小澤征爾さんと音楽について話をする 小澤征爾×村上春樹
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小澤征爾さんと音楽について話をする 小澤征爾×村上春樹
現在最も注目している作家、村上春樹が小澤征爾と対談した記録が本にな
った。最初に序文があり、その中で小澤征爾と自分との共通点として三つあ
げている。ひとつは、仕事をすることにどこまでも純粋な喜びを感じている
こと、二つめは、今でも若いころと同じハングリーな心を変わらず持ち続け
ていること、三つめは、辛抱強く、タフでそして頑固なこと。お二人の偉大
さには勿論足元にも及ばないが、私もその3つは心掛けているつもりであるの
で大いに共感した。
第一回。ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番。色々な組み合わせの演奏者
のレコードやCDがかけられ、それを聴きながら対談が進行していく。グレン
グールドとカラヤン、バーンスタインとの共演の違いが浮き彫りにされてい
く。カラヤンは自分の世界に没頭し、ソリストのことを考えないのに対し、
バーンスタインはソリストに自由にやらせて、それに合わせて音楽を作って
いく。グールドは自由に弾くが、後者の方がずっと自由に弾いている。ま
た、カラヤンはひとつの方向性を持って演奏しているが、天才肌のバーンス
タインはそういうところが希薄である。カラヤンは実にドイツ的で、その教
えを受けた小澤征爾はボストン交響楽団をアメリカ的(軽い感じ)からドイツ的
な響き(重い響き)に持っていくのに苦労した。その他、古楽器演奏のインマゼ
ールやルドルフ・ゼルキンなどの演奏が語られる。読後、バックハウスとイ
ッセルシュテットのコンビのこの曲を聴く。彼らが指摘した箇所を読み返し
ながら聴いていく。余程知らないとこういう指摘は出来ないことを実感。し
かしながら、バックハウスの凄さを感じることができたのはこの本を読んだ
からなのかもしれない。
第二回。ブラームスの第一交響曲。まずは、2010年12月のカーネギーホー
ルでのサイトウ・キネン・オーケストラの演奏が素晴らしかったことを述べ
る。表現として、「生命力の溢れる、隅々まで充実した演奏」。そして、198
6年、ボストン交響楽団を率いて来日した時の演奏が「音がどこまでも美しく
て、音楽が目の前に鮮やかに立ち上がっていた」が、今回の方が更に凄かっ
たと言っている。サイトウ・キネン・オーケストラは、常設のオーケストラ
ではなく、いつも他で仕事をしている人たちが、年に1回集まって、ユニット
を組んで演奏する。メンバーは小澤征爾が選び、弦を中心に桐朋学園出身者
が多いが、管楽器はベルリンフィルやボストン交響楽団で活躍した人が参加
している。まずは、ブラームスありきである。これは、斉藤秀雄が「しゃべる
弦楽器」を目指していて、それにはブラームスが向いているから。また、管楽
器は息継ぎがあり、一人でやると切れてしまうことがある。そこで、同じパ
ートを別の一人がカバーして連続性を保つ。それは、スコアにもきちんと記
されていることや小澤征爾は曲と取り組む場合、その曲のスコアをとことん
読み、音楽を構成していくことなどが語られる。
第三回。小澤征爾のバーンスタインのアシスタント指揮をしていた頃の
話。彼がバーンスタインからかなり可愛がられていたこと、それに応えて大
胆に振る舞っていたことなどが語られる。
第四回。グスタフ・マーラーの音楽について。私はマーラーの音楽を永い
間敬遠してきた。それは一貫性の無さと精神的安定が得られなかったからで
ある。その議論はこの中でも行われていた。そして、小澤征爾のこの一言で
なるほどと思った。「マーラーの音楽は、単純なメロディーを三つくらい、
全く関係なしに、同時進行的に入れちゃうんです。ひとつの部分だけを取り
出せば、それ自体は割合単純なものです。気持ちを入れてしまえば,けっこ
う簡単にできます。ということはつまり、ある部分を演奏する人はもっぱら
その部分だけを、一生懸命やればいいわけです。別の部分を演奏する人は、
そっちとは関係なく自分のところだけをまた一生懸命にやる。そして、それ
を同時に合わせると、結果としてああいう音が出てくる。要するにそういう
ことなんです」。だから正統派のフルトヴェングラー、ベームは全く演奏し
なかった。せいぜいブルックナーどまりであった。ブルーノ・ワルターはマ
ーラーをよく取り上げたが、上の考え方でなく、伝統的な捉え方をしている
ので本当のマーラーではない。読後、マーラーの第五交響曲を聴く。何故か
すんなりと耳から心に入ってきた。
第五回は「オペラは楽しい」。小澤征爾のオペラ演奏歴が語られていて、
当時欧州にはアジア人が全くいない中で孤軍奮闘している姿が浮き彫りにさ
れ、オペラの魅力が熱く語られていた。その中でミラノスカラ座では観衆が
指揮者に対して殊更厳しかったことが印象的だった。
第六回は音楽教育のこと。小澤征爾が毎年スイスのレマン湖畔と志賀高原
で行っている若い演奏家の指導について述べられている。最初、村上春樹が
レマン湖畔の教育実習に参加した印象を語り、その後小澤征爾との対談でそ
の内容を深めていた。そして、結論として「決まった教え方があるわけじゃあ
りません。その場その場で考えながらやっているんです」というタイトルにな
っている。つまり、若い演奏家の個性は異なっており、それぞれに合った適
切なアドバイスをするということと、自分の持っている音楽に対する信念を
伝えると言うことができるかどうかが教育の原点である。
その他、途中に6つのテーマとは異なった話や対話が挟まれていたが、特に
レコードマニアに対する手厳しい批判は痛快であった。つまり、音楽の本質
はレコード集めや立派な装置にあるのではなく、ともかく音楽を聴いて楽し
むことにあると言うのである。
そして、村上春樹が実によく音楽を聴いていて音楽好きであり、小澤征爾
とこれだけの対談が出来ることに今さらながら驚かされた。さすが村上春樹
である。そして、小澤征爾の音楽への情熱も鬼気迫るものがあり、じつに興
味深い対談であった。 |






そうなんです。小澤征爾の音楽については、必ずしもいつも賛成ではないんですが、この本に限らず、一般に、”対談”には非常に魅力的な内容を含んでいること松尾氏に同感です。出版社の編集者の見識みたいなものが反映しているのだろうとも思えますが、対談者同士が発言を通して表現しようとしたイマジナリーに対するマッチングやミスマッチング、すれ違いや意気投合の妙味に加えて、読者もそれに刺激されてイメージを膨らます面白さがある。印象が残っているのは、司馬遼太郎が、確か梅棹忠夫と対談したときの記録、「日本人の顔」だったと思う。
2012/1/31(火) 午後 3:37 [ Y.I ]