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週末を迎えて、 かつ年末を目前にすると、 どこか心が空回りしているようだ。
せっかくの時間をいろいろと聴きたいと思っていたのだが、 いざその時間ができるとエポケーのようなぽっかりとした空間を心の中に感じた。
本来ならこういうときは、 お酒でも飲んで気分を変えるのが常套かもしれない。
そんなちょっとした知恵もない僕の心にふと浮んだ音楽が久しぶりで聴く 大地の歌 だった。
たぶん第1楽章がやけ酒飲むような歌詞なので、 そんな連想が働いたようだ。
僕が音楽で聴く自棄酒気分の大地の歌。
それもブーレーズによる演奏で聴きたくなった。1999年の録音。
大地の歌というと、 最初の出会いがバーンスタイン/VPOだったこともあり、 どうしても長い間、
厭世気分の強い人生観、 嘆きとか憂愁とか、 そんな情緒纏綿とした後期ロマン派の響きが刷り込まれてしまった。
そんな大地の歌のイメージをまったく変えてしまう斬新な演奏だったので、 これが今僕が求めていたマーラーの大地の歌だったと感じた。 そして、あらたに見えてきた音楽の背景をいろいろと想像するよい出会いとなった。
ブーレーズは歌曲として発想されたこの作品の器楽的な書法をとっても大切にしている。 嘆きの情緒に声楽も器楽も流されないように作曲家ブーレーズの眼光が鋭く光る。
しかしブーレーズは感情を大切にしていないということではない。 すでに音楽自体が充分すぎるほどロマンティックなので、 それによりかかるような安易な姿勢でないところが非常に好ましい。
そんな演奏から見えてきたものが僕にはとっても重要だった。
まず面白かったのは中間の楽章。 第3楽章から第5楽章までの 青春、 美、 春 をテーマとした楽章。 ともすれば、 つなぎ的な楽章の印象もあったが、 ブーレーズで聴くと、 異国的な情感よりも、 交響曲として発展せざるをえなかったこの曲本来の書法の精緻さが表に出てきている。
そこでハッと気がついたのは、 中国的な趣味に隠されたマーラーの 「少年の魔法の角笛」 時代のオーケストラ伴奏付き歌曲のイメージだった。
素材が詩集の直接の訳詩ではなく、 ベートケによるドイツ語訳詩集だったのは意味があるように思う。
それにかつ、 マーラーは自らいろいろと手を加えて文学的にも新しいものにしている。
とすると、 これはマーラーの深層心理に常に流れている 「角笛」 の世界が反映されてもおかしくはない。 ブーレーズを聴いていて僕に聴こえてきたのはむしろそんな世界だった。
だから、 とっても中間楽章が面白かった。 その結果、 第1楽章、 第2楽章そして最終楽章の深い世界が新しい角度から聴こえたきたように感じた。
その新しい世界というのは、 特に終楽章の開始部分や中間部分、 あの長いオーケストラ間奏部分などに顕著に感じられた。 これはまさしくシェーンベルクなどが開拓していた新しい世代の音楽ではないかと・・・。
マーラーにおけるロマン主義の終焉はよく言われることだが、 こと演奏に関してはその 「終焉」 のほうに目を奪われて、 そこから新たに 「 始まる 」 20世紀音楽への橋渡し部分への斬新な書法を実感させてくれる演奏は案外すくないのではないだろうか。
あちこちに僕はシェーンベルクやヴェーベルンに通じる響きを感じた。 それは指揮をしているブーレーズの傑作ル・マルトー・サン・メートルをも意識させられる。 規模の大きなオーケストラでありながら聴こえてくるのはなんと精緻で簡素な器楽的世界だろうか。
このあたりのことを想像しながら思い出したのがマーラーが言ったという次の言葉。
「僕には彼の音楽はわからない」 と彼は言った。 「しかし、 彼は若いし、 彼のほうが正しいのだろう。 ぼくは年寄りで、 いうなれば耳がついて行けないんだ」 ・・彼とはシェーンベルクのこと。
これはアルマが記した有名な回想録からだが、 アルマは続けてとっても意味深い言葉を記している。
「 しかし、 シェーンベルクの音楽が、 これほどマーラーを動かすには、 なにか隠れた理由があったにちがいない。 それでなければ、 これほどはなばなしく彼の擁護者となることはなかったはずだ。
本人自身が気づかないまでも、 シェーンベルクという天才が、 最初に切り開いて行った、 あるいは現に切りひらいている苦難の道を、 マーラーのほうは知っていたのではあるまいか。・・」
石井訳 回想録 193ページより。
なんと鋭いアルマの直感だろうか。 僕がブーレーズの演奏に聴いたものをアルマが解説してくれたような気がした。
僕もそう想う。 マーラー自身の意識のうえでは上らなかった 「新しい音楽」 を無意識に書いてしまったマーラー。 ブーレーズが描く告別の世界は、 情緒に涙するマーラーではなく、 あくまでも人生の実相を追求して止まない強いマーラー、 そんな気がする。
メゾ・ソプラノ Violeta Urmana
テノール Michael Schade
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「大地の歌」に、「角笛」を聴き、シェーンベルクを聴き、ブーレーズ作品の響を聴く。ひろさんの重層的な感性と理解に大いに共感します。年末はどこか空漠としたものです。音楽が満たしてくれますね。
2006/12/16(土) 午前 10:35
おはようございます。復活さん。そうですね。空漠という言葉がピッタリとくるような気分でした。そんなときに聴く音楽があるというのは本当に幸せなことだと思いました。そうでないと虚しいものです。
2006/12/16(土) 午前 11:39