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2009年7月5日に放映されたNHK日曜美術館に犬塚勉という画家が紹介されたましたが、ご覧になられた方も多かったのではないかと思います。小生も絵好きのはしくれのつもりでしたが、やはりつもりはあくまでもつもりでしかなく、犬塚氏の名前も作品も番組を拝見するまで全く知りませんでした。放送後色々な方が、HPやブログで語っておられますので、私の能天気な感想など聞く価値もないでしょうから、是非読者諸氏は他の記事やブログを見ていただくと宜しいかと思います。
しかし、私なりに違う角度でこの人の作品や遭難についてお伝えしたい事もありましたので、あえて記事にさせていただくことをお許しください。
彼の番組を見た後どうしても本画を実際に見たくなり、昨日15日奥多摩渓谷の傾斜地に建てられた「せせらぎの里美術館」を訪問してきました。
300円という驚くほど安価な入館料を払い展示室に入りますと、真っ先に目に入ってきたのは、テレビで紹介された「縦走路」という作品でした。北岳(南アルプス国内第2位の高峰)の正面登山ルートである大樺沢ルートを上りつめた尾根の縦走路を描いた作品でした。作品を見た瞬間犬塚勉という作家の執念に戦慄を覚えました。縦走路に転がるガレ場の石ころをひとつひとつ丁寧に描き切った作品でした。いったいこの画家は何万回キャンバスに筆を運んだのだろうかと想像するだけで背筋が寒くなる想いでした。
それから他の作品を見て行きつつ、その恐ろしいばかりの戦慄は消えるどころか、どんどんその思いを深めていくばかりでした。来館者の中に「美しい」とか「心が安らぐ」という感想を述べている方もいらっしゃいましたが、私は精緻に丹念に執拗に描ききる画家の執念のようなものに心臓をつかまれるような錯覚を覚え、たとえようも無い恐怖感すら感じました。
画家は植物・岩・水・木などアクリル絵の具で写実技法で緻密に描いているのですが、通常の写実とは違うのです。「lax何がどう違うのだ」と聞かれても困るのですが、人や動物以外に精神性を見出しうる人は少数だと思うのですが、さらにそれを被写体を通して描き切れる人は私は多く知りません。「アンドリューワイエス」という作家に近い匂いを感じますが、それとも違う。この人の作品の多くにモチーフ(主題)らしきものが無いのです。いや正確に言うとあるのです。それは画面の構成要素である草木や雑草の1本1本がそれなのです。
失礼な話ですが、この作家の画面を例えば半分とか四分の一に分割して額装してもそれぞれが立派な作品として独立できるはずです。草原等を描いた作品が他のブログ記事にもありますから試しに画面の半分を紙で隠して残った画面に視線をやってみてください。何十分割にしようと一枚の作品として成立するはずです。彼の作品の多くに主題がなさそうで、実はあると言った理由は、彼がキャンバスに入れた筆は、たとえそれが1mmの草木や石ころであっても、彼は描く対象そのものから見えざる生命の根源のようなものを感じ取っていたように思えるのです。だから何十分割にしようが幾百万ものモチーフが全てに画面に存在しているので、それぞれが独立した作品として成立するのは当然の事と思いました。こういう作家に今まで私は出会った事がありませんでした。
そして一番下の展示室に展示されていた、「暗く深き渓谷の入り口」という作品の前で、それまで感じていた作者に対する戦慄の想いは確信に変わりました。この人の心は、見えるものから見えないものの核心(魂の核心)へと誘われて行き、とうとうこの絵に辿り着いてしまったのだと。
この絵を描く途中、奥様に「どうしても川の水がうまく描けない、もう一度水を見てくる」と言い残し谷川岳に向かい不帰の人となられています。作者の未完の絶筆作品を凝視していたら無意識に涙が頬をつたってしまい、他の来館者の手前どうにもばつが悪く外の渓谷の風景に目をやり、なんとかその場をしのぎました。この作品のタイトルは、「暗く深き渓谷の入り口」ですが、私が確信をもって想起したタイトルは「暗く深き魂の入り口」でした。(犬塚さん深謝)
さて話は長くなりますが、私も登山をやっていましたので、彼が遭難した谷川岳については経験もありますので、この山と彼の遭難へのプロセスを、あくまでも推定と前置きしつつ解説したいと思います。
彼が命を落とした谷川岳は標高は2,000mにも満たない山です。しかしながら急峻な岩壁と複雑な地形に加えて、地理的に中央分水嶺に位置するため天候の変化が激しく、他の山に比べて遭難者の数が群を抜いて多いのです。
1931年(昭和6年)から統計が開始された谷川岳遭難事故記録によりますと、2005年(平成17年)までに781名の死者が出ています。この飛び抜けた数は日本のみならず世界のワースト記録となっています。ちなみに世界最高峰のエベレストのそれが178人ですから、いかに谷川岳のそれが多いかご理解いただけると思います。また、一旦遭難すると救出が難しい山でも有名で、1960年(昭和35年)には、岩壁での遭難事故で宙吊りになった遺体に救助隊が近づけず、災害派遣された陸上自衛隊の狙撃部隊が一斉射撃してザイルを切断し、遺体を収容するという遭難事故もありました。こうしたところから、谷川岳は登山家の中では「魔の山」とも呼ばれているのです。
彼が谷川で遭難死した際に選択したルートは沢登りのルートと推定され、明らかに一般の登山者が登坂するルート一線を画します。何が一線を画すかと言いますと、沢登りのルートというのはロッククライミングの技術が要求されるルートであり、しかも滝の水で洗われた滑りやすい岩場が間断無く続く水との闘いのルートでもあるのです。
彼の遡行したであろうルートをあくまで推定ですが、恐らく群馬側から苗場プリンス方面に向かい、三国トンネルの7km 程手前の相俣(最も遭難した場所まで全て相俣ですが)を右に入った所に川古温泉があります。その川古温泉を起点に赤谷川本谷を遡行し、途中左の金山沢と笹穴沢と呼ばれる滝また滝の難所ルートから平標山を目指したものと思います。その登坂の途中で悪天候に遭遇し結果として遭難したのでしょう。
「9月なのに」と思われる方もいらっしゃるでしょうね。しかし山の天候は平場のそれと違い、朝快晴であったものが帰路ガスや暴風雨に変わり、1メートル先も見えなくなることがあります。彼の遭難時の状況を記した文に、「悪天候に遭遇した」とありますから、登坂ルートに延々と連なる滝の水も増水したことでしょう。そうした刻々と悪化する状況に身の危険を感じ、消耗しきった体力を振り絞りながら、右のエビス大黒の頭か仙倉山方面の尾根へと退避しようとした筈です。何故なら谷川岳の経験がある人は、悪天候の際にエビス大黒の頭と仙倉山の稜線を結ぶ中間地点に避難小屋があることを知っています。赤谷を遡行する人は殆どの人が平標山を目指すと思うのです。しかし彼がエビス大黒の頭に近い尾根で亡くなられたという事は、おそらく彼は自分自身の生命、家族への思いを馳せ平標山への登坂を断念し、何とかこの避難小屋にたどり着きたいと思ったのでは無いでしょうか。
彼の生き抜きたいという想いは、その迷走ルートをみると胸に突き刺さるように伝わってくるのです。しかし彼は単独行でしから、その退避行のプロセスで著しく体力も損耗していったのでしょう。また、夏山といえど山は標高が上がるごとに気温が下がりますし、更に悪天候で風が出ると体感温度も低下します。その結果低体温症に襲われ最初はがたがた寒気による震えの症状が出ますが、そのあとは酩酊状態となり意識が薄れていくのです。エビス大黒の頭に近い稜線で力尽きその短い生涯を閉じられました。享年38歳でした。彼が最後まで離さなかったカメラには赤谷本谷の滝の写真が残されていたといいます。
未完の絶筆「暗く深き渓谷の入り口」を、彼はどのように完成させたかったのか、私には永遠に想像出来ません。
1.縦走路
2.暗く深き渓谷の入り口1 未完絶筆
3.暗く深き渓谷の入り口2 未完絶筆
4.谷川連峰登山ルート図
5.谷川岳
6.エビス大黒の頭から仙倉山を望む
7.犬塚勉
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初めて聞く画家さんです。
これらの画像も写真だと思ってました。岩の描写が特にすごいですね。とても詩的です。
laxさま、さすが〜フットワーク軽いですね(*^_^*)
実物をみないと何も分からない絵なのだと思いました。
どんな水を描きたかったのでしょうね。
2009/7/17(金) 午前 0:10
私も初めてです。
未完絶筆が、気になります。
2009/7/17(金) 午後 0:41 [ yutake☆イヴ ]
こんにちは。
念を押しますが上から2枚目、3枚目は絵なんですか?
後ほどお伺いします。
2009/7/17(金) 午後 2:45
les-fleursさん 今晩は犬塚勉の作品展を開催している「せせらぎの里美術館」の隣には御岳美術館があり、その近くには日本画の川合玉堂美術館ありと珠玉の美術館が沢山あります。そして渓谷あり緑ありのとても風光明媚なところで美術に興味ない人でも、とても癒される空間でしたよ。
確かにこの画家の作品はパソコンや我執などでは写真に見えてしまうかもしれませんね。実物を見たらとにかく自分で絵画を描く方なら、おそらくその緻密な描写力に驚き。絵好きにはそこからあふれ出る執念に立ちすくむと思います。写真であるがゆえにそれが伝わらず残念です。
2009/7/17(金) 午後 8:09 [ lax**40 ]
yutakeさん 今晩は。未完の絶筆きになりますでしょう。laxのばか者はこの絵を見ていて本当に無意識に嗚咽しそうになってしまいました。本当にあわてました。でも白髪の初老の男性がやはり涙を流していました。その人を見ても、決して恥ずかしいシーンとは思わなかったのですけどね。人のは美しく見えても、自分はいやなんですね。
2009/7/17(金) 午後 8:14 [ lax**40 ]
ロシア画廊様。いつもコメントいただきありがとうございます。上三枚は全て犬塚さんの作品です。実物で無いとそのかもし出す雰囲気がなかなか伝わらないと思うのでとても残念です。ただ私も少し油絵や透明水彩をやるのですが、絵画の基本的技術はベースでしかなく、描き手の祈るような想いが作品に込められているか否かが名画かそうでないかの分水嶺になるように思いました。
2009/7/17(金) 午後 8:21 [ lax**40 ]
一番上もそうだったんですかぁ、雲が油絵の感じに見えたのですが軽はずみなコメントは慎もうと思いましてお伺いしました。
岩の描き方が得意なのか、ほんとうにごつごつした感じ、何トンもある岩の巨大さを出したり、水面に反映させたりお見事に描くものですね。
2009/7/17(金) 午後 10:09
おはようございます。
私もこちらにおじゃましました。きてよかった・・・。
lax様の感じた「怖さ」、私ごときが軽はずみに申すべきではないですが・・・ぎょっとしました。
私は「梅雨の晴れ間」(だったかな)をみて、「この絵の中心はなにかな。」と思っていたんです。でもlax様の解説に接し、「4分の1に・・・」のところで「ああ、そうなんだ」と、すとんと腑に落ちた気がしました。「せせらぎ」は遠くて行けませんが、画集だけでも買ってもう少し見てみたいなと思います。
ありがとうございました。
2009/7/18(土) 午前 7:56 [ りゅう ]
ロシア画廊さん 今晩は、「何トンもある岩の巨大さを出したり、水面に反映させたりお見事に描くものですね」というご感想ですが、仰る通りですね。犬塚氏が石と水をテーマに描きだしたのは、9月28日に遭難する僅か3ケ月前の7月からだったようです。そして滝を描き始めたのが8月からと言いますから、未完の絶筆となった作品、「暗く深き渓谷の入り口」の2作品は亡くなる直前に発見したテーマだったのだと思います。
2009/7/18(土) 午後 10:59 [ lax**40 ]
下弦の月さま コメントありがとうございます。「梅雨の晴れ間」という作品は1986年5月 第2回多摩総合美術展に出品した作品のようです。描き始めたのは前年の6月からだと推定されます。1985年6月3日の制作日記にこの梅雨の晴れ間に関するコメントを残しています。その内容は「絵の中で、大変なものを実現するかもしれない。人を描かずに人を描くことができるだろう。中略・・・今のところは、草の繊細に群れ繁れる様などを見るとき、まるで愛する人見つめる時のように心ときめくのである。」と記しています。
この記述から推定されることは、まさに草原の雑草一本一本を人のように魂ある存在として認識し、愛する人を描くようにそれを描いたのだと思います。それもほぼ1年近くの気の遠くなるような年月をかけて・・・。だから見る人は単なる写実風景とは違うものを直観的に感ずるのかもしれませんね。
2009/7/18(土) 午後 11:16 [ lax**40 ]
「犬塚勉」と言う画家を覚えておこうとメモした程度の私のブログにコメントくださってどうもありがとう。魂に響いてきた絵でした。
この自然の中でちっぽけな自分を感じて自然に対して畏敬の念を感じざるを得ない気持ちにさせられますね。この絵を前にするときっと、
泣けて来そうな、そのくせ静まり返った自然の中でそれさえも怖いような。
2009/7/19(日) 午前 4:01
フランソワーズ様 コメントありがとうございました。「魂に響いてきた絵でした」という感想はとても的確な表現ですね。目に見えるものは作品そのものですが、作品の中に込めた画家の詩魂は目で認識できるものではなく心でしか認識し得ないものなのでしょうね。それだけに、視覚で認識したものを物理的に表現するのは容易ですが、心で感じたものを言葉に表現するのはとても難しい事だと思います。表現しきれなかったり、ある時は誇張しすぎてしまったり。本当に心に感じた事を的確に表現する力を手に入れることができたら、どんなにか素晴らしいことだろうと思います。またお越しいただけます事を楽しみに致しております。とはいえ、1ケ月に1−2回の記事しか載せない気まぐれプログですが(笑)。
2009/7/20(月) 午後 8:32 [ lax**40 ]
lax様「梅雨の晴れ間」のコメントありがとうございました。
人を描かずに人を描く・・・はああ、それは、あの、轍にも似た人が通ったような痕跡なのかなあと思いました。
風は形がないけれど、のれんや木々の葉で、その存在がわかるように。ますます、魅力を感じます☆
2009/7/20(月) 午後 8:53 [ りゅう ]
下弦の月様 今晩はコメント遅くなり申し訳ありません。「轍にも似た人が通ったような痕跡」確かにありましたね。物理的に画面に人を描かず、時間軸の中で描くというのは新しい試みかもしれませんね。過去挑戦した画家もいたでしょうか。
2009/7/21(火) 午後 6:46 [ lax**40 ]
lax様
私は不勉強なので、詳しくはわかりません。
でも、先人に試みた人がいたとしても、私は犬塚さんの作品に心が動いたので、この出会いはありがたいと思います。
じっくり対峙したいなあと思います。勉強させて下さい☆
2009/7/21(火) 午後 7:52 [ りゅう ]
「出会いはありがたいと思います」本当にその通りですね。番組を見ていなければおそらくこの画家のことは知らないまま通り過ぎてしまったでしょう。御縁というものはとても不思議です。
2009/7/28(火) 午前 9:26 [ lax**40 ]
はじめまして。
検索していてこちらに来ました。
犬塚先生は私の中学の時の美術教諭でした。
美術準備室にあった沢山の絵、先生が授業時間内に話した北海道一人旅の話や大学時代の絵の具作り?の秘話など色々思い出します。
美術教諭としても良い先生だったと思っています。
2009/8/24(月) 午後 3:46
おおお〜、ご本人を知る方がお話ししてくださるとは、
ブログならではの出会いに感謝します☆
2009/8/24(月) 午後 10:57 [ りゅう ]
こじまる様コメントありがとうございました。犬塚氏が先生でいらっしゃったのですね。美術準備室にあった作品とても興味あります。とても良い先生だったのでしょうね。深いものを追い求める方は、明るさと優しさの両面を精神に内包していますから、教師としても理想に近い方だったように思います。是非いろいろ思い出を聞かせていただければ幸甚です。
2009/8/25(火) 午後 8:12 [ lax**40 ]
下弦の月様 コメントありがとうございます。本当に不思議な縁ですね。犬塚氏が自分のことを忘れないでほしいと自身の作品に共感を持ってくれた人同士を見えない力で引き寄せ合っているのかもしれませんね。天国でもきっと素晴らしい作品に取り組まれておられるのでしょうね。
2009/8/25(火) 午後 8:16 [ lax**40 ]
私は、同業者(教員)としての犬塚氏にもすごく惹かれるものがあります。美術の授業の時のおしゃべりを、そのときの生徒が覚えているなんて、正直うらやましい。人や自然への大きくて暖かくて豊かなまなざしを感じます。このブログ、本当にありがたい。宝物です☆
2009/8/25(火) 午後 8:28 [ りゅう ]
lax**40さん、お返事を下さりありがとうございます。
担任でも美術部でもなかったのですが、勉強が嫌いで美術や音楽しか好きではなかった私に「絵を続けること」と話してくれた事を覚えています。
結局私は都立の普通科高校に進学しましたが、その後(絵画ではありませんが)美術の短大に進みました。
もう一人、同じ高校に進んだ男の子も美大に行きましたっけ。
(たまたまですがその高校の美術の先生は犬塚先生とは「犬さん」「猿さん」と呼び合う親しい仲だったそうです)
中学で自閉症だとウワサされる一言も話さない男の子がいましたが、絵を描かせると素晴らしく、その子は先生とだけは話をしたようです。彼は芸術高校に行ったと聞きいています。
絵の好きな生徒にとって、先生は本当に良い教師だったと思います。
こんな先生の作品を皆さんが好きだと言って下さるのが、とても嬉しいのです。
lax**40さん、下弦の月さん、ありがとうございます!
2009/8/27(木) 午後 3:16
下限の月様は教師でいらっしゃいましたか。小生は今会社の代表をやっておりますが、大学卒業直前に新潟県で教員採用の内定をいただいたのですが、迷った末に今の進路を選びました。振り返ってみると会社の経営者というのも実は教職に近い仕事のような感じがします。人の育成なくして企業存続はありえないと実感しています。
絵画という作品を生み出す根本も、子供育成していく教育の根本も、企業を経営していく根本も共通しているのは、その主体となる人が基礎的技術(知識)をベースに、いかに人としての豊かな感性や品性を備えているかがとても大切な気がします。下弦の月様は犬塚氏の作品に感動される豊かな感性をお持ちの方で、とても素晴らしい方だと思います。
2009/8/28(金) 午後 4:02 [ lax**40 ]
こじまる様 犬塚先生の思い出話しをお聞かせいただきありがとうございます。もし魂が存在するなら、きっと自身のことを忘れないでいてくれる事にとても感謝していると思います。自然の奥深い精神性を求めていた犬塚先生でしたが、自身の魂の叫びを受け止めてくれるのは自然だけでなく、こじまるさんのような教え子やファンの皆さんの心であった事を理解されていらっしゃるかもしれませんね。
2009/8/28(金) 午後 5:08 [ lax**40 ]
Iax**40様 初めまして。コメント頂きましてどうも有り難うございました。皆さん初めて見た人は同じ感動を覚えるものだと、犬塚先生の偉大さをあらためて感じております。私もワイエス、マテイス等大好きですので、その緻密さは同系統のものでも、この犬塚先生のは更に崇高な領域の雰囲気をかもし出しており私も涙が出てきました。
本当に素晴らしい方だと思います。夫も去年この山に登ってきたようで険しい山だと言っており、珍しく犬塚先生の絵を見て感動しておりました。Iax様もかなり人望のある方だし、愛しておられるのが良くわかりました。色々と教えてもらいましてどうも有難うございました。これからもどうぞよろしくお願いします。
2009/9/15(火) 午後 0:13 [ 佳織 ]
佳織さま こちらこそどうぞよろしくお願いいたします。またコメントも頂戴し恐縮いたしております。犬塚さんの絵は佳織さまがおっしゃいますように本当に崇高な雰囲気ですよね。
2009/9/15(火) 午後 11:06 [ lax**40 ]
lax様
13日に日曜美術館の再放送がありましたね。有りがたかったです。
改めて見て、知っていたはずなのにまた泣けてしまいました。
あえて山奥や秘境の渓谷を描いたり、無生物たる岩を中心に持ってきたり、なにかこう、万物、みな、命ありと言われているような。
背筋を正して、犬塚さんの生き様も含めて、見せてもらいました。
また、教育と企業の経営について書かれていますが、
これは私の私見であり、私のブログでも触れていますが
我々教師、特に担任は、自分の担任の子が教室に毎日来るのを
「当たり前」と思ってはいけないと思うのです。
ろくでもない店ならお客は2度と来ない。
学校だから、ろくでもなくても来る。だから我々は、子ども達に
「授業と学級経営」というサービスに日々努力し、
「今日も来て良かった」「今日は難しかったけど明日も頑張ろう。」
と、子どもが思いながら下校するような仕事をしなくてはいけないと思っています。子どもにこびるのではなく、子どもを支え伸ばすための自己研鑽とその証である授業、ベースである学級経営を怠るなと。
あ、話がそれました。すみません☆
2009/9/15(火) 午後 11:37 [ りゅう ]
こんばんは。
わたしも先日の日曜美術館を見ました。
犬塚氏が己を律しながら、自身の命を賭けて、自然の懐に我が身を寄せていった経緯に、わたしも身が引き締まるような思いとともに、TVの画面に釘付けになりました。
奥さまの思い出をかみしめるように、そして、慎重に言葉を選びながらお話されるお姿に感動しました。
「どうしてそんなに危険なことをするの?」
「それが必要だからだ。その結果、自分は死んでもかまわない」
夫婦としての会話に、これ以上の緊迫感と悲しみはないと思います。
山の精霊に魅入られた犬塚氏の作品、改めて深く心に染み入りました。
laxさまに、ご紹介いただいた感謝の気持ちをお伝えしたく、拙いコメントをさせていただきました。ありがとうございます(*^_^*)
2009/9/15(火) 午後 11:55
下弦の月様 今晩は、文中の ……「子どもにこびるのではなく、子どもを支え伸ばすための自己研鑽とその証である授業……素晴らしい価値観だと思います。あるラジオ番組にゲストコメンテーターとして出演させていただいた際、キャスターの方に「laxさんは優しさをどう定義づけていますか?」と質問されたことがありました。これは難しいことを聞かれたなと内心思いました。ただ優しさの本質というのは表面化した言葉や態度が重要なのではなく、自分以外の対峙する人やモノに対してかけがえのない存在として認識しているかどうか大切だと思うのです。一般的には優しい言葉をかけてくれる人が「優しい人」と認識されたりするケースがありますが、好かれようという思いや、嫌われたくないというおもねる想いであっても「優しさ」として映ります。それは自分のためにという感情の発露ですよね。大切なことは表面に見える言葉や行動は手段であって、相手を思って叱ることもある、慰めることもある、励ますこともある、教えることもあるということかもしれません。「子供にこびるのではなく支え伸ばすために・・・」下弦の月様は強く優しい先生ですね。
2009/9/16(水) 午後 8:03 [ lax**40 ]
フルールさん今晩は、本当にご無沙汰ばかりで申し訳ありません。中間決算月で、ドタバタの日々が現在進行形で続いております。犬塚さんの再放送があったようですね。今日銀座のセントラル美術館で風土展があり、以前からファンであった画家の「悳俊彦」にお会いしてきました。彼も犬塚氏の事をよく知っていました。良い絵を描く埋もれていた画家が再評価されたことをとても喜んでおりましたね。「彼の絵は目で描いたものではなく、心で描いた心象風景だと思います。」と言っていました。フルールさんのような芸術に造詣の深い方に評価してもらえると自分のことのように嬉しく思います。こちらこそありがとうございました。
2009/9/16(水) 午後 8:23 [ lax**40 ]
はじめまして
「中央分水嶺」検索から来ました
これも何かのご縁と思いコメさせていただきました
犬塚氏の作品すさまじいですね、好きになりました
+ポチどす
過去の記事へのコメ失礼しました
トラバらせてもらいます
2009/10/10(土) 午前 8:16
おぎりんさん コメントへのお返事が遅くなり大変失礼いたしました。ポチありがとうございます。犬塚氏もさぞや喜ばれている事と思います。「犬塚氏の作品すさまじいですね」というコメントですが本当に、すさまじいと感じさせる絵への執念ですよね。小生はあまり執念が無いほうなので、ある意味自分に無い能力であり畏敬の念を抱いてしまいます。
2009/10/14(水) 午後 3:58 [ lax**40 ]
laxさま
下弦の月です。今日授業終わりました。がんばりました。
本当にありがとうございます。
大げさかも知れませんが犬塚先生の絵を知って
私は子どもを見る目が少し変わりました。
うまく言えませんが、どんな草もどんな石もかわいいと
心から思えるようになったんです。例えば運動会前に
子ども達と環境整備で草取りするとき
「今度は野原に生えといでって草に言ってあげようや。」なんて
話ができたし。今日の授業も本当に、勉強嫌いの子が
どうにかこうにか生きる(輝く)ように工夫しました。
ありがとうございます☆
2009/10/14(水) 午後 9:36 [ りゅう ]
下弦の月さま 公開授業の話しを読ませていただきました。本当にお疲れ様でした。「どんな草もどんな石もかわいいと心から思えるようになったんです」とても素晴らしいことですね。今の時代は比較的「目に映る」ということと「見る」という事を混同されるケースが多いように感じます。「映り感ずる」それが「見る」という事なのかもしれません。教職と言う仕事は大変な事も多いと思いますが、下弦の月様のような先生がいる限り日本の教育も大丈夫だと思います。無意識かもしれませんが、私から見ていますと「教育」ではなく子供たちと共に育つ「共育」を実践されているように映りますよ。明日もファイト!!
2009/10/15(木) 午後 7:45 [ lax**40 ]
lax様
身に余る光栄・・・ってこういうことでしょうか。
「共育」・・・嬉しいです。結構私は子どもには厳しいので
「恐育」かも知れませんが・・・(汗)あな恐ろしや。
「映り感ずる」とは美しい言葉ですね。感じる心や
感じ続ける意欲を保ちたいなあと思います。
相手は日々育ちゆく無数の未来ですから、
適当に扱うなんてもったいなくてできません。
子ども達の協力する姿や本気でけんかして仲直りする姿、
「わからん〜」と叫びながら、ページを繰る姿、そして寛大な心。
教室はいいものです。「響室」です☆
2009/10/15(木) 午後 10:58 [ りゅう ]