♪バルボット成江のフランス便り♪

パリより100km、ボーヴェより、今日は急に夏が近づいたような天気です。

A tempo-3

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滑走路と荒木教授

ICUの正門からは徒歩でキャンパスまでかなり時間がかかる。

皆この道を「滑走路」と呼んでいる。

大学のある場所が元中島飛行機製作所だったことから来ているのか。

滑走路は桜の季節になると素晴しい。
入学の季節でもあるが、この桜に迎えられて分けの分からない新学期が始まったのを記憶している。英語でいきなり入学式や説明があった。

みんな夕暮れに飲み会、花見をこの道の脇で開いたりした。教授がふらっと加わったこともある。

荒木元教授が昨年8月末に逝去された。仏文科の顔とも言える先生だった。
逝去されたのを今日届いた同窓会報で知った。
私は卒論はもう一人の仏人教授についていたが、荒木教授の授業もとっていた。

鋭いアカデミックな授業だった。仏人のK教授とは別の意味で面白い講義だった。

ソルボンヌ大学卒業後、講師から78年教授に就任、そして95年まで比較文科研究科長を務められた。

良く覚えているのは音に敏感だった方で、フランスで夏季研修を受けてから帰ってきて彼のクラスで(何を読んでいたのかも覚えていないが)口頭で読まされた時に発音をほめられたこと。
余りほめられた事もないのでその時はいささかびっくりした。
先生の門下にいた学生、大学院生など、皆とても知的な人達だった。
何だか自分が違う人種のように思えた。。

自宅でも学生を呼んで毎月会を開いていた。いつもそういう意味で学生と共にいらしたのだと思う。
私は部活と音楽にかまけていた。なおかつK教授についていくのがやっとだったので、荒木教授の会には出入りしなかった。(K教授の授業は3人しかいないクラスで予習を怠るとすぐに分かってしまう世界だったので大変だった。)
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荒木 亨教授のご冥福をお祈り申し上げます。

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生徒がコンクールで

生徒二人がスタインウェイコンクールのA都市会場でそれぞれのカテゴリーで健闘。

一人は課題曲がDance allemandeというベートーヴェンの1ページのみの曲。彼はピアノ3年目。

もう一人は二年目になるまだ初心者でこれもベートーヴェンのロンドで短い曲。

一人目は教えている学校の生徒で男の子。優秀だけどちょっと緊張し、それでも2位。
二人目はうちに通っている女の子で、18/20という大変優秀な成績だった。

こちらは20点満点形式が多く、16以上は良い成績だ。
男の子のほうは16点だった。
女の子の方は18点はほとんど素晴しい。

おばあちゃんから「とても信じられないわ」と喜びの声を聞いた。

こちらもうれしかった。

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Ce n'est pas simple(単純ではない)

夕べパリで食事してから子供を寮に送る。

学校の前には何台も車が止まっていて週末を家族と送り戻ってきた生徒達と家族達が。

荷物が沢山あった子供は二度にわたり荷物を自分の部屋まで運んだ。
(内部は一人で移動するように義務つけられているので両親はノータッチだ)

かなりハードだった先週と子供の様子を見て分かった。 起床は6:50,8時から始業。
夕方の18:30まで休憩時間をはさみつつ授業、レッスンがある。

宿題もあったがそれにしても日曜日は家を出るまでだらだらとしていた。

[くるみ割り人形]と、もう一冊の本をそろえてくる事になっていたので土曜日に書店に行った。
寮に日曜日送り出してから夫の発言で分かったのだが「くるみ割り」は読んで行く事になっていた。
ちっとも読んでいなかったが何をしていたんだろう!

と思ったがすでに遅い。
私の携帯には部屋に着いた子供から伝言で「壁にポスターや写真も貼ったしこれで部屋の準備ができた。携帯聞こえないみたいだから、二人にお休みを言うね、ボンヌ・ニュイ」 と弾む声。

本読んでなかったけど数学の宿題はちゃんとやったし。まあ大丈夫か。
心配してもしょうがない。自分で責任とるしか。
と言い聞かせてみた。

土曜の夜は引越しする夫の同僚と送別会をレストランでしたし、読書する暇もなかったな。

それにしても誇らしげに校門をくぐる子供はなんだかまぶしかった。

前回審査員を務めたピアノコンクールの主催者Pのメールで「長男はピアノの道を進みたいらしい。(コンクールでも入賞したとても上手な生徒だ。)だから月一度はパリでレッスンを受けさせることにした。」とあった。
ということは親もボルドーからパリに月一度付き添いで来るということ?大変だなあ。
まあTGVで来れば片道4時間だけど。

皆それぞれ大変だなあ。ご苦労様です。と思った。

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子供のバレエ学校入学

子供はおとといとある国立バレエ学校に入学した。
時間より早めに着くと近くのカフェに行って一息つく。
夫も私も何だか落ち着かないが特にそわそわ緊張しているのは子供だった。
早くもクウェット(羊毛布団)の包みとスーツケースを携えて学校へ向かう親子が沢山いる。
カフェにもちらほらバレエ少女、少年が親に付き添われていて座っている。

新入生だけでなく全員の新学期の始まる日。コンヴォケーションは全生徒が対象。

校門前には大勢の家族がすでに待機。
ちらほらと試験の日に見た子供もいるがほとんど知らない顔ぶればかりで子供はさきほどから緊張しっ放しだ。

やっと開門時刻になり狭い入り口から皆名前をチェックされると螺旋階段を下りる。
ホールにたどり着くとP校長と担当らしき男性。張り紙に各生徒の部屋割りが掲示してある。
入寮の生徒はあちら、男子は一階(日本の二階)女子は二階、生徒はエレヴェーターを使わないで下さい、と言われて満員のエレヴェータを使わず私達も階段を上った。
子供の名前の張ってあるドアにはイタリア人とフランス人の名前があった。
3人一部屋で、内部はついたてと洋服ダンスで仕切ってある。
窓も一人一つずつ付いていて、小奇麗でさっぱりしている。

明るい部屋に安心した我らはスーツケースを置くとベッドメークに取り掛かる。イタリア人の子と親がやってきてあいさつ。
まだ余りフランス語をしゃべれないようだ。

両端が娘とこの子によって占領されると、後からフランス人の子が家族に付き添われて入ってきた。
リモージュからお兄さん、妹、両親と一緒に来た。

いい子らしい二人を見てまた安心。
親同志微笑みあいなんとなくほっとする。

3人とも新入生でよかった。
まだ緊張している娘は親の事をうるさいと思うらしく「自分でやるからいい!」といって荷物整理を始める。

すると前からの生徒で子供の友人Aがやって来て大喜び。ロッカーに案内されてみんな移動。一人一人ロッカーを選んで自分で錠前をしてダンスのクラスに必要な物はそこに全部置いておくらしい。
朝寮を出ると一日中部屋に戻ってはいけない事になっているからだ。
Aちゃんは子供の隣を自分のロッカーと決めてうれしそう。さすがに去年からいるので準備も万端に、ロッカーのなかに吊るせる布の整理棚を持参。私と夫は感心。

2時半になってコンヴォケの時刻なので皆と共に学校の踊り場に出る。

螺旋階段の廊下に今年の時間割や医師面談の日時が全員分張ってあった。
バレエ用品の指定店リスト、その他連絡事項が細かい字で張ってあり大きな親達がひしめく隙間から子供と私は垣間見てメモした。携帯で写真撮っている親もいたが私は携帯を忘れてきてしまった。

余りの人ごみにあきらめて「時間割はどうせ娘が見るからいいね」と夫と話しながら何となく階下のエントランスへ。ソファがあり高い天井で居心地が良い。親達は立ち話している。
そこに大きなテレビ画面に映る今年5月のらしい日本公演のVTR.

早くも生徒達はそこに見入っていた。

やっと呼ばれて全員がオーディトリアムヘ移動。
舞台があり赤い座席が階段状に並んでいてなかなかの劇場だ。
ここで試験が行われるんだな。

舞台上で立ち話していた先生方が全員舞台上のイスに着席。
生徒と親達は客席へ。

大きい生徒達は親とはなれて友人同士座っている。

学長の隣にO座の総監督マダム・ルフェーブルが中心にいて彼女の挨拶がてきぱきと終るとP学長の挨拶。彼女はとても優雅で本当にエトワールだった事を感じさせる。
色んな面で学校の改革のために政府から予算を取り付ける苦労があったらしい。自己紹介が始まる。
学食のシェフが二人明るく挨拶、生徒たちから歓声が上がる。

その後勉強の方の先生方から始まって、(今年から芸術史という授業も加わった)ダンスの各先生、学年毎に担当が違う。解剖学やダンス史の先生、表現力のクラス、マイム,民族舞踊の先生。カウンセラー(すごい歓声)、キネジテラピー専門医、等々の紹介の後、ピアニスト達の紹介。日本人女性もいて子供と目を見合わせる。
学校付きのカトリック尼の二人が紹介される。その後担当医からインフルエンザへの対応の説明があり、場内からワクチンに関する質問が。

その後学長から今年バカロレアにほとんどの生徒が受かった結果や、優秀な成績を収めた徒から順に名前の発表があり、さらにO座バレエ団入団が決まった生徒達(16歳以上だ)の発表、その他イギリスやドイツのバレエ団に入団した生徒の発表があった。

一人一人の名前を熟知しているようであり全員は百何十人の生徒達を把握している様子の彼女に信頼が持てた。

やっと終ると書類にサインをして渡し、オーディトリアムの出口で飲み物とお菓子が振舞われた。

知り合いの父兄と立ち話などをしながら庭に出た子供達を横目に見る。
韓国人の家族と目が合うも何となくお互い話しかけそびれた。
外国人生徒はこの後すぐにフランス語のレベルチェックがあり,どの仏語クラスにはいるかが決まる。

ボーヴェの友人夫婦に会うとすでに生徒として丸一年以上過ごしたJのママ、Aは「平日はパリのアパートにいるけど週末はボーヴェに帰っているから、一緒に車で送ってあげてもいいわよ」とのお誘い。大変有難いので時々お願いするかも、といってお礼を言う。

大変緊張したけれど全て何とかすみ、子供の「あ、まだいたの?じゃあ!」の明るい顔を見て「寂しくなるなあ!」と思いながら夫と校門を出た。

その後すぐ帰るのも惜しいので二人で夕食を「R軒」に行ってとる。

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ロックの夕べ

ディズニー映画の新作La -hautを3Dで家族で観て(素晴しい出来で大変満足)その後食事して帰ったらナンとクイーンのラストコンサートライヴをARTEというチャンネルでやっていた。

フレディ、ブライアンメイ、ロジャー、ジョン・・懐かしいメンメンがもう大乗りで力演をしているスタジアム・・・素晴しい。
We are the Championsで終るこのコンサート。フレディは凄い。

やはり私達の世代なのだなあとひとしきり感慨に浸っているとジョージ・マイケルの回想録が続けて放映された。

つい観ていたら夜中になってしまったがこんな夏休みの最後の晩が好きだ。ロックで締めくくり。

小学高学年頃から姉の影響でジャクソン5やビートルズを聴きそのままロック少女になった私は何だか今こうしてクラシック等を弾いていたりするが、原点にロックは大きな影響をおよぼしているはず。

今の子供達がヒップホップその他を聴く様にそれは自然なことだ。

その感覚を自分のコンサートに反映させたい。
どうしてひとつの型にはまる必要があるだろうか。

ダンサーだったら古典にとどまらずどんな分野にもレパートリーを広げる。それで後ろ指さされる人がいるだろうか。

などと感じた今晩だった。

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