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日本のブログは中国では御法度??

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前回の記事では、中国でもYahooブログはOKなどと申し上げましたが、その後何度も試みましたが記事の投稿は不可でした。その後に気がついたのですが、基本的に外国のブログは規制されていたのですね。

今回は、日本帰国を利用して生存している事の証明をしていきます。


殺風景な部屋を潤すために購入した現代の景徳鎮製磁器二点、ホテルの隣のデパートで購入しましたが現代製といえども現地の人の1ケ月分の給与位しましたよ。

3枚目の写真はMy−Roomです。

あと2時間で帰国(中国へ)のため、この辺で失礼します。 

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中国に着任いたしました

10/19日に着任し、6日間が立ちました。ブログも特に問題なく継続できそうです。赴任地は北京でも上海でもなく吉林省長春市です。中心地の人口が400万人で、そのうち日本人は200人ですからいかに日本人が少ないかわかっていただけると思います。

おいおい中国の文化や土地の様子をお伝えしていきたいと思います。

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中国転勤によりブログお休みとなります

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9月14日から中国転勤です。中国政府系企業とのJV会社の総経理(代表取締役)が決まりいよいよ中国行きです。中国でブログ出来るかどうかわからないので、ひとまず休止という事にします。

とりあえずFビザで18日間引き継ぎをしてきて、10月1日にZビザ申請のため10日間程帰国。そのあとは行きっきり。

ブログは残しておきますが、更新していないといたずらな書き込みが沢山くるので殺伐としてくるんですよね。

皆さんお元気で!!

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凍る華、凍るイエロー ・・・ 関口雄揮

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先週土日、突如富良野と美瑛の丘が見たくなり、広島から羽田トランジットで旭川に降り一泊二日で弾丸旅行を決行しました。形容しがたいすざましき弾丸旅行でした。「北の国から」「優しい時間」「風のガーデン」と富良野三部作のドラマを生みだした倉本聡が住む富良野。この街に立つと時間の流れがいかにも緩やかで、都会の喧騒とストレスに病んだ人には、途方もない癒しの空間だと言えます。倉本聡がNHKとの確執から失意のうちに安住の地をここに求めた気持が良く解るような気がします。 

富良野といえば北海道ですが、最近この画家の美術館が札幌に出来たようです。埼玉出身で千葉県松戸市で85歳の生涯をとじたこの画家が北海道の風景に惹かれこの地に取材した作品を多く残したことはこの作家のファンには良く知られています。

今回弾丸旅行では札幌に回る時間もなく、結局彼の美術館まだ一度も行ったことがありません。この画家の存在を知ったのは、箱根の成川美術館でした。「枯野」という題の6曲半双の屏風絵の厳しく凛とした晩秋の木枯らしに立つ枯れススキの群生を描いた日本画でした。

画家の名は関口雄揮。戦中の昭和17年に東京美術学校日本画科に入ったものの、戦況の悪化で翌年学徒動員で繰り上げ卒業させられ徴兵されます。終戦後帰還した彼は再び東京芸大に復学し、当時同校で教授をしていた安田靫彦に師事します。卒業後は以前から知り合いだった東山魁夷に師事するのです。地理的にも東山は千葉県市川に在住し、関口は同じ千葉県の松戸市に在住していましたから、同じ日展の会員としても深い交流を重ねたようです。

そういう目で見ると東山と関口の絵には、研ぎ澄まされ、凛とした風景のなかに、作家の毅然と自然に対峙する姿勢が見る側に静かな迫力で迫ってくる感覚を覚えます。
関口の作品もいつか手に入れたいと思っていましたが、入手の機会に中々巡り合うことができませんでした。そのうち3年前の2008年 7月17日、心不全のため85歳で亡くなられ、更に出会う機会は遠いものとなっていきました。それもその筈で、先に紹介した札幌に出来た本人の美術館に3000点に及ぶ膨大な作品をすべて寄贈したのですから、当然マーケットを流通する作品は減少せざるを得なかったわけです。

この作品を入手できたのは僥倖でした。

「冬の華」は写実的な描写とモノクロームを用いた温度感の無い幻想的な風景画は、見る者を一瞬で
惹きつけ氷結させてしまいそうな作品となってます。

もう一枚はシールが亡くなっており、画題さえ分からないのですが、黎明とも夕暮れともつかない、黄色い空と湖面の大胆な表現にはまさに唖然とさせられました。黄色は通常暖色ですから暖かい絵になるはずなのに、この人の手にかかってしまうとむしろ厳しい寒色になってしまう。画面右に配したシルエットの木が更にその温度を下げる効果を与えているのです。

夏にこの二枚の絵を自宅の壁に掛けると、錯覚で体感温度が低下し、クーラーが不要になりそうな感覚さえ覚えます。

NHKの新日曜美術館で関口雄揮を紹介したことがあったようですが、私は見逃しているのです。出来たら、再放送の機会があればいいのですが。

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朝雲立つカンチェンジュンガ・・・・小宮山俊

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日本画家、小宮山俊についてはこれまでも何度か紹介してきました。小宮山氏の画家としての芸術性の水準や評価は、客観的には高いかどうかは私にはわかりません。多くの中堅画家のそれの如く忘れられていく画家だと言えるのかもしれません。

ともあれ、本質的に芸術家を評価する場合、画家として保持すべき一定の技術は前提ではあるものの、描き手の作品に込められた魂の存在の有無こそが、歴史の評価の分岐点になると思うのです。この画家の評価の話が、しばしば特定美術団体の中での地位や美術年鑑の評価額などをもって議論されることがありますが、それはお門違いであるし、本質的芸術性とは無縁な議論だと思うのです。

本題に入りましょう、この作品はネパールとブータン王国の国境に位置する、紅茶の産地で有名なダージリンから、カンチェンジュンガ山群を描いた作品です。

1991年ネパール王国のビレンドラ国王(後にテロで暗殺)から、ネパールの文化勲章が小宮山氏に授与され、帰国後この200号の作画に取り掛かかっています。

どこまでも深く澄み渡る蒼空と陽光に輝くカンチェンジュンガの完成を願い。完成間近い7月、小宮山氏のアトリエで、新美術協会の経理をやられていたTNさんのご子息、西山佳宏さんの急逝の報が伝えられました。私は西山青年と面識はなかったのですが、確か三十歳代だったと思います。敬慕していた青年の突然の訃報に言葉もなかったと述べています。

この訃報により制作中であった作品は大きく変化するのです。その後、上野の東京都美術館で開催された新美術協会展に出品された時、途中の制作過程を知っていた人々は、あまりにも大きく変化した内容に驚いたといいます。ご覧戴いて分りますように、絵の周囲を黒い雲で縁どり、カンチェンジュンガ山群の下部に白い幾筋もの朝雲を立ち昇らせ、ある意味異様ともいえる作品になっていました。

作品の題も当初「陽光カンチェンジュンガ」としていたものを、展覧会に出品された時の題は「朝雲立つカンチェンジュンガ」に変わっていました。

朝雲を若い知人の魂に見立て、その素早い魂の昇華を願い、朝雲と共にカンチェンジュンガ山群の神々の座を越えて、天に昇り行けとの意味を込めた雲でした。また、黒い雲の縁取りは遺影に飾る黒いリボンを意味していました。この作品に込めた画家の慟哭の思いが、柔らかくそして静かに伝わってきた事を今も覚えています。

この絵の事は少し前の記事で触れていたのですが、中々写真が見つからずに紹介できないままでした。先日書棚を整理していたところ、この絵が掲載されていた画集を発見し、ようやくここに紹介できる運びとなりました。

絵は絵以外の何物でもないわけですが、絵に込めた思いや作画の背景が分ると、より深くその作品への理解や愛着が深まるような気がします。

まあ、私の記事はとんでもない与太記事ですが、作品は佳品だと思いますがいかがでしょうか?

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開設日: 2007/10/23(火)


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