● 大河ドラマ 『 平清盛 』・第15回 「嵐の中の一門」 (4月15日放送) のあらすじ
→ http://www9.nhk.or.jp/kiyomori/
1149年3月、熊野詣の帰途に落馬した家盛(大東駿介)は、そのまま帰らぬ人となった。宗子(和久井映見)は悲しみのあまりとり乱し、忠正(豊原功補)は家盛が死んだのは清盛(松山ケンイチ)が神輿(しんよ)を射た報いであり、「お前が死ねばよかったのだ」と罵声を浴びせる。
後日、清盛の館を弟の頼盛(西島隆弘)が訪ねると、失意の清盛に家盛が落馬寸前に発した言葉を告げる。「兄上」というひと言だった。また自分は清盛が苦手であること、それでも伝えに来たのは、父母を同じくする唯一の兄・家盛のことを思ってのことだと伝えた。
忠盛(中井貴一)は喪が明けるとすぐに鳥羽院(三上博史)に謁見し、変わらぬ忠誠を誓う。そして、高野山の宝塔再建という鳥羽院の命を受け、自分の名代を清盛に務めさせたいと申し出る。清盛は戸惑いながらも引き受け高野山を訪れると、そこで陸奥(むつ)国への長旅から戻ったという僧・西行(藤木直人)、かつての義清(のりきよ)と再会を果たす。
そのころ、藤原摂関家の兄弟争いは激しさを増していた。1150年に近衛天皇が元服すると、すぐに弟・藤原頼長(山本耕史)は養女・多子(まさるこ・中田美優)を入内(じゅだい)させた。兄・忠通(堀部圭亮)は対抗すべく、得子(松雪泰子)の養女・呈子(しめこ・伊藤麻実子)を自分の養女にし、入内に向けて動き始める。
一方、崇徳院(井浦新)の御所には権力争いから遠ざけられた兄弟が暮らしていた。兄・崇徳院と弟・雅仁親王(松田翔太)である。歌ってばかりの雅仁親王に、政治に復帰する野心がないのかと崇徳院が問うと、雅仁親王は笑い飛ばし、野心があるのは兄ではないかと言い当てる。
家盛の一周忌がやってきた。供養のため家盛の愛用品を正倉院に収める支度をする忠盛に、宗子が清盛の生みの母・舞子の形見である鹿の角を差し出した。亡き舞子の志を遂げたいと忠盛が思っていたために家盛が死んだのだと宗子は感情をぶつけた。
ある日、清盛の館を西行が訪ねて来た。清盛は西行に、平氏一門は嵐のただなかにあるが、その嵐のもとは自分であり、自分に宝塔再建の大役は果たせないと弱音を吐く。西行は、清盛にしかできないことがあるはず、嵐の中に身を置いて務めを一心にはたすべきだと清盛を諭す。清盛はふっきれたように宝塔の再建に全力を注ぎ始める。
一方、源義朝(玉木宏)は藤原摂関家に言いなりの父・為義(小日向文世)と衝突を繰り返していた。ある日、義朝は常盤(ときわ・武井咲)が貴族の家人らしき男ともめているのに出くわす。実は忠通が呈子の入内を華々しいものにするため、見目麗しい女性を都じゅうから集めていた。そこで、病人の母を抱える貧しい家の娘・常盤に白羽の矢が立ったのだ。嫌がる常盤に向かい義朝は、呈子に仕えれば親孝行になると説得。常盤は集められた千人の中で随一の美女に選ばれ、宮中に入ることになった。
美福門院となった得子に呼ばれた忠盛は、この再建が落成のあかつきには、公卿の地位も夢ではないということをほのめかされる。しかしその直後、頼長が忠盛の前に現れ、家盛が死に至ったてんまつを告白する。家盛は自らが平氏の棟りょうとなるために全てを自分に差し出し、自ら平氏一門を売った小心者だと馬鹿にし、家盛の死を「犬死にだ」と笑い飛ばす。忠盛の心中には、やり場のない怒りが充満していた。
高野山に納める曼荼羅(まんだら)を彩色する様子を見つめていた清盛は、絵師にすすめられ、筆をいれようとしていた。そこへ忠盛があらわれ、清盛に今すぐ中止しろと叫ぶ。志のために家盛に犠牲を強いてきたと自らを責め、もはや自分が出世のために努力を重ねてきたことすべてが無駄だったと悔い叫ぶ。だが清盛は、曼荼羅の彩色を止めようとせず、そんな清盛を忠盛は幾度となく投げ飛ばす。それでも清盛は、自分は家盛の兄だと叫び、額から流れた血を筆につけ、曼荼羅の中央にある大日如来の唇を塗った。そんな清盛を忠盛はただ涙を浮かべながら、もはや見守るしかなかった。やがて、宗子もその場にきて曼荼羅に見入った。家盛が兄上によろしくと言っていると、宗子はほほえみかけると清盛はすでに疲労のあまり、深い眠りについていた。
こうして平氏一門が嵐を乗り越えて結束を深めた一方で、源氏一門の絆を危うくする事件が起きようとしていたのだった。
私のおすすめ:
初回限定盤 Mr.Children (ミスチル) / Mr.Children 2001-2005 <micro> (+DVD)【初回限定盤】 〔CD〕
|