魔法使いの小鳥
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最高のドリブラーと聞かれ思い浮かぶのは、現在ならメッシ、C・ロナウド、ロビーニョあたりでしょうか? ちょっと歳をとったがフィーゴも入りますね。 少し(?)前なら、B・ラウドルップ、リトバルスキーが印象に残ってます。 私が生まれるずっと前(?)に世界を震撼させたドリブラーがいた。 リオデジャネイロ郊外のパウグランデ、そこの密林地帯で“マヌエル・フランシスコ・ドス・サントス”は生まれた。 家は貧しく、教育も満足に受けることがなかったが、恵まれていなかったのはそれだけではなかった。 6歳の時に患ったポリオ(小児麻痺)により、左足は右足に比べ3cm短く、背骨もS字に湾曲してとてもフットボールなどできる環境ではなかった。 もっとも、幼い頃はボールを蹴ることよりも、近くの森に棲息する茶褐色の小鳥をパチンコで打ち落とすことに夢中になっていた。 この残酷なゲームで誰よりも多くの鳥を打ち落とし、飛んでいる鳥さえも仕留めたこともある。 この哀れな小鳥の名は『ミソサザイ』。ポルトガル語では『ガリンシャ』といった。 それが、マヌエル・フランシスコ・ドス・サントスのフットボールネームとなった。 1953年6月19日。友人に連れられたガリンシャは、わけも分からないままリオデジャネイロのボタフォゴのスタジアム到着した。 クラブのトレーナーは足の不自由なガリンシャを見て、「冗談はよせ」といった怪訝な表情を見せ、二度とここへ訪れないようにと現役セレソンのDFニウトン・サントスをテストの相手役に指名した。 しかし、テストが終わりお手上げとばかりに首を横に振ったのは名DFの方であった。 置き去りにされること6回、その身体にすら触れることができず、芝生の上にへたり込んでしまった。 世界的なスターに子ども扱いされたのならまだしも、相手はこの日初めてスパイクを履いた19歳の少年だった。 ニウトン・サントスは「こんな男が他のクラブにいたらたまらない。早く契約を結んで欲しい。」とクラブのフロントに懇願した。 ガリンシャの伝説はこうして幕を開けた。 ボタフォゴの一員となったガリンシャは、哀れな小鳥ではなかった。 自由に飛びまわれるだけのスペースがある右サイドのライン際を縄張りとし、相手が目の前に姿を現すまでは、いつも怠け者のように立ち尽くし、じっくりと狙いを定めた獲物を縄張りに引きずり込んでからが独壇場であった。 一連の動作があまりにも速く、仕掛けだと分かっていても、罠から抜け出す事が出来ず、目には残像だけしか映っていなかった。 相手を翻弄している間、ボールにはほとんど触れず、抜き去る瞬間まで延々とダンスを踊り続けた。 1958年、スウェーデンで開催されたワールドカップに初めて参加し、3戦目のソ連戦でデビューを果たすと、ひたすら右サイドをえぐり、アシストの山を築いた。 圧倒的な強さで大会を制し、母国ブラジルに悲願の初優勝をもたらした。 この大会で世界的にアイドルになったのは17歳のペレだったが、対戦相手からはペレ以上の評価を受けた。 ガリンシャが世界的な名声を手にするのは、4年後の1962年にチリで開催されたワールドカップであった。 負傷したペレに代わってチームを牽引し、ワールドカップ連覇の偉業に大きく貢献した。 この大会では、看板のドリブルからのアシストだけでなく、自身も貴重なゴールを積み重ねた。 準決勝で退場処分を受けながら、チェコスロバキアとの決勝戦のピッチに立てたのは、「退場はそれだけで十分な処罰に値する」とした規律委員会のアシストも受ける幸運も得ることができた。 しかし、伝説は急速に幕を閉じることとなった。 この大会で痛めた膝が悪化の一途を辿り、世界中から届く招待状に金に目がくらんだボタフォゴは、苦痛に顔を歪めるガリンシャをろくな治療も受けさせないまま、ツアーに連れまわした。 やがて、膝は悲鳴を上げ、平凡な選手に成り果てると、クラブからはお払い箱にされ、頼れるものはアルコールしかなくなっていった。 ついには無一文同然の身となり、1983年1月20日アルコールに溺れた小鳥は、誰にも看取られる事なくアルコールの瓶を大事そうに抱えたまま49年という短い生涯を終えた。 自由に飛び回っていた小鳥が真っ逆さまに落ちていった。 その生涯は、あのジャングルで少年に打ち落とされた『ガリンシャ』そのものであった。 ブラジル代表として41試合を戦い、うち敗れたのは1966年イングランド大会でのハンガリー戦だけである。 死後もブラジル国民から愛され、その人気はペレをも凌ぐと言われている。 |
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回顧録その5〜「褐色の悪魔」ガリンシャ
ブラジルサッカー史上最高の選手は誰か。 しばしば'''ペレ'''とともに'''ガリンシャ'''という名前を耳にする。 '''「神様」ペレ'''に肩を並べる程の評価を受けているガリンシャとは何者だったのだ
2008/9/24(水) 午前 9:48 [ espulso ]





劇的なサッカー界への登場、大活躍後、惨めな引退、悲惨な最期・・。なんだか全てが劇的ですねぇ。ガリンシャはずっと語り継がれるでしょうね・・。
2008/9/23(火) 午後 11:46
こんばんわ♪
てことは・・・私のメッシの将来は・・・( ̄▼ ̄|||)
大丈夫メッシはね^^;
2008/9/23(火) 午後 11:56 [ リオ♪ ]
地味に初めてこんなに動いてる画像みました。わかっててもとれないって聞いてましたが、本当にとれてない(笑)
同じ動きなのにね〜不思議と速さとタイミングって凄いですよね。相手の体重移動みるっていいますが彼は直感でわかるんでしょうねきっと。
2008/9/24(水) 午前 2:09
たくぞさん:登場から、最期までドラマチックなんですよね〜。
まさに天才といった気がします・・・。
ジョージ・ベストにも近いものがありますね。
2008/9/24(水) 午前 9:34
リオさん:意外な方からのコメントで驚きです(笑)。
メッシの将来は、しっかり見守ってあげてください。
2008/9/24(水) 午前 9:35
KOPPEさん:守備の戦術も確立されていない時代ということもあるのでしょうが、それにしても絶妙のタイミングですり抜けていきます。
わかっていてもとれない事ほど悔しい事はありませんからね。
2008/9/24(水) 午前 9:38
ドリブラーって伝説になりますよね。ガリンシャはいろんな意味で伝説になっていますが。
2008/9/24(水) 午前 9:48
espulsoさん:いろんな意味で伝説の選手ですが、カテゴリーでは愚かな選手にしてしまいました(笑)。
2008/9/24(水) 午前 11:07
こんばんわ♪
ホントだ。私知らずに書いてたみたい>_<
メッシが心配でついね 笑
2008/9/26(金) 午前 0:32 [ リオ♪ ]
リオさん:メッシ愛ですね(笑)。
甘い汁に寄ってくる連中も多いかと思いますが、ケガ同様に気をつけて欲しいものです。
2008/9/26(金) 午前 9:32