隊ははるかに強力だった。
フランス革命の時にも愛国心がありました。貴族が国際的でしたから、フランスの革命的人民は愛国心を持っていた。愛国心は革命の側にあって、弾圧する側にはなかった。だから愛国心は色んな方角に向かいうるんです。
愛国心について話すのであれば、日本の伝統を考慮する必要があります。日本では、明治以来、愛国心は絶えず軍事力と結びつけて宣伝されてきました。1920年代に軍縮の時代もありましたが、その時、愛国心は標語ではなかった。軍縮の標語ではなくて、軍備拡大の標語が愛国心でした。それは日本の伝統です。
しかし愛国一般についてはそうではありません。だから、日本での伝統を検討する必要があります。そうでないと、愛国心が十分理解されないと思います。
そもそも愛国心は学校で強制すべきものではない。日の丸・君が代の押しつけも同じことです。日本では愛国心を持ち出すと火薬のにおいがする。」加藤周一
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