松尾文化研究所

ブログを開設します。このブログにおいて現在活動中の文学、化学を題材とした随筆「文学散歩」「化学散歩」について、作品が出来次第掲載

随筆

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落語

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 監査役Oさんから誘われて落語を見に行った。見に行くという表現は落語家
 
にとっては失礼にあたるのかもしれないが、そんな印象が強かったひと時だ
 
った。柳家花緑独演会と題するそのひと時は、花緑飛翔スペシャルvol.18の一
 
環とのこと。落語も花緑の祖父の柳家小さんの時代と違って随分変わったな
 
と思った。小さんが活躍していたころ、上野の鈴本や浅草で落語を聞いたこ
 
とがあるが、舞台装置は変わらないもののじっくり話を聞かせる雰囲気が漂
 
っていたように思える。勿論、よみうりホールと言う場所の雰囲気もその違
 
いを如実に示していたのかもしれない。
 
 さて、お題は「芝浜」と「うどん屋」と言う古典落語中の古典落語。「芝浜」は
 
花緑が話して笑いを誘ったように「暮れと言えば、第九と忠臣蔵とこの芝
 
浜」のひとつ。酒に入り浸りで仕事をしない魚河岸の男が女房にせかされて
 
芝浜に行き、財布を拾う。42両が入っており、男はその日仲間を呼んでドン
 
チャン騒ぎをする。女房がそれを憂いてそのことは夢だったと告げ、信じ込
 
ませる。借金で首が回らなくなった男は改心して酒を断ち、3年間身を粉にし
 
て働き、店を持つまでに至る。そんな大晦日、女房が真実を明かす。そし
 
て、もういいだろうと酒を酌み交わそうとするが、男は杯を下ろして飲もう
 
としない。女房がどうしたのと問うと「また夢になるといけないから」と言う
 
粋な落ちで締めくくられる。花緑の出だしの口上では、祖父の小さんのこと
 
ばかり話し、やや鼻についたが、本題に入るに従って、迫真の語りが客を彼
 
の世界に引き込ませ、彼の実力を認めざるを得なかった。そして、落語の面
 
白さを存分に楽しめた。次いで「うどん屋」。これは小さんの十八番だった作
 
品。間の取り方、うどんをすする迫真性などさすがに小さんの孫だなと思わ
 
せた。勿論、まだまだ小さんの粋には達していないが、必ずや彼に勝るとも
 
劣らない芸風に至ると思っている。
 
 終わってからOさんと有楽町の飲み屋で飲みながら大いに語り合った。初め
 
ての経験だと言う彼も落語の面白さ、楽しさに感じ入った様子であった。

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雑感2010年11月

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 11月は、前半は気象庁の長期予想通り、短い秋が終わってしまったのかと
 
思われるような寒さであったが、後半は小春日和の日が続き、秋を満喫でき
 
たと言っていい。この間、友人二人と韮崎に23日滞在して、大いに語り、
 
音楽三昧の時を過ごしたり、韓国に出張したり、サッカーの試合を横浜日産
 
スタジアムで観戦したり、このところ飯田橋の会社との往復と言う単調な生
 
活に変化が加わってある意味で楽しめた月となった。
 
 韮崎の話から始めよう。金曜日の夜10時に横浜の自宅を出て、IさんとF
 
んをピックアップして、一路韮崎へまっしぐら。横浜が十数度の気温だった
 
のに対し、韮崎は5℃で寒さが身にしみた。夜中の12時半ごろ着いて、それか
 
ら酒盛り、3時頃までワイワイガヤガヤと時を過ごした。次の日は、最近家か
 
ら持ってきた使い古したオーディオ装置のCDが壊れてしまったので、自称機
 
械屋さんのIさんが修理に入った。CD5枚入れて次々に聞ける装置なのだ
 
が、その出し入れができなくなってしまっていたのである。Iさんは丁寧に
 
取り組み、まずは5枚入っていたCDを救ってくれ、2枚ぐらいは入れること
 
ができるようにしてくれた。そこにFさんが登場し、5円玉をうまく利用して
 
よりスムースに出し入れができるようにしてくれた。またIさんはレコード
 
も聴けるようにしてくれて、家から持ち込んだ200枚のレコードと200枚のC
 
Dが聴ける体制が整い、それからは音楽三昧に耽った。皆それぞれに音楽へ
 
の情熱は熱く、今回叔母上のお葬式で来れなかったUさんも含めていい仲間
 
であることを再確認したひと時であった。
 
 次は、韓国のお話。ほとんど仕事に時間は費やされたのであまり話すこと
 
はないが、それでも3日間滞在すると何かは経験するのである。ひとつは、天
 
候のこと。日本は寒いと言っても韮崎で5℃程度であったが、韓国は滞在した
 
大田で0℃、降り立った金浦空港あたりでマイナス3℃と寒かった。但し、幸
 
い風がなかったので思ったほど寒さは感じなかった。2泊したが、いずれも所
 
謂モーテル。日本のような怪しげなたたずまいと言うより、ビジネスホテル
 
の感覚で、部屋は暖かく、料金は3000円台で安かった。朝食は、1度は韓国
 
の典型的な食事、ユッケジャンに前菜として数種類のキムチが出てきた。二
 
度目はセブンイレブンでおにぎりとサンドイッチとヨーグルトを買って食べ
 
た。昼食は、一度は牡蠣三昧の店で牡蠣のビビンバとチヂミを食べたが、韓
 
国料理はとことん精通していつ自負していた私にとっても初めての経験で、
 
殊の外美味しかった。二度目は、大田から金浦空港へ向かう高速道路のサー
 
ビスエリアでうどんを食べたが、何度も経験していたとは言え、その美味さを再認識した。最後に帰りの飛行機の話。金浦空港を飛び立って直ぐに気流
 
の悪いところに突っ込み、大いに揺れたので、外を眺めていると、ぴかっと
 
光ってどかんと大きな音がしたので肝を冷やした。しばらく機内はシーンと
 
静まり返ったが、十分ほどしてからスチュワデスから「先ほど雷が落ちました
 
が、飛行には影響がありませんからご安心ください」とあったが、この十分間
 
は何だったのだろうかと疑念がわいてきた。まあ、何度乗っても飛行機はあ
 
まり好きな乗り物ではない。
 
 最後にサッカーの話。あの2002年日韓大会の決勝戦の舞台、横浜日産スタ
 
ジアムで横浜FマリノスとFC東京との試合をOさんと観戦した。Oさんは
 
熱狂的なFC東京のファン、今期J1で不振に陥り、J2降格の可能性があ
 
るので是非とも勝たねばならないとの決意の表情がうかがわれた。対して私
 
はマリノスのファン、と言っても彼ほど熱烈ではなく、まあ負けるよりはい
 
いとの軽い気持ちであった。七万人を収容できる大きなスタジアムは入るの
 
が初めて。野球の東京ドームに比べれば大きいだけでなく解放感が素晴らし
 
い。ゴールの後ろにそれぞれのファンが陣取り、試合前から大騒ぎである。
 
主審はあの日韓大会でレフェリーを務めた岡田氏。Oさんはもう歳だからと
 
余り好感を示さなかった。時間どおり63分にキックオフ。そのわずか4分後
 
にFC東京の平山が目の前でシュートを決めた。周りがマリノスファンばか
 
りなのでOさんはこぶしを前後に振って喜びを表していた。平山は国見高校
 
時代の得点王で期待されてJリーグに入ったが、あまりぱっとしなかった。
 
しかしなかなかいいシュートであった。その後、マリノスが押していたが、
 
前半はそのまま終わった。後半15分頃、押していたマリノスが目の前で得点
 
を入れ、三万人のファンで埋められたスタジアムの大半が喜んだ。しかし、
 
後半30分過ぎにまたもや平山が得点し、またまたOさんのこぶしの前後振動
 
が見られた。そして、そのまま終了。Oさんは「今日引き分けでもヤバかった
 
からよかった」と本当にうれしそうであった。その後、新横浜の料理屋で乾
 
杯、殊の外Oさんの機嫌がうるわしかった。私もマリノスの優勝は絶望的だ
 
ったので、それほど勝負にこだわっていなかったためまあ、Oさんの喜びに
 
つられて美酒に酔いしれたと言ってよい。その結果、帰りの地下鉄では、寝
 
過ごすこと2回、再び新横浜に戻ってきてしまい、ようやく目が覚めた。と
 
もかくサッカーの面白さを十分満喫でき、これからもここには来たいとの思
 
いに満たされた。
 

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250回記念随筆

 我がブログも250回に達した。今、吉田秀和さんの「名曲の楽しみ」で、ハイ
 
ドンの驚愕交響曲を聴きながら250回記念の随筆を書き始めている。この名曲
 
の楽しみはここでも何度か取り扱ったが、何と言っても現在ではこのブログ
 
の中心をなす「名作の楽しみ」はこのタイトルを借用したので、この記念の
 
随筆をその中で書いていることに非常に感慨深いものがある。
 
アクセス数も8100を超えた。4年とひと月余りでここに達したわけだが、
 
ともかく週に一度は出し続けていきたいと言う願望は成し遂げられていて
 
満足感が漂っている。それと、毎回毎回少ない時でも30人の方々に読み続
 
ていただいているのも大いなる励みになっていることは言うまでもな
 
い。改めて感謝申し上げると同時に今後も読み続けていただきたいと心か
 
ら願うものである。ともかく継続は力であることを感じており、これから
 
もまずは500回を目指し、次いで1000回を目指して書き続けていきたいと
 
思っている。
 
 驚愕交響曲は、第4楽章の軽快な楽章に入った。アルノンクールのアムステ
 
ルダム・コンセルトヘボー管弦楽団の演奏。アルノンクールの演奏はモーツ
 
アルトでは物足りなかったが、ハイドンは実にいい。吉田秀和さんにも頑張
 
ってほしいと思っていたら、「じゃあまた来週」のあの淡々とした決まり文
 
句が流れてきた。彼には頑張るなどと言う言葉は似つかわしくないかもしれ
 
ない。あんな90歳代になったらいいだろうなと思う次第であり、彼の歳まで
 
このブログを書き続けることができたら最高だなと沸々と湧いてくる闘志の
 
ようなものを感じている。
 
 その後直ぐにBSハイビジョンでバイロイト音楽祭2010の生中継があった。
 
出し物は「ワルキューレ」、あの壮大な「ニーベルンゲンの指輪」所謂「指輪」4
 
部作の一つ。ワーグナーはマーラー同様これまで苦手としてきた作曲家。一
 
瞬、ためらったがともかく視聴することにした。音楽評論家とピアニストの
 
丁寧な解説により、「指輪」の全貌が明確になった。そして第一幕、現代の装
 
いをした家族が登場、また電信柱が家の中に倒れ込んでいる。今の時代と古
 
い時代が錯綜して不思議な雰囲気を醸し出しているが何か馴染めない。そこ
 
に登場する主人公の双子の兄妹、いずれも太った大男と大女、しかも互いに
 
似ていない。歌劇はこれがあるからイメージが損なわれる。しかし、声は素
 
晴らしく、バックの管弦楽団の演奏も抜群だった。第一楽章が終わったのが
 
午前0時、次いで一時間の合間があり、その間、過去のバイロイト音楽祭の
 
「指輪」の場面を映し出していたが、こんな現代が混じり込んだ舞台でなく、
 
安心感があった。また、舞台が演出によってこんなにも変わるのかと歌劇そ
 
のものへの認識を改めさせられた。第二楽章は午前1時に始まる。日本人の歌
 
手が熱唱しているのを聞いているうちに眠くなり、後は所々眠りの中の鑑賞
 
だったが、ワーグナーに対する評価を劇的に変えるひと時であった。マーラ
 
ー同様、これからはワーグナーもレパートリーに入れていきたいと強く思っ
 
た次第である。

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雑感 201007

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 会社の事務所が亀戸から飯田橋に移った。飯田橋と言えばまず浮かぶのが
 
神楽坂。父の関係や以前の会社関係でこの辺りはよく来ていたので知らない
 
土地ではないが、そこに毎日通うと言うことになると全く違った感覚にな
 
る。引っ越しの日、Oさんとかき氷を食べに行った白玉ぜんざいが有名な紀の
 
善は神楽坂の入口にある店。私はかき氷を食べたが、なかなかの感触であっ
 
た。そこから少し登っていくと創業寛永7年と言う銘菓の「千鳥屋」、そこの千
 
鳥饅頭は絶品である。中の餡と皮のバランスが絶妙で、一流品の感触が伝わ
 
ってきた。これからの毎日が楽しみである。
 
この辺り、ホームセンターや大きなスーパーマーケットがない。その点が
 
亀戸や横浜とは異なるところ。昔からの店を大事にする習わしなのであろ
 
うか。そういうものに慣れ親しんだ者にとっては不便ではあり、それなり
 
の対応が必要ではあるが、興味深い生活文化の違いを感じた。 
 
引っ越してから最初の日に東京ドームに行って巨人‐ヤクルト戦を観戦し
 
た。切符は会社のFさんがA新聞からY新聞に変えたらくれたという切符
 
で、内野の指定席だと言うことだったが、試合開始直後に行ったので、引
 
き換え枚数がすでに限度を超え、立見席しかないとのことであった。まあ
 
折角来たのだからとFさんと弁当とビールを片手に外野席の後ろの立見席に
 
陣取った。確かに実戦観戦は迫力があるが、応援団の絶え間ない歓声と立
 
っていることから来る疲労感で、屡その場を離れ、裏側の通路の席に腰掛
 
けて休み休みの観戦であった。そして、6回裏、巨人の小笠原が2ランホー
 
ムランを打って31で勝ち越したところでFさんと顔を見合わせて帰ろう
 
と言うことになった。家に帰ると33の同点で11回裏の巨人の攻撃、1
 
ウト12塁から坂本がバントしてそれを処理したヤクルトのピッチャーが3
 
塁に悪送球、あっけない幕切れとなった。まあ巨人ファンとしてはどんな
 
形でも勝てばご機嫌、いい一日であった。これからも近い東京ドームへは
 
時々通うことになりそうである。
 
飯田橋はJR中央線のほか、地下鉄南北線、東西線、都営大江戸線が交わる
 
場所、どこへ行くにも便利である。私は南北線と横浜地下鉄グリーンライ
 
ンで通うことになったが、途中に麻布十番や白金台、六本木一丁目など降
 
りてみたい駅が目白押し、人生を楽しむ余裕ができれば応えられない通勤
 
ラインである。まあそんなことも織り交ぜながらこれから執筆できればと
 
思っている。

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随筆 死について

 ショーペンハウエルの「自殺について」を読んだ。ブックカバーが大学の生協のものだから大学時代に読

んだものだと思う。内容は死についての彼の見解がメインであった。そこでそのことが現実に迫りつつあ

る立場で少し考えてみた。死とは肉体の破壊、意識の停止ということだと思うが、ショーペンハウエルは

次のように述べている。「死とともに意識は確かに消滅してしまうが、これに反して、それまで意識を生

み出してきていたところのそのものは決して消滅することはない。・・・個体的意識、従ってまた一般に

意識は、肉体をもたない存在のもとにおいては考えられない。何故なら一切の意識の制約たるところの認

識は、必然的に脳髄の作用だからである。・・・それに反して死が我々をその中に連れ戻すところの状態

というのは、われわれの本源的な状態なのである」つまり、我々が生まれる前の状態を本源的な状態と

し、死によってその状態に戻るということを言っている。そして、その本源的な状態は魂であり、魂は時

間に制限されないで永遠に存在し、人間が生まれるとその中に宿って意識化されるというわけである。こ

れを読んでいて、サルトルやユングが浮かび上がってきた。いずれも私がある時期にのめりこんだ哲学者

と心理学者だ。サルトルの即自存在に対する対自存在やユングの元型はこのショーペンハウエルの本源的

状態なのだとはっと思った。個体人間の意識にある自己の存在を即自存在と言い、それを見守る自己の存

在を対自存在と言う。対自存在は即自存在の暴走を抑制する。サルトルはこの対自存在のみしかないのが

神であり、従って神は存在しないと結論付けている。ユングは、生まれ変わるということについて、それ

は生の超越の体験であり、そういう超感覚的な事柄についての発言は常に元型によって規定されていて、

あらゆる民族において一致することであると言っている。つまり人間に共通の無意識状態が存在し、死と

ともにその状態に戻り、生まれ変わることによって個性化が生ずるのである。

 確かに、今なぜここに私は存在しているのという疑問はいつもついて離れなかった。この永遠の時間の

中で何故今なのだ。ひょっとするとこれまでも何度もこの世に存在したのではないか。いわゆる輪廻であ

る。また、最近読み出したジェイムス・ジョイスの「ユリシーズ」には「われわれは死んだ後も別の肉体の

中で生き続けるし、前にも生きていたって、これを魂の再生と言うんだ。われわれは何千年も前の地球と

か他の遊星とかで生きていた。ただそれを忘れただけだと言うんだな。自分の過去を覚えていると言う人

もある。・・・もう一度あの言葉を思い出させてやらなければ、輪廻転生」と言う一節があった。ショー

ペンハウエルは当然輪廻を肯定している。また、仏教の輪廻に言及しそれを支持している。さらに、死の

状態は仏教の涅槃の状態であるとも言っている。勿論、この考えに確証はないが、今の時点ではこの考え

方に魅かれている。ともかく夏目漱石の「死ぬまで生きる」しかなく、頑張るしかない。

 最後にショーペンハウエルの「自殺について」における見解だが、基本的にこの世に生まれたことは原罪

を背負っているので自殺したい気持ちはわかる。そして、命を絶つことは自由である。キリスト教では自

殺を禁じていると言っているが、それは聖書のどこにも書いていない。僧侶の勝手な考えであって間違い

であると断じている。但しこういう議論はあまり興味がない。

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