new
名作の楽しみ-137夏目漱石「二百十日」「野分」「門」夏目漱石「二百十日」「野分」「門」
漱石の中晩年の傑作を三作読む。やはり漱石は私の文学鑑賞における源流で
あり、底流である。時々ここに戻ることにより、文学を見つめ直すと言うこ
とである。
「二百十日」。ほとんどが会話の小説。江戸っ子の豆腐屋の息子とその友達
が阿蘇まで来て阿蘇山に登るが、二百十日の日で、ひどい天候の中で登れず
に下山する。その会話のやり取りが、実に軽妙でユーモア溢れていて面白
い。そして、悪いのは金持ちと華族と言う訳で、江戸っ子庶民が大いに吠え
ている様も痛快である。まさに、漱石の一面を満喫できた小説であった。
「野分」。文学者白井道也。己の生き方を貫き、社会になじまず、相いれな
ければ教師の職場を瓢然と去る。行く所々で、その行為に及び、東京に来て
雑誌社に努める。一方、その道也先生を生徒の時に苛めて追い出した高柳と
言う男が登場する。肺炎を病み、貧困の中で職業を探している。その親友の
中野という金持ちの文学者がおり、不思議と仲が良いが、所詮金持ちと貧乏
人の違いが違和感を漂わせる。その中野君が道也先生から原稿依頼を受け、
高柳と道也先生とがつながる。道也先生の一世一代の演説は漱石の心情でも
あろうか、ひとつのクライマックスを作り上げる。芸術を理解しないくせに
金の権力によって大きな顔をしている金持ちに対する攻撃がなかなか鋭い。
そして、最後に高柳君が男子の本懐を遂げるシーンは漱石の面目躍如といっ
たところか。
「門」。何やら訳あってひっそりと過ごす宗助と御米の夫婦。家族状況などは
違うが、「それから」の続編の感がある。いずれもこれと言った特徴はな
く、その日その日をつつましやかに過ごしているのだが、実に仲の良い夫婦
である。弟の小六、大家の坂井などが登場して物語を作っていく。そして、
坂井の家に訳ありの張本人安井が訪ねてくると言うことで、宗助が鎌倉の禅
寺に逃げ出す。しかし、禅師から与えられた命題に対してほとんど答えられ
ずにすごすごと帰る。幸い、安井のことは発展せず、いつものひっそりとし
た生活に戻っていくことで終る。解説は辻邦生が書いているが、なかなか読
ませる。私も読んだ漱石の「文学論」を取り上げ、文学的内容の形式は[F+f]
から成り立つ。つまり観念とそれに付随する情緒が相俟わなければならな
い、「門」はまさにその文学的内容を満たしていると言うものだ。
漱石の小説はこの三作や「草枕」「虞美人草」「それから」「行人」「道草」
「こころ」などを経て「明暗」に至るが、いずれも[F+f]の形式を貫いている
と改めて思った次第である。 |