『百億の昼と千億の夜』 光瀬龍
★題名 『百億の昼と千億の夜』 ★著者 光瀬龍 ★発行 早川書房(SF文庫) ★発刊 1973年04月15日え〜と、解説もないので初出は不明なのですね。記憶ではSFマガジンに不定期に掲載していた短篇を、こういうタイトルにしてポケットミステリー版で出したように覚えているのですが。 60年代後半から70年代にかけて、日本のSFってのはSFマガジンで読むか(もう1冊、専門月刊誌が発刊されたけど直ぐにポシャリ)ポケミスで読むのが普通だったように思う。早川文庫で「JA」というジャンルができて、日本SFが安く手に入るようになったのは何時頃だったか……60年代ではなかったな。 ポール・アンダースンの「百万年の船」という作品があるのだが、これを読んでて何かデジャビュ(機知感)に似たものを感じた。不老長寿というか、加齢のスパンが異常に長い人間が古代から現代、そして未来までを生きていく様を描いているタッチというかトーンのようなものが、どこかで読んだ記憶を呼び起こした。それが本書なんだけど、まあ「百万より百億だし、千億となれば断然の勝ち(?)」だろう。 イマジネーション(想像)あるいはスペキュレーション(思索)それともペニトレーション(洞察)となるのか、1989年のポールに対して光瀬は73年に「雄大な歴史スペクタクル」を構築した。 原始時代から始まり、有史以前や古代、中世、近代、未来と舞台を変えながら、戦いは続く。イエスも出てくる、シッタータも登場する、あしゅらおうも加わる。オリハルコンという物質をめぐり、それぞれの時代で戦いは続き、最後には転輪王が出てきてアノネノネ――。 思い出したが、同時期に豊田有恒(字が違うか?)も「白い世界」なんぞで同じようなテーマを書いてたような気もする。再読して気づいたが、山田正紀の前に光瀬が仏教のSF化(ガジェット利用)をしていた。まあ、声聞をテレパシーとか、他に何だっけかテレキネシスなんかも仏教で解読したのは山田が最初なんだけど。
当時は非常に分かり難い、情緒過多の、気取った文章に思えたが、いま読んでみると詩的ではあるし、なによりイメージの清新さが感じられる。読解力とは、速度や正確さだけでなく深みや共感の面でもレベルがあることに気づいた。 読み取るということは「感じ取る」ことでもあるのだろう。 |



