腰を痛めて3週間経過
ちょっと無謀だと思いましたが 体調もいいようなので、郷土史研究会例会に参加。 今回は「古墳の話し あ・れ・こ・れ(2)」ということで 瀬戸内市の前方後円墳2基の現地見学と寒風古窯群(寒風陶芸会館)です。 後円部への路
古墳の南裾に華光寺がありますが、一帯は白鳳期(7世紀末)の服部廃寺で、老人ホーム建設時に礎石が見つかったことで発掘調査。
我が国を代表する白鳳寺院になる可能性が強くなった。
墳長87m
4世紀後半
円筒埴輪
凝灰岩製長持型石棺(鏡2面・銅ヤジリ・鉄ヤジリ・刀)
前方部へ移動
後円部から見ても、前方後円墳だと分かります。
よく整備してありますね。
ところどころに残る「葺石」
角が取れた近くの河原石だとのことです。
服部廃寺金堂須弥壇跡。
この須弥壇は、全国でも数例しか確認されていないそうで、地方の仏教文化を考える上で。我が国を代表する白鳳寺院あとになる可能性が強くなったそうです。
四天王寺式伽藍配置(大阪)・塔、金堂、講堂が一直線に並ぶ
軒丸瓦、軒平瓦は、川原寺式(奈良明日香村)
螺髪(るほつ)・大仏の頭のイボイボした髪
鴟尾(しび)・屋根の大棟の両端につけられる飾りの一種で、火除けのまじない。
鳥居奥は華光寺。
前方後円墳
墳長 82m 二重周濠だったと言われています
築造年代 5世紀後半
出土品 葺石 円筒埴輪 家形石棺 鏡 玉類
武具 馬具 鉄器
墳丘は二段構造となっており各段の縁と墳丘の裾部に埴輪が配列されていた。
後円部の墳頂中央にあった竪穴式石室は、明治40年(1907年)に発掘され墳頂部が削り取られた。このため家型石棺が露出している。
前方部へ下りて行く。
この古墳がある場所は、
瀬戸内市長船町須恵です。
須恵器の里といっても過言ではなく、ここで焼きつくされた後、瀬戸内市牛窓町寒風地区に移り、100年焼かれたそうです。
その後、我が町備前市に移り。備前焼として発展していくのです。
これから、寒風古窯群の見学に向かいます。
寒風古窯跡群は、瀬戸内市・備前市にまたがり、約150基からなる山陽地方最大の須恵器(すえき)窯跡群である邑久古窯跡群(おくこようせきぐん)の南端部に位置します。
創業期は飛鳥時代を中心とした、約100年。
須恵器はどんな焼き物
1600年前朝鮮半島から伝わった新しい技術で焼かれた焼き物です
①ロクロの使用により、効率の良い、大きさの整った器が出来た。
②窯の使用により、1000度以上の高温で焼きしめる事が出来、水漏れの少ない硬い焼き物ができた。
須恵器の窯はどんなかたち
窖窯(あながま)といわれ、山の斜面をトンネル状にくりぬき、穴の内部に粘土を張ったもの。
寒風古窯跡群は、その後どうなったの
窯が移動しながら伊部(備前市)に落ち着き、現在の備前焼につながったといわれています。
初期備前焼の椀・皿
現在の備前焼の色は褐色ですが、褐色の陶器として完成するのは、鎌倉時代後半〜週末頃からで、生産当初の備前焼は須恵器と同じ灰色の焼きあがりでしたそうです。
頭の中では、理解しているつもりでも、「解ってはいないものよ
が
「それでいいのだ
時には、こういう集まりに参加して思い出すのも、いいものだ・・・ハイ。
「好きこそ物の上手なれ」
「下手な横好き」
何でもいいさ・・・ハハハッ
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