真晴猴彦のブログ

過去はそのままに過去であるか、今はそのままの今であるのか

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公園のベンチにいつも座っている男がいる。いつもと言うのは私が通りかかった時はいつもと言う意味で毎日かどうかは分からない。だが、私が通りかかった時にはいつもいるので、毎日でなければこうはいかないだろう。真夏にもいたし寒い昨日のような日にもいた。目がぎょろっとして髪は半白、それほどの年ではない。五十代の後半か六十になったばかりと言ったところだろうか。そんなベンチを温めるだけの年齢にはまだ早いと思える彼が、毎日毎日ベンチに腰掛けていったい何をしているのだろう。余計なことだし、他人のことは放って置くのが原則の現代社会とは分かっているのだが、気になるものは気になる、これは仕方のないことだ。私は少し離れた位置から彼に見つからないようにその様子を眺めた。なんとなんと驚いたことに彼はそのぎょろっとした目でずっと前を見ているだけなのだ。本を読んだり新聞を読んだりはしない、音楽を聞いたりもしないしスマホでユーチューブを見たりもしない。文字通りずっと前だけを見てベンチに座っている。何だろう。謎だ。まったく分からない。不思議な人が居ればいるものだ。

自分の群れが食えるのなら隣の群れは飢え死にしてもいいでは猿の本能丸出しだ。だが政治の世界では、どうやら猿の方が人気が高いようだ。少しでも人間に近づこうとすると落選する。だから政治家は猿丸出しの政策を口にする、しかも過激な言葉で。これは何もトランプ氏を念頭に置いて言っているわけではない。ごくごく一般論として言っている。だが、トランプ氏の言っていることが猿の群れのリーダーと同じなのは、実に実に興味深いことではないか。端から見てみればメキシコよりアメリカの方がずっといい暮らし向きのようにも見えるが、そして人の流れはアメリカからメキシコへではなくメキシコからアメリカへのように見えるが、トランプ氏の認識はどうやらそうではないらしいし、アメリカの一般選挙民の認識もそうではない。どうもこれは実に不思議な現象だ。自分の見ているものが事実と全く違っているのに気づかない。あるいは事実そのものの存在を全く拒否して、自分の見たいものを見たいようにだけ見ている。これでは精神の退行現象だ。サピエンス人はネアンデルタール人に向かって退行していく途中なのかもしれない。
より富んでいる国がより貧しい国を圧迫すれば、そこに芽生えるのは憎しみの感情だ。中学卒業程度の学力があればそんなことは自明のはずだが、それが分からない、あるいは分からない振りをする。それはちょっとした異常事態だし、幼児じみた精神状態の帰結と言っていい。日本と韓国の場合だってそれは同じだ。最近でこそ韓国は世界の先進国の仲間入りだがついこの間までは発展途上国。富のレベルで言えば日本が上で韓国が下。より富んでいる日本がより富の少ない韓国を圧迫すれば、国民感情に憎しみが混じるのは当然のことだ。それを知ってか知らずか我が国にもトランプ氏のような韓国非難を口にする人がいる。我が日本国もやはり中学卒業レベル以下ということなのだ。
私がここで富んでいる富んでいないと言っているのは国民一人あたりのGDPのことでその精神性でないことはもちろんだ。精神性の豊かさはGDPではまったく測れない。だがGDPで測れるものがあることもまた事実だ。それは先ほど私が言ったこと、国民一人あたりのGDPの高い国が低い国を圧迫すれば、それはGDPの低い国の国民感情の高い国への憎しみの感情となって帰ってくる、という事実なのだ。精神性の高い人はGDPの高い国の人からなにを言われても気にしないし気にならない。それは国民個人の精神性とはなんの関わりもないことだからだ。だがそれを全国民レベルにまで落としてみると、全体の精神性は幼稚園レベルにまで落ちて、物質的に富んでいる富んでいないが感情の世界を支配してしまう。各個人の高い精神性は物資的な衆愚に呑み込まれてしまうのもまた紛れもない事実なのだ。もしそうでないというのなら、トランプ氏の当選をどう説明する。イギリスのEU離脱をどう説明するのだ。高い精神性によって事実を冷静公平に解釈すれば、こんな感情過多の結果に終わるわけがない。民衆とは衆愚なものと考えるしかないのだ。それは日本韓国両国民の慰安婦像問題に対する反応をみても明らかだろう。個人の高い精神性は民衆の衆愚の海に消えるのだ。ここに民主主義の制度的な欠陥がある。そして、この欠陥が、ヒトラーや日本軍部の独裁を招いた。欠陥はまったく修正されずに今日にまで至る、と言うことになる。

「自意識と解釈」

しかし人間は感情で動くことをやめることができない。それはここでの主題である自意識と大きく関わるのだが、それはここでは置いておいて、感情で判断することが不可避なら感情にどうやって合理的実証的判断を混ぜるかを考えたほうがいい。かつて赤狩り旋風というものがあった。関東大震災の時の虐殺事件もある。ユダヤ人排斥黒人差別黄色人種蔑視などはすべてこの感情に支配された判断の範疇に入る。猿山を見ていればわかるように、猿は、ここでは人間は、自分の仲間とそうでないものを敵対的に区別する。これは人間が猿であることのいわば証明だ。私たち人間は自分たちが猿であることを認め、このような差別区別敵対心が生得のものであることをよく理解しなければならない。
それを理解したうえで、さあどうやってこの本能を制御するのか、それが問題なのだ。幸いなことに我が国の言論はかなりの程度自由だから、こういった差別的区別的敵対的言説がメディアやサイバー空間によく現れる。それを見た人読んだ人は、あっこれは例の本能、とすぐにわかるはずだ。わかれば意志を持ってそれらの言説を遠ざけて置くことはできる。見ても読んでも無視してしまえばないも同然、個人的にはそうなる。ところがそうさせてくれないのがそう言った差別区別敵対的感情の上に成り立っているメディアという商売の存在なのだ。






「本牧心中」
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「蹲る闇」
ー日常に潜む非日常、
 不連続世界をめぐる四つの中編小説ー
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「月と星」
ー絹の街が紬出す愛と憎しみのサスペンスー
母が着た紅色結城は六道の迷い道
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「時は魔術師」
ーあの暗い戦争の直前
    僕の暮らした街を爽やかに駆け抜けた
               女子大生探偵がいたー
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