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朴伴(ぼくはん)、月光(がつこう)ともいう
私の家の庭には二本の椿が植えてある。一本は侘助、そしてもう一本はこの朴伴だ。二本とももう我が家に来て50年は経つ。
若いころ植木市で見つけ、気に入って買ったこれらの椿は、手入れもしないのに毎年たくさんの花を咲かせて楽しませてくれる。
だが朴伴は、あまりにも多く咲きすぎ、まるでオーバーデコレーションのクリスマスツリーのように華やかで今一つ親しめなかった。一つ一つの花の形はなまめかしく、それに造型的なために買い求めたのに。
だから花の時期になると一枝折って花瓶に活け、玄関に置いては楽しんでいた。だが考えてみると、鑑賞するだけで写真に撮ったことがない。
私の写真文化の中には、花を写して楽しむということは入ってない。フィルムカメラの時代、撮影してプリントしてもらい、アルバムに貼って鑑賞するほどの魅力が花にはなかった。というよりも、花などの静物の撮影には七面倒くさいプロセスが必要だから撮らなかっただけだが。
風景写真ならば、行き当たりばったり遭遇して、自分の感性に同調すれば何の技巧も加えずシャッターが切れる。何の技巧も加えずというのは本当は誤りだが。ところが静物、ここでは花としよう、は、そうはいかない。きれいな花があるからといって、何のためらいもなく撮ってしまうことができないのだ。
静物写真は、風景撮影以上にその人の絵画的構成力とか、美的感覚、それに撮影技術までも要求される。美しく撮るための細かな儀式が必要なのだ。
まず、どの角度から見れば一番美しく見せることができるかということから、レンズの選択、バックの設定、ライティング、フレーミングなどなど、七面倒くさい決まりごとがたくさんあるのだ。この手数を踏まなければ、私の場合気に入った写真が撮れない。これが煩わしくて花の写真を敬遠してきた。その上、それをプリントして鑑賞するほどには、写真には芸術性がないと思い込んでいた。
だがこうしてブログに張り付け、透過光で見るとこれもいいものだと今頃思い始め、最近ご無沙汰が多くなったブログの題材にしようと思い始めた。そしてそのブログを通じて自己表現をしていきたいと思い始めた。
ちなみに朴伴は古典椿に分類され多くの品種があるが、この品種は、花芯の雄蕊が小さな花弁に変化したもので、一般に唐子咲と呼ばれている。なお、なぜ朴伴と名前が付けられたのかは、いくら調べてもわからなかった。侘助なら大体想像もつくが。所によっては月光(がっこう)と呼ぶところもあるようだ。この花色で月光?こうなったらいよいよわからない。
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