全体表示

[ リスト ]

イザヤ2章・末の日に臨むエホバの日

イザヤ2章・末の日に臨むエホバの日

 
「その日には、エホバただおひとりが必ず高く上げられる。それは万軍のエホバの日だからである。・・・無価値な神々は完全に過ぎ去る。」(イザヤ2111218
 
 
イザヤ2章には、「エホバの日」という言葉が登場します。聖書の中で「エホバの日」とは何を表しているのでしょうか。どんな日となるのでしょうか。

 
エホバの日とは過去において、何度もありました。それは、ユダとエルサレム、そしてバビロンのそれぞれの国家に対してエホバが裁きを執行する時でした。エホバの日は、西暦前607年にユダとエルサレムに、西暦前539年にはバビロンに、西暦70年に再びユダとエルサレムに臨みました。しかし、それら過去のエホバの日は、「末の日」すなわち「終わりの日」に起こるエホバの日を予示していました。(テモテ第一3:1。ペテロ第二3:3)

 

 
今回は、イザヤ書2章に示されている「エホバの日」について調べてみましょう。イザヤの預言は、「ユダとエルサレム」に関連した預言です。(イザヤ11

 

 
イザヤ2章では、エホバが「ご自分の民、ヤコブの家を捨て去られた」と述べられています。(イザヤ26)それで、エホバの日が神の民であったユダとエルサレムに臨みました。イザヤが予告したエホバの日は、最初に西暦前607年に、ユダとエルサレムに予示的に成就しました。その時、ユダとエルサレムはバビロンによって倒壊させられました。

 

 
また西暦1世紀にイエス・キリストもエルサレムを中心としたユダヤの王国について「あなた方の家はあなた方のもとに見捨てられています。」と言われました。(マタイ2338そして、エホバの日は西暦70年に、ローマ軍によってエルサレムとユダヤに臨みました。

 

 
しかし、イザヤ書2章は、「末の日」の「ユダとエルサレムに関して」も預言しています。(イザヤ212)その文脈の中で、「エホバの日」が出てきます。「末の日」の「ユダとエルサレム」とは、終わりの日における神の民、クリスチャンを意味しています。「末の日」の「ユダとエルサレム」とは、エホバの証人のみならず、クリスチャンと自称する人すべてを含んでいるでしょう。

 

 
西暦前607年と西暦70年にユダとエルサレムに臨んだエホバの日の特徴は、この終わりの日に臨むエホバの日にも当てはまるでしょう。この終わりの日に臨むエホバの日として聖書の中で予告されているのは、国際連合と諸国家が大いなるバビロンに対して総攻撃をかけるエホバの日です。(啓示1716。マタイ2415)その日は、イエスの予告された未曾有の大患難になります。(マタイ2421

 

 
昔、エホバの日は、古代の政治的な王国に臨んだのですから、末の日に裁かれる「ユダとエルサレム」もひとつの国家を表しているのではないでしょうか。「エホバの日」に裁かれる「ユダとエルサレム」は、大いなるバビロンであるアメリカ合衆国をも表していたのではないかと思います。なぜなら、大いなるバビロンは、キリスト教国であり、その国の大半の人々は自称クリスチャンで、国家として神の民であると自称しているからです。

 

 
エホバの日が昔ユダとエルサレムに臨んだ理由のひとつは、「彼らの地は無価値な神々で満ちて」いるためです。(イザヤ28)つまり、ユダの地には、偶像崇拝が満ちていました。

 

 
同様に今日、大いなるバビロンの中でも偶像崇拝が満ちています。アメリカに満ちている偶像崇拝のひとつは、国家を崇拝することです。アメリカの教会の中で、国家崇拝が見られます。それで、終わりの日に大いなるバビロンにエホバの日が臨む理由の一つは、大いなるバビロンが聖書の神を崇拝すると主張しながら、そこには偶像崇拝が満ちているからです。

 

 
そして、「その日には、エホバただおひとりが必ず高く上げられる」、つまりただエホバおひとりが恐れられることになります。(イザヤ211)啓示の書には、「だれも数えつくすことのできない大群衆」が「大患難から出てくる」と預言されています。(啓示7914)末の日のエホバの日には、数え切れない大群衆によってエホバは恐れられ、頼られるでしょう。それらの人々は、イエスの助言に従って山に逃れることにより、エホバを恐れていることを示すことでしょう。(マタイ241516

 
しかしながら、もしかすると、エホバの日とは、これから二度、起こるのかもしれません。すなわちイエスの預言された大患難と、イエスの予告された世の「終わり」の二つの出来事を意味しているのかもしれません。(マタイ24:14,21)どちらのエホバの日も、エホバが高められ、偶像が捨て去られる時になると思います。

 
イザヤ2章によると、人々は、エホバの日が到来したのを見て、それまで崇拝し頼っていた偶像を捨て、「岩の洞くつ」や「塵の中」や「大岩の裂け目」に「入る」と予告されています。(イザヤ21921)それはどんな行動を意味しているのでしょうか。続く節には、「あなた方は自分のために、息がその鼻孔にある地の人から離れていよ。」と諭されています。(イザヤ222)ですから、岩の洞くつや穴に入るという表現は、人々が他の人間、おそらく政府や人間の組織に頼ることを意味しているでしょう。

 
昔ユダとエルサレムにエホバの日が臨んだ後、ユダの地では、偶像崇拝は、衰退しました。バビロンから人々が故国に帰還した後、エズラも、ネヘミヤも、また福音書の筆者もユダヤで偶像崇拝が行なわれていたとは述べていません。同様に、終わりの日にエホバの日が到来した後、国際連合の時代になると、人類の中で偶像に頼る人は少なくなるでしょう。すなわち、真のキリスト教以外の宗教は衰退すると考えられます。ですから、大患難の後の時代には、宗教組織が弱体化し、国際連合の支配力や国家主義がさらに一層強まることでしょう。
 

  私たちは、エホバの日が到来する前に、エホバに関する知識を取り入れ、真の預言を見極め、神の律法を守って生活しましょう。そして、エホバの日が到来する前に、偶像ではなく「万軍のエホバ」を崇拝するようにしましょう。(イザヤ212)そうすれば、「エホバの怒りの日に隠される」「だれも数えつくすことのできない大群衆」の一人となって「大患難を出て来る」ことができるでしょう。(ゼパニヤ223。啓示714

  

啓示17章・続 なぜ大いなるバビロンはアメリカ合衆国なのか

 

イザヤ13章・バビロンに対するエホバの日

 
 
 
 

閉じる コメント(0)

コメント投稿
名前パスワードブログ
投稿

閉じる トラックバック(1)

トラックバックされた記事

イザヤ61章・イエスは油そそがれ良いたよりを告げる

「主権者なる主エホバの霊がわたしの上にある。それはエホバがわたしに油をそそぎ、柔和な者たちに良いたよりを告げるようにされたからである。・・・エホバの側の善意の年とわたしたちの神の側の復しゅうの日とをふれ告げる(ようにされた。)」(イザヤ61:1,2) イザヤ

2012/2/13(月) 午後 1:05 [ ヨハネのブログ ]

トラックバック先の記事



.

ヨハネ
人気度

ヘルプ

Yahoo Image

  今日 全体
訪問者 21 23228
ブログリンク 0 16
コメント 0 769
トラックバック 1 297

ケータイで見る

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

モバイル版Yahoo!ブログにアクセス!

URLをケータイに送信
(Yahoo! JAPAN IDでのログインが必要です)

1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

開設日: 2009/7/23(木)


プライバシーポリシー -  利用規約 -  ガイドライン -  順守事項 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2012 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.