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政治家や評論家の言う「犯罪が増えている」という前提での話をよく聞く。しかし彼らはけしてデータを明示しない。実際はどうなのか?
浜井浩一氏(犯罪学)が『犯罪社会学研究』(33号)と『現代思想』(2008年10月号)で犯罪統計をテーマに論文を書いている。そのテーマは現在の日本社会の実態を表している。
2年前と比べ犯罪が増えたと思うか?という全国調査で、「とても増えた」と答えたのは
日本全体でとても増えた 49.8パーセント
居住地域でとても増えた 3.8パーセント
つまり50パーセントの人が日本全体で犯罪が「とても増えた」と思うが、居住地域で「とても増えた」と思う人は4パーセントにすぎない。この乖離はなんなのか。
この「幻想の犯罪の大幅な増加」は、
「マスコミや活動家によって社会問題として大きく取り上げられた問題では、人々が客観的な事実を超えてその問題を重大だと認識する傾向があることを示している」と言う。
また、「とても犯罪が増えた」という意識は「最近の若者のモラル低下」と「クレジットカード詐欺(個人情報の漏洩)などのへの不安」が影響していると言う。
犯罪統計を見ていくと、殺人の認知件数は1950年代から減り続けており、検挙件数は95パーセント前後で推移している。検挙率が高いのは殺人の8割が顔見知り間であり、4割は家族間だからである。親子間の殺人は「最近の傾向」ではけしてなく戦後一貫した特徴であるという。
また、死因統計から殺された子どもについて見ると、年々減少している。子どもの安全を目的として防犯パトロールや不審者対策は客観的に見て本末転倒である。なぜなら交通事故や水の事故の方がその何十倍にもなるからだという。
犯罪を対象とする刑事政策の不幸は、重大かつ悲惨な事件をマスコミが集中放火的報道をするため、感情的な議論が展開されやすいところにある。「通り魔殺人」「家庭内殺人」が問題になると、それが「格差社会」や「家庭崩壊」といった社会の変化の兆候として語られやすい。
しかしきちんと検証してみれば、「通り魔殺人」は年間5-10件程度でランダムに発生しているし、「家庭内殺人」は日本では典型例であり、現在より昭和30年代の方がはるかに多い。
犯罪統計から分かる「社会の変化」とは、増加する高齢者の万引きといったものである。
1960年ぐらいから検挙人数が下降傾向にあるが、それに貢献しているのは10代から20代の若者層である。つまり、日本の若者は犯罪を犯さない「層」で「最近の若者のモラル低下」という不安感は根拠がないことが分かる。
その反面検挙件数が減少せずに足踏み状態にあるのは60代の検挙人数の急増である。
少子高齢化は「犯罪に対して活発な青少年層」が減り、犯罪発生を抑制する高齢層が増えるため、犯罪が減少する方向に働くと思われていた。ところが、高齢者の万引きや自転車盗を中心に犯罪は予想より減少傾向になく、少子高齢化が犯罪のライフコースそのものを変化させつつある可能性がある、と指摘する。
現に高齢受刑者は増加が顕著、検挙人員も激増している。
その背景は、経済成長の減速や少子高齢化によるセイフティーネットの破綻や、格差社会の進行がある。
また、満期釈放者の帰住予定地の答えに「その他」(多くは父母や配偶者など)が増加しているのは、身寄りの無い高齢受刑者が増加しているからである。また、仮釈放者と比較して満期釈放者は3年未満の早期に再犯している者が多い。
現在アジアで、死刑執行と刑務所人口の二つの側面で厳罰化の兆候が認められるのは日本だけである。特に日本の厳罰化は刑期の長期化、無期刑・死刑の増加が目立つ。
厳罰化の論理をこう説明する。
共同体(社会)が抱えていた犯罪リスクが、社会から個人としての危険なリスクに置換えられるようになり、結果として共同体の外に犯罪者という他者が作られる。従来の(市民)刑法が犯罪者を市民としてとらえていたのに対して、犯罪者を社会に害をなす「敵」としてとらえるようになったからだと言う。「敵」に人権を考慮する必要は無く結果として厳罰化へ向かう。
受刑者の多くは「社会的弱者」である。
刑事司法手続きは「勝ち抜けゲーム」で、弁護士支援を受けたり、被害弁償、示談できる者は「勝ち抜け」ることができ、起訴猶予、略式裁判、執行猶予を受けやすい。それには経済的な豊かさや家族や仕事という社会的基盤も必要である。
受刑者の多くは、教育水準が低く、不遇な環境に育ち、人から親切にされた経験に乏しいためコミョニケーション能力に乏しい者たちである。(注意すべきはこれらの境遇にある人たちに犯罪傾向があるのではけしてなく、犯罪を犯したときに実刑になりやすい、ということである)
98パーセンの犯罪者は起訴猶予、罰金、執行猶予などで勝ち抜けるシステムとなっている。
本当に犯罪の減少を目的とするなら、高齢者のセーフティネットこそ急務であるはずなのに、その言説をマスコミや評論家から聞くことはない。
また、マスコミ批判を以下のように展開している。
「マスコミが事件の再発を本当に防ぎたければ、事件を独自のストーリーから掘り下げるのではなく、事実のみを淡々と伝えることである。」
「評論家が、殺人事件を解釈して時代や社会を読むのは自由だが、それはフィクションであり、科学的事実ではない」
ここで示されたのは、日本のある面にすぎないのかもしれない。
しかし、思いやりの無い、残酷な面であり、社会目的を見失った無知の面でもある。
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