レイライン
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太陽の道
今年は、古事記編纂1300年。
神話を信じるも信じないも、人それぞれで自由ですが、何かの事実があってのものだと思いますので、古事記を読んで何かを感じるのも面白いと思います。
で
レイラインとは、古代の遺跡には直線的に並ぶよう建造されたものがあるという仮説のなかで、その遺跡群が描く直線をさすそうです。
日本で言う太陽の道は、伊勢斎宮から北緯34度32分の上に、西にほぼ一直線に、神社や遺跡がならび、遠くは宮崎まで続くと言われています。
その宮崎は、神武天皇が東征のために船出した所です。
大神神社では、その太陽の道、太陽信仰の講義を聞きました。
JRジパングのイベント。
参加者49名。
講師1名。
添乗員4名。
中には、非常に詳しい人もいて、講師もタジタジ。
わたしは、何を聞いても「うなずきおばさん」でした。
祭神・・・大物主大神
(オオモノヌシノオオカミ)
日本神話には、次のようなくだりがある。大国主神(オオクニヌシノカミ)は少彦名神(スクナヒコノカミ)とともに国造りをしていたが、国造りなかばにして少彦名神はに亡くなってしまった。大国主神が「この後どうやって一人で国造りをすれば良いのだ」と言うと、海原を照らして神が出現した。その神は大国主の分身であり、大和国の東の山の上に祀れば国作りに協力すると言った。その神は三輪山に鎮座している大物主神(オオモノヌシノカミ)である。
大物主神は蛇神であり水神または雷神としての性格を持ち稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めている。また国の守護神、氏族神である一方で祟りなす強力な神ともされている。
御神木の大杉
大蛇が住んでいるらしい。
卵がお供えしてありました。
講義室へ向かう坂から、
大鳥居とその向こうへ見える
二上山(フタガミヤマ)
春、秋の彼岸中日には、雄岳と雌岳の間に太陽が沈みます。
太陽の道のライン上です。
講義は興味あるものでした。
「うなずきおばさん」は、始終うなずいていましたよ。
狭井神社
大神神社の摂社
拝殿の左後ろに、この神社の由来になっている神水の井戸・狭井がある。ここから湧き出る水は昔から「薬水」と呼ばれていて、この薬水を飲めばいろいろな病気が治るという。このため遠近から神水を汲みにくる参拝者は多い。
社務所に願い出て、住所・氏名・入山時間・性別を記入し、登拝口で祓いをすませれば、木綿襷を肩にかけて誰でも登頂できる。ただし、往復とも指定された一本道だけを通ること、禁則地域には絶対立ち入らないことなど厳しい制約が課せられる。途中に急な坂道もあり、頂上まで1時間はかかるとのことである。
(登山は有料)
風情ある「山辺の道」が続きます。
歩きながら撮影ですのでブレブレですが、整備の行き届いた素敵な道が分かってもらえるかな
桧原神社
大神神社付近の摂社群の中では、最も北に位置している上に社格も最も高く創建も古い。天照大神が伊勢神宮に鎮座する前に、宮中からこの地に遷され、この地で祭祀されていた時代がある。伊勢神宮へ遷されると、その神蹟を尊崇して、檜原神社として引き続き天照大神を祀ってきた。そのため、この神社は広く「元伊勢」の名で親しまれている。
大三輪神社、狭井神社、桧原神社、本殿はなく三輪山が神です。
神主さまが、伊勢神宮より古く、日本で一番古い神社と熱弁されていました。天照大神がこの地から伊勢へ行かれたとすれば、そうなりますね。
帆立貝式前方後円墳
前方部が極端に短かく、後円を従えている古墳です。初期の前方後円墳です。どんな形か?ホタテガイを思い浮かべてください。
卑弥呼の墓といわれています。
その是非は学者に任せますが、近所には、広大な纒向遺跡(マキムクイセキ)があります。太陽の道ライン上ですので、邪馬台国はここではなかったかなと思われます。
九州説だったのですが、ここ近年、大和説に変わりました。
まぁ、私は素人ですので、どちらでもいいのですけど(笑)
三輪駅で解散
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