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「青春歌謡映画」一瞬の光芒

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                       永遠の「 高校三年生 」   ②
 
                     舟木一夫と和泉雅子の「失われた20年」
                    
                       久間十義   「新潮45」   3月号
 
 
イメージ 1
舟木一夫と和泉雅子の「 失われた20年 」
とは何か
 
    その1
60年代、舟木・和泉の黄金コンビは”希望”や
”未来への信頼”をスクリーンに展開しながら生きていた。
     
それなら、舟木一夫と和泉雅子は”希望や未来への信頼”を生きたコンビとして、それの”失われつつあ った20年”を、スクリーンの中で二人はどう生きていったか、という問いも可能だろう。
 
     その2
あるいは、スクリーンや芸能界で燦然と輝いていた黄金コンビの光も徐々に失われ、
その”栄光の輝きが失われた20年”を、
舟木一夫と和泉雅子はそれぞれ実人生でどう生                                       きていったか、ということになるのだろうか。
 
                                                                                                                                     イメージ 2
  
     その1については、 
     映画界の変遷、衰退により、特に日活などは残念ながら
     凋落の一途というほかない惨状になっていく。
 
 
     舟木さんは、芸能人として、また「青春歌謡映画」の変質
     により、日活でも他社でも”悲恋”に突き進んでいくしかなく、
     雅子ちゃんは最後まで日活に付き合ったとはいえ、不本意な
     企画を受けざるを得なくなっていく。
      
 イメージ 3
 
                                                1969年2月                                            
       
                                                                         したがって、舟木・和泉のスクリーンの中での           <”希望や未来への信頼”が失われた20年>は
   20年どころか、数年のうちに消滅してしまった。
 
 
   それゆえ、その後の二人はスクリーンの中では
   ”希望や未来への信頼”を生きられなかった。
 
 
         1969年12月
          要するに≪舟木一夫と和泉雅子の「失われた20年」≫については、その2しか成立しない、
          ということである。
           黄金コンビの舟木・和泉としては <燦然と輝く光を失った後の20年> をそれぞれに生きた、
          その20年と いうことになる。
      
 
     舟木一夫・和泉雅子のその後
 
     かんたんに云えば、
     舟木さんはその後、心身を病み、一身上のことで幾度か週刊誌をにぎわす事件を起こしたにも関わら
     ず、結婚したことで落ち着きを取り戻す。しかしその後も波乱万丈は続き、それは15年以上にわたる長
     い不遇時代でもあったのだが、自らをはぐれ者(芸人)として意識し、冬の時代を耐え、生き抜いた。
     30周年で”同世代だけを向いた歌手”として復活し、今年50周年を迎えるのはご承知の通りである。
 
     雅子ちゃんは、10歳からの女優人生の間に積りに積もった抑圧、ストレスに耐え切れず、ついに”人間
     的な心”を取り戻すために動きはじめる。1883年に南極大陸に行ったことから始まった、自己を開放した
     いという、やむにやまれぬ衝動は、ついに89年、北極点に立ったことで”抑圧された自己からの解放”と
     いう本願を成就した。
     美人女優であることが何の意味も持たなかった和泉雅子にとって、再び生きること、生まれ変わること
           が問題だった(P167)。
 
      舟木さんが再び私たちの前に登場し、”奇跡の復活劇”を演じるのは1991年、
     雅子ちゃんが”抑圧された自己からの解放”を勝ち取るのが1989年。
 
     黄金コンビは紆余曲折を経て、それぞれに最もふさわしく、居心地の良い自分を生きられるポジシ 
     ョ ンを自らの手で獲得していった。      
     それは絶頂期の黄金コンビ時代から数えて20年余り・・・・
     この年月こそが二人にとっての、≪失われた20年≫だったのである。
 
     しかし、これは失われたといえる20年なのか?
     表向きは二人とも芸能人として燦然と輝く光を失い、華やかさとは縁遠い、陰に隠れていた年月かも
           知れないが、実は最も居心地の良いポジション、自分自身として生きられる世界を手に入れようとし
           ていた軌跡としての20年なのだから・・。
     
    
     久間氏は、この後、”はぐれ者”としての矜持を持って生きてきた舟木さんや、絶世の美女でありなが
           らきっぱりと美人女優をやめた和泉雅子の生き方をより際立たせるために、吉永小百合の生き方(否
           応なく戦後民主主義の理想と永遠の美女であることをを期待され、それを生きる)を対比させて、記述
           していく。
 
     そして「停滞から衰亡への一里塚である3.11を経た今(P171・・加筆された記述)」、失われた20年とい
           う長いトンネルの中を走る列車に乗って、私たちは現在どこへ行こうとしているのだろうか?と危惧さ
           れる。
 
     この部分の”失われた20年”がどの20年を指しているのか、判然としないのだが、トンネルの車窓に
           映っている自分たちの姿を、かつての自分たち、未来の自分たちの目にはどう映るか、無性に知りた
           い、ということでこの”覚え書き”を結ばれている。昭和の前半にやってきた”賑やかな滅び”が覆うこと
           への不安とともに。
 
      久間氏は、できるだけ客観的に「青春歌謡映画」の時代を考察しようと努められ、 団塊の世代の私
            は、舟木一夫、和泉雅子の青春をリアルタイムで生きたものとして、できるだけ冷静に読ませて頂こ
            うとした。
      しかし、どうしても舟木ファンとしての視点で読み進んでしまう。
   
      久間氏の記述にも、ほんの少々和泉雅子ファンの視点が垣間見られると思うのだが(久間氏は否定
      されるかも)、読者はそれぞれの立場で氏の考察を読む。  
      何はともあれ、全く同世代とはいえない久間氏が、「舟木一夫・和泉雅子」黄金コンビの時代を考察し、
      月刊誌に2号にわたりその記事が掲載されるのだから、舟木ファンとしては有難い限りである。
 
        
      感受性の強い時期、舟木一夫と和泉雅子主演を初めとする「青春歌謡映画」を見て私たちは育ち、
      楽しませてもらった。世代の宝物として大切にしていきたいとの感がだんだん強くなってくる。
         
       それぞれの舟木一夫であり、和泉雅子であり、「青春歌謡映画」であるのだから結論が出るものでは
             ないが、「新潮45」への反響はどうだったのだろう。 気になるところである。
           

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                       永遠の「 高校三年生 」    ①
 
                舟木一夫・和泉雅子の「失われた20年」
 
                     久間十義   「新潮45」 3月号    
 
 イメージ 5
 新潮45 2月号 
 「青春歌謡映画」一瞬の光芒
 舟木一夫・和泉雅子コンビの60年代  後編
 
 
 この記事の3月号目次は、2月号より見やすい   場所に移り、活字も大きい。
                                ひょっとして反響が大きかったからか、なんて
 根拠のないことまで思いついてしまう。
 
                                前月号では、主に1960年代の世相と絡めて、
 舟木・和泉の黄金コンビが語られていた。
 
 高度経済成長時代を「貧乏と希望のアマルガ   ム」の中で生きていった世代
 
                                       その世代の「若さ」と「新しさ」とは?
                                       「出て行く者」と「とどまる者」との拮抗
                                                                等々、
 
    「北国の街」の和泉雅子の美しさと健気さに目を見張り、、ほとんど討ちのめされんばかりに惹きつけら      れ、癒された久間氏の熱い筆が踊っていた記事であった。
 
    しかし、その「青春歌謡映画」は一瞬の光芒に過ぎなかった(と、氏は考察する)。
    それなら、その黄金期を過ぎた70年代、80年代が舟木一夫、和泉雅子にとっての「失われた20年」
    であり、後編のテーマということになるのか。
 
 
 
    久間氏は、「青春歌謡映画」の変質について、繰り返し記述されている。(P161〜P163)
                                                                     イメージ 1
   
    ・舟木・和泉コンビとしては、1966年の「絶唱」を頂点として       も、それはもう「青春歌謡映画」ではない。
     どこから見ても文芸映画である。
 
 
    ・時代の流れとともに人々の生活は豊かになり、青春歌謡映     画は次第に変質する過程にあった。
 
 
 
    ・舟木映画の66年からの変質は芸能人・舟木の大人として      の成長にも関わっている。
      (下線は「哀愁の夜」〜「絶唱」にかけてのことと思われる)
 
 
 
イメージ 2
 1965年10月
 
 
 
                        1966年8月
 
                    
    
イメージ 3
                           1966年2月
 
 ・68、69年においては「若さ」と「希望と貧乏」を        イメージ 4
  ベースにした青春歌謡映画ははっきりと時代遅れ
  となっていた。
 
 
 ・(1968年当時、ファンたちは)日活の映画や
  舟木一夫を 初めとした青春歌謡曲に、明瞭な
  違和感を抱き始めていた。
 
 
 
 ・学園の青春を歌った歌謡映画ははっきり過去の
  ものだった。  
 
 
        
  イメージ 6       1969年1月                                               1968年3月
 
 
       なるほど、1970年を挟んでの前後数年間は、激動の時代         だった。
      それぞれが実感としてよくわかると思う。
      激しい渦に飲み込まれて、まともには立っていられなかっ        た疾風怒涛の日々。
 
      もう、学園もなく仲間もいなくなったから、学園ソングは歌        えなかった。
 
     
      すでに青春歌謡映画のファンにとっての”歌との別れ”は有無を言わさずに訪れていた(P164)、
      ということになる。
         私自身、舟木さんの歌も映画も、もう卒業したものと勝手に思っていた。
      卒業したのだから、70年以降の舟木さんは全く視野に入ってこなかった。
 
                                                                                                         ②へ続く
     
    

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                  「 青春歌謡映画 」一瞬の光芒     ③
 
                     舟木一夫・和泉雅子コンビの60年代
 
                     久間十儀  「新潮45」  2月号
 
 
 
イメージ 1
「北国の街」について、久間氏はひときわ熱く熱く
語り、まるでこの掲載前編における中心であり、代表であるかのように考察される。
 
それは氏にとって和泉雅子の美しさに開眼し、この”極私的考察”の発端になったという事情もあろうが、舟木・和泉コンビの魅力を引き出す中で、結果的に時代が内包していた問題を適確に表現された柳瀬観監督の作品自体が良かったから、とも思えるのだ。
          
久間氏のあぶり出した「北国の街」が内包する時代性とは、、、
 
映画「北国の街」には、貧乏と希望、健気さ、純愛、「若さ」と「新しさ」、時代背景のドキュメント性という、久間氏の言われる「青春歌謡映画」の特徴のほとんどが表現されており、その上で                                                   「出て行く者」と「とどまる者」の相克
                                      も暗に描いている、とされている点であろう。                                            
 
 
 
イメージ 2
 
  久間氏は「北国の街」に関連し、60年代の若者   について以下のように考察される。 
                                          (「新潮45」2月号P141〜P142)
 
   
  ① ”都会に出た若者にとって、田舎は錦を飾る     べき場所、帰るべき故郷であった” 
 
 
  ② ”結果的に「出自コミュニティ」を放棄し、崩      壊させることにつながったが、この事実は       若者たちに直視されなかった。” 
 
 
  ③ ”青春歌謡映画が讃えた「若さ」や「新しい       (民主的な)」生き方”は、”予想外の世界を      招来した”のであり、
 
 
   ④ ”青春歌謡映画を見る中で若者たちが謳歌      した希望は倒錯していた。そして彼らはそ      の事実(=民主的な生き方の倒錯性)に気       づかなかった。”
 
   
    1960年代に中高生時代を送った私たちは、田    舎から都会へほとんど「出て行く者」であった     が、
 
 
   ① のような感覚はあっただろうか?        個人的には??の部分が残る。
 
    
   ② 「出自コミュニティ」の放棄が、「村落共同体」「家父長制」「旧民法の家督相続」などからなる”封建制
     からの脱却”にあるならその通りである。
     だからこそ、「青い山脈」では古い上着とさようならし、戦後世代は思い通りに生きることができる切符       を手に入れた「喜び」と「希望」、「憧れ」を歌うことができた。
 
     それが”幻想”に過ぎないことも意識の端にはあっただろうが、都会に出ることにより、誰にも邪魔され       ない自分の人生を手に入れられる喜びは、大いにあったと思う。
     その意味で「出自コミュニティを放棄し崩壊させた事実」は直視しなかったかも知れない。
 
   
   ③ 戦前、戦中の若者と違い、死を意識することなく生きられる青春を手にし、その上人生の入り口で「夢」      や「希望」を語ることも許されるようになった戦後生まれの若者たち
 
     歴史上、初めて手にすることのできた「自分で決められる自分の人生」の切符に心躍らぬわけがない。
     「若さ」も「新しさ」も自分たちのものだ。
 
     たとえ15歳で故郷を離れることになったとしても、「夢」や「希望」のほうが大きい。
 
     だからみんなで「青春歌謡」を歌い、「青春歌謡映画」を見た。
 
     50年たって今、私たちは ”人々の生活の孤立化”、”会社主義の崩壊”、”地方の疲弊”に直面してい       る。これが、久間氏の言われる”予想外の世界”ということか。
 
   ④ 久間氏の言われる、”民主的な生き方の倒錯性”について
      民主的ということは、(主として戦前の旧民法の規定する)旧来の考え方に邪魔されることなく、考えた       り生きていったりすることができる自由と捉えていいのだろう。
      そこに青春歌謡映画の特徴である「若さ」と「新しい生き方」があったわけだから。
 
 
      では60年代後半、実際に 「若さ」と「新しい生き方」が特徴である「青春歌謡映画」の中で、「私たちの       新しさ」は、どう表現されているか。
      人生の岐路に立ったとき、私たちがこぞって支持した舟木一夫・和泉雅子の黄金コンビは青春をどう生      きたか?
      ここで、人生の岐路に立ったときに、という縛りの元に二人を見ていくことは大変重要なことだと思        っている。二人が人生の岐路に立ったとき、
 
      「北国の街」の志野雪子は難病ながら東京の大学進学への道を選んだ。
      小島海彦は、志野雪子とともに東京へは行かなかった。
      父親の病気のため進学を断念し、家業を一旦継ぐ決意をする。
      「きっと後から追いかけるから」と。
      このときは、小島海彦は「とどまる者」を選んだ。
      その決断をした海彦の胸中と、東京での一人の生活を始めようとする雪子の不安を思いやり、観客は       みんな涙したものだ。
 
 
      ここに「出て行く者」と「とどまる者」の相克が描かれているわけであるが、
      「新しい生き方」を享受できたかに見えた戦後世代においても、家業の問題、親の問題が無縁に
      なったわけではない。 
      ただ、選択肢として有無を言わさずたった一つの規範があるのみ、という時代ではなくなった。
         
      「たった一つの規範」が「いくつかの規範の中でより良い選択を」となったときそれぞれの選択が積み       重なって、結果”予想外の世界”が出現したのだ。
 
      それゆえ、久間氏が、<”民主的な生き方”が結果的に本来目指していたものとは違う形で、”倒錯した       形”で現れてきた>、と云われていることを図式化するなら、
 
         「民主的な生き方」=「個人の中でのよりよい選択」≒「予想外の世界」の出現
 
      とでもなるのではないか、と私は解釈した。
        
        
      そこで 【団塊の世代の一員としての所感】
 
      60年代後半、私たちは若く、新しくはあったとしても、”自分ひとりだけで決められる人生”を、強行突破       することはできなかった。
      強行突破できると考えたことがあるとしたら、それは”幻想”であり、現実に打ち砕かれていった。
 
          
      私たちが行使したのは自分の人生を選ぶとき、「いくつかの中で、自分にとってよりよい規         範を選ぶことのできる自由」であった。それが私たちの持っていた新しさの中身だったのだ。
      だからこそ実際には迷い、「出て行く者」と「とどまる者」の相克があったわけだ。
 
 
      私たちは、小島海彦があの時、「とどまる者」としての選択をしたことは、可哀想であり、歯がゆくもあっ       たが、父親に寄り添う道を選んだことにほんの少し、どこか共感する気持ちもあったと思う。 
      その海彦の迷い、相克があるからこそ、スクリーンの中で和泉雅子は余計に可憐で、いじらしく輝いて       いく。仄かに恥らう含羞に満ちた表情が、後に久間氏に衝撃を与え、私たちは、遥かに去りゆく東京        行きの汽車を見送る舟木一夫の表情に、万感の思いを重ねていった。
 
      雪子が難病に侵されていることを知らない海彦の、迷った上での決断。
      雪原に立ちつくす小島海彦の胸中に、志野雪子への思慕とともに、「出て行く者」と「とどまる者」の相       克があることを見ていくには、久間氏のブログや「新潮45」を目にするまでは、はっきりと”考察”できて       いなかったことである。 
      あまりにも舟木一夫・和泉雅子の黄金コンビの純愛に心を奪われていたから。
      
      しかし、リアルタイムで舟木・和泉黄金コンビを観てきた団塊の世代も、50年たてば一応
      自分たち、自分たちの新しさを考察していかなければならない。
 
      全くの私見に過ぎないが、久間氏の考察による所感としては、ここで、
 
      「私たちの持っていた新しさ」は、「選択肢がある自由を持てた新しさ」ではあったが、「出て行      く者」と「とどまる者」との相克を伴わない自由さまでも持っていた「新しさ」ではなかった。
 
     とまとめようと思う。
      
      付け加えて、
      私たちは充分に迷い、出て行ったり、とどまったりして、結果青春歌謡映画で夢見た世界は倒錯し、        ”予想外の世界”を生きることになった、ということは頷ける。
      しかし決して、<自分たちの個人主義や民主主義の理想は、拡大する経済と利便生活の中で、ほぼ達       成されたという幻想を抱いた”(P141)>訳ではない、ということも所感の中に入れておきたいところ         である。
 
 
 
                                  イメージ 3
 
  この後、戦後世代の私たちが担っ    た「若さ」や「新しい生き方」が、
  時代の波の中でどのように変化
  せざるを得なかったか。
 
 
 
  久間氏が「青春歌謡」や映画の中    から、後半のブログをどのようにま    とめられるのか、
  「新潮45」の後編掲載号を待ちた    いと思う。
 
                              
   「北国の街」
   昭和40年3月発売
   作詞: 丘 灯至夫
   作曲: 山路 進一
 
 
 
 
 

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                   「 青春歌謡映画 」 一瞬の光芒     ②
 
                      舟木一夫・和泉雅子コンビの60年代
 
                      久間十儀   新潮45  2月号掲載
 
 イメージ 1                                                                     久間氏によれば、
「青春歌謡映画」の特徴は
                               貧乏と希望、明るさ、健気さ、そして純愛・・・①  であり、文字通り
「若さ」と「新しさ」・・・②
だったということになる。
 
                               また、集団就職で都会へ出てきた若者たちへの
応援歌の側面があったこと・・・③
当時の社会背景をきちんとドキュメントしている
”意識せざるドキュメント性”・・・④
 
にあるとも指摘されている。
 
 
 
 
     久間氏の叙述 ( 「新潮45」2月号 P134 )
     ”50年ほど前、斜陽化する日本の映画界で青春歌謡映画は一瞬の光芒を放ち、、その歌と青春スター
     たちが担った戦後の新しい生き方(=思想)は、私たちの中に何ほどかの刻印を残した。
      〜  〜  〜  〜  
     そこにあるのは、若者たちが希望や夢とともに、自分たちの世界を積極的、特権的に歌い上げる 
     ”若者賛歌”である。” (同P137)
  
     この後に続く次の叙述は、ブログにはなく加筆されている部分である。
 
     ”当時若者たちは自分たちがどのように「新しい」のか知らなかったが、自分たちの「新しさ」について     は恥ずかしいほど自覚的だった。”(同P137)
 
    
      若さ、新しさ、若者、青春賛歌とくれば、映画「青い山脈」を代表とする、石坂洋次郎文学である。
      時代背景は違うが共通点あり異質な点あり、私はこれを見逃す訳にはいかないだろうと思う。
 
      石坂洋次郎は、戦後民主主義という新しい時代の到来した喜びを、”古い価値観の大人”と”新しい価値      観の若者”を対比することにより、ひたすら明るく描いている。
      そして舞台は大抵東北地方の小都市であり、古い価値観の持ち主である町の有力者を、新しい学         制のもと、男女共学となった新制高校生がやっつけていくストーリーが多い。
      新しい価値観で生きていける新制高校生の、弾けるような若さと喜びが溢れる学園生活が眩しいくらい        だ。
 
 
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                   <1949年制作>
        
 
 
 
 
 
    「青い山脈」と「青春歌謡映画」には15〜20年近くの時間的隔たりがあるが、両方に共通する特徴は
    「希望」であり、「明るさ」であり、「若さ」であるといえるだろう。
    
    両者がイコールにならないのは「貧乏」、「新しさ」の意味する中身、「(集団就職をも含んだ)ドキュメント       性」あたりか。    
 
    「青い山脈」を初めとする石坂文学に「貧乏」は描かれていないと思う。
    新しい時代に、それは世の中にあって欲しくないことであり、やがて無くなるものだったから、だろう。
 
    一方、「青春歌謡映画」の中では、
    職を求め田舎から都会へ出てきた「集団就職」の若者が、助け合いながら必死に学び、貯蓄し、生きて      いく姿が「仲間たち」や「花咲く乙女たち」で描かれている。
    過労で事故を起こすまで働いて独立資金を貯めたり、実家に仕送りをしたり、そこかしこに「貧乏」の影      はちらつく。影どころではないくらいだ。
    
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                 1960年代の高度経済成長期は「貧乏と希望のアマルガム」
 
 
         十数年という短い間に、私たちはどうやら久間氏の言われる「貧乏と希望のアマルガム」を生きて          いく準備をしていたことになるらしい。その後の高度成長期を生きていったのだから。
         大衆消費社会の呼び声とともに。
 
         テレビの出現で、もはや斜陽産業となっていた映画界では、舟木さんたちの「青春歌謡映画」が、
         制作費も安い上に観客数も見込めるという一石二鳥をもたらしたこともあり、量産されていった。
 
         そのお陰で私たちは、「もう一つの我が青春」を味わうこともできたし、楽しませてもらったのであ          るが、等身大の若者像を描くには、もはや 「希望」「明るさ」「若さ」だけでは描ききれない時代状          況になっていた。
 
         私たちは若く、新しい生き方ができると思っていたが、戦前までの社会構造(社会規範を含めて)          を断ち切るまでにはいかなかった。 断ち切ろうとして、その一つの生き方が”都会へ出ること”で          はあったけれど。
 
         「青い山脈」では、旧来の倫理観や道徳観、つまり久間氏の言われる”戦前のエートス(慣習)            ・(規範)”までをも一気に突き破ろうとしていく新制高校生の爽快感が描かれる。
         そしてそこに迷いは無い。
         しかし「青春歌謡映画」の中の”新しい”生き方をしたい若者は、自分の将来にも、「愛」にも、
         そこに自分らしい生き方を重ねようとして、迷う。
         全く、純粋で、真面目で健気なことよ!!
          
 
         就職にしろ、進学にしろ、望んでか、望まざる選択であったかはそれぞれであるが、ともかく
         私達はこぞって都会へ出て行った。
 
         そしてその時、 「出て行く者」と「とどまる者」の道が分かれていった。
 
         「出て行く者」と「とどまる者」として道を分けていった違いは何か。
      
         新しいといわれていた私たち世代の、その”新しさの中身”はいったい何であったのか。
         「出て行く者」と「とどまる者」の道を分けた鍵は、私たちの纏っていた”新しさ”の中にこそ潜ん            でいると思われるのだが、、。
 
         その中身を確認してこそ、久間氏の新しく加筆された叙述が、実感としても私たち世代のもので            あっかどうか、わかって来るものと思う。
 
         舟木さんを応援するあまりにここまで来てしまった。
         こうなったら、納得いくまで考えて見るしかないではないか、という心境である。
          
       

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                    「 青春歌謡映画 」 一瞬の光芒     ①
                       舟木一夫・和泉雅子コンビの60年代
 
                      久間十儀   新潮45 2月号 掲載
 
 
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久間氏の「青春歌謡映画」についての考察がブログにあるのは知っていたが、この度月刊誌「新潮45」にも掲載されているとの情報を得たので、早速読んでみた。
 
ブログの記事を大幅に短縮した上で、加筆されている箇所もあり、簡潔にまとまった考察という点では、「新潮45」の方が断然読みやすい。
ただし、ブログ名は「Youtubeでたどる私の和泉雅子と舟木一夫」であった。
 
久間氏にとっては闘病(していると思っていた)の日々を和泉雅子の美しさに慰められたのであるから、この考察についての気持ちの持って行きようはどうしてもマコちゃんの方が先だったのだろう。
 
それにブログの段階では、まだ私的覚書の整理のためだったのだから、「青春歌謡映画」を論ずるの                                      に、舟木一夫より先に和泉雅子(マコチャンに恨み                                      はないけれど)の名前が出てくるのはどうよ!なん                                      てことは云わないでおこう。
 
      ともかく久間氏が<舟木一夫と和泉雅子コンビの60年代>を「青春歌謡映画」を通して考察してくれ       るのだ。一定の購買層を得ているであろう月刊誌に、こうして現役作家の「青春歌謡映画」の考察が        掲載されることを素直に喜ぶことにしよう。
 
 
      では、「青春歌謡映画 」といわれるジャンルの映画の始まりはいつとするか?終焉はいつか?
      
     「青春歌謡映画」が、御三家や三田明のヒット曲に吉永小百合、倍賞千恵子、本間千代子、和泉雅子、      松原智恵子といった若手女優陣の組みあわせとすれば、「いつでも夢を」 「下町の太陽」 「高校三年       生」が封切られた1963年をその始まりとし、終焉は、舟木さんの日活青春歌謡映画最後の作品とな        る1968年の「青春の鐘」となる。
 
     久間氏のグログをまとめると、大体以上のようなことが書いてある。
     したがって1963年から1968年までの約6年間がこの考察の時期となる。
 
 
                   《青春歌謡映画始まりの頃〜》
 
 
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              <橋幸夫・吉永小百合さん>
 
     <倍賞千恵子さん>
 
                                                                            イメージ 5           <西郷輝彦さん>
    イメージ 4      イメージ 6      < 出身地でのロケ 舟木さん映画初出演 >                      <三田明さん>
 
 
 
    この頃は、御三家のヒット曲はほとんど映画になった。                                    
    観客動員数が見込める上に、制作費が安く抑えられる
    人気歌手と若手女優陣出演の青春歌謡映画は、映画界
    の救世主となっていった。
 
 
 
    久間氏が闘病中(と、ご本人は思っていた)に慰められ、「青春歌謡映画」に惹き込まれていくきっかけと     なったのは、「北国の街」の和泉雅子の美しさ(可憐さ、いじらしさ)であった。
    1965年(昭和40年)公開だから、まさに久間氏は、最初にして「青春歌謡映画」舟木・和泉コンビのど真     ん中に巡り合ったといえるだろう。
    それゆえ ”含羞に満ちた和泉雅子の映像は、半世紀近くを経て、現在の私たちに届けられた、高度経済     成長期からの送りもののように感じられ”、
    ”ひょっとして肝心なものを何も見ず、何も聴かずにうかうかと半世紀を過ごしてきたのではないか?”
    とまで氏に思わせてしまったのだ。
 
    日活映画をはずした人生は寂しいかも・・・と思ううちに、和泉雅子の美人女優を止めた見事な転身
    ぶりを、重大な時代のサインだったかと現代の時代の閉塞感の中で捉えていく久間氏。
 
    本当にそうですよ、久間さん。
    私たちは日活の青春歌謡映画で随分楽しませてもらいました。
    1963年から1968年初めまでは、映画の中で私たちは”もう一つの青春”を生きることが可能でした。
    中心となった舟木一夫、山内賢、和泉雅子、松原智恵子さんたちとともに。
    1968年後半から1969年になるともう世情も変わって、「青春歌謡映画」の中で「もう一つの我が青春」を生     きることはできなくなりましたけど。
    それにしても、病床にあって鬱々とした日々を慰めてくれたのが「寅さんシリーズ」でもなく、これこそ青春     歌謡映画といって差し支えない東宝の「若大将シリーズ」でもなく、和泉雅子に連なる「日活青春歌謡映      画」であったとは、、、。
    いろいろ云われる団塊の世代ですが、私たち真面目だったのですよ。何にでも真剣に向き合ってね。
    若くて新しい世代だったけど、和泉雅子さんが表現していた可憐さ、いじらしさ、はじらいなどは、
    まだまだ充分に残して生きていた世代ですからね。
    団塊の世代の中にあるそれらを見出し、光を当てて下さるような考察が嬉しいです。
 
 
 
    青春歌謡映画を同時期に観ることのなかった世代である久間さんの「青春歌謡映画」考。
    今月号は前編だそうだから、3月号には後編も掲載されるに違いない。
    私は同時期に見ることの可能だった世代の一人として、少しだけその感想を書いてみたいと思う。
    もちろん、私のための、私だけの極私的所感に過ぎないのだけれど。
 

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