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原子力発電は要りません!放射能にどれほど苦しめられたら気ずくのですか?

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定義集)広島・長崎から福島へ向けて 庶民、生きのびる力を得る 大江健三郎

2011年08月17日 朝日新聞
 
肥田舜太郎先生に手紙をいただきました。
 
原爆直後から救急治療にあたられ、広島を離れて医療を始められても、後遺症に苦しむ人たちに注目し、
さらには日本被団協の組織内で数少ない被爆医師として引退まで数千の被爆者に接して来られました。
 
肥田先生は、いま現在の福島県の子供たちを憂えられるのですが、
本来《アメリカと日本政府が意図的に隠してきた
放射線による「内部被曝(ひばく)」の被害こそが、
人類の未来にとって最大の脅威であることを学び、訴えつづけて》こられた専門家です。
 
先生は私に、二〇〇三年から七年間、
各地の被爆者が政府を相手に内部被曝を含む放射線の有害性を巡って闘った集団訴訟の記録が出ることを、まず教えてくださったのでした
 
(『原爆症認定集団訴訟たたかいの記録』日本評論社)。原告の被爆者三〇六名のうち二六四名が認定をかちとる大きい勝利を得ました。
 
《しかし、政府は今まで内部被曝の被害を否定してきたことの誤りを認めず、正しかったと開き直っています。
根拠は、
アメリカの説明によれば、内部被曝は放射線が微量で、人体には影響がない」の一点張りです。》
 
その放射線医学の、今に残る穴ボコを被爆者たちそれぞれの証言が明らかにして勝訴をもたらしたことを記録は示します。
長崎で被爆された作家林京子さんは、
『長い時間をかけた人間の経験』(講談社文芸文庫)で、ずっと持続されている肥田先生の面魂を、S医師として描いていました。
    *
 
福島の事故で政府が20キロ圏内の居住者に避難勧告をした時、
アメリカは80キロ圏内のアメリカ人全員にそれをした。林さんはこの違いを質問したと、
『被爆を生きて――作品と生涯を語る』(岩波ブックレット)で話します。
 
《すると先生は、人の命、人権に対する認識の度合いの違いです、と即答なさいました。私は深く納得しました。》
 
テレビで責任のある人から《「内部被曝」ということが初めて使われましたね。私はこの言葉を聞いた瞬間、
涙がワーッとあふれ出ました。
知っていたんですね彼らは。「内部被曝」の問題を。
それを今度の原発事故で初めて口にした。
 
(中略)長崎の友だちはあの人も、この人も、と死んでいる。
それも脳腫瘍(しゅよう)や、甲状腺や肝臓、膵臓(すいぞう)のガンなどで亡くなっている。
それらのほとんどが原爆症の認定は却下でした。
内部被曝は認められてこなかったんです
闇から闇へ葬られていった友人たち。可哀想でならなかった。》
 
現在の危機において、肥田先生の永い経験に根ざす緊急の提言は勢いを増しています。
 
福島原発による軽い初期症状の被害者が福島県内はもとより、関東平野に広く現れ始めています。
 
現在、日本政府が大至急に行うべき急務の一つは、日本の幾つかの
大学医学部(広島、長崎両大学医学部など)に、放射線内部被曝者の診断と治療についての研究を国として命じ、そのための予算を計上すること。
 
医師会を通じて、福島原発の放射線被害を訴える患者には、親切に治療に応じるよう協力を要請し、これから現れる可能性のある新しいヒバクシャに対応する体制を整えることです。》
 
林さんは、フクシマをきっかけに、
国家の原発政策を大転換したドイツの出版社が、
先の長編小説を急ぎ翻訳出版することを申し出てきたこともつたえています。
 
《事故以来、さまざまに報じられるニュースを聞きながら、日本は被爆国ではなかったのか、
とあまりの学習のなさに絶望していましたので、この申し込みに私は救われました。
/世界には判(わか)ってくれる人がいる。
物事の基本で考えられる人がいる。
本当に救われました。書いていてよかったです。》
    *
 
すぐにもドイツの若者に読まれる、その結びの一節の、広島・長崎の経験に立っている励ましの言葉を、福島の若い人たちに向けて写します。
 
《二十世紀は、人為的に作り出した核エネルギーで殺人を行った世紀です。
これは種族としての、人の命のつながりを絶つことです、人体に与える影響を知りながら、それを行動として行った科学者や為政者たちを、僕は許せませんね、とS医師がいった。
(中略)核には人類を滅亡させる毒がある、助かる道がみつからないまま権力者たちは核の道をつっ走ってきた、
しかし僕は希望を捨てません、
希望は一般の人たちです、庶民が生きのびる知恵と力を得るでしょうね、
生物は本能的に、滅びまいとする努力をするものです、
といった。》
 
(作家)

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