カトリック高円寺教会ANNEX

2004年に晴佐久昌英神父様により成人洗礼をうけた『おやじ』の[信仰告白]風コラム

柄杓(ひしゃく)

ある人とと出会って

 なんとなく波長というか

 感覚というか

 雰囲気というか

 親しくなるということにレベルみたいなものがあるとするのなら

 高いレベルで

 いや、ちょっとニュアンスが違うのだけれど

 お肌にスッとなじむファンデーションみたいな感じに

 馬が合うというのか

 お互いに

 しっくりくることがある。

 これは、男女の区別がなくて

 恋愛感情に発展するような代物でもない場合もある。


 そんな感覚。


 もしかしたら

 どちらかがオープンマインドで

 どちらかがヘルプミーだったのかもしれないし

 もしかしたら

 もっとシンプルに

 立ち居振る舞いや

 声のトーンだったのかもしれない。

 「あ、この曲、イイじゃん。」みたいな。



 「信じること」

 で

 つながっている教会というコミュニティでは

 こういう親和性みたいなものが高いのかもしれない。

 そうはいっても

 それぞれの人生を歩んできた人間同士なので

 自己主張もあるし

 なんとなく

 今までの人生でやってきたいつもの役回りになっていたり

 今度こそって張り切っていることもあるだろうし

 ここでは大人しめに、ひっそりとしていようってこともあったりする。

 自分が得意なことを応用してみようとしたり

 たまには自分のものさしを振りかざし、振り回してみたりもする。

 ぼくは、試行錯誤することが好きというか性分みたいなところがあるので

 やっぱりそういうアプローチというか、そういう考え方で動き出すことが多い。

 そうすると

 ゴールというか

 目的地というか

 マイルストーンでもいい

 そういうものを

 設定したいと思うのだけれど

 このあたりから

 自己満足くんが顔をのぞかせはじめたりする。

 この自己満足くんの話をたくさんの人にしてきたのだけれど

 「自己満足でイイじゃないですか。」とか

 「自分が満足しなけりゃ、他人を満足させられないのだから、何を悩むことがある。」

 というアドバイスがほとんどで

 これはこれで

 ありがたいのだけれど

 やっぱり

 心は晴れることはなかったりする。

 しかし

 こんなことばかり

 ずっと考えていたりすると

 ひょっこりと

 糸口みたいなものが

 突然

 目の前に現れたりするので

 やっぱり人生は、おもしろいのだと言える。


 
 「あなたは、人のためになる活動を

  自分のためにやれるんだからすばらしいじゃん。



  自分のためにやっていることで

  他人がよろこんでくれるなんて

  とてもありがたいことでしょ。」



 久しぶりに

 う〜ん、と唸った。

 ものすごくシンプルなことなんだけど

 アタマで理解しようとしすぎて

 いよいよ

 身動きが取れなくなりそうになっていたから。


 ストンって

 音までは聞こえてこないのだけれど

 重く重く積み重なって

 「言い訳」という発酵をし始めていた

 根っこに

 泉から湧き出た

 新鮮な

 一滴の水が

 振りかけられた

 そんな気がした。


 水に思えたのは


 灰だったけど。


 回心


 四旬節のはじまり。




神に感謝。
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